2025年11月号|特集 米米CLUB

【Part3】ジェームス小野田 & BON スペシャル・ロングインタビュー

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インタビュー

2025.11.18

インタビュー・文/田中久勝 写真/山本佳代子


(【Part2】からの続き)

米米CLUBというネーミングもダサいバンドだし、それに「解散します」って、そんな偉そうに言うことでもないし(BON)


── 米米CLUBのライヴといえば、石井さんのステージデザイン、ファッション、キャラクターなど舞台上のすべてを総合的にエンターテインメントとして表現すべきだという思いから、毎回度肝を抜かれるステージで、凄まじいエネルギーを感じていました。

ジェームス小野田 「浪漫飛行」を発表する前の年、’89年東京ベイNKホール3days×3からライヴ(『米米CLUB SHARISHARISM 7』)の規模が一気に大きくなっていったと思います。

BON K(Kick Knock編)、2(2much 2ist編)、C(Con-Conga編)の3つのパターンをそれぞれ3日間、全部違うステージセットでやって、あれはもう今の感覚じゃできないですよね(笑)。

ジェームス小野田 今思うと「そんな無駄なことある?」って思うけど(笑)、当時は必死でした。

BON ある意味無駄だよね(笑)。NKホールでの本番まで1か月リハして、終わったら次のパターンのリハを1か月やって、という感じでした。NKホールが終わったらそのままの規模でツアーを回るなんて、ちょっと普通じゃない(笑)。各地で3days、日替わりでメニューが違うので、セットリストも衣装も舞台装置も変えるので、我々もそうだけどとにかくスタッフが大変でした。

ジェームス小野田 クレイジーですよ(笑)。巨大な10トントラック11台で、アメリカのコンボイですよ(笑)。10トントラックに大きい木1本とか恐竜の首だけとか(笑)。楽器は10トンに乗せてもまだ余る。今考えると、なんちゅうバンドなんだろうと思う(笑)。そのくらいお金をかけることができたということです。恐竜だけで1億とか(笑)。

BON 砂漠のようなセット、妖精の森をイメージしたセット、ラテンっぽい感じのもので、遊園地=“米米ランド”のようなステージを作ろうと。何曲やった? 60曲くらいやったよね?

ジェームス小野田 確か60曲だった。

BON ベーシックになる曲を作るために福岡で一週間合宿しました。なんで福岡だったのかは内緒ですけど(笑)、結構な数作りました。確か「FUNK FUJIYAMA」もこの時できたんじゃないかな。

ジェームス小野田 “ファンクシリーズ”を作ろうってことになって、もうタイトル先行でこういう感じのがあったらいいねってどんどん作っていきました。

── 各地で3days、日替わりメニューというのは、想像を絶する大変さだったと思います。




左から、ジェームス小野田、BON



●米米CLUB (こめこめ・くらぶ)

1982年結成。’85年、シングル「I・CAN・BE」とアルバム『シャリ・シャリズム』でメジャーデビュー。カールスモーキー石井を中心的メンバーとして、ステージセット・コスチュームなどバンドを総合的にプロデュース。’89年「KOME KOME WAR」、’90年「FUNK FUJIYAMA」でMTV VIDEO MUSIC AWARDを2年連続受賞。さらに「浪漫飛行」、「君がいるだけで」などを含め多くのヒット曲をリリース。’97年に一度解散後、’06年再始動。’20年、デビュー35周年を記念した初のオンラインライブを開催し、幕間には、本家公認のショートムービー「男はつらいぜ」を上映し好評を博す。今年’25年はデビュー40周年イヤーとして、9月からツアー「米米大興行 人情紙吹雪 〜踊ってやっておくんなさい〜」の開催。デビュー40周年記念 FAN BEST BOX 『愛米 〜FANtachy selection〜』をリリースした。

https://www.komekomeclub.net/

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