2026年3月号|特集 日本シンセサイザー音楽の曙

【Part4】日本シンセサイザー音楽ヒストリー

会員限定

解説

2026.3.24

文/小暮秀夫


(【Part3】からの続き)

Part4:テクノポップのその先へ


 1979年から’80年にかけて日本で吹き荒れたテクノポップ・ブームは、ロックから歌謡界に至るまで、シンセサイザーの存在を一気に浸透させた。しかし’81年前後になると、その中心にいたアーティストたちは、商業化していくテクノポップに次第に距離を取り始める。歌謡界でテクノ歌謡のヒットが生まれるのを横目に、あえてそうした潮流から逸脱し、より実験的な方向へと進もうとする動きが顕在化していく。80年代初頭は、テクノポップが大衆化と先鋭化のあいだで分岐していく重要な転換期であった。その兆しは、ブームの只中にあった’80年の時点ですでに現れている。坂本龍一は、パンク/ニューウェイヴの現場へと積極的に関与し始める。

 まず、70年代後半の「東京ロッカーズ」ムーヴメントを象徴するフリクションの1stアルバム『軋轢』(’80年)の共同プロデュースを手がける。さらに、関西パンク・シーンを代表するアーント・サリーのヴォーカリストであったPhewのソロ・デビュー・シングル「終曲(フィナーレ)」(’80年)をプロデュース。加えて、グンジョーガクレヨンの作品ではダブ・ミックスも担当するなど、ジャンルの垣根を越えた活動を展開していった。


フリクション
『軋轢』

1980年4月25日発売





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