2022年6月号|特集 大江千里

【PART1】作家・大江千里アンソロジー 第1回:「travellin’ band:後編」(『レッドモンキー・モノローグ』より)

コラム

2022.6.1


【前編】からの続き)

 女子はたいてい本番前は異常に静かである。たまに何やってるのかのぞくと、本番に向けて、濱田さんの量の多いふさふさの髪を丹念に中村裕美子(メイク)が結い上げている。
「ちょっと、気持ちのコミュニケーションしにうかがってもよろしいでしょうか」
 ドアを細くあけて小さい声できくと、
「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
 とポンプがつまったような裕美子先生の笑い声がかえってくる。彼女は仙台のコンサートあたりから後半はモンキーダンスで舞台にとび込んだり、そでや楽屋で鳳仙花のようにはじけまくっていた。
「よっこいしょういち」
 とりあえずひととおりの儀式的ギャグを真顔で言うと、ぼくは自転車をたたんで畳の楽屋に侵入する。
 いちど楽屋のカーテンをあけて、会館の駐車場をながめていると、カップルが言いあいをしてるのを目撃した。もちろんむこうはこっちに気づかない。彼らはこんな会話をしていた。
「ねえ。おいでよお、ここまで来たんだから、一緒にコンサートたのしもうよお」
「だって、女が多いんじゃ恥ずかしいよ、俺」
 すったもんだの結果、彼女が一人で表玄関へまわった。しばらく経って夕焼けからあたりが暮れ始める寸前くらいに、彼女がむこうのほうから手をふってるのが見えた。
「男の子もけっこう来てるよ〜〜〜。おいでよ〜〜〜。ねえ、おいでったら〜〜〜」
 男のほうは、車のキーをかけて渋々そっち向きに走り始めた。先ではびょんぴょん彼女がとびはねながら手まねきしている。
 その日のコンサートで、前から六列目くらいの席で、心配そうな彼女の視線をものともせずこぶしをあげて歌いまくっていたのはまぎれもない、その男の子だった。
 redmonkey yellowfishは毎回が初日で千秋楽だ。
 旅をつづけるなか、コンサートを行なったその翌日にその会館が長期改装や建て替えに入った場所も幾つかあった。
 新潟県民会館、千葉県文化会館などがそうで、こういう設定はいやがおうでも力が入る。
 こちこちというよりは、ぶんぶんエネルギーがてんこもりに溢れかえるかんじだ。
 初日の島根もそのはずで盛りあがったあと、冷静になって会館のスケジュール表をみると、佐野元春氏がその後を締めることになってた、というような笑い話も今やなつかしい。
 NHKホールでは、たしか二月だったと思う。翌日にSWING OUT SISTERのコンサートがあるらしいということだったので、楽屋に「コリーン、I love you!!」とメッセージを残しておいた。
 土地土地の一回きりのショーはいろんな出来事をぼくたちにひきおこした。
 徳島の会館の楽屋は線路沿いで、歩道橋の上から手をふる人に手をふって応えていたら、すごい数になってしまった。
アンコールではこんなことが起こった。ドラムの刻みにのせて、ぼくがこうアプローチしたのだ。
「おどるあほうに見るあほう」
 徳島の会館は一瞬大きくうねると、会場の声を壁やロビーの廊下やトイレに大きく響かせた。
「同じあほうなら、おどらなそんそん〜〜〜」
 大阪の何日目だったか、同じくアンコールの途中で、脳天突き抜けたぼくは、声をうらがえして首をふりながら、こう叫んだことがある。
「今夜は、ぽんと抜けてほしい、ぽんと抜けてよ」
 そこで、ありえないギグが起こってしまった。厚生年金会館の1Fから3Fまでの人たちが上半身をぶんぶんうねらせながら、こう切り返したのだ。
「ぽ〜〜〜〜〜〜〜〜〜んんんんん」
 まいった。それまで関西には近すぎて見えなかった何かがぼくにはあったのじゃないだろうか、ふとそんなことまで思った。そしてこの晩ぼくは迷わずたこやきを食べ、御堂筋を夜中までうろうろした。
 redmonkey yellowfishは非常に客席の人の顔がよく見えたツアーだった。う〜〜〜ん見えるようになったってことかなあ。
 照明がステージの上のみならず会場全体を照らす瞬間ももちろんそうだが、ステージが奥行き、高さ、幅、つまりその会館会館の持ち味をふんだんに活かした、何度も言うようだが「動き」のあるコンサートだったので、それぞれの位置からいろんな表情が見えて、おもしろかった。
 肝心なキメ場所でしいいいんとしている会場で、たまたま大きいせきが出そうで、必死にそれをこらえてるネクタイ姿の男の人がいる。赤ん坊の両耳を自分の両ひざではさんで、両手をふりあげる女性の前髪がていねいにカールされている。般若のような顔で腕組みをしてきいている人もいる。
 前の列のほうの席がとれたお客さんの中には、指折りその大イベントを数えていろんな計画を練ってくれてたんだろう、でもたまにはずして、玉姫殿のショーウィンドにあるようなロングドレスを着て、それが両側の席の人のへそあたりまでかぶさって、そこら一帯が、おしくらまんじゅうになってることもあった。
 どんな場合も、プロは表情をかえないで歌っているが、胸の中では火山が何個もドッカ〜〜〜ンしてた。建てかわって新しくなった宮城県民会館に入ったとき、涙腺がゆるみそうになるくらい嬉しかったのは、非常口のあかりの下にある金屏風の扉が健在だったことだ。

 redmonkey yellowfishは本当にたくさんの逸話をつくった。
 一九八九年の十月からスタートして一九九〇年の三月三十一日まで、お客さんの間にも、ぼくらの間にも、それぞれの気持ちの中にも、ずいぶんプラス方向の火薬を仕込んだコンサートだった。
 そして、それはコンサート中ならずとも、その後の生活の中でも、小爆発をたくさん繰りかえすと素晴らしい。
 舞台監督、星野修がこう言う。
「千里もずいぶんたくましくなったよなあ」 
 ぼくはたいていこんなふうにこたえる。
「自分がいちばん信じられないよ。いまだに夢見てんじゃないかって思うもん」
 redmonkey yellowfishは次のコンサートを生んだ。それはきたる八月八日の『納涼千里天国』だ。次にくるコンサートのことしかまだ考えられないぼくらだけれど、一回一回最高のコンサート実現にむけて力を合わせて創りつづけていきたい。
「一流のプロはケガをしない」とどっかできいたことがあるけれど、予定した場所すべてに行ってコンサートが実現できたこと、そしてその大きいツキに感謝すると同時に、その気運を生んだすべてを少し静かに見つめてみたい。

(初出 「月刊カドカワ」1990年6月号 / 単行本『レッドモンキー・モノローグ』 大江千里・著 1990年10月 角川書店刊)



※解説
「月刊カドカワ」で1年間にわたって連載されたエッセイの9回目。最初の回は『redmonkey yellowfish』のレコーディングが終わったところからスタートし、ツアーを終えてNYでの生活、『APOLLO』へとつながったところまでで連載は終了し、のちに単行本としてまとめられた。単行本の装丁は日比野克彦さん、帯文は林真理子さん。「すくっと立つ本にしてください」という著者の希望で、布張り箔押し鞘入りというポップで贅沢な本になった。