2026年9月号|特集 Chara
【Part1】Charaスペシャル・ロングインタビュー
インタビュー
2026.9.1
インタビュー・文/内本順一

1991年9月21日にデビューしたCharaが、35周年の節目を迎える。他に類を見ない個性派シンガーとして登場し、独特のヴォーカルスタイルや独創的なサウンドメイク、そして音楽家としてだけでなく映画にも出演し、ファッションやキャラクターにおいても90年代の音楽シーンに大きなインパクトを与え、後続する女性シンガーソングライターに多大な影響を及ぼした。休むことなく常に新たなトライを繰り返し続けているCharaはいったい何者なのか。ここでは、これまでに発表してきたアルバムを軸に、アーティストとしての足跡と、現在進行形の活動や、今後の展望などについてじっくりと語ってもらった。
私の真似っぽく歌おうとする人がたまにいるんだけど、できないと思う。やっぱり変だから。
── 9月21日にデビュー35周年を迎えられるということで。20周年、25周年、30周年と、5年ごとに「周年」の区切りがあるわけですが、どんな気持ちになるものですか?
Chara 好きか嫌いかで言うなら、意外と私は好き。自分では先しか見てなくて、普段は振り返ることをしないからね。自分の作ってきたものを改めてじっくり聴く機会もないし……まあライヴをやるときに確認の意味で聴いたりはするけど、それぐらいだから。でも何周年ってなると、やっぱりいろいろ意識させられるわけで。
── 「ここまでやってきたんだなぁ」と。
Chara それもあるけど、変わってないなぁとか、変わったなとか、単純に音楽のなかでの自分の変化を確認できるのが面白いというか。「面白い職業に就いたんだな、私」って思う。もちろんいつやめるかなんて考えずに始めたわけだけど、これだけやっているってことは、やっぱり音楽にはそういう魅力があるんだなと改めて気づかされるわけで。仲間とかもね、ずっと付き合いのある人もいるけど、時代によって友達が変わっていくみたいな感じもあるから。
── これまで発表した作品は、メジャーレーベルからのオリジナルアルバムだけでも16作、インディーでの作品や別プロジェクトでの作品を合わせると20数作にのぼるので、1作1作をじっくり振り返るのは難しいと思いますが、35周年のいい機会なので、今日はざっくりと「あの頃はこんな感じだった」というのを思い出しながらお話していただければと思っています。まずEpic/Sony Recordsからデビューしたのが’91年ということで。
Chara EPICはけっこう好きなレコード会社で、メジャーでやるならEPICがいいと思っていたんです。なぜかというと大澤誉志幸さんがいたから。高校生のとき、大澤さんのファンで、あの枯れた感じの声がめっちゃ好きで。ライヴも私史上、一番前のほうで観たのが大澤さんでした。渋谷公会堂で、サポートがPINK(’83年から’89年まで活動した日本のロックバンド)。PINK、かっこよかったんだよね。その後、私もホッピー(神山)さんと一緒にやることになったんだけど。
── 音楽活動は高校の頃からされていたんですか?
Chara 高校生のときはバンドでキーボードをやっていたんですよ。あと、ダンスが好きだったので、チアダンスの振り付けとか。ローラースケートも好きで、その頃からローラーダンスをやっていて。音楽を聴いてリズム・スケーティングをするっていう。
── デビューのきっかけは?
Chara バンドでキーボードをやっていた頃に、ソニーのSD事業部っていう新人発掘部署の人と仲良くさせていただいていて、「チャラ坊、歌いなよ」ってよく言われて。「あ、私、歌は無理なんで」って断っていたんだけど、でもガールズバンドはやりたいな、誰かヴォーカルいないかなと思って。探したけど、いないんだよね、ヴォーカル。だけどSD事業部の人に「デモテープ作ってあげるから」と言われてね。曲はあったんですよ。私は小学校の頃から音楽教室でピアノを始めて、作曲のメソッドを身に付けて、普通に作曲が趣味だったから。シンセサイザーも高1のときにアルバイトして買って。ニューロマンティックが好きだったのでローランドのJUPITER-8が欲しかったんだけど、98万円とかするから妥協してJX-3P。それでも(専用プログラマーの)PG-200を付けると21万5千円もして。それを買って嬉しくてたくさん作曲していたんだけど、やっぱりプロの使うスタジオに行けて、しかも無料でデモテープを作ってくれるって言われたら、断る理由はないじゃん。それで「やります!」って言って。そこで録ったのが、デビュー曲になる「Heaven」や、(3rdアルバムの表題曲)「Violet Blue」。そのときのメンバーは、Charaと、初期にサウンドプロデュースをやってくれていた浅田祐介と、ベースの平田みずほで。
── 「歌は無理なんで」と初めは断っていたということは、その頃は歌に自信がなかったんですか?
Chara 私は楽器の方が好きだったからね。今でも上手くないけど、その頃はほんと、全然歌えなかった。けど、その頃プレゼン・ライヴみたいなのがよく行われていて、私もそこで歌うことになって。なんか席の一番前に白髪のおっちゃんがいるなと思って、その人がやけにノッてくれているから、私はその人の前で歌ったんですよ。あとでわかったんだけど、それがEPICのトップの丸山(茂雄)さんで、「歌はまだまだだけど、踊りがいいね」って言っていたらしいの(笑)。それで制作がついて。
── 歌よりも踊りのアピールで決まったと。
Chara そう。でもあの時代、そういう人って少なくないんじゃないかな。岡村靖幸先輩も(渡辺美里のレコーディングに参加した際に)スタジオで踊っているのをプロデューサーが見て、「キミ、キラキラしてるね」って言ったってところからデビューが決まったという話を聞きましたし。
── 何しろ度胸はあったんですね。プレゼン・ライヴで踊りながら歌ったくらいだから。
Chara でも、渋谷のクアトロでやったデビュー・ライヴとか最悪でしたよ。それもプレゼン・ライヴだったんですけど、幕が開いたら人がいっぱいいすぎて、私、ビビッて、思わず後ろを向いちゃったんです。で、声もちっちゃくて。それを観ていた詩人の血(’86年から’94年にかけて活動した日本のバンド)のヴォーカルのむっちゃん(辻睦詞)が、「マイクはもっと近づけて歌ったほうがいい」ってアンケートに書いていて。本当にその通りだなって思ったことを覚えています。
── Charaさんのデビューが’91年。その後、’95年にUAさんやACOさんらがデビューしたあたりから日本のR&B系ディーバ・ブームみたいな波がきたわけですけど……。
Chara ACOは今も仲いいよ。宅録女子だし、私も宅録好きだから。私のこと未だに「先輩!」って呼んでいて。いい関係だと思う。最初、確かクラブで出会って、そこで今度デビューするんだって紹介されて。中学の頃からCharaのアルバムをよく聴いていてくれて、私の「PRIVATE BEACH」という曲を弾き語ってインスタに投稿してくれたり、2人で一緒に「angel」('24年)という曲を配信リリースしたりもしました。
── そうした日本のフィメールR&Bブームの、Charaさんは先鞭をつけたとも言えるわけで。特に初期はファンクやR&Bの要素と80sポップ的な要素がいい塩梅にミックスされた音楽をやっていましたよね。
Chara やっぱりソウルとかファンクが好きなのよ。だけどそのものをやるには自分の声だと合わないかなっていうのもあって。同時期にニューロマンティックとか打ち込みの音楽も聴いていたし、80年代、90年代ってそんなふうにいろんなものが流行ったからね。それにシンセサイザーがもともと好きだったから。シンセを使った音楽にもいろいろあるでしょ。ファンキーなものにもアナログシンセを使うし、イギリスやドイツのテクノ系はシンセを使っても全然違うアプローチをするし。私は楽器が好きだから、音楽の聴き方や捉え方も普通とはちょっと違ったのかもしれない。

Chara
『Sweet』
1991年11月1発売
── ’91年に1stアルバム『Sweet』を、’92年に2ndアルバム『SOUL KISS』をリリースしました。この2作はまさにファンクとシンセポップの融合加減が特徴的で、Charaさんが好きだったというプリンスからの影響も色濃く反映されていますよね。
Chara シーケンシャル・サーキットっていうリズムマシンが好きで。「カッ!」っていう音がするやつ。(プリンスの)「I Would Die 4 U」とかでも使われているけど、あれを多用していた記憶があります。
── デビューの段階からもう、シンセを使ったこういう音でやりたい、こういうサウンドで作りたいという具体的なビジョンを持っていて、それを言えたってことですよね。それって凄いことだと思うんです。あの時代はレコード会社主導でイメージを作られてしまうアーティストも少なくなかったのに。
Chara 音に関してはね。だけど1stアルバムのビジュアルはあまり好きじゃなくて。打ち合わせで「『巴里のアメリカ人』って映画が好きです」って話をしたんですよ。でも出来たのを見たら花屋みたいになってはいるものの「全然パリじゃないし」って思ったんですよね。
── サウンド的には、1stアルバムと2ndアルバムは連作という感じがします。
Chara レコーディングをほぼ同じ時期にしていたから。1stアルバムは半分くらいロンドンでレコーディングしたんです。その頃ソニーにフラットもスタジオもあって、「この前までここにドリカムが来ていたんだよ」とか言われて。ロンドンの若手ミュージシャンとかとコミュニケーションを取りながらの制作は刺激的でしたね。

Chara
『Soul Kiss』
1992年9月1日発売
── この時代の曲を最近のライヴでやることって……。
Chara この前のChara+YUKIのライヴで、「Sweet」(1stアルバムに収録)をYUKIが歌ってくれたんですよ。あの頃のCharaみたいな雰囲気で。あと、岩井俊二監督と最近会うことがよくあるので、「Break These Chain」(1stアルバムに収録)をちょいちょい歌っています(岩井俊二監督作『FRIED DRAGON FISH』は、岩井がCharaの「Break These Chain」を聴いて触発されたことから制作。主題歌にも使用した)。歌い方はあの頃と今とじゃ全然違うけどね。私のヴォーカルって、癖しかないから。1stや2ndの頃はまだそこまでじゃなかったけど、続けていくうちにだんだんと癖が自分らしさになっていったんだなってことはよく思います。
── 歌唱法の変化にも歴史を感じますね。
Chara もともと歌が上手くないから、最初にメロディを作って、そこで出る音を表現しようとしていただけだと思う。それの積み重ねで、だんだんと自分らしい歌い方ができるようになったのかな。いろんな声色をコントロールしながら行ったり来たりするのって、すごく難しいんです。ウィスパー、ミドル、ストロングを何十パーセントずつで使い分けて、喉を締めたり開いたり。それを自由にやるのってたいへんなことなんだけど、なんかこう全身を使ってやっていたんだろうね。
── カラダ自体が楽器なんだという考え方ですよね。
Chara そうそう。ただ、独特さが凄いってことは自分で理解できています。私の真似っぽく歌おうとする人がたまにいるんだけど、できないと思う。やっぱり変だから。

Chara
『Violet Blue』
1993年9月9日発売
── ’93年には3rdアルバム『Violet Blue』をリリース。このアルバムでプリンス的なファンク色が後退し、独自のポップネスがグッと前に出てきました。
Chara 私のデモ作りはそんなに変わってないし、作曲の仕方が変化したわけではないんだけど、機材がだいぶ発展したからね。機材が変わると全然違うものになるから。
── 1曲目がクールなハウスチューン「恋をした」で、2曲目が味わい深いバラードの「Violet Blue」と、収録曲の振り幅も大きかった。
Chara 「Violet Blue」はさっき言った通りデビュー前にデモを録った1曲なんだけど、その時点で3枚目のアルバムにとっておきたいとA&Rに言われたの。その頃の日本のレコード会社は、3作目で勝負をかけるみたいな感じがあって。この曲は19歳の時、埼玉の自宅に始発で帰ってきて作った曲なんだけど、Charaっていう子は本当はもうちょっとブルー(哀愁)を歌う子なんじゃないかと思ったんじゃないかな。

Chara
『Happy Toy』
1994年10月10日発売
── ’94年の4thアルバム『Happy Toy』は、ひとつの転換点となった作品でした。
Chara そうだね。お亡くなりになっちゃいましたけど、詩人の血のギタリストの渡辺善太郎……善ちゃんとスタジオに入った最初の作品で。当時、私がJ-WAVEで番組をやっていて、会いたい人をゲストに呼んだりしていたんですよ。善ちゃんもそこに呼んで、「今度共作しませんか?」ってお話をしてやってもらうことになったという。あと先輩の蘭丸氏(土屋公平)もそのラジオに呼んで仲良くなって、一緒に作ったり。
── 「あたしなんで抱きしめたいんだろう?」ですね。作曲が公平さん、アレンジが善太郎さんでした。
Chara 善ちゃんに頼んでシングルっぽいポップなサウンドになったけど、公平さんはもっと本当のモータウンにしたかったはず。多分ね。
── 渡辺善太郎さんとはその後も長い間一緒に制作をされていましたね。
Chara サウンドプロデュース能力が高かったし、音の置き方がお洒落なんですよ。「Happy Toy」と「あたしなんで抱きしめたいんだろう?」には彼の感じがかなり濃く出ていると思う。人柄もよくて、気楽にできたから、その後もよく頼っていましたね。コクトー・ツインズみたいなユニットをふたりでやろうよって言っていたんだけど、やらないまま天国に行ってしまって。
── 「あたしなんで抱きしめたいんだろう?」はタイトルも歌詞もCharaさんらしくて。この頃の歌詞は疑問符も多かった。
Chara そうね。そういうのが好きだった。あと、洋楽を日本語詞に訳したときの雰囲気みたいなのが好きでね。
── なるほど。
Chara これが独身最後のアルバムで。(1stアルバムからアレンジで参加していた)浅田裕介氏と一緒にやった最後のアルバムでもある。あと、サンプルがまだカセットテープの時代でね。岩井俊二監督の『PicNic』という映画に出たんだけど、そのとき岩井さんに「できたてのアルバムのサンプルなんですけど」って言って、このアルバムのカセットテープを渡した記憶があります。その頃にはもう、岩井さんの映画(『スワロウテイル』)のなかの架空のバンド(YEN TOWN BAND)がデビューするというような計画ができていたんですよ。ただ、その間に私が妊娠したというのもあって、ちょっとグシャッとしたんだけど。
(【Part2】に続く)

●Chara (チャラ)
1991年9月21日、エピック・レコードよりシングル「Heaven」でデビューを果たしたシンガーソングライター。オリジナリティ溢れる楽曲と独特な存在感により人気を得て、1992年の2ndアルバム『SOUL KISS』では日本レコード大賞ポップ/ロック部門のアルバム・ニューアーティスト賞を受賞。1996年、俳優として出演した岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』が公開され、劇中バンドYEN TOWN BANDのヴォーカルとして参加。主題歌「Swallowtail Butterfly ~あいのうた~」はオリコン1位の大ヒットとなり、1997年の5thアルバム『Junior Sweet』もオリコン1位のミリオンセラーを記録。収録シングル「やさしい気持ち」も大ヒットとなり、今なお多くのリスナーから支持されている。Charaのファッションやライフスタイルに共感するファンも多く、新しい女性像として人気を博すとともに、自身の音楽活動においては各時代を担う気鋭のアーティストやクリエイターとのコラボレーション作品や活動が多いことでも知られ、デビューより一貫して拘りの音楽的探求を続けている。2025年には自身選曲によるラブソング・ベストアルバム『The Love Songs of Chara “Lush Life”』を発表。2026年7月16日にデジタル・シングル「Adorable」を配信リリースし、9月にはデビュー満35周年を迎える。
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2026.9.8