2022年5月号|特集 アルファに、胸キュン。
【Part1】アルファを作った音=村井邦彦の脳内音楽
インタビュー
2022.5.2
インタビュー・文/田中久勝
赤い鳥、荒井由実、YMO、カシオペアなど、数多くのアーティストを輩出したアルファミュージック。その源流は、作曲家でもあった創設者の村井邦彦のセンスあってこそではないだろうか。ここでは村井氏本人に独占インタビューを敢行。彼の頭の中ではどのような音楽が鳴り響いていたのか。そのルーツを探りながら、日本一スタイリッシュな音楽カンパニーであるアルファミュージックの秘密に迫ってみた。
ベニー・グッドマンからウエストコースト・ジャズ、チャーリー・パーカーへ
――今回は村井さんご自身の音楽ルーツにスポットを当ててお話を伺いたいと思います。
村井邦彦 そういうインタビューはこれまでになかったから、楽しそうだね(笑)。
――村井さんは1945年、終戦の年にお生まれになって、小中高と暁星学園に通われましたが、一番多感な頃の音楽体験から教えて下さい。
村井邦彦 技術者だった父親がとにかく音楽好きで、特に音楽教育を受けた人ではないのですが、ハーモニカを吹いたり、ダンスも好きだったりして、うちにレコードがたくさんあったんですよ。幼稚園の頃からそのレコードを聴いていました。いわゆるセミ・クラシックみたいなものから、ジャズ、タンゴ、シャンソン、あとは例えば藤山一郎の「夢淡き東京」などの流行歌まで、とにかくいろいろな音楽を聴いていました。
――中学生時代はベニー・グッドマンにはまったとか。
村井邦彦 そうです。ベニー・グッドマンは父親のコレクションの中にSP盤があって、それをよく聴いていました。その後LP盤が出るようになって、『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』というライヴ盤を聴いたときに、クラリネットをやりたいと思いました。僕は小学校1年生でヴァイオリンを無理矢理習わせられて、それが嫌で嫌で仕方なくて逃げ回っていて、1年も経たないうちにやめちゃった。それからは無理やり楽器を習わせられることもなくて、レコードを聴くだけだったんですよ。でも、中学に入学するとブラスバンド部があって、といっても7、8人の規模だったけれど、「入部するんだったら、クラリネットを貸してあげるよ」って音楽の先生に言われたんです。クラリネットといえば、ベニー・グッドマンと同じ楽器ですよ。それを学校が貸してくれるんだったら、面白そうだからやってみようと思って、中学1年生のときに、そのブラスバンド部に入りました。でもレパートリーが暁星の校歌と「君が代」とフランス国歌しかなくて(笑)、それを披露する場が入学式や卒業式、運動会でした。
ベニー・グッドマン
『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』
1938年録音 / 1950年発売
――村井さんが最初に買ったレコードって覚えていますか。
村井邦彦 覚えていますよ。1950年代から僕が中高校生だった1960年代にかけて、ウエストコースト・ジャズというアメリカ西海岸発のジャズが流行った時期があったんです。その中核だったのが、ショーティー・ロジャースが参加していたスタン・ケントン楽団で、その『Back To Balboa』というLPだったと思います。そのジャズ・オーケストラにいたミュージシャンがバラバラになってコンボを作っていったので、彼らのレコードも買っていました。その他にも、チェット・ベイカーやデイヴ・ブルーベックなどもよく聴きました。Spotifyでも聴けるようになったので、今でもよく聴いています。
スタン・ケントン
『Back To Balboa』
1958年発売
チェット・ベイカー
『Chet Baker &Crew』
1957年2月発売
デイヴ・ブルーベック・カルテット
『Time Out』
1959年12月14日発売
――当時、情報交換する“音楽仲間”は多かったのでしょうか。
村井邦彦 そうですね、暁星の同級生を中心に音楽仲間ができて、去年亡くなってしまった歌舞伎の中村吉右衛門と、そのお兄さんの松本白鵬さん、それと法律の先生になった磯部力くんと、ハーモニカの大家の宮田東峰さんの息子である宮田英雄さんとは特に仲が良くて、いろんなレコードを一緒に聴きました。特に中村吉右衛門と、その磯部力くんとは音楽の好みが似ていて、ベニー・グッドマンからモダン・ジャズに進んでいきました。もっとも大きな影響を受けたのが、磯部くんのお兄さんです。僕たちが中学2年か3年のときに、彼はもう慶応義塾大学の学生で、後に僕が参加するジャズ・オーケストラ、慶應ライト・ミュージック・ソサエティに所属していました。だからライト・ミュージック・ソサエティのコンサートがあると観に行って、ますますジャズに傾倒していきましたね。
――アルト・サックスも習っていたそうですね。
村井邦彦 もうジャズ狂になっちゃって(笑)。そうなると、クラリネットってモダン・ジャズでは花形楽器じゃないから、やっぱりチャーリー・パーカーにはまるわけですよ(笑)。そんなときに雑誌で、浅草のコマキ楽器という楽器屋さんでプロのジャズ・ミュージシャンが楽器を教えてくれる、という情報を見つけたんです。講師は、ドラムがジミー竹内さん、サックスは吉本栄さんという当時のスタープレイヤーたちでした。面白そうだし貴重な機会だと思って、コマキ楽器でアルト・サックスの中古を買ってもらって、習い始めました。そこで吉本さんから、譜面の読み方や音楽の基礎を学びました。確か中学3年から高校1年にかけてだったと思います。そこには僕の他にも慶應ライト・ミュージック・ソサエティのジュニア・バンドである慶應高校のジャズ・オーケストラの連中が2、3人いました。それで仲良くなって、僕は慶應高校のジャズ・オーケストラでも演奏するようになったんです。
チャーリー・パーカー
『Now's The Time』
1952年発売
――では村井さんが慶應に入るのも、ライト・ミュージック・ソサエティに入るのも、自然な流れだったといいうことですね。
村井邦彦 そうだね。僕は暁星の国立大コースだったけれど、慶應を目指すことになったからコースを変えました。僕の家族にも慶應出身が多かったので、自然といえば自然な流れだったと思います。
(【Part2】へ続く)
村井邦彦(むらい・くにひこ)
●1945年生まれ。作曲家・編曲家・プロデューサー。米国ロサンゼルス在住。60年代後半、慶應義塾大学在学中より本格的に作曲を始め、森山良子、赤い鳥、タイガース他多くのアーティストに作品を提供する。一方、プロデューサーとしては'69年に音楽出版社アルファミュージックを設立。'77年にはアルファレコードの創業者、プロデューサーとして荒井由実(現・松任谷由実)や、細野晴臣が在籍したバンド、ティン・パン・アレーを見いだし、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を世界に送り出し成功に導いた。現在はTVドラマやミュージカル舞台作品を作曲するなど、活動の幅をますます広げている。著書に『村井邦彦のLA日記』(リットーミュージック)がある。音楽ウェブサイト「リアルサウンド」で「モンパルナス1934~キャンティ前史」を好評連載中。7月3日には東京芸術劇場で『村井邦彦55周年コンサート モンパルナス1934』を開催。リアルサウンド「モンパルナス1934~キャンティ前史」
https://realsound.jp/2020/11/post-657689.html
村井邦彦作曲活動55周年記念コンサート「モンパルナス1934」KUNI MURAI
村井邦彦の5 年ぶりとなる来日公演決定!
オーケストラとの世界初演楽曲
海宝直人、真彩希帆、田村麻子らシンガーが集結
日時:2022年7月3日(日)16:00開場/17:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール
演奏:オーケストラ・アンサンブル金沢
指揮:森亮平
出演:村井邦彦 海宝直人 真彩希帆 田村麻子
チケット︓12,000円(全席指定・4歳以上入場可)
企画:オフィスストンプ
制作協力:アースワークエンタテインメント
主催:読売新聞社 オフィスストンプ
お問合せ:キョードー東京 0570-550-799 オペレーター受付時間 (平日11:00~18:00/土日祝10:00~18:00)
https://www.geigeki.jp/performance/20220703c/
-
【Part2】アルファを作った音=村井邦彦の脳内音楽
インタビュー
2022.5.10