2022年8月号|特集 郷ひろみと音楽
【Part1】<スーパーアイドル>~進化を続けるお茶の間、そして国民的スターへ~|アーティスト・郷ひろみを紐解く5つのキーワード~
コラム
2022.8.1
文/鈴木啓之
デビュー50周年を迎えますます若々しく輝きを増すスーパーアイドル・郷ひろみ
1972年に「男の子女の子」でデビューしてから50年経つというのが信じらないほど、いつまでも変わらずに颯爽として男盛りな郷ひろみ。デビューの頃は可愛らしい美少年であった。太眉でキラキラした目に甘い声、しなやかな動きはまるで少女漫画に出てくる王子様のよう。アイドルになるために生まれてきたとしか思えないオーラが漂っていた。事務所の先輩であったフォーリーブスの弟分的な存在で、彼らの主演映画『急げ!若者』(’74年)の中で当時の新曲「君は特別」を歌う郷の輝きは筆舌に尽くしがたい。
オーディションでジャニー喜多川にスカウトされてジャニーズ事務所へ所属し、フォーリーブスのバックダンサーを務めた後にデビュー。キャッチフレーズはストレートに“フォーリーブスの弟”であった。デビュー曲「男の子女の子」は岩谷時子による瑞々しい詞、筒美京平の躍動的なメロディでいきなりヒットチャートのベストテン入りを記録し、一躍トップアイドルとなる。’72年の『第14回日本レコード大賞』で新人賞を受賞。さらに翌’73年の『第24回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たした。
5thシングル
「裸のビーナス」
1973年6月21日発売
’73年夏のヒットとなった5枚目のシングル「裸のビーナス」は、全身写真のピンナップ仕様が施された二つ折りジャケットで紛れもなくアイドルの証し。歌い出しの詞とメロディの斬新さとキュートさ、曲全体に漂う美少年が醸し出す危うい魅力に当時の女性ファンたちはノックアウトされたことだろう。8枚目のシングルとしてリリースされた「花とみつばち」もロックテイストの明るいナンバーで印象深い。デビューからしばらくは作詞・岩谷時子、作曲・筒美京平のコンビによる瑞々しい青春ソングが続いた。
美少年から次第に男っぽさを増してくると、初めて作詞が安井かずみに委ねられた「よろしく哀愁」から少しずつ大人の歌手へのレールが敷かれてゆく。少年期から青年期への成長が詞に表現された。20歳を迎えた前後の楽曲は、作曲は一貫して筒美京平であり続けながらも作詞に橋本淳も登板して、それまでとは少し違う大人っぽい歌の世界が展開されていった。’75年真夏のヒット「誘われてフラメンコ」はプロデューサーの酒井政利が先にタイトルを決め、作詞の橋本に託されたという一曲。ダンサブルなディスコ歌謡は当時の筒美が最も得意としていたスタイルのひとつであった。
23rdシングル
「帰郷/お化けのロック」
1977年9月1日発売
’77年の両A面シングル「帰郷/お化けのロック」は作詞を阿木燿子、作曲を宇崎竜童が初めて手がけ、次の「禁猟区」と共に連続ヒットさせた。同じく酒井プロデューサーが担当していた山口百恵同様に、阿木×宇崎コンビの作品がアーティストの成長過程で重要な役割を担ったといえる。その阿木が都倉俊一と組んだ大傑作が「ハリウッド・スキャンダル」である。都倉自身のアレンジによるゴージャスなサウンドはその後も多くの支持を集め、現在でも色褪せない至高の歌謡曲のひとつとして高い評価を得ている。真っすぐに前を見据えて歌う郷の姿勢に、歌手であることの強い自覚とトップスターのポジションを得た自信が窺える。
そして80年代を迎える直前、’79年の「マイレディー」からはヴォーカリストとしてまた新たなステージに突入した感がある。網倉一也が郷のドラマでの役名・唐沢晴之介名義で作詞・作曲し、変幻自在のメロディを盛り立てる萩田光雄の高揚感溢れるアレンジ、歌詞に出てくる“男と女”の一節はクールな目線で、ジャケット写真の表情にも大人の男の色気が漂うが、この時まだ24歳。80年代に入って最初のシングルが「セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)」というのも象徴的だ。林哲司が作曲したカップリング「朝陽のプロローグ」は隠れた佳曲。そして次のシングル「タブー(禁じられた愛)」ではいきなりカーリーヘアになってお茶の間を驚かせた。続けて網倉が作曲し、作詞を阿木燿子が手がけた「How manyいい顔」はカネボウ’80秋のキャンペーンソングとして大ヒットした。
以降も三原綱木がギターとコーラスで参加した「未完成」、エンターテイメント歌謡の極致「お嫁サンバ」など次々にヒットが連なった。バーティ・ヒギンズのカヴァー「哀愁のカサブランカ」は、その後の「ケアレス・ウィスパー」や「Wブッキング」を経て、’99年の快心作「GOLDFINGER '99」へと至る洋楽カヴァー路線の発端となった重要な作品。常に日本語詞が施され、見事に歌謡曲として着地させているところは流石というしかない。そして郷ひろみが国民的なアイドルであることの決め手となったのが民営化以前の国鉄の最後のキャンペーンソング「2億4千万の瞳」だろう。抜群の表現力で郷以外には決して歌えない曲。何かにつけての決め台詞となる“ジャパン”もここからだった。
50thシングル
「2億4千万の瞳」
1984年2月25日発売
90年代を迎えてCDの時代になってからも、’93年から’95年にかけてのバラード三部作「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」「言えないよ」「逢いたくてしかたない」を展開するなど常に話題を提供しながら活動を続けてきた。2005年からは年2作、’11年からは年1作のペースで毎年新曲を発表し続けているのも凄いことだ。デビュー50周年を迎えてますます若々しく輝きを増しているスーパーアイドル・郷ひろみが、これからどんな活躍を見せてくれるか、僕らは楽しみでしかたない。
(【Part2】「筒美京平」~運命の出会い~へ続く)