2026年2月号|特集 ドラマの劇伴
【Part2】日向敏文スペシャル・ロング・インタビュー
インタビュー
2026.2.10
インタビュー・文/大谷隆之 写真/島田香

(【Part1】からの続き)
『東京ラブストーリー』は曲のテンポ、サウンドの質感からアレンジまで、当時のアメリカのシットコムを意識しています(日向)
── もう少しだけ『東京ラブストーリー』以前のお話を聞かせてください。日向さんは21歳から2年間、ボストンのバークリー音楽大学に在籍されました。
日向敏文 ええ、そうですね。
── その後、’78年には奨学金を得てミネソタ州立大学音楽部に転校。今度は4年間、クラシックのピアノを中心に作曲やオーケストレーションをみっちり学ばれています。そして’82年の卒業後はすぐにプロとして活動をはじめられて……。
日向敏文 その翌年だったかな。弟(音楽プロデューサー/作曲家/キーボーディストの日向大介氏)と共同で事務所を作ったんです。それでしばらくは、アメリカと東京を行ったりきたりしていました。セッションミュージシャンとしていろんな現場に呼ばれたり、CMの音楽を作ったりして。
── そうやってCM用に書かれた曲が、’85年のファースト・アルバム『サラの犯罪』につながったわけですね。はじめてオリジナル作を世に問うたとき、ご自分ではどんなジャンルをイメージされていたんですか?
日向敏文 うーん……そこは正直、全然なかったんですよ。たしかにアメリカでは、本当に多種多様な音楽を吸収しました。バークリーでジャズを学ぶ前にも、地元のブルースバンドやビッグバンドでキーボードを弾いてましたし。ミネソタ州立大時代はラヴェルやプーランクなど、20世紀初頭のフランス人作曲家に大きな影響を受けた。彼らが追究した精妙で美しいハーモニーは、今も無意識のレベルで創作のベースになっている気がします。ただ、いざ自分のアルバムを作る段になるとね。「こういう路線を狙おう」みたいな発想はまるで浮かばなかった。ロールモデルというか、意識したミュージシャンもいませんでしたし。
── たとえば……日向さんのアメリカ時代、ピアニストだとキース・ジャレットとジョージ・ウィンストンのアルバムがよく売れてましたよね。
日向敏文 そうですね。持ち味は正反対だけど、どちらも人気だった。
── 前者はインプロヴィゼーション主体のジャズ、後者はゆったりとした雰囲気のニューエイジミュージックです。突拍子もない質問ですが、この2人だと当時の日向さんはどちらにより近かったと思われます? あくまで比較の問題として。
日向敏文 どっちもほとんど、共感はしないかな(笑)。キース・ジャレットは、演奏家としては間違いなく破格の存在ですよね。僕が高校生の頃、『フェイシング・ユー』(’72年)という最初のソロアルバムが出まして。最初に聴いたときは「ピアノ1台でこんな表現ができるのか」と驚愕しました。あと、いちばん有名な『ケルン・コンサート』(’75年)ってライヴ盤があるでしょう。
── はい。約1時間の完全即興演奏で、ジャズ史上もっとも売れたピアノソロ作品ともいわれています。
日向敏文 バークリー時代、ピアノ専攻の学生はみんなあのアルバムを聴いていて。友人の中にはLP2枚組をまるまるコピーしたり、全アドリブパートを必死になって採譜する人もいました。でも僕は、ある時期から彼のインプロヴィゼーションに距離を感じて、過度に自己陶酔的というか……要はオスティナート(特定の音型を執拗に繰り返す手法)が長すぎて退屈に思えちゃうんですよ。盛り上がってくると延々10分くらい、唸りながらリピートしたりするでしょう。好きな人にはあれがたまらないんでしょうけど。
── 日向さん的にはむしろ、感性に頼ってアドリブを繰り広げるより、ひとつのメロディーを意識的に純化していく方が性に合っていた?

日向敏文 (ひなた・としふみ)
1955年2月23日、東京都大田区生まれ。’73年に学習院高等科を卒業後渡英。サーレイ州ファーナムのオートバイ会社でアルバイトをしながら生活をする。’74年に渡米。’75年7月にウィスコンシン州アッシュランドのノースランド・カレッジに入学。キーボーディストとして、地元のブルース・バンドやビッグ・バンドに参加するなど、本格的に音楽活動を開始。’76年8月には、ボストンのバークリー音楽大学へ転校。’78年8月には、ミネソタ州立大学(University of Minnesota -Duluth)の外国人奨学金を獲得して、同校音楽部へ転校。以降4年間に渡って、クラシカル・ピアノを専攻し、理論、作曲、オーケストレーションを学ぶ。自己のリサイタル、歌曲や独奏楽器の伴奏、室内楽、オーケストラなど、音楽全般にわたり活動。’82年には、同大学卒業ののち、ミネソタで音楽家としての活動を開始。
’85年に、1stソロ・アルバム『サラの犯罪』をアルファレコードからリリース。続けて、’86年には、2ndアルバム『夏の猫』と、3rdアルバム『ひとつぶの海』をリリース。その後もコンスタントにソロ・アルバムを制作してきた。
’91年には『東京ラブストーリー』の劇伴を担当。ドラマ・サントラとしてはオリコン・アルバムランキング最高第5位となる異例のヒットを記録する。’97年に手掛けた、ドラマ『ひとつ屋根の下2』の挿入歌「ひだまりの詩」(歌:Le Couple)は、オリコン・シングルランキング第1位を記録、180万枚の大ヒットとなった。’97年のオリコン年間ランキングでも第3位となり、同年の日本レコード大賞優秀作品賞を受賞。Le Coupleのブレイクスルー・ナンバーとなり、彼らは『第48回NHK紅白歌合戦』の出場を果たした。
また、松たか子、佐藤奈々子、Le Couple、竹内結子、中山美穂、KOKIA、ダイアナ ロスなどに楽曲提供、トヨタ、コカ・コーラ、資生堂、アサヒビールなどの多くのCM音楽など、多岐に渡って活躍している。
近年では、フジテレビ『ザ・ノンフィクション』 、NHK『ETV特集』、「NHK BSスペシャル」、NHK BSドキュメンタリー番組などの音楽を多数担当、管弦楽、室内楽などの音楽も多数作曲している。
’86年に発表した楽曲「Reflections」は、TikTokでの拡散や米ラッパーによるサンプリングをきっかけに海外のZ世代を中心に爆発的な人気を博し、2025年時点で全世界のストリーミング再生回数が1億3300万回を突破、世界的なロングヒットを記録中。
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