2022年7月号|特集 真夏のシティポップ!

【Part1】真夏のシティポップ・ストーリー かせきさいだぁ(ミュージシャン、ラッパー)

エッセイ

2022.7.1


夏の化石のシティポップ


 昔々、静岡の山間と川沿いの町に、のちにかせきさいだぁになった男の子がいた。男の子は’70年代に、シティポップよりも、おら東京さいくだよりの田舎町で小中と育った(吉幾三さんのこの曲は、名ジャパニーズ・ラップミュージックとして今も大尊敬♡している)。

 彼には4つ上の姉がいて、中学までは姉が聴いていた音楽を一緒に聴いた。そのとき思ったのがアリスや松山千春、長渕剛やさだまさしより、ユーミンや竹内まりやの音楽はオシャレだということ。YMOはテクノポップらしいけど、オフコースよりオシャレ。姉が好きだったのは当時それを全部ひっくるめた『ニューミュージック』ってジャンルだったけれども、ニューミュージックの中にもフォークよりな音楽があったり、洋楽のポップスよりの音楽があったりで、僕は洋楽よりのがとびきりオシャレに聴こえた(それはのちにシティポップと呼ばれた)。

 他の町を知りたい気持ちがあふれ出し、高校は家から2時間かかる、清水市(現・静岡市清水、次郎長で有名な町)の三保(天女の羽衣で有名な海沿いの町)の学校に行くことにした。清水と言えばちびまる子ちゃんで、少しはシティポップに近づいたと思う。

 その三保という町は、清水から突き出た半島にあり、サーフィンでも有名な場所だから、半島を貫く広い一本の道沿いは、サーフショップや喫茶店がたくさんあった。その喫茶店は当時で言ういわゆる“サ店”で、んなもん一つもなかった田舎町で育った僕は「コレがサ店か!」と、色んな店に行った。サーファーや陸サーファー向けの喫茶店なので、店内は洋楽やシティポップ、その中でとくに海を強く感じる山下達郎、大瀧詠一が、清水・三保のサ店ではよく流れていたもんじゃ……。真夏のシティポップを語る予定が、ジジイの昔話になってしまった。

 しかし当時を知るものとしては、どーしてもジジイの昔話になる。
 その頃、カッコつけたい年頃でもコーヒーなどまだ飲めない高校一年生は、チョコレートパフェを食べたり、その店自慢のカレーやハンバーグをもぐもぐ食べつつ、シティポップに包まれ、そういう海沿いのサーファー文化を楽しんだ。

 そんな海沿いの町の高校に三年間通っていたので、夏感を感じる三年間でもあった。鈴木英人さんや永井博さんのイラストが飾られる店も多かったし、同級生にもサーファーが多かった。
 サーファーは洋楽好きが多く、ダンスミュージック好きも多く、サーファーの同級生はディスコでバイトしてたり、ディスコに一緒に行ったりとかで、ますます吉幾三よりもシティな生活を送り始めていた。

 三年間の思い出といえば、海の近くのオシャレなサ店でハンバーグ注文したら、オシャレにテーブルを小さくしてるもんだから、届いたハンバーグがプレートごと一回転して床にキレイに落ちて、何も食べずに帰ったこと。
 同じ店の急な階段で(1階は駐車場にしてあって、立地的に無理があって階段が急角度だった)、同級生が足を踏み外して頭から一回転して落ちたのだけど、高校の柔道の授業のおかげで受け身をとって無事だったこととかで、どーにもしょーもない。

 高校二年からは美大受験を目指し、美大の予備校に通い始めていた。予備校一のかわい子ちゃんが高校卒業と同時に車の免許とり
「初めてのドライブ、一緒に行ってくれない? 卒業記念に2人で海まで行こうよ!」
と海にドライブに行くことになったのだけど、どうです? バリバリシティでしょ。2人手を繋いで海岸を歩くとかあるのだろうか…とワクワクした。
 当日、彼女の運転する車で2人でワイワイきゃっきゃっと海まで行って、どこかテキトーなとこに停めて砂浜を歩こう!となったのだけど、テキトーに停めすぎて車をガードレールに擦ってしまった。
「どうしよう? お父さんの車…」
 予備校一のかわい子ちゃんは顔を真っ青にして、海岸にも行かず、無言のままドライブは終了した。
 美大受験に全て失敗した僕は、上京して立川の予備校に通うことにした。そしたらなんたる偶然かそのかわい子ちゃんも同じ一浪で同じ予備校だった。その子と仲のいい僕は、他の浪人生たちから「付き合ってんの?」とか「あの子と仲良くてイイなぁ~」などと羨ましがられていた。
 予備校生中のある夏の朝、かわい子ちゃんから電話が来た。
「今日予備校サボってさ、渋谷で映画見ようよ!」
 上京して、早速かわい子ちゃんと映画デートである。シティだろう~? 精一杯オシャレした僕が立川の駅に向かうと、かわい子ちゃんは全身白い服とスカートで、めちゃ可愛かった♡ なんの映画を観るのか決めてないから、車内で2人できゃっきゃとお話しして、現地で決めよう!映画まで時間あったら洋服見たりお茶しよう!と盛り上がった。僕的には映画中は手を握ったりした方がいいのかな?なんか考えたりね、青春でしょう?
 渋谷に着くとかわい子ちゃんはトイレに行きたいと言い出した。東急デパートのトイレを探して、出て来たかわい子ちゃんは顔を真っ青にして僕に言った。
「急に生理始まっちゃった…ごめん、お腹痛いからもう帰ってイイ?」
 2人無言で中央線に揺られて帰った。

 夏のある日の夕方予備校から帰ると、電話が鳴った。かわい子ちゃんからだった。
「夕飯作り過ぎちゃったから、食べに来ない?」
 いや~完全にもうアレでしょ、付き合うパターンでしょ、コレは。るんるん気分でかわい子ちゃんのオシャレな白と緑のアーバンなアパートに向かった。アレ? 男物の靴があるぞ……。他にも友達呼んだのかな?部屋には筋肉質のオシャレな男が座っていて
「紹介するね、彼氏だよ」
と言われた。彼氏は短髪タンタンヘアで、鼻の頭に絆創膏を貼っていた。
 最初はオデキかな?と思ったが、そのあとその彼氏と一緒に3人で何回か遊んだが、必ず鼻の頭に絆創膏を貼っていて、ファッションなんだと気づいた。かわい子ちゃんもドクターマーチンにロールアップジーンズを履いて、ロックな女の子になっていった。
 そう世の中はホコ天・バンドやろうぜな時代になって来ており、僕の恋と同時にシティなブームは終わったのだった。実際にシティポップのブームは70年代後半から80年中盤までなので、完全に僕のガラスの10代時代と重なるのである。

 こう振り返ってみると、意識はしていなかったが、自分はバリバリ「シティポップ」の洗礼を受けていたのだった。自分的にはその後のホコ天・イカ天・バンドやろうぜブームにはイマイチ乗り切れず、ヒップホップにハマってシティポップの始祖鳥的な存在の「はっぴいえんど」をサンプリングしたアルバムでデビューして、そのあとはソウルミュージックを掘り初めて、ブルーアイドソウル(白人が作るソウルミュージック……。スタイル・カウンシルもブルーアイドソウル)なんかも掘り始めたら、「あれ? 日本人の作るソウルミュージックがシティポップなんじゃね?」と気づいたりして、ヒップホップとシティポップをくっ付ける作業をし始めた。
 一番顕著だったのは’97年発売のシングル曲「ポップアート / かせきさいだぁwith南佳孝」だ。最高にシティなヒップホップが出来たのだが、当時は自分のシングルの中で一番売れず「かせきさいだぁは終わった」と業界でウワサされた。90年代当時、シティポップは超絶早過ぎたのであった。トホホ♡


かせきさいだぁ(KASEKI CIDER)

●1995年、1st アルバム『かせきさいだぁ』でデビュー。現在までオリジナル・アルバムを6枚リリース 。ポップ・ミュージックの歌詞を引用したラップで注目を集め、今日では日本のヒップホップ界で強い影響力のあるミュージシャンの一人として知られている。ミュージシャン、ラッパーとして活動する一方、アーティスト・漫画家・文筆家・作詞家とジャンルを問わず幅広く活躍するその姿はまさにヒップホップ・ アーティスト。アクリルやマーカーを用い 、シルバーの背景、ポップな作風が徴の作品を手がけている。絵画作品では、歴史的名作をオマージュした「名画シリーズ」が近年注目を集めている。’21年よりWATOWA GALLERYの所属作家としてARTIST活動を精力的に開始し、初めての大規模な個展「かせき POP!」を開催。’22年8月の個展開催に向け準備中。

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