2026年2月号|特集 ドラマの劇伴

【Part1】日向敏文スペシャル・ロング・インタビュー

インタビュー

2026.2.2

インタビュー・文/大谷隆之 写真/島田香


当初はアルファレーベルに対するちょっとした恩返しのつもりだったんですよ。まさか30万枚を超えるなんて想像もしてなかった(日向)


── 今回『東京ラブストーリー』の時代を振り返るにあたって、まずは最新作の話題から始めさせてください。昨年(2025年)、日向さんは、『The Dark Night Rhapsodies』という初のフルオーケストラアルバムを発表されました。往年のイタリア歌劇を思わせる甘美で美しい旋律と、加速度的に混迷を深める現代社会への憂いや祈りが絶妙に響き合った素晴らしい作品で。私も折にふれて何度も聴いているんですが……。

日向敏文 ああ、ありがとうございます。


日向敏文
『The Dark Night Rhapsodies』

2025年6月25日発売


── その際のインタビューで、たまたま話題が90年代のドラマ劇伴に及んだとき、「いやぁ、あの頃は心底ツラかったです」とボソッと仰ったのがすごく印象的だったんです。

日向敏文 はははは。僕、そんなこと言ってましたっけ?

── ええ。なんというか、思い出すのもしんどいという表情で(笑)。今、オーケストレーションを駆使して自分の世界観を追究しているのは「90年代にサントラを書きまくった反作用かもしれない」と。

日向敏文 なるほどね。うん、それは確実にあると思います。劇伴というのはやはり、ディレクターなりプロデューサーの注文に応じて書くものじゃないですか。とりわけ民放ドラマは、映画と比べても時間的な余裕がほとんどない。少なくとも当時は、ほぼ綱渡りみたいなスケジュールで作ってましたから。いわゆる作家性を出せる余地は、視聴者の方が想像するよりずっと少なかったんですよ。オーダーの内容も過酷ですし。

── 過酷といいますと?

日向敏文 まず求められるジャンルがとてつもなく広いでしょう。このシーンはクラシック調、このシーンはポップス、このシーンは都会っぽいジャズの雰囲気で──みたいな感じでね。短時間で自分の中の引き出しを総動員しなくちゃ対応できない。何なら制作サイドから、「これっぽい感じでよろしく」とばかりに既存曲を渡されることも日常茶飯事だった。そうなるとまた、パズルにも似た難しさも加わるので。

── リファレンス(参照元)があるから作業しやすい、とはならないんですか?

日向敏文 逆ですね。メロディーが似ないよう細心の注意を払いつつ、雰囲気はしっかり寄せなきゃいけない。むしろ高度な職人技が求められます。まあプロなので、何食わぬ顔してパクって、アレンジで誤魔化すやり方もないではありません。でも同業者が聴けば一発でバレますから。僕は絶対できなかった。でも一番キツかったのは、ドラマの劇伴が必然的にはらむ「身もフタもないわかりやすさ」だったと思います。これはもう、サントラの仕事を引き受けた以上は仕方ないことなんですけど。

── たしかに民放のゴールデンタイムですものね。幅広い視聴者の耳にスムーズに馴染む仕上がりじゃないと、そもそも“商品”として納品できない。

日向敏文 そうなんですよ。たとえば、あるメロディーが頭に降りてきたとするでしょう。自分の作品ならば、そのモチーフを自由に使うことができる。音楽家なら誰しも「この旋律はこう展開させたい」とか「こっちの方向には持って行きたくない」とか、その人なりの道筋がありますからね。でもドラマ劇伴では、ほとんどの場合はそれが許されない。逆に「自分名義の作品だとこうは書かないだろうな」と思ってしまうスコアが圧倒的に多いわけです。ところが現実には、そういうCDが予想を超えて売れちゃったじゃないですか。


日向敏文
『東京ラブストーリー オリジナル・サウンドトラック』

1991年2月10日発売


── 『東京ラブストーリー』のサントラ盤は’91年2月、ドラマ放送から約1カ月遅れてアルファレコードから発売されました。当時としては異例の30万枚以上を売り上げ、今でも日向さんの代表作のひとつとされています。でもご本人としてはこの35年間、いささか複雑な思いも抱えてこられたと。

日向敏文 贅沢な話だって、わかってはいるんですけどね(笑)。自分としては職人に徹したつもりの楽曲が、音楽家・日向敏文の作品としてどんどん世間に広がっていったので。正直、そういう状況に対しての戸惑いはずっとありました。あと僕は『東京ラブストーリー』以前に、同じアルファレコードからいくつかオリジナルアルバムを出してたでしょう。そことのギャップが大きすぎたこともあったんじゃないかな。

── ’85年のデビューアルバム『サラの犯罪』以降、計7枚のオリジナル作品を発表されてますよね。ピアノや電子楽器を用いたメロディアスな作風が特徴で、現在は「ポストクラシカル」の文脈でも高く評価されている。象徴的なのが’86年のサード・アルバム『ひとつぶの海』に収録された「Reflections」です。ゆったり循環するリズムで、鍵盤とヴァイオリンがリリカルな旋律を奏でるこの曲は、近年サブスクによって全世界のリスナーから“発見”され、たった数年で1億数千万回以上の再生回数を記録しました。

日向敏文 はい。さまざまな国や地域で、多くの人が「Reflections」という楽曲に思いを寄せてくださった。SNS経由でダイレクトメッセージもたくさん届きました。自分でも意外だったのは、その中にいわゆる社会的マイノリティと呼ばれる若者が多数含まれていたんですね。たとえば強権的な政府のもと、日々抑圧を感じているLGBTQの若者たち。そういうリスナーから「この曲に自分の境遇を託しています」と感想をもらうのは作り手の冥利に尽きると感じたし、狭かった視野が広がるきっかけにもなりました。ただ80年代当時には、実はそういうポジティブな評価って少なかったんですよ。むしろ新作を出すたび「時代錯誤」と評されたりね。一部の音楽メディアからは散々な書かれようだった。


日向敏文
『ひとつぶの海 Reality In Love』

1986年11月28日発売


── 今となっては信じられませんが、何が理由だったんでしょう?

日向敏文 うーん……たぶん、時代の空気とフィットしなかったんでしょうね。80年代ってやっぱり、ニュー・ウェイヴやポストモダンの全盛期でしたから。既存の調性音楽を解体して、軽やかに戯れてみせるのがトレンドだった。僕みたいにバカ正直にメロディーを追究する作曲家はかなり肩身が狭かったんです。ましてやピアノとヴァイオリンのみのインスト音楽なんて、当時は誰もやってませんでしたから。

── なるほど。でも日向さんには、ミュージシャンとして譲れない美意識があったわけですよね。

日向敏文 そうですね。実際は「それしかできなかった」という表現の方が正確かもしれません(笑)。ただ空気も読まず忖度もせず、ひたすら自分の作りたい音楽だけを追究していたのはたしかです。当時のアルファレコードというのが、また変わった会社でね。僕の作る音楽にまったく文句を付けず、そのままの形で世に出してくれたんですよ。そんなこと、ほかの大手レーベルではまず無理だったと思う。

── YMO、立花ハジメ、ゲルニカ、カシオペアなど、当時のアルファレコードには個性豊かなアーティストが多数所属していました。日向さんは70年代にアメリカの大学でジャズとクラシックを学んだ後、プロとして活動を始められたわけですが、レコードを出すきっかけは何だったんですか?

日向敏文 もともとは広告ですね。当時、僕はアメリカと日本を行き来しながらいろんなセッションの現場に参加していまして。その流れであるとき「トヨタ・カローラFX」のCM音楽を請け負いました。たしかモデルの甲田益也子さんを乗せた白い車が草原を走る映像だったかな? それがたまたまアルファレコードの担当者の目に留まって、「この路線でアルバムを作りましょう」という話になった。今から思えば本当に幸運ですよね。というのも当時売れ筋のインスト音楽って、いわゆる「ニューエイジ」系のものばかりでしたから。たとえばピアニストのジョージ・ウィンストンに代表されるウィンダム・ヒル・レコードの作品。そうでなければ喜多郎さんのような、スピリチュアルのシンセサイザーものか。

── たしかに日向さんのアルバムは、そのどちらとも距離がありますね。同じインストでも雰囲気重視の「ニューエイジ」系に対して、むしろ楽曲の構造は堅牢で、流麗な旋律の中に強度がある印象です。

日向敏文 まあ、雑誌の新譜紹介なんかでは「ニューエイジ」に分類されることも多かったですけどね(笑)。ただ僕自身の意識としては、そういう流行りのインストには興味も関心もなかった。だからワガママを許してくれたアルファレコードには今でも感謝しています。事実、どのアルバムも数字は今ひとつだったわけで。

── セールスはそこまでよくなかった?

日向敏文 ええ、ほとんど売れませんでした(笑)。ただ逆に言うと、少ないながらアルバムを買って支えてくれたリスナーはいたわけですよね。そうやって自分の音楽に共感しれくれるファンを、その頃の僕はすごく大事に思っていた。だから’91年に、軽い気持ちで手がけた『東京ラブストーリー』のサントラCDが予想外の売れ方をしたとき、単純には喜べなかったんでしょう。



── 実際、コアなファンの反応はどうだったんでしょう?

日向敏文 怒って離れていく人もいましたよ。たしかに気持ちはわかるんです。初期のオリジナルアルバムを気に入ってくれた人が、いきなり『東京ラブストーリー』のCDを聴いたらね。「何だこの売れ線の音楽は!? 日向は商業主義に魂を売ったのか?」と感じても無理はない。僕としてはまったく別種の仕事なんですけど、それを伝えるすべもなかった。それで言うとサントラを制作したのも、当初はレーベルに対するちょっとした恩返しのつもりだったんですよ。「ドラマの視聴率もいいみたいだし、ここでCDを出せば少しは売り上げに貢献できるかな」と。その時点では、まさか30万枚を超えるなんて想像もしてなかった。

── なるほど、ここで最初の話に戻るわけですね。日向さんはこの35年間、大ヒットを記録した『東京ラブストーリー』のサントラCDについて複雑な思いを抱えてこられた、と。

日向敏文 はい、その通りです(笑)。

── このたび35周年記念盤として発売される『東京ラブストーリー 35th Anniversary Edition』をじっくり聴いてみたんですが、サウンドトラックとして非常にクオリティが高いと感じました。

日向敏文 ああ、だったらよかった。

── たしかに日向さんが仰るように、初期のオリジナルアルバムとはまるで質感が違います。楽曲はほとんど統一感がないほどバラエティに富んでますし。キャッチーさに振り切った箇所も多々ある。

日向敏文 はい。

── でもいちばん印象的だったのは、やっぱりメロディーの強さだったんですね。作品の成り立ちはまったく異なりますが、それこそ近作『The Dark Night Rhapsodies』にも繋がる日向さんならではの美しい旋律が耳に残りました。職人に徹した仕事の中に、どうしようもなく滲んでしまう作家性といいますか。

日向敏文 なるほどね。そうか、そう言ってもらえるとすごく嬉しいです。



── 35周年記念盤をリリースするにあたって、オリジナル収録曲の13曲中9曲を自ら再編集されてますよね。久しぶりに向き合ってみてどんな感想を持たれましたか?

日向敏文 これがね、けっこう面白かったんですよ(笑)。もちろんどの曲も、ディレクターなどドラマ制作スタッフのオーダーに基づいて書かれている。でも仔細に検討すると、そこには他人にはわかならい僕なりの工夫があるんですよね。たとえばアメリカで暮らしていた頃、日常生活でいろんなテレビ番組を目にするじゃないですか。その中で面白いと感じた音楽的テクニックが、『東京ラブストーリー』の収録曲にもさりげなく入ってたりして。「なるほど、こうやって新しいボキャブラリーを取り入れようとしてたんだ」と。自分に対して新しい発見がありました。あと、今聞くとアメリカで学んだ成果も如実に出てますしね。

── といいますと?

日向敏文 僕は’76年から2年間、ボストンの「バークリー音楽大学」に在籍しました。もともとジャズ中心の学校でしたが、僕が入った頃のバークリーって本当にいろんな人がいたんです。ストレートなジャズ以外はまったく認めない連中もいれば、もっとロック・ポップス寄りの人もいたし。プログレ、ヘヴィメタ、サルサ、カントリー&ウエスタンまで、学内の練習室にはあらゆるジャンルのミュージシャンがひしめき合っていた。そういう雑多な環境で過ごした経験が、『東京ラブストーリー』のサントラにもストレートに出ている。あとバークリーには、映画やテレビドラマの音楽についてのクラスもあったんですよ。

── それは具体的なテクニックやノウハウを教える講義なんですか? それとも制作フローにおける音楽家の関わり方など、もう少し産業構造を伝える内容なんでしょうか?

日向敏文 両方ですね。バークリーはジャズミュージシャンの養成機関であると同時に、アメリカのエンタメ業界への人材供給源でもあるので。そういったカリキュラムも豊富だった。今はもっと細分化されているかもしれません。僕自身もいくつかクラスを取っていたので、そこで学んだ内容もかなり役立ったと思います。


日向敏文
『東京ラブストーリー 35th Anniversary Edition』

2026年2月25日発売


── そういう再発見を通して、35年前のお仕事を多少は客観的に眺められたと。

日向敏文 そうですね。今の僕の耳で『東京ラブストーリー』のサントラを聴くじゃないですか。そうすると当時流行っていた音楽に対して、自分の心が無意識に揺れているのがはっきりわかる。もちろん気恥ずかしく感じる部分もあります。でも同時に、何とか軸がブレないように消化しようと葛藤している様子も見て取れて。「まぁ必死で頑張ってたんだな」と素直に思えるようにはなっていた。少なくとも35年間ずっと心に抱えてきたモヤモヤは消えた気がします(笑)。話は少し飛びますが、最近またシェーンベルク(1874〜1951年)をよく聴いてるんですよ。

── 調性に基づく従来のクラシック音楽に対して、「十二音技法」という無調の音楽を創始した作曲家ですね。現代音楽に多大な影響を与えた大家として知られています。

日向敏文 はい。音楽史的にいうと彼は、19世紀ロマン派音楽が臨界点に達した少し後の世代で。要するにワーグナーやマーラーが豪華絢爛なオーケストレーションをやり尽くした後に、作曲家として活動を始めた。そうするとどんなに独創的なメロディーを書こうと頑張っても、必ずこの2人の匂いが滲んじゃうわけですね。おそらくシェーンベルクはそういう巨大な壁に苦しめられた末に、まったく成り立ちの違う無調音楽の世界へ進んだと思うんですけど。でも彼が生涯に生み出した音楽を通して聴くとね。ワーグナーやマーラーの影響を色濃く宿しながら苦しんでいた時期の曲が、実はすごく美しかったりもする。

── 影響されることへの強い葛藤があるからこそ、その人らしさが滲むこともあると。

日向敏文 ええ。弦楽六重奏「浄夜(transfigured night)」なんて、その最たるものだと思います。自分を現代音楽の始祖と比べるのはおこがましいですけど(笑)。『東京ラブストーリー』のサントラを久しぶりに聴いて、少しそんなことを感じたりはしましたね。

【Part2】に続く)




日向敏文 (ひなた・としふみ)
1955年2月23日、東京都大田区生まれ。’73年に学習院高等科を卒業後渡英。サーレイ州ファーナムのオートバイ会社でアルバイトをしながら生活をする。’74年に渡米。’75年7月にウィスコンシン州アッシュランドのノースランド・カレッジに入学。キーボーディストとして、地元のブルース・バンドやビッグ・バンドに参加するなど、本格的に音楽活動を開始。’76年8月には、ボストンのバークリー音楽大学へ転校。’78年8月には、ミネソタ州立大学(University of Minnesota -Duluth)の外国人奨学金を獲得して、同校音楽部へ転校。以降4年間に渡って、クラシカル・ピアノを専攻し、理論、作曲、オーケストレーションを学ぶ。自己のリサイタル、歌曲や独奏楽器の伴奏、室内楽、オーケストラなど、音楽全般にわたり活動。’82年には、同大学卒業ののち、ミネソタで音楽家としての活動を開始。

’85年に、1stソロ・アルバム『サラの犯罪』をアルファレコードからリリース。続けて、’86年には、2ndアルバム『夏の猫』と、3rdアルバム『ひとつぶの海』をリリース。その後もコンスタントにソロ・アルバムを制作してきた。

’91年には『東京ラブストーリー』の劇伴を担当。ドラマ・サントラとしてはオリコン・アルバムランキング最高第5位となる異例のヒットを記録する。’97年に手掛けた、ドラマ『ひとつ屋根の下2』の挿入歌「ひだまりの詩」(歌:Le Couple)は、オリコン・シングルランキング第1位を記録、180万枚の大ヒットとなった。’97年のオリコン年間ランキングでも第3位となり、同年の日本レコード大賞優秀作品賞を受賞。Le Coupleのブレイクスルー・ナンバーとなり、彼らは『第48回NHK紅白歌合戦』の出場を果たした。

また、松たか子、佐藤奈々子、Le Couple、竹内結子、中山美穂、KOKIA、ダイアナ ロスなどに楽曲提供、トヨタ、コカ・コーラ、資生堂、アサヒビールなどの多くのCM音楽など、多岐に渡って活躍している。

近年では、フジテレビ『ザ・ノンフィクション』 、NHK『ETV特集』、「NHK BSスペシャル」、NHK BSドキュメンタリー番組などの音楽を多数担当、管弦楽、室内楽などの音楽も多数作曲している。

’86年に発表した楽曲「Reflections」は、TikTokでの拡散や米ラッパーによるサンプリングをきっかけに海外のZ世代を中心に爆発的な人気を博し、2025年時点で全世界のストリーミング再生回数が1億3300万回を突破、世界的なロングヒットを記録中。


『東京ラブストーリー』サウンドトラックが、35周年記念盤としてCD復刻と初アナログ化!