2022年6月号|特集 大江千里

【Part1】大江千里の現在・過去・未来 ~ ロングインタビュー

インタビュー

2022.6.20

インタビュー・文/北村和孝(「Player」編集長) 編集協力/村上あやの

©PND Records & Music Publishing Inc.

インタビューの前に少しだけインタビュアーである自分について書きたい。中学時代、従姉妹のステレオコンポ目当てに遊びに行った時、生まれて初めて聴いたCDのひとつが大江千里の『未成年』だった。ヒスノイズがない環境で聴く「REAL」のフェアライトCMIによるサウンドは、未来のポップミュージックを感じた。それまでに感じたことがなかったあの衝撃はアラフィフになっても覚えている。

以後、似たようなべっ甲柄メガネを探したり、譜面を買ってきて弾き語りを練習したり、“ジョニ・ミッチェルが針飛びをする”からジャコ・パストリアスを知ったり……。本当に様々なタイミングで大江千里から影響を受けてきたし、同世代で僕みたいな千里ファンはいるはずだ。TOKYO FM「大江千里のLive Depot」で『12ヶ月』の楽曲をライヴで披露していた時点では、まさか渡米してジャズに本格的に取り組むなんて想像できなかったが、『ゴーストライター』、『ghost note』辺りで何かが変わった気がした。

『Boys Mature Slow』以後も追いかけつつ、『Senri Premium』のボックスセットが出れば最新マスタリングの音質に感動して、シンガーソングライターの大江千里も、ジャズミュージシャンの大江千里も愛聴してきた。僕の中では二つの大江千里の音楽をいつの間にか聴き分けていたが、シンガーを起用しての『answer july』の完成度が衝撃的で、もしかしたら歌う大江千里は戻ってこないのかなと思ったりもした。

それだけにソロピアノによるセルフカヴァー集『Boys & Girls』は嬉しかったが、聴いていてなんの曲かわからない自分にショックを受けたりもした(笑)。『Hmmm』は遂に!と思うほどのピアノトリオの躍動感。これは『Boys Mature Slow』を聴いた時から思っていたが、いわゆるステレオタイプな4ビートジャズをやるのではなくて、今の空気を感じるジャズミュージックを作曲して、ピアノを弾いている大江千里は間違いなくかっこよかった。

コロナ禍でリリースされた『Letter to N.Y.』は僕にとって意外な内容であり、インストではあるがもはやジャズだなんだジャンル関係なく、ポピュラリティたっぷりの音楽を楽しんでプレイしている大江千里を感じた。何せ打ち込みも用いてシンセプレイもたっぷりのミクスチャーワールドである。そして『Letter to N.Y.』を聴いているうちに、勝手に二つの大江千里に分けて聴いてきたけれどこれはもう分けようがないな、と。当の本人はどういう意識で『Letter to N.Y.』を作ったのだろう!?と不思議だったのである。

そんな時に得られた待望のインタビューのチャンス。スタッフには念のために事前にクエスチョンシートの一部を渡したのだが、そこにしたためたのがこれまで書いてきたようなことだ。しかも千里さんはそのクエスチョンシートに目を通してくれて、おそらく面白がってくれたのだろう。序盤はそれらの質問に一気に答えようとするように、渡米への物語をたっぷり語ってくれたというわけだ。途中からクエスチョンシートに僕は目もくれず、千里さんとの会話にひたすら夢中になったのだが、結果的には7インチシングルになった『Rain』のことも、少しながら『Senri Oe Singles』にも触れられたし、何よりジャズミュージシャンとしての大江千里の今についても本音がたくさん聞けたと思う。

個人的には“STATION KIDS RECORDS”時代をまだまだ掘り下げたいとか、次なる目標もできてしまったわけだが、退路を断ったことでシンガーソングライター時代では作り出せなかったメロディを見出すなど、本当に稀代の音楽家だと思う。超ロングインタビューをじっくりとご堪能いただきたい(北村和孝)。

ジャズとかポップとか言っている場合じゃなく、チャンスが来ているかもしれないと思った


——幼少の頃にクラシックピアノを習い、だんだんといろんな音楽に興味を持ち始めて、ソングライティングを始めるというのは、シンガーソングライターなら誰でも向かう道のように思いますが、その後シンガーソングライターとしてデビューすることになりつつも、ジャズへの憧れはどの辺から強くなっていった感じなのでしょうか?

大江千里 ジャズへの憧れというのは10代の頃からですね。僕は14、15、16歳とヤマハのポプコンで育ててもらっていて、ヤマハのなんばセンターに曲を持って、よく通っていました。その帰り道にアメリカ村にある中古レコード店に寄って、LPレコードのジャケット買いをしたのがアントニオ・カルロス・ジョビンのボサノヴァだったり、クリス・コナー、ナンシー・ウィルソンという歌手だったり、セロニアス・モンク、ウィントン・ケリー、ビル・エヴァンス、そういう人たちのレコードを買っては、「世の中にはこんなにも今まで聴いたことのないすごい音楽があるんだ!」って。作り方なんてどうなってんのかさっぱり分からない摩訶不思議。でも、こんなにかっこいい音楽があるんだっていう。そしてこれが、ボサノヴァやジャズと呼ばれるものなんだと知ったのが、その15、16、17歳くらいだと思うんです。


V.A.
『9番目の音を探して~大江千里のジャズ案内』

2017年12月15日発売
※大江千里が選曲したジャズ・コンピレーション



当時、夜にNHK-FMで放送されていた「クロスオーバーイレブン」という番組があって。ほとんど喋りが入らなくて、いわゆるジャズとポップスの間ぐらいに位置する曲が、延々とフルコーラスで流れる番組だったんですよ。そういう番組をエアチェックして、カセットテープに録音して、そのテープをベッドの下にガァーッと並べて、毎日聴いてね。チャック・マンジョーネやスパイロ・ジャイラ、日本でいえば神崎オン・ザ・ロード、ネイティブ・サンとかよく聴いて、中でも僕が一番影響を受けたのは、日野皓正さんの『シティ・コネクション』。ルックスもかっこよかったんですよ。


日野皓正
『シティ・コネクション』

1979年発売



ここら辺が入り口になっていて、そうした原体験がある一方でポップスも大好きで、南佳孝さんの『SOUTH OF THE BORDER』とか。この作品にはものすごいジャズのアイデアがいっぱい入っていて、教授(坂本龍一)とか、RAJIEさんとかユーミンさんとかター坊(大貫妙子)もデュエットされていたかな? いずれにしろ素晴らしい布陣でしたよね。


南佳孝
『SOUTH OF THE BORDER』

1978年9月21日発売



こうした自分がまだ知らなかった素敵な未知の世界を教えてくれるものに、もう必死で手を伸ばしていました。実生活ではヤマハのなんばセンターにアクセスして、16、17歳の富田林高校の1年生や2年生がヤマハの、ぼうさんこと太田聖二さんや藤尾先生(当時ポプコンの応募曲を編曲されていた)とかに「どうやったらいい曲って書けるんですか?」って詰め寄って、自分の曲についてプロの話が聞ける夢のような時間を過ごしていました。

難波の日本橋にヤマハのレコーディングスタジオがあるんだけど、そこで「君は実技はまだまだだけど、書く曲にはちょっと何かありそうだから、僕がアレンジしてみんなにオケを作ってもらったから歌いにきなさい」とぼうさんに言われて。当時はまだ16歳で「エメラルドの風の中」という曲だったかな? 歌いに行ったらそれでポプコンの関西四国沖縄決勝に出てね。シンデレラのかぼちゃの馬車じゃないけど、ヤマハを出ると、難波の高島屋の前で現実に戻るのに途方に暮れるという(笑)。これから高野線に乗って地元の金剛駅まで帰って、停めている自転車の鍵を外して帰宅しなきゃいけないんだって。でも田んぼ道をそうやって帰って、自宅にびゅーっと上がると2階の部屋にはレコードプレイヤーがあって、そこでまた日野皓正さんやスパイロ・ジャイラ、ビル・エヴァンスを聴くっていう。

もうそんな中で、荒井由実(松任谷由実)さんの曲に対する憧れや尊敬があって、毎日研究していたんですよね。だから何か曲を書きたいなと思うのは、やっぱり日本語であれだけすごいものが現存するということへの憧れと、僕は爪の垢も煎じてもできないっていうのも当時から分かっていましたけど、夏の暑い日に建て売り住宅の屋根の上で素っ裸で日焼けしながら、ユーミンの『SURF&SNOW』を聴いて歌詞とメロディの関係とか研究しました。そうやって何とか書き連ねていったものが、デビューに繋がっていくっていう流れなんですよね。


松任谷由実
『SURF&SNOW』

1980年12月1日発売



だから太い音楽の幹としては、ジャズやポップスというジャンルにこだわっているわけでもなく、もしこの時期に劇団ひまわりから誘いが来ていたら役者になっていたかもしれないわけだし。まぁ、関西だからひまわりはないんですけどね(笑)。

——なるほど。

大江千里 ちょっとかいつまんで、うわーっとお話をしたんですけど、ジャズ、ポップス、もちろんそれまでも自分を突き動かした音楽はたくさんあるんですけど、そのいくつかとして大きいのはカーペンターズの曲だったり、ギルバート・オサリバンがピアノの上に座っている「アローン・アゲイン」のジャケ写を見て「こんな風になりたい」と思ったり。


ギルバート・オサリバン
『アローン・アゲイン』

1972年発売



曲に併せて家でクラシックの練習をしていたピアノで弾き語りを初めて弾いて録音してね。自分の歌詞を声にして歌うのが恥ずかしいから親がいないときを見計らってやってみるっていう。曲を作るということももちろんピアノが基本にあって、クラシックピアノをやっていた時代に先生が、僕が即興をやるということを見出してくださったんですよね。だからもう10代の頃というのは、そういった様々な渾然一体となった音楽の洪水の中にいました。今、お話したような流れの中で、どうしてもジャズの不思議を解きたいという思いから藤井貞泰氏のジャズ教則本を買って勉強し始めたりもしたんですけど、当時は難しすぎてちんぷんかんぷんで。途方に暮れながらも曲を書いて、ライヴをやったり、近所の大阪芸大の先輩たちの手伝いをして後ろでピアノを弾いたりしながら、「僕の作る曲も演奏してくださいよ」なんて言ってね。

それである日、大阪の枚方にあるライブハウスで自分のバンドで演奏していたら、ソニーのスカウトマンの方が来て、 「君はシンガーソングライターとしてバンドじゃなくソロでやる気はあるの?」と聞かれて「バリバリあります!」って。メンバーが後ろにいるのに(笑)。それでEPICのプロデューサーだった小坂洋二さんに繋がって、小坂さんからすぐに電話をいただきました。話すと神戸の方で共通項がいっぱいあって、「東京にけえへんか?」と言われて、「これはもうジャズとかポップとか言っている場合じゃなく、こっちでチャンスが来ているかもしれないな」ということで、僕はもう全エネルギーをシンガーソングライターに賭け始める。片道切符を握りしめて上京し、EPICソニーのビルに初めて行くと社員の皆さんが待っていてくれて拍手で迎えてくれて……。ただ、お洒落してベイ・シティ・ローラーズみたいな裾の折り返しがチェックのチノパンを履いて、チューリップハットを被って入って行ったことを覚えています。それが20歳ぐらいの僕です。

【Part2】へ続く)

大江千里
『Senri Oe Singles』

2022年6月22日発売
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