2025年11月号|特集 米米CLUB

【Part1】ジェームス小野田 & BON スペシャル・ロングインタビュー

インタビュー

2025.11.4

インタビュー・文/田中久勝 写真/山本佳代子


米米CLUBが、デビュー40周年を迎えた。1985年のデビュー以来、ライヴの枠を超えたパフォーマンスで人々を驚かせ、「浪漫飛行」や「君がいるだけで」など名曲の数々を生み出し、音楽ファンを魅了してきた。アニバーサリー・イヤーの本年も、アリーナツアーや『愛米 〜FANtachy selection〜』のリリースなどで話題を提供し続けている。ここではメンバーを代表して、昨今は俳優としてもその個性をアピールするヴォーカルのジェームス小野田と、ベーシストとしてバンドの屋台骨を支えるリーダーのBONの2人に、この40年の歴史を振り返ってもらった。

離れていくファンがいれば、好きになってくれるファンもいて、また戻ってきてくれるファンもいる。長く活動を続けるってそういうことですよね(ジェームス小野田)


── 米米CLUBが結成40周年を迎えました。今日はお二人に結成前夜から結成、デビューからブレイク、活動休止、再開、そして現在から未来まで、幅広くお話を伺いたいと思います。まず40周年という数字をどう捉えていますか?

BON 同じ学校(文化学院)の仲間と、こんなに長く続けられるとは思ってなかったです。

── BONさん、石井さん、小野田さん、(ジョプリン)得能さんの4人は、40年以上のお付き合いになりますよね?

ジェームス小野田 石井と得能は文化学園から、18歳で知り合っているのでまだ48年です(笑)。

BON 子供の頃からずっとってすごいですよね(笑)。

── ただの友達ではなく、アーティストとして、グループとしてずっと活動し続けているのがすごいです。

ジェームス小野田 自分でも気づいたらこんなに時間が経っていて、びっくりしました。

── 米米は当初はメジャーデビューして売れるんだという気持ちはなかったんですよね?

BON 全然なかったです。インディーズもメジャーも全く興味がなかった。

ジェームス小野田 CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックレーベルズ)からレコードを出させていただくことになりましたけど、我々は何をやったらいいんだろうって思っていました。我々のライヴは歌というよりパフォーマンスだったので、これでレコード会社からレコードを出せるのかなって、最初は思っていました。



── 一発当ててお金持ちになってやる!という気持ちも……。

BON 全くなかったです。そもそもレコード会社と契約する前に、バンド活動としてライヴをとにかくやりたいというのが軸になっていたので、普通のバンドだったらアルバムを作ってそれを引っ提げてツアーするじゃないですか。米米の場合はずっと逆なんです。ライヴで棚卸して盛り上がった曲をレコーディングするという感じでした。

ジェームス小野田 そこは普通のバンドやアーティストとは真逆ですね。

── デビュー前から、面白い集団がいるって業界がざわついて、それを嗅ぎつけたレコード会社がライヴに殺到したと思いますが、メジャーじゃなくて、ニッチなところでトップを獲ろうぜ、みたいな気持ちもなかった?

ジェームス小野田 そういう欲は本当になかった。とにかく面白いライヴをやって、いかにお客さんを驚かせるか。全員それしか考えていなかったと思う。

BON 業界の人やレコード会社の人がライヴハウスに僕たちのライヴを観に来るじゃないですか。ライヴハウスの人から「今日こういう人たちが来ますけど、どうしますか?」って言われても、「とりあえず全員から入場料を取ってください」って言っていました(笑)。観るんだったらまずそこでしょう。だってお金を払って観に来てくれているお客さんに悪いじゃないですか。「業界の人だからってフリーパスなんてダメ!」って、当時は生意気にも言っていました(笑)。

ジェームス小野田 でもライヴを観た業界の人はすごく喜んでくれるんですよ。だから業界の人が面白いやつらがいるって色々なところで話してくれて、それが口コミで広がっていって、盛り上げてくれたという側面もあったと思います。それで事務所やレコード会社が17社集まりました。

── 激しい争奪戦が繰り広げられたんですね。そんな中からCBS・ソニーを選んだのは、何が決め手になったんですか?

BON 色々な有名人、色々なレコード会社のプロデューサー来て、一様に「凄い! 最高だよ、これからは君たちの時代だ」とか言ってくれて、それはそれで嬉しかったんですけど、CBS・ソニーのプロデューサーだけは違った。「お前らがやっていることは全くわからない。なんだかわからないけど、でもエネルギーはもの凄く感じる。うちに来てくれたら好きなことやっていいよ」って。それでさらに「こういう方向性でやっていけばいいとも言えないし、かけられる予算も今はわからないな」って。

── 本当に正直な感想ですね。

BON そうなんです。

── でも「なんか面白い」ってすごく大切な部分ですよね?

ジェームス小野田 自分達も自分達のやっていること、何が面白いのかがちゃんとわかってなかったから(笑)、CBS・ソニーの石井(俊雄)さんと同じ感想だったんです(笑)。

BON みんなで「あの人が一番正直だよな」って話しました。



── CBS・ソニーに決める前はリーダーを中心にメンバー内で話し合いがあったんですか?

BON もちろん。だからみんな色々な会社に接待で呼ばれて(笑)。

ジェームス小野田 8人もいるのでそれぞれのメンバーが色々な会社の方と……。

BON 「ご飯行きましょう」って。あっち行ったり、こっち行ったり、会社訪問もしました。それでみんなで集まった時に「あそこはこんなご飯ご馳走してくれたよ」って(笑)。

ジェームス小野田 「昨日あそこの会社は高級中華だったよ」「今日は美味しいイタリアンだった」とか、そういう話で盛り上がった(笑)。

── でも、素直で率直な感想を言ってくれた石井さんを信じてCBS・ソニーにしようと。

BON そうなっちゃいましたね。

── CBS・ソニーと契約して、約束通り好きなようにやらせてくれたんですか?

BON 基本的には好きなようにやっていました。

ジェームス小野田 やっていたけど、レコーディングがもう大変で。我々はパフォーマンスを一生懸命やっていたので、まず譜面を読むことができなかったのですごく苦労しました。RYO-Jと(フラッシュ)金子さんしか読めなくて、あとのメンバーは全く読めないし、譜面を見ながら演奏するということが初めてだったので。

── でも譜面が読めないバンドって今も昔も多いですよ。

ジェームス小野田 だから最初は本当に苦労して、レコーディングには時間をかけさせていただいて。

BON 最初に音楽プロデューサー/アレンジャーの中村哲さんに出会えたことが大きかったです。哲さんが本当に手取り足取りという感じで、色々教えてくれました。いい師匠と出会えました。

ジェームス小野田 本当にそうですね。

BON それで哲さんからは「この世界はちゃんと演奏できないんだったら、スタジオミュージシャンでやっちゃうからね」って聞かされて、焦りました。でも哲さんは「自分たちで絶対やった方がいいし、最後は全部筋肉、血になるから、ここは何がなんでも頑張ろうよ」って応援してくれて。

── スタジオミュージシャンが録音したものを、アーティストが聴いてコピーして、ライヴをやるということありましたよね。

ジェームス小野田 そうそう、その通りです。

BON でもレコーディングの仕方もわからなかったので、哲さんのブレーンの青山純(Dr)さんや伊藤広規(B)さんとか錚々たるスタジオミュージシャンが「今日、米米の曲をデモンストレーションでやるから」ってそれを見学させてもらったこともありました。



── すごいメンバー。贅沢です。

ジェームス小野田 お金かかっていますよね(笑)。

BON 広規さんのベースを触らせてもらって、スタジオミュージシャンのベースってどういうセッティングなのか見て、聞いて、経験しました。哲さんが青山さん、広規さん達に譜面を渡して、もちろんみなさん米米の曲は知らないので「こんな感じか」とか言って、「じゃあやるか」ってみんなで「せーの」でセッションして、最初からできちゃうんですよ。その時の演奏、いい音にびっくりして、スタジオミュージシャンの仕事を目の当たりにして驚いた記憶があります。

── ものが違いますよね。

ジェームス小野田 青山純さんのダブルバスドラでとにかくかっこよくて、最高のものを見せていただきました。

── レーベルに所属してから鍛えられたというか、演奏の部分の英才教育が始まったんですね。

BON レコーディングに関しては本当そうでしたね。まずそういう洗礼を受けて「こういうふうにレコーディングするんだ」っていうのを初めて知りました。

── でもレーベルも中村さんもメンバーを鍛えて、長い目で見てくれていたんですね。

BON そこはもう感謝しかないです。

── 1985年10月21日、シングル「I・CAN・BE」とアルバム『シャリ・シャリズム』でメジャーデビューを果たしますが、デビュー前から応援してくれていたファンの皆さんからの反応はどうだったんですか?

BON それはあとから出てくると思いますが、「君がいるだけで」がヒットしたあたりから、“君いる前、君いる後”みたいな妙な差別化、捉え方がファンの中にあって。「ライヴハウスのときは楽しかったけど、レコード出したらなんかつまんなくなっちゃった」って離れていく人もたくさんいました。

ジェームス小野田 やっぱりずっと自分たちが応援しているという強い気持ちがあるから、「なんか私たちから離れていっちゃった。遠い存在になっちゃったね」って感じた人もいるみたいですね。

BON そういうタイミングが、何回かあります。

ジェームス小野田 離れていくファンがいれば、好きになってくれるファンもいて、また戻ってきてくれるファンもいる。長く活動を続けるってそういうことですよね。

(【Part2】に続く)




左から、ジェームス小野田、BON



●米米CLUB (こめこめ・くらぶ)

1982年結成。’85年、シングル「I・CAN・BE」とアルバム『シャリ・シャリズム』でメジャーデビュー。カールスモーキー石井を中心的メンバーとして、ステージセット・コスチュームなどバンドを総合的にプロデュース。’89年「KOME KOME WAR」、’90年「FUNK FUJIYAMA」でMTV VIDEO MUSIC AWARDを2年連続受賞。さらに「浪漫飛行」、「君がいるだけで」などを含め多くのヒット曲をリリース。’97年に一度解散後、’06年再始動。’20年、デビュー35周年を記念した初のオンラインライブを開催し、幕間には、本家公認のショートムービー「男はつらいぜ」を上映し好評を博す。今年’25年はデビュー40周年イヤーとして、9月からツアー「米米大興行 人情紙吹雪 〜踊ってやっておくんなさい〜」の開催。デビュー40周年記念 FAN BEST BOX 『愛米 〜FANtachy selection〜』をリリースした。

https://www.komekomeclub.net/

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