2026年1月号|特集 ガールズ・ロック
【Part2】山下久美子スペシャル・ロングインタビュー
インタビュー
2026.1.14
インタビュー・文/大谷隆之 写真/山本佳代子

(【Part1】からの続き)
ライヴになると一気に解放されて、自分の感情を自然と歌に乗せることができた。
── 博多から上京されたのは’79年、山下さんが二十歳の頃ですね。
山下久美子 はい。最初の1年はいわゆる養成期間というか。歌だけじゃなくてダンスとか英語とか、いろんなレッスンを受ける予定でした。でも私、「スクールメイツに混じって踊るのはちょっと……」とか言って。ダンスは断ったんです。デビューもしてないのに、ほんとワガママだった(笑)。当時のナベプロ(渡辺プロダクション)では新人は寮に入る決まりだったんですが、それもゴメンナサイして。自分でアパートを借りてレッスンに通っていました。それが上京の条件というか、最初にその話をしたんじゃなかったかな。
── 新しい世界にチャレンジしつつ、自由を束縛されるのは嫌だったと。養成時代のレッスンで記憶に残っているものはありますか?
山下久美子 これはもう、何と言っても亀渕友香さんとの出会いですね。私の歌の先生なんですが、発声やピッチなどの技巧面だけじゃなくて。むしろ2人で一緒にすごした時間からシンガーとしての生き方、あり方を教わった気がします。レッスンには通っていましたけど、ときにはヴォイトレそっちのけで夜中まで話し込んだりして、楽しかったなぁ。
── 亀渕友香さん。1960年代末から70年代にかけてR&Bグループ「リッキー&960ポンド」のヴォーカルとして活躍された、日本の女性ソウル/ゴスペルシンガーの草分けですね。久保田利伸さんやMISIAさんなど、多くのトップシンガーを育てた“BIG MAMA YUKA”としても有名です。
山下久美子 世代的には私より15歳くらい上なのかな。私が習っていた70年代後半はジャズをよく歌われていて。ライヴもよく見せていただきました。演奏も豊かでかっこよかったし、何よりスタイルを超越して、伝わってくるものがロックなんですね。カルメン・マキさん、金子マリさんというロックの大先輩を紹介してくださったのも亀渕さんです。実際お会いするとやっぱり畏れ多くてね。二十歳の私はそうそう気軽に近づいたりはできませんでしたけど(笑)。自分が同じ空間にいられるだけで嬉しかった。ただただ素直に、「ロックだなぁ」と憧れていました。
── 80年代に「ガールズ・ロック」のポピュラリティを一気に広げた山下さんが、実は70年代に道を切り拓いた先輩女性シンガーの思いを受け継いでいたと。素敵な思い出ですね。亀渕さんとのやりとりで、特によく覚えていることは何でしょう?

●山下久美子 (やました・くみこ)
1980年にシングル「バスルームから愛をこめて」でデビュー。「赤道小町ドキッ」が大ヒット。その後もハスキーでキュートなヴォーカルとロック色の濃いポップスで、日本コロムビア、東芝EMI、テイチクエンタテインメントなどから、「こっちをお向きよソフィア」「瞳いっぱいの涙」「いっぱいキスしよう」をはじめとする数々のスマッシュ・ヒットを重ねる。元祖学園祭の女王、「総立ちの久美子」としてライヴ・パフォーマンスの凄さも有名で、2025年現在、単独ライヴ・ライヴイヴェント・配信ライヴと勢力的に活動を続けている。待望の新曲を含むCD+DVDの2枚組、45周年記念ベスト・アルバムが2026年4月15日(水)発売決定!
https://kumikoyamashita.com/
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