2026年7月号|特集 渡辺美里
【Part1】渡辺美里スペシャル・ロングインタビュー
インタビュー
2026.7.1
インタビュー・文/大谷隆之

1985年に颯爽と登場して以来、日本の音楽シーンの最前線を走り続けてきた渡辺美里。「My Revolution」「BELIEVE」「サマータイムブルース」「虹をみたかい」といった数々のヒットソングを残し、リリースやライヴも休むことなく活動を続けて、昨年はついにデビュー40周年を迎えた。そして還暦を迎える2026年は、7年ぶりのオリジナル・アルバム『Birthday』のリリースと、21年ぶりに“伝説”のスタジアムライヴの復活も予定されている。ここではこの41年間の歩みを振り返るとともに、とどまることのない現在進行形の渡辺美里について、たっぷりと語ってもらった。
ものごとの起きるスピードが自分のキャパシティを完全に超えていました
── 7月12日は、60回目のお誕生日ですね。3日後の7月15日には、待望のニューアルバム『Birthday』もリリースされます。
渡辺美里 コロナ禍を挟んで、気がつけば7年ぶりかな。その間もツアーで全国を回ったり、『うたの木』というカヴァーアルバムのプロジェクトを立ち上げたり、ずっと忙しくしていたんですけれど。オリジナル作としてはちょっとインターバルがあきました。
── 今回はその最新作を軸とした美里さんの現在と、活動41年の振り返り、両方たっぷりお伺いできればと思うんですが……少し脇道の話題から始めてもいいでしょうか。
渡辺美里 ええ、もちろん(笑)。
── 先日、1966年生まれのミュージシャンが一堂に会するイベント「ROOTS66 -NEW BEGINNING 60-」の東京公演を拝見しまして(3月20日、東京ガーデンシアター)。アンコールで美里さんが歌われた「君は薔薇より美しい」が素晴らしかった。歌の音圧といいピッチの正確さといい、圧倒されました。
渡辺美里 へええ、それは嬉しいな。当日は客席にいらしてたんですか?
── はい。特に大サビで「♪ああ、君は」から「変わった」へ一気にジャンプするところ。あのハイトーンの歌唱は、若き日の布施明さんにもひけをとらないパンチ力を感じて……。
渡辺美里 ありがとうございます。あのアレンジ、実はオリジナルとキーを変えてないんですよ。というのも、「ROOTS66」ってものすごい数のアーティストが入れ代わり立ち代わりステージに立つでしょう。今回そのバッキングを担当した「ROOTS66 ULTRA BAND」を真ん中で仕切っていたのが、奥野真哉さんで。
── SOUL FLOWER UNIONの創設メンバーで、この10年ほど美里さんのライヴでもバンマスを務めているキーボーディスト。いわば“盟友”ですね。
渡辺美里 はい。奥野さんは今回「ROOTS66」でもバンマスの立ち位置だったので。はたで見ていても事前の仕事量が尋常じゃなかったんです。出演アーティストに合わせてカヴァー曲をアレンジしたり、各パートの譜面を準備したりで大変そうだった。そんなときイベント主催者の方から「美里さん、アンコールでもう1つ、昭和歌謡っぽい曲をお願いできませんか」とオファーがありまして。だったら「君は薔薇より美しい」を布施さんと同じキーで歌ってみようかなと。それなら移調の手間がかからないし、オリジナルのスコアをそのまま使えるので、バンマスの負担が少なくてすむでしょう。

── なるほど、そういう気遣いがあったとは想像できませんでした。でも、どうして「君は薔薇より美しい」だったんですか? 女性シンガーにとってはわりとハードルの高い選曲にも思えるんですけれど。
渡辺美里 うーん……ほとんど思いつきで、あまり深い考えはなかったですね。強いて言えば「ROOTS66 ULTRA BAND」には強力なブラスセクションも入っているじゃないですか。田中邦和さんを筆頭にスカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)の谷中敦さん。勝手にしやがれの田中和さん、福島忍さん。彼らのホーンが最大限生きる楽曲は何かなと考えたとき、「♪パッパパッパッパー」というあのイントロが自然に浮かんできました。
── 事前に特訓とかされました?
渡辺美里 いえ、特別なことはしていません。とにかく出演者の人数が多くて、リハの時間も限られていましたし。特に2日目の大阪公演は主催者からのリクエストで急遽私がバンドメンバーの紹介をすることになったりして。自分の出番を気にかける余裕もなかったんです。発声については、たぶんライヴの場数が大きいんじゃないかな。それこそ41年間、コロナ禍の一時期を除いてずっと途切れずツアーを続けてきましたので。それで落ち着いて歌えたんじゃないかと。
── そういえばイベントの冒頭では、出演者が1人ずつリレー形式で登場するじゃないですか。その際、美里さんの前の斉藤和義さんが「声量、たぶん俺の2倍!」と言って次に繋いだのが可笑しかったです。
渡辺美里 そうそう。和義さんには一応、舞台袖で「歌いづらいわ!」ってクレーム入れときましたけど(笑)。
── 「ROOTS66」、美里さんは’16年開催の第2回から出演されていますね。同じ’66年、丙午(ひのえうま)生まれが集まるバックステージはどんな空気感なんですか?
渡辺美里 個性の強い人ばかりだけど、楽屋は和気あいあいとしていますよ。’96年の初回は男性アーティストだけで女性が加わったのは2回目からなんですけど。同年齢のミュージシャンと久々に会ってコラボするのはやっぱり楽しい。私、それまではわりと我が道を行くタイプというか、フェスに出たり、誰かと一緒に何かをする機会が少なかったんです。でも丙午という共通点があるだけで不思議とシンパシーが湧いてくる。「あら、あなたもロクロク(66)組!?」みたいに、心のカーテンがすっと開くような感覚はありますね。
── 出演者の方は口を揃えて言われますね。「若い頃はライバル心が強かったけど、今では同い年が現役で活躍してくれていること自体が嬉しい」と。
渡辺美里 本当にね。前回が終わった際、「10年後も誰ひとり欠けることなく会いたいよね」ってよく話し合っていたんです。それが現実になったことが個人的にはすごく嬉しかった。しかも今回は、出演者全員の“還暦イヤー”と60年に1回の“丙午イヤー”が重なっていましたから。みんな余計に特別感があったかもしれないですね。ちなみに私、’66年組の中ではわりとデビューが早いんですよ。
── ああ、たしかに。小泉今日子さん(’82年)、早見優さん(’82年)、斉藤由貴さん(’85年2月)というアイドルの方々を除けば、どの男性アーティストよりもキャリアが長い。
渡辺美里 最初のシングルが出たのが19歳になる2か月前でした。たぶんそれもあって、舞台裏では「美里さん」と呼ばれるパターンが多いんですね。何人かは親しみを込めて「みさっちゃん」と言ってくれるんですけど。大部分は「美里さん」。口調はタメ口だし関係性もカジュアルなのに、呼び方だけそうなるのは面白いなって。

── それでいうと美里さんはデビューから41年間、いわゆる活動休止期間が一度もありません。レーベルの移籍もなく、ずっと作品をリリースしてライヴを続けてきた。これも実は稀有なことだなと。
渡辺美里 そうなんですよ! バンドじゃないですから解散も再結成もなく、ずっと1人で走ってきた(笑)。
── リスナー側からはつねにパワフルに見えていたと思いますが、41年間を振り返ってみて、しんどかった時期はなかったですか?
渡辺美里 数々ありましたよ。話し始めたらそれだけでページが埋まっちゃうくらい(笑)。以前、それこそ同い年の男性から「渡辺さん、沈んだことがないですよね」って言われたことがあるんです。いろいろ事情を伺ってみると、その方が個人的に大きな挫折を経験された時期に、たまたま私の「My Revolution」が街中でよく流れていたんですって。社会人になられてからも、自分との落差のイメージが頭から離れなかったみたいで。
── キラキラした印象がそのまま固定されてしまったと。
渡辺美里 たしかに自分は本来、前向きでアクティヴな性格だとは思うんですね。でもこの41年、どれだけもがいても前に進まない──沈まないだけで精一杯という時間もたくさんあった。でも外からは逆に見えたりするんだなって、ちょっとハッとさせられました。
── 表現者にとって一番怖いのは情熱が薄れることだと思うのですが、それについては?
渡辺美里 なかったんですよ、幸いなことに。そこは本当に救いだったと思います。ちょっと話が逸れますけど、女性はある年代に差し掛かると身体のバランスが大きく変わるでしょう。最近は男性の更年期にも注目が集まっていますが、私も50代の一時期そうとう辛かった。大げさじゃなく右のものを左に、縦のものを横に動かす気力も湧いてこない。フィジカルだけじゃなく心も重たくて、友だちと会うのも億劫になっちゃう。そういう時期が長く続きました。でもライヴがある日だけは「よしっ!」とギアが入ったんです。義務感じゃなく、音楽についてだけは心から楽しいと思えた。それ以外のことはパワー半減だったのに、不思議ですよね。
── 何かしら、人の心を生き延びさせる力があるんですね。
渡辺美里 だと思います。私自身、壁に当たったときはいつも歌うことで自分を取り戻したり、ライヴで心を立て直したりしてきましたので。
── 関連してもう1つ。これはデビュー翌年、美里さんが表紙を飾った音楽誌なのですが(CBS・ソニー出版「パチ・パチ」’86年10月号)。この特集記事がすごく読みごたえがありまして。
渡辺美里 うわー、懐かしすぎる! この写真は山内(順仁)さんですよね。ライターはたしか野中(智美)さんかな?

── ええ、まさに。内容はインタビューではなく、大阪・名古屋・所沢(埼玉)で開催された初のスタジアムライヴ『MISATO SPECIAL ’86 KICK OFF』をめぐる長いレポート記事なんですね。ここに活写されている美里さんが非常に“いたいけ”と言いますか……。巨大なプレッシャーを感じつつ、歌うことで乗り越えていく姿が伝わってくる。この時期、40年以上そうやって走り続ける未来を想像できていましたか?
渡辺美里 いいえ、まったく(笑)。私は10歳から“歌う人”になりたかったので、望んでいた環境に身を置けている充実感はあったと思います。でもまさか、デビューして1年ちょっとでスタジアムに立つとは予想もできなかったし。とにかく忙しくて、目の前に押し寄せてくる課題を受け止めるだけで必死でした。特に初期はずっとレコーディングしながらコンスタントにツアーにも出て。しかも月・水・金はラジオの生放送、他にも収録番組が2本ありましたから。ものごとの起きるスピードが自分のキャパシティを完全に超えていました。
── ほぼ3か月ごとにシングル曲が出ているなど、リリースのペースも今とは比較にならないですし。
渡辺美里 アルバムもそうですよ。たとえば1枚目のアルバム『eyes』(’85年10月)を作っている途中から、もう『Lovin’ you』(’86年7月)という2枚組セカンドアルバムも動き始めていて。その時点で「My Revolution」のメロディーもいただいていたんじゃないかな。まだ20歳になりたてだったし、たぶん常時いっぱいいっぱいの状態だったと思います。どんなお話をしたのかもう覚えていませんが、たぶん「パチ・パチ」のライターさんはその辺の空気を汲んでくださったんでしょうね。でも一方で、我ながら変わっているなと思う部分もありまして。つい先日、まさに最初の西武スタジアムライヴの映像を見返す機会があったんです。自分で言うのも変ですが、「いやぁ、肝が座ってるわ、この子……」と思っちゃった(笑)。
── へええ! とはいえ1年ちょっとのキャリアで、数万人観客と1人で対峙するわけですよね。恐怖心とかなかったんですか?
渡辺美里 ありました、ありました。もう生まれたての子鹿みたいに震えていましたけど。でもいざステージに立つと「ちゃんと歌を届けるぞ」という面構えをしていましたね。
── どうしてそんなことができたんでしょう。
渡辺美里 うーん……丙午の女だから? あはははは。最初の話と繋がった。
── 気が強くて、昔は「夫の寿命を縮める」という迷信があったそうですね。実際、’66年は前後に比べて出生数が少なかった。
渡辺美里 まあそれは冗談として、自分でも不思議だなって思います。今でこそ日本人アーティストによるスタジアムライヴって当たり前になっていますけれど。当時、言われてぱっと思い浮かぶ名前は西城秀樹さんとキャンディーズぐらいだった。そこは生まれつきの性格なんでしょうね。直前まで肩肘張ってドキドキしていても、いざ本番になると開き直って楽しめちゃうという。あとはやっぱり、小さい頃から歌が何より好きだったので。
── その後、西武ライオンズ球場(当時)でのライヴは20年連続で開催され、のべ70万人を動員することになります。記念すべき初回のことは鮮明に覚えておられますか?
渡辺美里 それが曲目も含め、初期の頃はほとんど記憶が飛んじゃっているんですよ。でもなぜか、スタジアムライヴを開催すると決めたときの風景は覚えています。場所はTBSラジオのスタジオ。生放送の準備で、リスナーから届いた大量のハガキを読んでいました。そのときマネジャーから「来年の夏に西武球場という会場を押さえられたんだけど、コンサートやってみない?」と話しかけられたんですね。で、私もほとんど考えずに「うん」と即答しちゃった(笑)。それが20年も続いて、また今年(’26年)に復活することになるなんて、巡り合わせって本当に分からないものだなって。
(【Part2】に続く)

●渡辺美里 (わたなべ・みさと)
1985年デビュー。翌年「My Revolution」がチャート1位となり、同年8月、女性ソロシンガーとして日本初となるスタジアム公演を西武スタジアムにて成功させる。以降20年連続公演という前人未到の記録を達成し、渡辺美里の活動の中でも代名詞的な存在となる。2005年西武スタジアムに終止符を打った翌年、2006年からは、毎年「美里祭り」と題して様々な都市でLIVEを開催。渡辺美里の活動は音楽だけにとどまらず、ラジオのパーソナリティー、ナレーション、2012年、2014年はミュージカル「アリス・イン・ワンダーランド」で不思議の国を支配する『ハートの女王』を演じるなど、様々な分野にチャレンジし続けている。デビュー35周年に向け、2019年には、20枚目のオリジナル・アルバム『ID』を携えて、「35th Anniversary Live Love Life Sweet Emotion Tour 2019-2020」を開催。2020年7月1日には35周年を記念した3枚組ベストアルバム「harvest」をリリース。オリコンデイリーランキングで1位を記録し、昭和・平成・令和と3時代で1位を獲得。2024年には5月1日に59枚目のシングル「BITTER★SWEET ROCK’N’ROLL」をリリース、また当時CDでしか発売されなかった「HELLO LOVERS」、「うたの木Gift」を初アナログ盤としてリリースするなど精力的に活動を続け、2025年にはデビュー40周年を迎え、約6万人を動員した全30公演の全国ツアー「BITTER☆SWEET ULTRA POP TOUR 2025」を完走。2026年にはデビュー40周年の集大成として「渡辺美里 ULTRA POP スペシャル 〜じゃじゃ馬40th」を敢行。ツアーファイナルで7年ぶりのオリジナル・アルバム『Birthday』リリースと11月8日に西武スタジアムライヴの復活公演「明治 チョコレート効果 プレゼンツ 渡辺美里 スタジアム伝説~復活~ Sweet 60」の開催を発表した。数多くのヒット曲と代表曲を持つ、名実ともに日本を代表する女性ヴォーカリストである。
Official Website : https://www.misatowatanabe.com/
https://x.com/misato_official
https://www.facebook.com/misato.official/
https://www.youtube.com/@officialyoutubechannel861/
↑渡辺美里ニュー・アルバム『Birthday』はこちら!↑
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