2025年10月号|特集 作曲家で聴く松田聖子
【Part2】財津和夫スペシャル・ロングインタビュー
インタビュー
2025.10.8
インタビュー・文/栗本斉 写真/山本佳代子

(【Part1】からの続き)
ちょっと面倒くさいメロディというんですかね(笑)従来の歌謡曲とは違う曲を作ろうという気持ちはありました(財津)
── 財津さんが最初に提供された「チェリーブラッサム」は、8ビートのポップロック風で、あの時点での聖子さんにしてはロック色が強いなという印象を受けたのですが、こういう曲にしようという事前の話し合いはあったのでしょうか。
財津和夫 いや、何もないですね。プロデューサーの若松(宗雄)さんの考えがあるので、余計なことは言わなかった。ずっと僕はそういう風にしなきゃいけないなと思っているんです。どのアーティストに曲を提供するときも一切何も言いません。聖子ちゃんに関しては、まず若松さんがデモを聴いて、若松さんの判断でアレンジャーと打ち合わせされたんだと思います。
── 三浦徳子さんが歌詞を書き、大村雅朗さんがアレンジをされた完成形の「チェリーブラッサム」を聴いてどう思われましたか。
財津和夫 うーん、どうだったかな。おそらく、めちゃくちゃド派手になっているなと思ったんじゃないかな(笑)。もともと僕はブリティッシュ・ロックみたいなシンプルなことをやっていたので、頭の中はそういう世界なんですよね。でも大村さんのキラキラしたようなアレンジは派手だなあって。
── そこに違和感はなかったのでしょうか。
財津和夫 違和感があるとかないとか、そういう以前の話で、すでに手を離れていますし郷に入れば郷に従えですよ(笑)。
── 聖子さんはすでに大ヒットを出されていて、新たに作家として参加したことは、プレッシャーではありませんでしたか。

財津和夫 (ざいつ・かずお)
1948年2月19日 福岡県出身
1971年にバンド【TULIP(チューリップ)】を結成。’72年「魔法の黄色い靴」でデビュー。3作目の「心の旅」(’73年)が週間シングルランキング第1位を獲得後、「青春の影」(’74年)、「サボテンの花」(’75年)、「虹とスニーカーの頃」(’79年)等のヒット作を発表。アルバム35枚、シングル34枚を発表、’89年に18年間の活動の歴史に幕を下ろす。
【TULIP】の活動と並行して’78年からソロ活動をスタート。自身が作詞・作曲した「切手のないおくりもの」(’78年)は、NHK『みんなのうた』で放送され大きな反響を呼び、多くのアーティストにカバーされている。その後「Wake Up」(’79年)はCFソングとなり大ヒット、’93年には「サボテンの花〜ひとつ屋根の下より〜」がドラマの主題歌となりリバイバルヒットした。’97年【TULIP】を期間限定で再結成し、全国ツアーを行なっている。
作曲家として1000曲以上の楽曲提供、アーティスト・プロデュース、ミュージカル音楽制作、さらに俳優などとしても幅広く活躍している。
松田聖子への提供楽曲は、シングル曲「チェリーブラッサム」(’81年)「夏の扉」(’81年)「白いパラソル」(’81年)「野ばらのエチュード」(’82年)や、松田聖子初の映画主演作品「野菊の墓」の主題歌「花一色 ~野菊のささやき~」(’81年)の他、人気のアルバム収録曲など数多くの作品を手掛け、松田聖子のヴォーカリストとしての飛躍の一翼を担った。
財津和夫オフィシャルサイト▶
http://www.zaitsukazuo.com/

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