2022年5月号|特集 アルファに、胸キュン。

【Part3】アルファを知る5つのキーワード「テクノポップ」

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解説

2022.5.16

文/柴崎祐二

散開まで常に先鋭的であり続けたYMOからテクノポップが始まった


【Part2】「シティポップ」からの続き)

1976年12月に村井邦彦から乞われてプロデューサーとして迎え入れられた細野晴臣は、レーベルの世界進出を狙い、翌年初頭からクレオールのシンガー、リンダ・キャリエールのLAレコーディングを開始した。アルファ人脈が大挙動員された豪華制作体制であったが、村井が出来栄えに異議を唱え、お蔵入りしてしまう。その後細野は、林立夫や佐藤博と新たな活動を模索するが、これも難航。そんな折の’77年晩秋、いよいよ始動したアルファレコード発足パーティーの場で、今後のヴィジョンについてスピーチすることになった彼は、頭の中に浮かんだ「イエロー・マジック・オーケストラの発足」を発表する。しかし、この時点では未だメンバーも決まっていなかった。