2026年5月号|特集 PUFFY

【Part3】PUFFYスペシャル・ロングインタビュー

会員限定

インタビュー

2026.5.19

インタビュー・文/大谷隆之


【Part2】からの続き)

些細な腹立ちもけっこうオモシロに消化できるというか。そこが長年一緒にいても疲れないところ。(大貫亜美)


── PUFFYといえば、何ともいえず力の抜けたダンスも新鮮でした。奥田民生さんによれば、あの「ヘンな踊り」も1つ、曲を書くときのインスピレーションだったとか。

大貫亜美 へええ、そうなんですか?

── はい(笑)。あのダンスには「いい意味でいい加減にできる」「作り上げられたものではないから途中でちょっと諦め加減になれる」効果があるとコメントされています(千早書房『PUFFY: 亜美&由美のいい感じ伝説』1997年)。

吉村由美 はははは、なるほど。わかる気がします。

── デビュー曲「アジアの純真」を手がけたのは、日本を代表する振付師の南流石さん。初めて踊ってみたときの印象は覚えておられますか?

吉村由美 あの曲はですね、当初はもっとたくさんキメの動きがあったんです。最初から最後まで、流石さんがしっかり振り付けを考案されていた。でも当時の私たちは、あまりにもダンスのスキルがなさすぎて。とにかく歌いながら踊るってことが全然できませんでした。もう、どちらか1つで精いっぱいだった。

大貫亜美 2人とも現場で「え、どうしよう、どうしよう」と焦っていたもんね。それを見た流石さんが、練習中にどんどん省いてくださって。「じゃあ、このパートはとっちゃおう」「ここもカットで!」みたいな感じでスリムにしていって、結局あの形に落ち着きました。

吉村由美 サビの「♪白のパンダを〜」のところで4歩前に出て、「どれでも 全部 並べて」でまた4歩下がる。で、止まったらリズムに合わせテキトーに左右に身体を揺らす。あとは間奏で、両手と腰をブラブラさせるくらい?

大貫亜美 そう。2人揃っての振りはそこくらいしか残らなかったという。

吉村由美 あ、それで思い出した! 当時のライヴ映像を見ると、サビ終わりの「♪輝いている 火花のように」のところで手の平をこう(下に向けて)顔の横で動かしているんですね。あの振り付けは練習中に自然に生まれたもので。というのも、当時はああやって手の動作で音階をイメージないと、高いパートが歌えなかったんですよ。

── へえ、つまりあれは一生懸命ピッチをキープしている仕草だったと。




●PUFFY (パフィー)
大貫亜美と吉村由美の2人組。1996年、奥田民生プロデュースによるシングル「アジアの純真」でPUFFYとしてデビュー。その後、「これが私の生きる道」「サーキットの娘」「渚にまつわるエトセトラ」etc と次々にヒットを連発。全米NO.1アニメチャンネルである「カートゥーン・ネットワーク」にて、彼女たちを主人公にしたアニメ番組「ハイ!ハイ! パフィー・アミユミ」が世界110カ国以上で放送されるなど、日本のポップ・アイコンとして、世界を舞台に活動中。

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