連載|DJ OSSHY|TOKYOの未来に恋してる!

第48回【対談⑬ 杏里×DJ OSSHY[後編]】

2021.10.8

第48回【対談⑬ 杏里×DJ OSSHY[後編]】

自分でその役割(プロデュース)をすることによって、角松(敏生)くんがいかに素晴らしいプロデューサーだったかということを実感するんです。それは小林武史くんや小倉泰治くんにも感じます。それぞれに個性や音楽性の異なる3人と、不思議なことに大事な節目節目で出会って、音楽制作のやり方などをインスパイアし合うことができました。それが今に繋がっています。(杏里)



80年代半ばくらいからは、杏里さんの作品には邦楽と洋楽が良さが見事にミックスされていったという印象があります。それも杏里オリジナルとして昇華されていました。(DJ OSSHY)




DJ OSSHY [前編]からの続き)杏里さんのディスコ体験、興味深かったです。次はあらためて音楽活動に関してじっくりとお聞きしたいと思います。

杏里 よろしくお願いします!

DJ OSSHY そもそも杏里さんのアーティスト・デビューのきっかけってなんだったんですか。

杏里 もともとは家族ぐるみのお付き合いをしている方がテレビ局に勤めていたんですが、私はまだ10代で家ではずっとピアノを弾いていて、その方がこっそり私の家族に「デビューしてみたら」っていう話をされていたんですね。でも私は音楽のプロになるというイメージがまったくなくて、オーディションも受けたことがなかったです。でもそんなことがきっかけで、トントン拍子でデビューまで進んでいきました。

DJ OSSHY そんなにすぐ決まるものなんですね。

杏里 しかもいきなり海外レコーディングですから。私はまだ高校生で、海外どころか旅行で外泊すらしたことがないくらい。「はじめまして」って挨拶して数回しか会ったことがないようなスタッフの方々と一緒にロサンゼルスに行くことになって、とても戸惑ったのを覚えています。

DJ OSSHY それは急展開ですね(笑)。

杏里 アメリカに向かう飛行機がソウル経由だったんです。そうしたら当時は珍しくないダブルブッキングのようなことがあって、ソウルからアメリカへ行けないってことになってしまったんですよ。気が付いたら、現地の旅行会社のツアーに混じって、ソウル市内を観光していました。

DJ OSSHY ええっ! そんなことってあるんですか。

杏里 当時のプロデューサーだった常富(喜雄)さんと一緒に、知らない人たちと並んで焼肉を食べてましたね。

DJ OSSHY 面白すぎます!

杏里 その後、無事にロサンゼルスには着いてレコーディングできたのですが、始まりはそんな感じでしたね。

DJ OSSHY それが最初のレコーディングということは、名曲「オリビアを聴きながら」はソウルで召し上がった焼肉のパワーでできているんですね(笑)。


杏里 「オリビアを聴きながら」 1978(Official Video)


杏里 本当に不思議ですよね。もちろん「オリビアを聴きながら」はアメリカでレコーディングした曲から選んでいるんですけれど、ある時「デビュー曲はどの曲がいい?」って聞いてくださったことがあったんです。でもまったくの新人だし、自分の意見をどこまで述べていいのかもわからないじゃないですか。好き嫌いで判断していいのって。

DJ OSSHY たしかにそうですよね。まだ10代ですもんね。

杏里 デビュー時は17歳ですから。本当に何から何までわからないことだらけでした。そのときになんと答えたのかは忘れましたが、デビュー曲はもっと元気な曲がいいんじゃないかとか、スタッフ間でもいろんな議論があったようです。でも「オリビアを聴きながら」でデビューすることになりました。

DJ OSSHY 杏里さんがデビューしてブレイクされるまでの期間って、いわゆるアイドルの時代だったじゃないですか。「花の82年組」なんていわれるアイドル・ブームもあって、私が一緒に番組をやらせてもらっている早見優さんもそうですが。

杏里 そうですよね。優ちゃんはよくテレビでも一緒になりました。あとはシブがき隊とかね。

DJ OSSHY 男女問わずアイドル全盛時の中で、杏里さんも少しそのカテゴリに入れられそうにもなりましたが、やはりなにか違うというのは子供心にわかるものがありました。

杏里 バブルの少し前の時代なんですかね。スタッフにもけっこう愉快な人がいましたよ。2曲目のシングルに「地中海ドリーム」(’79年)というのがあるのですが、「この曲がヒットしたら地中海に行けるから」なんて言われたこともあります。


杏里
シングル 「地中海ドリーム」
1979年4月21日発売


DJ OSSHY でも杏里さんは、徐々にブラックミュージックを取り入れながら音楽性も変化していきますよね。そのあたりを意識的に変えていったきっかけはあったのですか。

杏里 ディスコの話題の時にもお話したとおり、もともとソウルやディスコミュージックが好きだったので、デビュー当時からずっとそういう方向性の音楽をやりたいとは思っていました。でもなかなか自分がアーティストとして自覚しながら、そこに踏み込むまでには時間がかかってしまったんですね。

DJ OSSHY ブラックミュージックを本格的に取り入れたのが‘82年の『Heaven Beach』あたりだと思われるので、デビューから4年くらいかかっていますね。


杏里
アルバム『Heaven Beach』
1982年11月21日発売


杏里 デビューしてからしばらくはまだ若すぎてお仕事としてアーティスト活動をしているという自覚もまったくないですし、自分から何かをやりたいということはあまり考えていませんでした。でも、ある時期になって、「もしも自分のことをサウンド・プロデュースするならどうするだろう」って考えたときに、ブラックミュージックを取り入れた音楽をやりたいと思いましたね。

DJ OSSHY 実際にそういった音楽を取り入れる決心をしたのはなぜでしょう。

杏里 それは、角松(敏生)くんとの出会いが大きいかもしれないですね。もちろん彼と知り合う前からそういった音楽にトライしたいという気持ちはあったのですが、彼からは大きく影響を受けました。小林武史くんとの出会いもありましたし、その後は小倉泰治くんとも一緒にやるようになりました。


杏里 「Last Summer Whisper」(Official Video)
作詞・作曲:角松敏生


DJ OSSHY 杏里さんのダンサブルなナンバーといえば、角松さん絡みの曲が多いですよね。

杏里 そういった意味では本当に運命的な出会いだったと思います。出会ってすぐに「一緒になにかやろうよ」って話になったことを覚えていますし、曲を作ってもらったらどんな風になるんだろうってワクワクしました。それで私が所属していた事務所の社長に紹介することになって、彼も同じ事務所の所属アーティストになるんです。

DJ OSSHY なるほど、そういう流れだったんですか。

杏里 そうやって一緒に曲作りをしているうちに、『Timely!!』(1983年)や『COOOL』(1984年)というアルバムにつながっていきました。


杏里
アルバム『Timely!!』
1983年12月5日発売
プロデュース:角松敏生


杏里
アルバム『COOOL』
1984年6月21日発売
プロデュース:角松敏生


DJ OSSHY そのあたりは杏里さんのアルバムではもっともディスコで映える作品ですよね。

杏里 そうやって私自身もアーティストとしての自覚が芽生えてくるんですね。もっと自分でしっかりと地に足をつけて音楽活動をすべきだと思ったので、その後の作品に関しては、全体的なプロデュースを私自身で行うようになったんです。

DJ OSSHY なるほど。今のクリエイティヴな杏里さんがあるのは、角松さんの存在が大きいんですね。

杏里 自分からセルフプロデュースっていってしまった手前、後に引けなくなったというのもあるんですけれどね。自分でその役割をすることによって、角松くんがいかに素晴らしいプロデューサーだったかということを実感するんです。それは小林武史くんや小倉泰治くんにも感じます。それぞれに個性や音楽性の異なる3人と、不思議なことに大事な節目節目で出会って、音楽制作のやり方などをインスパイアし合うことができました。それが今に繋がっています。そうやって考えると、私が音楽を続けてこられたのは、彼らとの出会いのおかげだと実感します。

DJ OSSHY 出会いもそうですし、相性もありますよね。

杏里 それは絶対ありますね。とくに角松くんとは一緒にディスコにいったこともありますよ。周りの友達を紹介したりして、みんなで遊ぶことも多かったですね。だからアーティストとプロデューサーというよりは、友達という感覚のほうが強かったかもしれない。結構あの時代の遊び方を満喫していました。当時の楽曲にはその雰囲気がただよっていたんじゃないでしょうかね。

DJ OSSHY たしかに『Timely!!』っていつ聴いてもワクワクする感覚があるので、とても納得しました。


杏里「Shyness Boy」(Official Video)
作詞・作曲・編曲:角松敏生|アルバム『Timely!!』収録曲


杏里 自分でプロデュースをするようになってからは、やりたいことがどんどん見えてきましたね。そこで、海外のミュージシャンをオーディションして、日本人のミュージシャンとセッションさせたらいいんじゃないかと思いついたんです。それをやることによって、それまで私のサポートをしてくれていた日本のミュージシャンに、音楽的に良い影響を与えられると思ったんですね。

DJ OSSHY 具体的にはどういうことですか。

杏里 それまでの日本のミュージシャンって、いい意味でいわゆる洋楽のコピーをしていたわけです。でもそうじゃなくて、日本の音楽と海外の音楽をしっかりと融合させたら面白いものが生まれるんじゃないかって。そうやって試行錯誤していくうちに、実際に私の音楽も変わっていったんです。

DJ OSSHY 杏里さんのバンドには、外国人のミュージシャンがフィーチャーされるようになりましたよね。

杏里 自分でアルバム全体をプロデュースするようになってからはレコーディング方法も随分変わりました。スタジオでもミュージシャン同士でいろいろと意見が飛び交って、どんどん新しいアイデアが出てくるんですよ。リズム・セクションもそうですし、コーラスもかなり進化しました。声を重ねて足していく面白さも彼らと一緒に学びましたし、いろんなものを生み出すきっかけになりました。


杏里
アルバム『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』
1988年5月21日発売


DJ OSSHY たしかに80年代半ばくらいからは、杏里さんの作品には邦楽と洋楽の良さが見事にミックスされていったという印象があります。それも杏里オリジナルとして昇華されて。

杏里 レコーディングもそうでしたし、ツアーのスタイルもかなり変わりました。ダンサーを入れるようになったのも、そういった経緯からです。

DJ OSSHY ステージにダンサーがたくさんいるのが、当時の杏里さんのライヴの特徴といってもいいですよね。

杏里 そうですね。80年代は毎年のようにレコーディングでアメリカに行っていたのですが……話は少し前に戻りますが、ストリートダンサーをよく見かけたんです。そこでブレイクダンスを知って、なんだか変わった踊りを踊っているなって(笑)。まだストリートダンスが市民権を得ていない頃で、日本でもダンスカルチャーみたいなものが確立していませんでした。でもストリートで見かけるうちに、このダンスをライヴに取り入れることができたら面白いんじゃいかって思い始めました。

DJ OSSHY そういうところが杏里さんのクリエイティヴなところなんですよ。

杏里 気になったらすぐやりたいと思っちゃうんです。それで日本でもダンサーを探したんですよ。それこそバンドやスタッフと一緒にディスコに行ったりして。それで踊れそうな人を探して声をかけて、踊りを見せてもらったらすごくダサかったりして(笑)。けっこう探したんですけど、海外のストリートダンスやブレイクダンスのことが日本ではまだあまり知られていなかったんですよね。そういったダンスが誰も踊れない。

DJ OSSHY まだブレイクダンスが騒がれていないとすれば、’84年よりも前です。

杏里 そうそう、そうしたらまさに’84年に映画『ブレイクダンス』が公開されるんです。それを観て、これをそのまま自分のステージに持ってくればいいやって。その映画に出演していたブルーノ・ファルコン、通称(ポッピン)タコっていうんですけれど、彼にお願いすることができました。のちにマイケル・ジャクソンのダンスに影響を与えた人物ですね。そして振り付けは同じく映画『ブレイクダンス』に出ていて、マドンナの‘87年のツアーやプロモーションビデオにも関わっていたシャバドウ(アドルフォ・キノーネス)に頼みました。みんなストリートダンサーの仲間だったんですよね。

DJ OSSHY それは、もう、世界の一流どころじゃないですか。それはすごい。あの映画『ブレイクダンス』からはオリー&ジェリーの「ブレイキン…ゼアズ・ノー・ストッピング・アス」がヒットしましたし、まさにブレイクダンス以降のストリートダンスブームを作った人たちですね。

杏里 タコたちは80年代の終わり頃まで3年くらい一緒にやったのかな。その後、アメリカでもオーディションをするようになって、ダンサー候補がすごい人数になってしまいました。だってオーディションをやると4、500人集まるんですよ。

DJ OSSHY そんなにですか! まちがいなく世界トップ・レベルのオーディション。

杏里 今思えばすごいことですよね。あと、マイケル・ジャクソンの『キャプテンEO』(’86年)に出演していたダンサーにも参加してもらったことがあります。ポッピン・ピートがそうですね。そのツアー中に、メンバーと一緒にディズニーランドに行ったのですが、「僕たちが出ているから」と言って『キャプテンEO』のアトラクションに連れて行かれて見てみたら、本当にみんな出演していたんです。何だかみんな、はしゃいでいましたよ。

杏里
アルバム『CIRCUIT of RAINBOW』
1989年5月27日発売


DJ OSSHY しかし、あらためて考えると、アメリカのトップダンサーをそのまま日本に連れてきて自分のコンサートで一緒に踊るなんて当時は誰もやってなかった。『CIRCUIT of RAINBOW』(’89年)の頃は外国人ダンサー20人くらい従えてましたよね。杏里さんはさりげなく話してくれるけど、先駆者的なすごいエピソードをたくさんお持ちです。そのクリエイティヴ精神はどこから生まれてくるんですか。

杏里 なんでしょうね。やっぱり作るっていうことが好きなのかもしれない。アレンジもそうなんですけれど、私はデビュー当時、プロの作家の方やアレンジャーさんにすべておまかせしていたのですが、90年代のはじめ頃、アメリカでLogicという音楽制作ソフトに出会うんですよ。コンピュータがあれば音が作れるし、どんな音色でも使える。例えばマーカス・ミラーみたいなベースのフレーズとか普通に使えるんですよ。「これは便利だ!」って思って。でも、日本でLogicのことを聞いても、誰もまだ知らなかったんですね。私はあまりデジタルが得意ではないんですが、アメリカのミュージシャンの友人たちに教えてもらったりしながら、自分でも音を作るようになって、曲作りがとても便利になりました。

DJ OSSHY 私にとって杏里さんって、最初はアイドル的な印象でしたが、途中からすごくクリエイティヴな人だっていう印象に変わるんですよ。それはずっと一貫していらっしゃるんですね。アイデアも行動力も素晴らしいと思います。

杏里 きっとそうやってトライしていくのが好きなのかもしれない。家を建てるような感覚で音楽を作っていくというか。私のアイデンティティのいちばんはシンガーなんですが、みんなで意見を出し合って組み立てていくプロデューサー的なことに頭がいってしまうんです。歌詞もアレンジもステージの演出もそうですね。

DJ OSSHY そこまでやっちゃう人はなかなかいないですね。

杏里 ステージの演出はスタッフもけっこう面白いネタを持ってきてくれるので楽しいですよ。以前、衣装チェンジを宙に浮いたアクリル製の箱の中でやるっていう演出があったんです。透明な箱なんですが、そこに入るとスモークが出て見えなくなるのでその間に早着替えをするという無謀な企画です。高所恐怖症で怖いし、失敗したら丸見えだし、ドキドキしました。

DJ OSSHY プロフェッショナルの精神を感じます(笑)

杏里 ワイヤレスマイクもまだ誰も導入していないときに試したりとか、本当にいろんなことをしています。でもそうやっているうちに、日本のエンターテインメントもすごく成熟したと感じますね。私は長年アメリカと日本を行き来しているんですが、日本はある意味ではアメリカを超えてしまっているんじゃないかって感じることも多いです。アニメやゲームはすでにそうですし、面白いことに音楽だって日本のいわゆるシティポップがアメリカで注目されているじゃないですか。

DJ OSSHY まさに杏里さんの楽曲もそうですよね。海外の音楽ファンに注目され、日本でもシティポップナンバーとして人気が再燃しました。杏里さんはシティポップの最前線という立場で再評価されていらっしゃるうえに、しっかりと現役アーティストとして活動されています。ちょうど始まったばかりだと思いますが、今年もツアーを精力的に行われていますし、まだまだご活躍になると思いますが、今後やってみたいことなどありますか。

杏里 いろいろあるんですが、実は今ちょっと面白い企画が進行中です。これが発表になるとファンの方は喜んでくださると思います。今だからできることかも。楽しみにしていてください。

DJ OSSHY えっ!それは気になります。どんな企画ですか。

杏里 まだ秘密なので、正式に決まったら真っ先にOSSHYさんにお知らせしますよ。

DJ OSSHY なんだろう。それはとても楽しみです。やっぱり杏里さんにはワクワクさせられっぱなしですね! 今日はありがとうございました!! 楽しかった~。[終わり]


対談進行・文/栗本斉



「ANRI LIVE 2021 〜Voice to Voice〜」


■2021年9月26日(日)開場17:00 開演18:00
 調布市グリーンホール 大ホール (東京都)
■2021年10月16日(土)開場15:30 開演16:30
 ティアラこうとう 大ホール(東京都)
■2021年10月30日(土)開場15:30 開演16:30
 相模女子大学グリーンホール 大ホール(神奈川県)
■2021年11月13日(土)開場15:30 開演16:30
 東松山市民文化センター (埼玉県)
■2021年11月20日(土)開場15:30 開演16:30
 市原市市民会館(千葉県)
■2021年11月27日(土) 開場15:30 開演16:30
 久喜総合文化会館 大ホール(埼玉県)

【全席指定】 6,200円(税込)
詳細は杏里オフィシャルサイトにて
https://anri-music.com/s/anri/diary/LIVE/list





●杏里(あんり)

1977年、16歳の時にロサンゼルスでデビュー曲「オリビアを聴きながら」をレコーディング。翌1978年11月5日、17歳(高校2年生)でデビュー。「オリビアを聴きながら」は、後にスタンダードナンバーになった。

1982年「思いきりアメリカン」、1983年「CAT'S EYE」「悲しみがとまらない」が大ヒットして、80年代のシティ・ポップを牽引。その後もCMソング、ドラマや映画の主題歌など数々のヒット曲やダンス・ミュージック、ドライブ・ミュージックをはじめ、さまざまなジャンルの音楽を生み出し話題を呼ぶ。

1987年には、ハワイ出身のバンド、カラパナのサポートで、日本のポップスでは初めてのハワイ公演を成功させ、現地のメディアでも取り上げられる。以後、計7回のハワイ公演を行なった。

「SUMMER CANDLES」「スノーフレイクの街角」「ドルフィン・リング」などヒット曲多数。特にアルバム創作に積極的だったが、1989年にはアルバム『CIRCUIT of RAINBOW』が第31回日本レコード大賞アルバム大賞を受賞。

1991年、アフリカの子どもたちの救済のために、日本ユニセフ協会が中心となって横浜アリーナで開催された「ユニセフ・ライブ UNICEF LIVE」に出演。ライヴの総合プロデュースにも携わって、チャリティ・ライヴを成功させた。

1998年、長野オリンピックの公式イメージソング「SHARE~瞳の中のヒーロー~」を担当、閉会式では「故郷」を歌唱して世界にその映像が放映された。同年、ニュージーランドの観光大使を務め、マヌカハニーやワイン「Cloudy Bay(クラウディー・ベイ)」を日本に紹介、広めた。

2008年〜2009年、藤沢市の初代ふじさわ観光親善大使に就任。

2010年、巨匠デイヴィッド・フォスターが大空へ飛び立つ飛行機を思い描きながら書き下ろした、JAL(日本航空)のオリジナルソング「I Will Be There with You~あふれる想い」(日本語歌詞:吉元由美)を歌唱。

2018年にはデビュー40周年を記念するオリジナル・アルバム『ANRI』を発売。2019年3月には、ドラムの神様と讃えられるスティーブ・ガッド率いるスティーブ・ガッド・バンドとレコーディングを行ったオーガニック・フュージョン3 曲「Duke's Anthem 〜星空のどこかで〜」「忘れられない贈りもの」「Crescent Moon」を世界配信リリース。

デビュー以降、積極的に海外レコーディングを行い、海外のアーティストやミュージシャンとのコラボレーションも多い。特に、ピーボ・ブライソン、フィリップ・ベイリー(アース・ウインド・アンド・ファイアー)、ジョニー・ギル(ニュー・エディション、LSG)、マイケル・フランクスなどアメリカの偉大なアーティストとのデュエットも多数。また、外国人バックダンサーを日本で初めて起用するなど、常にグローバルで革新的なスタイルを切り拓いてきた。

40年間、一度も活動休止することなく、プロデュース、作曲、作詞、他のアーティストへの楽曲提供等も積極的に行い、日本と海外のミュージシャンによるグローバル・バンドで国内外での活動を行っている。

10代の頃から日本の音楽のグローバル化を目指してきたが、現在、日本のシティ・ポップが欧米の若者の間で注目されており、その中心的アーティストとして脚光を浴びている。

また、アーティストとしてだけでなく、幅広い世代の女性から杏里のライフスタイルやファッションはいつも熱い支持を受けている。(杏里オフィシャルサイトより引用)


杏里オフィシャルサイト anri-music.com





DJ OSSHY オフィシャルファンクラブ


DJ OSSHY official YouTube Channel


DJ OSSHY 出演スケジュール

10月10日(日)《EVENT》DISCO Music Lounge 2021 Vol.1@逗子surfers
10月13日(水)《EVENT》ナバーナ ライブvol.7
https://twitcasting.tv/c:nirvana_party_2020/shopcart/101620
10月22日(金))《EVENT》【東京・銀座】W XYZ bar出演 @ アロフト銀座東京
10月31日(日)《EVENT》サンデーディスコオンラインvol.7
https://twitcasting.tv/c:djosshyofficial/shopcart/106613
11月7日(日)《EVENT》DJ AKIRA 還暦&42周年@竹芝BANK30


▲諸事情によりイベントは変更になることもございます。 詳しくはDJ OSSHY公式サイト(www.osshy.com) をご参考ください。



プロフィール

DJ OSSHY
DJ OSSHY (公式サイト www.osshy.com)
7月22日「ディスコの日」制定者。80′s ディスコ伝道師。
MCとミキシングを両方こなす、DISCO DJのスペシャリスト。
安心・安全・健康的でクリーンなディスコの魅力を全国に伝えている。
テレビ司会者の第一人者「押阪 忍」の長男。

親子で楽しめる「ファミリーディスコ」、高齢者向け「シルバーディスコ」など、 世代を超えて楽しめるイベントを開催。
東京スカイツリー、東京タワー、羽田空港、大型客船シンフォニー、 小金井カントリー倶楽部などでのディスコイベントのメインDJを務め、郷ひろみ、鈴木雅之、角松敏生との共演イベントも大きな話題を呼んだ。
売野雅勇 作詞活動35周年記念コンサートでは、総合司会を務めた。

民放テレビ初のディスコTV番組「DISCO TRAIN」(TOKYO-MX)を始めとした、ディスコ放送番組DJのパイオニアでもある。

【レギュラー番組】

・「DJ OSSHY DISCO TV」(BSフジ)毎月第3木曜日24:00~24:25
・「DJ OSSHY × まつきりな 推しナイト!」(BSフジ)毎月第4木曜日24:00~24:25
・「Family Disco」(JFN系列)全国FMラジオ放送
・「RADIO DISCO」(InterFM897)毎週土曜日15:00~17:45
・「横浜DiscoTrain」(FMヨコハマ)毎週日曜日15:48~15:57

他、2018年6月4日 テレビ朝日「徹子の部屋」など様々な番組に出演。

2021年9月22日には最新mix CD『 SURF DISCO 2 -NO SURF, NO LIFE.- mixed by DJ OSSHY 』をリリース。
2016年10月には、初の書き下ろし・エッセイ『ディスコの力』(PHP出版)を出版した。

今、日本で一番集客力のある、ディスコ世代に支持されているDJタレント。

DJ OSSHY公式サイト
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