
- HISTORY 佐野元春ヒストリー~ファクト❻2005-2009
- DISCOGRAPHY 佐野元春ディスコグラフィ❻2005-2009
- INTERVIEWS 佐野元春サウンドを鳴らした仲間たち❻深沼元昭
HISTORY●佐野元春ヒストリー~ファクト❻2005-2009

音楽再生、ステージ、バンド、仲間、それぞれの “新しい形”
2000年代半ば、小泉純一郎内閣によって進められた構造改革が奏功し、大企業を中心に日本経済は上昇基調へ転換。一時期は1万円台を割り込んでいた日経平均株価も1万6千円に達した。一方で「痛みを伴う改革」というスローガンに象徴される市場原理主義的な改革は非正規雇用の増加などの副作用も大きく、2006年の流行語大賞には「格差社会」「勝ち組・負け組」「下層社会」といった酷薄な世情を反映する単語が数多くノミネートされた。依然として個人所得が伸び悩む中、日本の音楽産業は苦境が継続。’05年のCD売り上げは前年比マイナス6%の3045億円と、ピークだった’98年の6074億円の約半分にまで低下。携帯向け音楽配信「着うた」やライヴ・ビジネスでその穴を埋めるなどの構造転換を迫られている時期であった。
その中で’05年8月に日本でサービスが開始されたのがアップル社が運営するiTunes Storeである。「1曲99セント」というシンプルかつ廉価な価格設定での販売が特徴で、ポータブル音楽プレーヤーiPodとの相性の良さから海外ではすでに次世代のフォーマットとして普及しつつあった。しかし価格決定の主導権や音質、権利配分などの条件が折り合わなかったことから、ソニーミュージック、エイベックス、ユニバーサル、ワーナー、ビクターなど大手レーベルの多くが楽曲提供を見送った。

佐野元春
「光―The Light」
2004年ウェブ公開
2005年8月17日配信
そうした中で’04年に設立した佐野のインディペンデント・レーベル “DaisyMusic” はいち早くiTunes Storeへの参加を表明。サービス開始に合わせて前年に発表されたアルバム『THE SUN』収録曲のフル・ヴァージョン3曲とアウトテイク、そして以前にネット上でデモ・ヴァージョンを無料配信した「光」の “ファイナル・ヴァージョン” を収めたミニ・アルバム『THE SUN STUDIO EDITION』と2005年2月に行われたツアー・ファイナルの様子を収めたライヴ・アルバム『THE SUN LIVE AT NHK HALL』をリリースした。90年代からインターネットという新しい技術に対して先駆的に取り組んできた佐野は、この音楽流通の新しい形を心待ちにしていたという。

佐野元春 and THE HOBO KING BAND
『THE SUN STUDIO EDITION』
2005年8月17日配信

佐野元春 and THE HOBO KING BAND
『THE SUN LIVE AT NHK HALL 2005.2.20』
2005年8月17日配信
インディペンデント・レーベルを立ち上げたことは佐野の音楽活動の自由度も上げ、フットワークを軽やかに、客演が活発に行われた。
アルバム『FRUITS』に収録の「水上バスに乗って」でバックバンドを務めたプレイグスのヴォーカル、ギター・深沼元昭が率いるプロジェクト・Mellowheadが3月にリリースしたシングル「エンプティ・ハンズ」にリード・ヴォーカルとして参加。深沼は後にザ・コヨーテバンドに参加し、現在に至るまで不動の右腕として活躍中である。そして7月16日に渋谷クラブクアトロで行われたMellowheadのライヴにも参加し、「水上バスに乗って」と「エンプティ・ハンズ」を披露した。この日のライヴにはMellowheadのサポートとしてドラム・小松シゲル、ベースの高桑圭の両名、さらにアドヴァイザーとして制作に参加する片寄明人もゲスト参加しており、ザ・コヨーテバンドの原点とも言うべき夜となった。

Mellowhead feat.佐野元春
「エンプティ・ハンズ」
2005年3月2日配信
また同月には音楽プロデューサー・小林武史とMr.Childrenの桜井和寿に、坂本龍一が中心となって設立した環境保護プロジェクトap bank主催による野外ライヴ<ap bank fes ’05>にシークレットゲストとして登場。桜井和寿らとともに「ヤングブラッズ」を歌った。時代を超え永遠に歌い継がれていく名曲の数々を、小林、桜井に加えて亀田誠治、山木秀夫や山本拓夫といった一流ミュージシャンで結成されたBank Bandが再現するという企画。この年は佐野の他に、井上陽水、浜田省吾、スガシカオやCHARAといったジャンルや世代を超えたヴォーカリストが出演した。なお、翌年の同イベントでは佐野の名曲「サムデイ」が桜井、一青窈、Salyuのヴォーカルで演奏された。
9月4日には埼玉県狭山市で行われた<ハイドパーク・ミュージックフェスティバル2005>に出演。会場の稲荷山公園はかつての米軍基地の住宅エリアに所在し、1970年代はアメリカ文化に憧れる若者たちが周辺に移住した。その中には、細野晴臣、小坂忠、麻田浩、吉田美奈子、はちみつぱいの和田博巳(はちみつぱい)、岡田徹(ムーンライダーズ)、徳武弘文など、日本のロック・ミュージックの礎を築いたミュージシャンや、奥村靫正や眞鍋立彦などのデザイナーやイラストレーターがいた。世界的に評価されている細野晴臣のファーストアルバム『HOSONO HOUSE』が生まれた地としてもあまりにも有名だろう。同イベントには細野、小坂忠、鈴木茂やセンチメンタル・シティ・ロマンスといったレジェンドをはじめ、高野寛、佐橋佳幸のような中堅、そしてハンバート・ハンバートや星野源が所属するSAKEROCKなどの若手までが参加した。佐野がザ・ホーボー・キング・バンドと共に出演したイベント2日目は一時開催が中断されるアクシデントもあった。しかしウディ・ガスリーズ・チルドレンと呼ばれ60年代のフォーク・シーンを築いたエリック・アンダースンの後に佐野が登場すると、雨はピタリと止んだ。トリを務める細野晴臣の前で、スキッフル、カントリー・ロックのスタイルで「プリーズ・ドント・テル・ミー・ア・ライ」、「コンプリケイション・シェイクダウン」そして「99ブルース」、「インディビジュアリスト」を演奏した。
そして12月に入るとシンガー・ソングライター・堂島孝平の全国ツアー<SKYDRIVERS HIGH TOUR 2005 featuring 佐野元春>に参加。’04年に堂島主催のイベントで共演していた両者だが、今回はツアータイトルの通り、福岡、神戸、大阪、東京それぞれの公演に参加。バンドメンバーは、レピッシュのベーシストであるtatsu、東京スカパラダイスオーケストラの大森はじめ(パーカッション)、八橋義幸(ギター)、加藤雄一郎(サックス)、渡辺シュンスケ(キーボード)、小松シゲル(ドラム)といった世代を超えた顔ぶれ。渡辺と小松は後にザ・コヨーテバンドに加入することになる。杉真理の紹介で知り合ったという、20歳ほど年齢の離れた堂島との共演について佐野は「先輩後輩という意識はないです。僕は常にこの世代で突っ走っていてあまり周りが見えないし、ずっと自分の存在が点のようなもので、他とつながってるかわからなかった。堂島君がこんなふうにつながっているって、教えてくれましたね」と語っている。

佐野元春
「星の下 路の上」
2005年12月7日発売
THE COYOTE BAND 結成への布石
こうした世代を超えてミュージシャンとオープンにセッションする姿勢は、ザ・ハートランド解散後のアルバム『FRUITS』の制作時にも見られたものだが、結果的に音楽活動の軸となったのは佐野と世代の近いザ・ホーボー・キング・バンドのメンバーたちだった。しかし、12月7日に発売された新作EP『星の下 路の上』のレコーディングに参加したのは、小松シゲル、高桑圭、そして深沼元昭。佐野とはひとまわり下の世代のミュージシャンたち。それぞれ90年代以降のアティチュードを象徴するバンドで活躍した気鋭のアーティストである。その彼らと共に録音した3曲は、プリミティヴで野生的な迫力を隠さないロックンロール。デビュー25周年を迎えた佐野が新しいイディオムを掴み取ろうとしていることが明白なサウンドである。路上=ストリートという佐野元春にとっての原点とも言うべきタイトルを冠したEPは、ザ・コヨーテバンドの事実上の出発点であり、次の20年に向けた重要なターニングポイントとなった。一方、同じく12月には、80年代にリリースした『BACK TO THE STREET』から『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』までの初期8作品が、リマスタリングされて再リリースされた。
マスタリングとは録音・ミックスされた音源をアナログ・レコード、CD、カセットテープといったメディアに合わせて適切な形に仕上げる作業。佐野は80年代初頭、『NIAGARA TRIANGLE VOL.2』』を共に手がけた大瀧詠一からその重要性を教えられたという。この再リリースに伴うリマスタリングによってようやくCDというメディアの特性に合った形、満足のいくサウンドを得られたと語っている。なお、この8作を皮切りに佐野の過去作品のリイシューが順次行われているが、その監修のために、評論家や編集者、そして一般のファンを含めた佐野元春アーカイヴ・コミッティーと名付けられた組織が立ち上げられている。

佐野元春 and THE HOBO KING BAND
『TOUR 2006 「星の下 路の上」』
2006年11月22日発売
ファン待望のツアーは、2006年1月から4月にかけて全国13か所のホールで開催された。タイトルは<星の下 路の上>。その名の通り、佐野の最新モードを示すツアーであると同時に、ザ・ホーボー・キング・バンドの活動10周年というアニヴァーサリー・ツアーでもあった。4月2日に東京国際フォーラムで開催された最終公演は2枚組DVD『星の下 路の上』として発表された。これがキャリア初の完全ノーカット・ライヴ映像作品となったのは、パフォーマンスの完成度に対する自信の表れだろう。リリースから20年を迎えた『CAFÉ BOHEMIA』からのナンバーを多く含んだオールタイムのセットリストが、ザ・ホーボー・キング・バンドと佐野がアルバム『THE SUN』に至る4年間の中で血肉化したジャズ・ファンクを基調にしたグルーヴで新たに生まれ変わっている。特に「ワイルド・ハーツ−冒険者たち」や「悲しきレイディオ」で見せた卓越した演奏にシアトリカルな演出を加えたパフォーマンスは、佐野も出演した’25年フジロックフェスティバルのヘッドライナー・Vulfpeckにも通じるものがある。アルバム『THE SUN』を経て到達したピークというべきサウンドに、今こそ目を向けるべきだろう。
そしてこの日のサプライズはアンコールの二曲目にあった。1曲目の「国のための準備」が終わった後に呼び込まれたのは、深沼元昭、高桑圭、そして小松シゲルの3人。ラフな服装の彼らは佐野と共に「星の下 路の上」を演奏した。この時佐野はPAエンジニアに「彼らが出てきたら音量を3デシベル上げてくれ」と頼んでいた。ザ・ホーボー・キング・バンドの鉄壁のグルーヴに比肩するインパクトを残すには音量、パンクロックのアティテュードが必要という判断だったのだろう。突然の展開と爆音に観客があっけに取られる中、後にザ・コヨーテバンドと呼ばれる彼らは颯爽と去っていった。そしてこの直後の’06年6月より、佐野と彼らの新作レコーディングが開始される。
ツアー終了後はライヴ・イベントへの出演が続いた。
8月28日に北沢タウンホールで行われた<レコーディングエンジニア吉野金次の復帰を願う緊急コンサート>に出演。吉野氏は佐野のサード・アルバム『サムデイ』を手がけた日本の名匠。’06年春に脳出血で病に倒れていた。矢野顕子の呼びかけで開催された支援ライヴに細野晴臣、ゆず、大貫妙子、友部正人と共に参加した。この模様は’07年4月に<音楽のちから~吉野金次の復帰を願う緊急コンサート>としてDVD作品としてもリリースされている。なお吉野氏は’08年にエンジニアとして復帰し、矢野顕子の作品などを手がけている。
10月31日には渋谷公会堂で行われた、ザ・ホーボー・キング・バンドのメンバーである佐橋佳幸と小倉博和のギター・ユニット<山弦15周年記念ライヴ>に出演。アコースティック・ヴァージョンの「サムデイ」を演奏した。さらに年末には毎年恒例となったROCKIN’ ON主催の<COUNT DOWN JAPAN 06/07>に加えて、11月4日に日本武道館で行われたオノ・ヨーコ主催のチャリティ・ライヴ<Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ>にCocco、斉藤和義、スキマスイッチ、曽我部恵一、平原綾香、LOVE PSYCHEDELICOらと共に出演。古田たかしがドラムを務めるトリビュート・バンドの演奏で「カム・トゥゲザー」を歌った。
また4月からは日本テレビ系列で放送された音楽バラエティ番組『MusiG』にレギュラー出演。佐野は番組内でタレントの山口智充と共に「佐野ROCK!」というコーナーを担当。視聴者から寄せられた単語をロックか、ロックでないか、あるいはポール(マッカートニー)的か、ジョン(レノン)的かを佐野独特の視点で判定し、生真面目さの中から生まれるセンス・オブ・ユーモアを披露。さらに番組の企画として、山口に加えて俳優の山本耕史と共にThe Whey-hey-hey Brothersというバンドを結成し、翌’07年シングル「じぶんの詩 -A BEAUTIFUL DAY」をリリースしている。山口は佐野について「すべての言葉に意味があり、ちゃんと伝えようとするからこそトークが面白い。字余りな歌詞も言葉を大事にしているから、気持ちよく覚えることができる」とコメディアンならではの視点で佐野の魅力を分析している(2010年『別冊カドカワ 総力特集佐野元春』より)。

佐野元春
『THE SINGLES EPIC YEARS 1980-2004』
2006年7月12日発売

佐野元春
『THE VIDEOS EPIC YEARS 1980-2004』
2006年7月12日発売
’06年にオリジナル・アルバムのリリースはなかったものの、EPIC時代のアーカイヴ作品やリイシューが続いた。7月には’80年から’04年までの全シングルを集めた2枚組CD『THE SINGLES EPIC YEARS 1980-2004』と全ビデオクリップとTV出演シーンなどを収めたDVD『THE VIDEOS EPIC YEARS 1980-2004』が同時にリリース。CD版にはザ・ホーボー・キング・バンドと共にレコーディングした「ガラスのジェネレーション」の新ヴァージョンが収録された。
12月には’86年発表の『CAFÉ BOHEMIA』のリリース20周年を記念した『The Essential Café Bohemia』をリリース。リマスターされたオリジナル音源に加え、「虹を追いかけて」の新録ヴァージョン、当時連続リリースされた7インチ・シングルのカップリング曲、そして12インチ・シングルに収録されたリミックスに、当時リリースされたM’s Factoryのコンピレーション・アルバム『mf VARIOUS ARTISTS Vol.1』 に収録された佐野によるプロデュース作品、そしてカセット・ブック『ELECTRIC GARDEN#2』に収録されたスポークン・ワーズ楽曲を収めた2枚組。東京、ニューヨーク、パリと世界中を駆け回って驚異的な量の創作を行っていた当時の空気をそのままパッケージしたボックスセットとなっている。

佐野元春
『The Essential Café Bohemia』
2006年12月6日発売
佐野の2007年は、1月31日札幌市民会館の閉館に際して開催された「札幌市民会館最後の日」で幕を開けた。HALL AID BANDと名付けられたハウス・バンドは 斎藤有太、有賀啓雄に加え、ザ・ホーボー・キング・バンドのメンバーでもある古田たかし、佐橋佳幸、山本拓夫が名を連ね、佐野をはじめ仲井戸麗市、奥田民生、Chara、山崎まさよし、忌野清志郎も加わった豪華なボーカリストを迎えてホールとの別れを惜しんだ。
4月には佐野元春 MusicUnited.名義でシングル「世界は誰の為に」をiTunes Storeでリリース。ミュージック・ユナイテッドという名義に込めた思いは、インディペンデントな音楽家同士の連帯。佐野の楽曲を、深沼元昭、山口洋(ヒートウェイヴ)、藤井一彦(グルーヴァーズ)の3人と共に歌った。リズム隊は小松シゲルと高桑圭が担い、そこにキーボードとしてDr.kyOnが加わる編成となった。ちなみに4人のボーカリストのパート割について佐野は「研究1割、直感9割」で決めたという。
2007年、ロックの名盤『COYOTE』誕生
そして待望のニューアルバム『COYOTE』は、2007年6月13日にリリースされた。主要なレコーディング・メンバーは深沼元昭、高桑圭、小松シゲルの3人。彼らはそれぞれプレイグスとMellowhead、GREAT3とCurly Giraffe、そしてNONA REEVESというバンドやソロユニットで活動し、すでに独自のサウンドを確立したミュージシャン。もちろん佐野にも、ザ・ホーボー・キング・バンドと共に築いた唯一無二のグルーヴがある。しかし、この4人がスタジオに集まり生み出したサウンドは、そのいずれとも異なるオリジナルなものだった。この点こそが本作において、その後20年以上にわたって続いていく関係性においても重要なポイントだったと言えるだろう。
初回限定盤に収められたドキュメンタリー映像には、名門・音響ハウスで、真剣かつリラックスした表情でサウンドを追求する4人の姿が記録されている。深沼によれば、レコーディングの前半は佐野が用意したデモを基に進められたが、後半は佐野の弾き語りを聴きながらゼロからアレンジを作り上げていったという(2010年『別冊カドカワ 総力特集佐野元春』より)。さらに本作から大井 “スパム” 洋輔が共同プロデューサーとして参加。パーカッションとマニピュレートを中心に佐野の制作を支えた。また、以降すべての作品を手がけることになる渡辺省二郎のミックスも加わり、モダナイズされたロック・サウンドの構築に大きく寄与している。

佐野元春
『COYOTE』
2007年6月13日発売
DaisyMusicとして初めてゼロから作り上げるアルバムにふさわしく、佐野のソングライティングも刷新された。『THE SUN』では、人生の現実に直面し、もがき、希望を見出そうとする人々の営みがリアルに描かれた。一方で本作の主人公は、既存のシステムからドロップアウトした男。煌々と輝く文明を遠目に眺め、孤独だけを友として「荒地」を進む姿がロードムーヴィーのように描かれている。
この「荒地」という舞台設定は、若き日にT.S.エリオットの影響を受けた佐野の詩人としての原点、ビートニクス文化の探究者としての視点、さらにNY同時多発テロによって露わになった文明の荒廃など、複層的な文脈が集約されている。80年代初頭、虚ろに輝く都市の路上に若き詩人の熱を持ち込んだ佐野にとっては原点回帰とも言えるだろう。加えて、メジャー・レーベルという大組織を離れ、苦境の続く音楽業界を独立して歩み出した現在進行形の姿も、このロードムーヴィーにフィクションを超えた説得力をもたらしている。
佐野元春「君が気高い孤独なら」
また、主人公である「コヨーテ」にもリアルとファンタジーが交錯する。北米に生息し、先住民の神話に知恵の象徴として登場するこの肉食動物は、基本的には単独で行動するが、時に群れを成すという。アメリカ文化に深い眼差しを注ぐインディビジュアリストとしての佐野。そして深沼元昭、高桑圭、小松シゲルという、それぞれ独立した表現を確立したミュージシャンたち。「この荒地の何処かで君の声が聞こえている」という一節は、孤独な放浪者として共鳴し合う彼らの魂を映し出していたのかもしれない。
こうした荒涼たる世界観を反映した音楽が、かつてなくストレートなロック・サウンドに結実したのは必然だろう。オルタナティヴ・ロックを通過したルーツ・ロック、カントリー、ソウルが基調としたザラつきのある無骨なサウンド。「世界は誰の為に」のガレージ・パンクとクラシック・ロックが融合した爆発的なアウトロや、「折れた翼」「呼吸」でのコーラス・ワークに、現在の “コヨーテ・サウンド” の萌芽を看て取ることができる。
しかし孤独な旅人にも、時に同伴者が現れる。その瞬間が「君が気高い孤独なら」のブルー・アイド・ソウルのダンスビートであり、誰かと魂を通わせるためのツールを歌った「ラジオ・デイズ」だ。この2曲が放つまばゆい輝きとノスタルジックな安らぎは、真夜中の闇を知る者だからこそ感じられるものだ。
そしてアルバムのクライマックスは、タイトルトラックとも言える「コヨーテ、海へ」である。現実世界において、9.11以降、アメリカ政府は “Show the flag” というスローガンのもと、日本を含む同盟国を巻き込みながら中東での戦争に突入した。この曲で描かれる、世界の残酷さに翻弄され傷つきながらも海を目指す黄昏の兵士がつぶやく「勝利あるのみ、Show Real」というインパクトのあるフックは、人類が繰り返す過ちの根源的な愚かさと哀しみを呼び起こす。そして間もなく訪れるリーマン・ショックによって高度資本主義が崩壊していく未来を踏まえれば、この予見性の鋭さはいっそう際立つ。
佐野元春 & THE COYOTE BAND「コヨーテ、海へ」
この不穏な生命力に満ちたモダン・ロックの世界を完璧に視覚化したのが、松任谷由実やサザンオールスターズ、フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴの作品を彩ってきたアート・ディレクター信藤三雄だ。ジャケットに写るコヨーテ男と佐野が並んで座る写真はスタジオ撮影のように見えるが、実際には冬の千葉の海に剥製を持ち込み撮影されたもの。さらにCDトレーの下には、佐野がコヨーテ男に銃を突きつける衝撃的な写真が隠されている。そこに1993年の傑作『THE CIRCLE』の冒頭曲「欲望」と通じる世界観を感じるのは、決して偶然ではないだろう。
2025年の今、自らが生み出したAIとアルゴリズム、そして独裁政治のプロパガンダに翻弄される私たちにとって、虚飾に背を向け孤独に荒地を往くというコヨーテの生き様は、より重要な示唆を放っている。
アルバムのリリースに伴い、メディアへの出演も数多く行われた。フジテレビ『ぼくらの音楽』NHK『SONGS』では、ザ・コヨーテバンドのメンバーとともに演奏を披露。また、ウェブを使ったプロモーション活動も活発に行われ、特設サイトでは佐野がDJを務めるオーディオ・コンテンツ「RADIO COYOTE」が7回にわたり配信された。さらに「コヨーテの伝言」というコーナーでは、“DJコヨーテ” なるキャラクターがリスナーからの質問に答える趣向も用意された。
アルバム・リリースに伴う活動がひと段落した9月には、詩人あるいはビート研究家としてのキャリアを総括するリリースが続いた。
幻冬舎から刊行された単行本『ビートニクス ―コヨーテ、荒れ地を往く』は、佐野が80年代から90年代にかけて責任編集・発行したマガジン『THIS』に掲載されたビートニクをめぐるルポルタージュ、アレン・ギンズバーグらとの対談やレイ・マンザレクとの対話などを収録した書籍と、ジャック・ケルアックの墓を訪ねた旅を記録したDVDを組み合わせたセットである。
さらに9月12日には、スポークン・ワーズの集大成ともいえるBOXセット『BEATITUDE Collected Poems and Vision 1985-2003』がリリースされた。これは、2000年12月に刊行されたCDブック『SPOKEN WORDS COLLECTED POEMS 1985-2000』の音源に加え、2003年11月15日に鎌倉芸術館で行われたライヴ『in motion 2003 ―増幅』の映像をノーカットで収めたDVDを収録したものだ。いずれもアルバム『コヨーテ』へと繋がる、佐野の精神的な道程を浮かび上がらせる価値あるアーカイヴ作品となった。

佐野元春
ビューティテュード Collected Poems and Vision 1985-2003
2007年9月12日発売
また、母校である立教大学のオファーを受け、佐野が講師を務めるクラス『Spoken Words ―共感伝達としての「言葉」と「音楽」』が開講された。文芸・思想専修課程の学生たちは、クリエイティヴ・ライティングの演習を含む指導を受けた。佐野は週1回の授業にとどまらず、自らクラス専用のウェブサイトを立ち上げ、クラス通信をe-mailで配信するなど、学生たちと積極的に関わった。この活動は、後のNHK ETV番組『佐野元春のザ・ソングライターズ』へと繋がっていく。
さらに12月には、TBSのクリスマス特番『クリスマスの約束』に出演。司会の小田和正から直接オファーを受けて共演し、ふたりで「サムデイ」を歌った。このデュエットについて小田は「『信じる心 いつまでも』とボクなりに張り切って叫んだが、どこにも届かない。『サムデイ』の主人公は間違いなく佐野くんだった」と振り返っている。70年代、80年代のポップ・ミュージックシーンから現れたレジェンド同士の個性が重なり合う貴重な共演となった。

2008年もライヴから活動がスタート。1年8か月ぶりの全国ツアー<Sweet Soul, Blue Beat>は、1月22日に神奈川県伊勢原市民文化会館で初日を迎えた。アルバム『COYOTE』リリース後、初のツアーだったが、リリース・ツアーという位置付けではなく、「再会」をテーマにしたオールタイム・ベストの選曲をザ・ホーボー・キング・バンドとともに披露する内容となった。「再会」というキーワードが用いられたのは、インターネット配信を含めた新しい音楽の聴き方を提示し、地上波テレビ番組へのレギュラー出演などを経てリリースされた最新作『COYOTE』が、佐野の作品に久々に触れる層にも届いた手応えがあったからかもしれない。
ツアーはインターミッションを挟む二部構成で、3時間に及ぶロック・ショーを全国22か所で展開し、3月29日の東京・NHKホールでのファイナルで幕を閉じた。なお、このツアーでの大阪公演が、日本を代表する音楽ホール・大阪フェスティバルホールの建替え前最後のライヴともなった。この場所で佐野は、ジョン・サイモンとガース・ハドソンをゲストに迎えた1998年3月29日の<The Barn Tour ’98>をはじめ、数々の名演を残してきた。大阪公演終了後、ステージ上で観客と記念写真を撮り、思い出の詰まったホールとの別れを惜しんだ。
またツアーの開幕に合わせてDaisyMusicのモバイルサイトがオープン。直後の4月にはYouTubeにオフィシャル・チャンネル「DaisyMusic on YouTube」を開設し、アルバムのプロモーションクリップをはじめ、インタビューやメイキング映像などを公開した。さらに、iPhone/iPod touch向けのサイトもいち早く公開するなど、インディペンデント・レーベルとして機動的な動きを見せた。
2月には、サンボマスター・山口隆の著書『叱り叱られ』(幻冬舎)に、大瀧詠一、かまやつひろし、山下達郎らと並んで山口との対談が掲載された。サンボマスターと佐野は2007年4月に新宿コマ劇場でのライヴで共演。「ヤング・フォーエバー」を共に演奏したという経緯がある。音楽ライター・北沢夏音がファシリテートしたこの対談では、日本語ロックの新星であり若き音楽マニアでもある山口が、佐野の創作やラジオ番組のあり方まで縦横無尽に掘り下げており、読み応えのある内容となった。対談を終えた山口は、佐野を「絶望と虚無の誘惑に負けず、『認めること』とともに『歌うこと』を導き出した人」と表現している。
そして6月4日には、リリースから約20年を迎えた『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 限定編集版』を発表。オリジナル音源を収めたDISC 1、同作のアウトテイクや’91年4月のスタジオ・ライヴ「Goodbye Cruel World」からのアンプラグド・ヴァージョンを収めたDISC 2、さらに’89年8月に行なわれた<横浜スタジアム ’89・夏>の模様を収録したDVDが同梱されたボックスセットとなっている。

佐野元春
『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 限定編集版』
2008年6月4日発売
この中でも、DISC 2に収録された「新しい航海」「シティチャイルド」「愛のシステム」のザ・ハートランドとの録音は “デモ” と銘打たれているものの、リリースを前提に録音されたものであり、オルタナティヴな完成形と呼ぶにふさわしい仕上がりだ。ロンドン録音版と比べると『VISITORS』に通じる未来的な意匠が施されており、80年代の終わりの世界に対する佐野の眼差しが感じられる。東京でこれだけのクオリティの音源を残しながら、ロンドン・レコーディングに踏み切った理由について、佐野は「UKのパブロックのミュージシャンたちとレコーディングをして、UKをライヴサーキットしたいという希望が明確になってきたので、全部お蔵入りにした。非常に贅沢なかたちではあったけれど、創作ということの純粋さを追求していた」と振り返っている。
また、本作のリリースに合わせてJ-WAVEにて音楽評論家・萩原健太との対談も行われた。古くからの友人であり同世代の2人によるトークはポッドキャストとして配信され、本作にとどまらず当時のロック・シーンなど多岐にわたるテーマに関するトークを聴くことができる。
’08年10月には俳優の織田裕二とフジテレビ系音楽番組『僕らの音楽』で共演。高校生の頃にはじめて組んだバンドで佐野元春をコピーしていたエピソードに笑顔で応えながら、一緒に「サムデイ」を演奏した。
’09年1月12日、立教大学文学部100周年記念事業の一環としてオープン講座『ザ・ソングライターズ 音と言葉の創作ノート』が開催された。この講座は、佐野がホストとなり国内の著名なソングライターを招き、インタビューやポエトリー・リーディング、学生との質疑応答を通じてソングライティングの本質に迫るもの。9月までに6回開かれ、小田和正、さだまさし、松本隆、スガシカオ、矢野顕子、降谷建志(Dragon Ash)といった、日本のポップソングの歴史を築き、更新するビッグネームが出演した。
講座の模様は同年7月からETVで『佐野元春のザ・ソングライターズ』として放送され、放送批評懇談会のギャラクシー賞7月度月間賞を受賞。構成・司会を担当した佐野は、「ポップソングのソングライティングは芸能の一部として語られがちだが、文学や演劇と同様に、現代的なパフォーミング・アーツの一環として捉えるべき一級の表現形式。その意義と可能性を番組を通じて探りたい」と語っている。佐野はデビュー以来、ラジオDJ、雑誌編集、ライヴ・イベントの企画など、その知識や経験をリスナーやシーンへ還元する取り組みを継続してきた。学生への講義、アーティストとの対話を通じてソングライティングというものを体系化する今回の試みはその集大成と言えるだろう。また、特に日本のポップミュージック史の偉人が多く出演することで、佐野元春という表現者の立ち位置や特殊性が浮き彫りにされている。入念に準備をしてきた佐野の質問にゲストも真摯に応答し、各回ともスリリングなやり取りが見られた。好評を博した番組はシリーズ化され、2012年まで計4シーズン放送。書籍化もされ、今なお若きクリエイターたちの指針となっている。

ETV『佐野元春のザ・ソングライターズ』 小田和正 Part1&Part2(2009年7月放送より)
『ザ・ソングライターズ』の企画には元NHKディレクターの湊剛も参画しているが、その湊がディレクター、佐野がDJを務めた伝説のラジオ番組『元春レイディオ・ショー』が、’87年の終了から22年ぶりに、3月31日よりレギュラー番組として復活した。これに先立ち、NHK特設サイト「NHK青春ラジカセ」で過去の番組がストリーミング配信され、新番組を記念した大貫妙子との対談番組などもオンエアされた。
また、この年のメディア出演で話題を呼んだのが、4月から5月にかけて放送された日本テレビ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』。「クイズ佐野元春の500のコト」なる企画で優勝したココリコ・田中直樹に、佐野は愛用のエレアコ・ギターTakamine NPT-115をプレゼントした(2022年の【名盤ライブ】佐野元春『SWEET 16』ブックにはサイン入りギター画像が掲載され田中直樹からの感謝のコメントが寄せられている)。
この年のコラボレーション活動としては、3月にエイプリル・フールのメンバーでソウル/ゴスペルシンガー・小坂忠の生誕60周年を記念したアルバム『コネクテッド』に楽曲を提供したことが挙げられる。70年代後半、まだ何者でもない佐野が佐藤奈々子をサポートしつつソロアーティストとしての方向性に悩んでいた時期、音楽の仕事を提供し、家に招いて食事を共にするなど、公私にわたり支えたのが小坂夫妻だった。佐野は「僕がウロウロしている時期に、いつもピシッとさせてくれたのは小坂忠さんと(パートナーの)ペンさんだった」と語っている(下村誠『路上のイノセンス』)。佐野が本作に提供した「ふたりの理由、その後」は、『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』収録の「ふたりの理由」に新たなメロディと言葉を加えた楽曲。ザ・ホーボー・キング・バンドの佐橋佳幸のプロデュースにより、温かみのあるフォーク・カントリーに仕上がっている。後に佐野自身も『自由の岸辺』でセルフ・カヴァーした。

Mellowhead
『Daydream weaver』
2009年4月8日発売
また4月には、深沼元昭のソロプロジェクト Mellowhead のアルバム『Daydream weaver』収録曲「Better Days」にゲスト・ヴォーカルとして参加。疾走感あるダンスチューンで鋭い歌を披露し、深沼とのハーモニーの相性の良さを印象付けている。
そして7月、佐野は全国10公演の<ライヴハウスツアーCOYOTE>を敢行。
会場は新潟LOTS、神戸チキンジョージなど、数千人規模のホールが主だった佐野のライヴとしては異例のキャパシティ。タイトルの通り、’07年のアルバム『COYOTE』をライヴで再現するツアーである。深沼元昭、高桑圭、小松シゲルに加え、キーボードの渡辺シュンスケが参加した。渡辺もまた、堂島孝平やPUFFY、藤原ヒロシなど多くのアーティストをサポートする一方、Schroeder-Headz名義で作品も発表する、自らの表現を持つミュージシャンである。

佐野元春
『MOTOHARU SANO COYOTE 2009.7.26 LIVE at Zepp Tokyo』
2009年12月25日発売
千秋楽となった7月26日のZepp Tokyo公演は『COYOTE 2009.7.26 LIVE at Zepp Tokyo』として映像化され、初めて「THE COYOTE BAND」として4人の名前がクレジットされた。開演直前、ステージ袖でバンドメンバーの肩を叩き、ひとりずつ送り出していく佐野。今に至るまで続くセレモニーだが、ベースの高桑圭はこの瞬間に大きな安心感を覚えるという。佐野のキャリアが新章に突入したことを告げる傑作アルバムの、待望のリリース・ライヴ。オーディエンスも若きバンドを熱狂的に迎え入れる。セットリストは基本的にアルバム『COYOTE』の楽曲のみ。ここまで骨太のロックンロールだけでステージが構成されるのはデビュー直後以来だろう。
しかしこうしたパフォーマンスが当時をはるかに上回る数のオーディエンスに熱く受け止められるところに、最新アルバムの非凡さと、佐野が約30年かけて開拓してきた日本のロック・シーンの成熟、ファンとの信頼関係が感じられる。
このバンドの最も大きな特長のひとつはメンバー全員が歌えること。ライヴになるとよりコーラス・ワークが強調され、楽曲の持つ世界観と共に、バンドとしての一体感が感じられる。ザ・ハートランド、ザ・ホーボー・キング・バンドで貫かれてきた「できるだけ一緒にいられるミュージシャンたちと約束を交わして、その親密さの中から出てくる音楽こそが自分の音楽」というバンドというフォーマットに対する憧憬にも近い哲学が伝わる(ミュージックマガジン’96年8月号)。演奏を若きコヨーテたちに任せ、ハンドマイクで歌に集中する佐野の姿も、このツアーの成果を表しているようである。
佐野元春「君が気高い孤独なら」(2009.7.26 ZEPP TOKYO)
そしてライヴのクライマックスはやはり「コヨーテ、海へ」だ。ウーリッツァーを弾きながら、これまで刻んできた年輪を感じさせる歌声で「そこに空がある限り この世界を信じたい うまくいかなくてもかまわない」と歌う佐野の姿は、色濃い悲哀に微かな希望の光をもたらした。
ツアー終了後、佐野とコヨーテバンドは12月に幕張メッセで開催された<COUNTDOWN JAPAN FES 09/10>と、大阪で開催された<FM802 ROCK FESTIVAL RADIO CRAZY>に佐野元春 & THE COYOTE BANDとして出演。初めての旅は、それぞれに確かな手応えを残して幕を下ろした。
そして12月21日、MWS開設15周年を記念して『MOTOHARU SANO 1990-1999 ORIGINAL ALBUM REMASTERED』がリリースされた。90年代のオリジナル・アルバム6作を前田康二によるデジタル・リマスタリングで蘇らせたボックスセットである。佐野はリリースにあたり、「6枚のスタジオ録音盤を通じて、かけがえのない経験を分かちあえたミュージシャンたち、仲間、友人、そしてファン。同じ時代を過ごせたことを心から感謝したい」と記している。
テロと戦争、経済不況が続く中、レコード・レーベルとの別れ、新しい仲間との出会い、そして2枚の傑作アルバム『THE SUN』『COYOTE』を残し、佐野にとって大きな転換期となったゼロ年代が終わった。
(【Part7】佐野元春ヒストリー~ファクト に続く)
DISCOGRAPHY●佐野元春ディスコグラフィ❻2005-2009

VIDEO
佐野元春 and THE HOBO KING BAND
THE SUN LIVE and RECORDINGS2005年6月22日発売/DaisyMusic
[DVD]POBE-3800~1(2005.6.22)
DISC1:LIVE AT NHK HALL, TOKYO 2005.2.20
●月夜を往け
●最後の1ピース
●恵みの雨
●希望
●地図のない旅
●観覧車の夜
●君の魂 大事な魂
●明日に生きよう
●DIG
●国のための準備
●太陽
●H.K.B.インタビュー(Bonus)
DISC2:ANOTHER CHRONICLE OF THE SUN
●H.K.B.インタビュー
●ミュージック・クリップ
・レイナ
・遠い声
・恋しいわが家
●レコーディング・セッション
・恵みの雨
・遠い声
・最後の1ピース
●ライブ・ダイジェスト
・ROCK & ROLL REVIEW(2001)
・THE MILK JAM TOUR(2003)
●LIVE AT NHK HALL, TOKYO 2005.2.20
・BACK TO THE STREET
・ヤァ! ソウルボーイ
・また明日
・インディビジュアリスト
・悲しきレイディオ~メドレー
・サムデイ
・アンジェリーナ(アンコール)

SINGLE
佐野元春
星の下 路の上2005年12月7日発売/DaisyMusic
[CD]POCE-3801(2005.12.7)
①ヒナギクに照らされて
②裸の瞳
③星の下 路の上

STUDIO ALBUM
佐野元春 and THE HOBO KING BAND
THE SUN STUDIO EDITION2005年12月7日発売/DaisyMusic
[12cmCD]POCE-3802(2005.12.7)
① 最後の1ピース (complete version)
② 恵みの雨 (complete version)
③ 観覧車の夜 (complete version)
④ 光 (final version)
⑤ タンポポを摘んで (unreleased track)
⑥ 光 (instrumental version)

LIVE
佐野元春 and THE HOBO KING BAND
THE SUN LIVE AT NHK HALL 2005.2.202005年12月7日発売/DaisyMusic
[12cmCD]POCE-3803(2005.12.7)
①最後の1ピース
②恵みの雨
③希望
④地図のない旅
⑤観覧車の夜
⑥明日を生きよう
⑦DIG
⑧国のための準備
⑨太陽
⑩デジタルブックレット - The Sun Live At NHK Hall(PDF file)

COMPILATION
佐野元春
THE SINGLES EPIC YEARS 1980-20042006年7月12日発売/Epic Records
[CD]MHCL 836~7(2006.7.12)[Blu-spec CD]MHCL 20036~7(2009.8.19)
DISC ONE
① ガラスのジェネレーション (Original single version)
②アンジェリーナ (Special Extended Club Mix)
③ ナイトライフ (Special Extended Club Mix)
④サムデイ (Original single version)
⑤ダウンタウンボーイ (Single mix version)
⑥彼女はデリケート (Short edited version)
⑦シュガータイ (Short edited version)
⑧ハッピーマン (Original single version)
⑨スターダスト・キッズ (Additional recorded version)
⑩グッドバイからはじめよう (Original single version)
⑪トゥナイト (Short edited version)
⑫コンプリケイション・シェイクダウン (Short edited version)
⑬ヴィジターズ (Short edited version)
⑭ニューエイジ (Short edited version)
⑮ヤングブラッズ (Single mix version)
⑯ストレンジ・デイズ ─奇妙な日々 (Single mix version)
⑰シーズン・イン・ザ・サン ─夏草の誘い (Single mix version)
⑱ワイルド・ハーツ ─冒険者たち (Single mix version)
⑲警告どおり 計画どおり (Original single version)
⑳ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 (Original single version)
DISC TWO
①約束の橋 (Additional recorded version)
②シティ・チャイルド (Original single version)
③雪 ─あぁ世界は美しい (Short edited version)
④ホーム・プラネット ─地球こそ私の家 (Original single version)
⑤ジャスミンガール (Original single version)
⑥ぼくは大人になった (Original single version)
⑦また明日 (Single mix version)
⑧誰かが君のドアを叩いている (Short edited version)
⑨彼女の隣人 (Single mix version)
⑩十代の潜水生活 (Single mix version)
⑪楽しい時 (Original single version)
⑫ヤァ! ソウルボーイ (Original single version)
⑬ヤング・フォーエバー (Original single version)
⑭ドクター (Short edited version)
⑮だいじょうぶ、と彼女は言った (Original single version)
⑯イノセント (Original single version)
⑰君の魂 大事な魂 (Short edited version)
⑱月夜を往け (Single mix version)
BONUS TRACK
⑲ガラスのジェネレーション 2006 (Additional recorded version)

VIDEO
佐野元春
THE VIDEOS EPIC YEARS 1980-2004
2006年7月12日発売/Epic Records
[DVD]MHBL 19(2006.7.12)
MUSIC CLIPS
●ワイルド・ハーツ ─冒険者たち
●ストレンジ・デイズ ─奇妙な日々
●ヤングブラッズ
●コンプリケイション・シェイクダウン
●トゥナイト
●ニューエイジ
●約束の橋
●雪 ─あぁ世界は美しい
●99ブルース
●俺は最低
●ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
●ジャスミンガール
●ボヘミアン・グレイブヤード
●欲望
●ザ・サークル
●レインガール
●インターナショナル・ホーボーキング
●楽しい時
●十代の潜水生活
●経験の唄
●ヤァ!ソウルボーイ
●ヤングフォーエバー
●風の手のひらの上
●ドクター
●だいじょうぶ、と彼女は言った
●イノセント
●君の魂 大事な魂
TV APPEARANCE 1986-2004
●ポップチルドレンー最新マシンを手にした陽気な子供たち
●フリーダム
●君の魂 大事な魂
●国のための準備
●イノセント
●経験の唄
TVCF/OTHERS
●スターダストキッズ(TVCF 15")
●グッドバイから始めよう(TVCF 15")
●スウィート16(TVCF 15")
●NO WAR MESSAGE
BONUS TRACK
●サムデイ(20周年アニバーサリーメモリアル・エディション)

VIDEO
佐野元春 and THE HOBO KING BAND
TOUR 2006 「星の下 路の上」2006年11月22日発売/DaisyMusic
[DVD]POCE-3801(2006.11.22)
DISC ONE
●THE HOBO KING BANDのテーマ'06
●アンジェリーナ
●ぼくは大人になった
●コンプリケイション・シェイクダウン
●ストレンジ・デイズ
●ハートビート
●99ブルース
●インディビジュアリスト
●ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
●ロックンロール・ナイト
●バルセロナの夜
●ドゥ・ホワット・ユー・ライク - 勝手にしなよ
●最後の1ピース
●観覧車の夜
●君の魂 大事な魂
アンコール
●国のための準備
●星の下 路の上(Bass:高桑圭, Gui:深沼元昭, Drums:小松シゲル)
●THE HOBO KING BANDメドレー
●彼女はデリケート

COMPILATION
佐野元春
The Essential Café Bohemia2006年12月6日発売/DaisyMusic
[2CD+DVD]MHCL 971~3/Epic Records
DISC ONE – CD|アルバム『カフェ・ボヘミア』より
①カフェ・ボヘミア (Introduction)
②ワイルド・ハーツ -冒険者たち
③シーズン・イン・ザ・サン -夏草の誘い
④カフェ・ボヘミアのテーマ
⑤ストレンジ・デイズ -奇妙な日々
⑥月と専制君主
⑦ヤングブラッズ
⑧虹を追いかけて
⑨インディビジュアリスト
⑩99ブルース
⑪カフェ・ボヘミア (Interlude)
⑫クリスマス・タイム・イン・ブルー - 聖なる夜に口笛吹いて
⑬カフェ・ボヘミア (Reprise)
Bonus Tracks
⑭アンジェリーナ (Slow Version)
⑮シャドウズ・オブ・ザ・ストリート
⑯ルッキン・フォー・ア・ファイト - ひとりぼっちの反乱
DISC TWO – CD|Bonus Tracks
①虹を追いかけて(2006 middle & mellow groove version)
②月と専制君主(Extended Mix)
③インディビジュアリスト(Extended Mix)
④99ブルー(Extended Mix)
⑤ヤングブラッズ(Special Dance Mix)
⑥クリスマス・タイム・イン・ブルー - 聖なる夜に口笛吹いて(Vocal / Extended Dub Mix)
⑦ヤングブラッズ(Hello Goodbye Version)
⑧インディビジュアリスト(Dub Mix)
⑨クリスマス・タイム・イン・ブルー - 聖なる夜に口笛吹いて(Instrumental / Orchestra Version)
アルバム『mf VARIOUS ARTISTS Vol.1』より
⑩双子のコマドリとゴールデンフィッシュ / ブルー
⑪ブルーベルズの‘サマー’ / ブルーベルズ
⑫自由の岸辺 / ブルーベルズ
⑬サンデーアフタヌーン / ブルーベルズ
カセット・ブック『エレクトリック・ガーデン#2』より
⑭完全な製品
⑮ある9月の朝
⑯…までに
DISC THREE – DVD
●1986年パリにて
●ミュージッククリップ ワイルド・ハーツ - 冒険者たち 〜 ストレンジ・デイズ - 奇妙な日々~『東京マンスリー』(Vol.1 1986.4.14)からのイメージ映像
『東京マンスリー』Vol.6 1986.9.25 ライヴ
●ソーヤング 〜 彼女はデリケート
●ワイルド・ハーツ - 冒険者たち (Featuring ROMY)
●シーズン・イン・ザ・サン - 夏草の誘い (Featuring ROMY) 〜 虹を追いかけて
TVKアーカイヴス『ライブトマト』1987.3
●インタビュー1「ツアーについて」
●カフェ・ボヘミアのテーマ(リハーサル)
●ストレンジ・デイズ - 奇妙な日々
●99ブルース
●インディビジュアリスト
●インタビュー2「バンドについて」
●ヤングブラッズ

DIGITAL
佐野元春
世界は誰の為に2005年4月18日配信/DaisyMusic

DIGITAL
佐野元春
君が気高い孤独なら2005年5月30日配信/DaisyMusic

STUDIO ALBUM
佐野元春
Coyote2007年6月13日発売/DaisyMusic
[CD+DVD]POCE-9381(2007.6.13)[CD]POCE-3804(2007.6.13)
part 1
①星の下 路の上 ─ Boy’s Life
②荒地の何処かで ─ Wasteland
③君が気高い孤独なら ─ Sweet Soul Blue Beat
④折れた翼 ─ Live On
⑤呼吸 ─ On Your Side
⑥ラジオ・デイズ ─ Radio Days
part 2
⑦Us ─ Us
⑧夜空の果てまで ─ Everydays
⑨壊れた振り子 ─ Broken Pendulum
⑩世界は誰の為に ─ Change
⑪コヨーテ、海へ ─ Coyote
⑫黄金色の天使 ─ Golden Angel
Produced by 佐野元春
All Songs written and composed by 佐野元春
Mixed by 渡辺省二郎、伊藤隆文
Mastering by Ted Jensen
Cover photography by 信藤三雄
Musicians
●佐野元春 ●深沼元昭(PLAGUES, Mellowhead)●小松シゲル(NONA REEVES)●高桑圭(GREAT 3)●Dr.kyOn ●西村浩二 ●山本拓夫 ●金原千恵子ストリングス ●片寄明人 ●竹内宏美 ●田中まゆ果 ●Melodie Sexton ●大井洋輔 ●中澤美紀 ●井上鑑

COMPILATION
佐野元春
ビューティテュード Collected Poems and Vision 1985-20032007年9月12日発売/Sony Music Direct
[CD+DVD]MHCL 1158~9(2007.9.12)
DISC 1 - CD
Spoken Words Collected Poems 1985-2000
①再び路上で
②Sleep
③52nd Ave.
④リアルな現実 本気の現実 Part1 & Part2
⑤夜を散らかして
⑥N.Y.C. 1983〜1984
⑦Dovanna
⑧ある9月の朝
⑨完全な製品
⑩...までに
⑪僕は愚かな人類の子供だった ─ 手塚治虫 アストロ・ボーイに捧げて
⑫フルーツ ─ 夏が来るまでには
⑬廃墟の街 (LIVE)
⑭ポップチルドレン ─ 最新マシンを手にした陽気な子供たち (LIVE)
⑮自由は積み重ねられてゆく (LIVE)
DISC 2 - DVD
In motion 2003 - 増幅
Live at Kamakura Performing Arts Center Nov.15-16 2003
●ポップチルドレン ─ 最新マシンを手にした陽気な子供たち
●ああ、どうしてラブソングは
●廃墟の街
●アルケディアの丘で
●ベルネーズソース
●こんな夜には
●日曜日は無情の日
●何もするな
●世界劇場
●何が俺達を狂わせるのか

COMPILATION
佐野元春
ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 限定編集版2008年6月4日発売/Sony Music Direct
[CD+DVD]MHCL 1325~7(2008.6.4)
Disc1 - CD|ORIGINAL TRACKS
①ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
②陽気にいこうぜ
③雨の日のバタフライ
④ボリビア -野性的で冴えてる連中
⑤おれは最低
⑥ブルーの見解
⑦ジュジュ
⑧約束の橋
⑨愛のシステム
⑩雪 -あぁ世界は美しい
⑪新しい航海
⑫シティチャイルド
⑬ふたりの理由
Disc2 – CD|RARE TRACKS
①新しい航海 (The Heartland demo version)
②シティチャイルド (The Heartland demo version)
③愛のシステム (The Heartland demo version)
④愛することってむずかしい (Album outtake)
⑤枚挙に暇がない (Unreleased)
⑥ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 (Studio live mix)
⑦ジュジュ (Studio live mix)
⑧愛のシステム (Studio live mix)
⑨モスキート・インタリュード (Album outtake)
⑩雪 -あぁ世界は美しい (The Heartland demo version)
Disc3 – DVD|『横浜スタジアム’89・夏』
●新しい航海
●ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
●シティチャイルド
●ふたりの理由
●愛することはむずかしい
●ボリビア -野性的で冴えてる連中
●愛のシステム
●俺は最低
●ジュジュ
BONUS TRACKS
●シェイム - 君を汚したのは誰
●ストレンジ・デイズ -奇妙な日々
●月と専制君主
●99ブルース
●ハッピーマン

COMPILATION
佐野元春
MOTOHARU SANO 1990-1999 ORIGINAL ALBUM REMASTERED2009年12月21日発売/Sony Music Direct
[Blu-spec CD]DQCL-1642~7(2009.12.21)
〇『TIME OUT!』 DQCL 1642(1990.11.09)〇『SWEET16』 DQCL 1643(1992.07.22) 〇『THE CIRCLE』 DQCL 1644(1993.11.10)〇『FRUITS』 DQCL 1645(1996.07.01)
〇『THE BARN』 DQCL 1646(1997.12.01)〇『STONES AND EGGS』 DQCL 1647(1999.08.25)

VIDEO
佐野元春
MOTOHARU SANO COYOTE 2009.7.26 LIVE at ZeppTokyo2009年12月25日発売/DaisyMusic
[DVD]DQCL-1642~7(2009.12.21)
●星の下 路の上
●荒地の何処かで
●君が気高い孤独なら
●ヒナギク月に照らされて
●呼吸
●夜空の果てまで
●世界は誰の為に
●コヨーテ、海へ
●黄金色の天使
●ぼくは大人になった
●アンジェリーナ
●上記ディスコグラフィ内の記載品番全てを撮影しているわけではありません。ご了承ください。
INTERVIEWS●佐野元春サウンドを鳴らした仲間たち❻深沼元昭

形態はギターロックだけど和声の積み方はむしろ鍵盤奏者っぽいのかもしれない(深沼)
── 今回はお疲れのところ申し訳ありません。ライヴ後の楽屋までインタビューに押しかけてしまいまして。
深沼元昭 いえいえ、全然だいじょうぶですよ(笑)。
── それにしても佐野元春&ザ・コヨーテバンドの45周年ツアー、本当に絶好調ですね。つい先ほどまで見せていただいていた千葉公演(9月7日)も凄まじい盛り上がりで。演奏も素晴らしくて、感動しました。
深沼元昭 ありがとうございます。千葉のお客さん、たしかに熱かったですよね。
── そして前々から思っていたんですが、深沼さんはステージでギターチェンジをされないでしょう。
深沼元昭 ええ、ザ・コヨーテバンドでは基本してません。
── もはやバンドのトレードマークともいえる黄金色のギブソン「レスポール」1本で、今日も約2時間半のライヴを乗り切っておられた。あれってなにかギタリストとしてのポリシーがあるんですか?
深沼元昭 いや、全然そんなことはなくて、完全にバンド次第なんですよ。例えば(サポートで参加している)LOVE PSYCHEDELICOでは、チューニングの都合もあって、ほぼ曲ごとに違うギターを弾いてますし。佐野さんのバックでも、同様な理由で持ち替えることもある。ただザ・コヨーテバンドの場合は、僕のギターが一貫したカラーを作ってる部分もあるので。何だろう……絵画でいうとキャンバス全体の「地色」に近いイメージですかね。
── よくわかります。一方に深沼さんが弾くレスポールの、スモーキーかつ骨太な音像があって。もうひとりのギタリストである藤田顕さんが、その上に多彩な音色のアルペジオを織り込んでいく。
深沼元昭 そう。あえて役割分担でいうと、どちらかというと僕がベーシックな音色の部分を担当していて。アッキー(藤田顕)は高域のフレージングとか、エフェクティブな部分を担うことが多い。もちろん固定的なものじゃなくて、曲によってポジションが入れ替わることも多々あるんですけどね。とはいえザ・コヨーテバンドがツインギター体制になって以降、この基本形は変わっていない気がします。おそらく佐野さんが頭で描いているギターロックの音像も、これに近いんじゃないかと。
── ギターチェンジしないことによるデメリット、大変さってあったりしますか?
深沼元昭 僕自身はあまり感じないかなぁ。僕の演奏って結局、歌ってる人のギターなんですよ。というのも、もともとがPLAGUESというスリーピースバンドのギター&ヴォーカル出身なので。ライヴではずっと客席を向いたまま、手もとをあまり見ずに弾くことが多かった。だから頻繁にギターを替えると、どうしても感覚が狂いがちなんですよ。やっぱりギターは1本ごとに(抱えた際の)重心も変われば、声との倍音構成も違ってきますので。少なくとも僕は、そこに不安定な要素を入れたくなかった。
── ああ、なるほど。
深沼元昭 スリーピースの場合、ギターチェンジが続くと変な間があいちゃって気まずいですしね。いろんな要因が重なって今のスタイルに至ってるんだと思います。ちなみにPLAGUES時代は、同じレスポール系でもまた違う系統の音だったんですよ。話がどんどんマニアックな方向に逸れちゃってますけど(笑)。
── 今お使いなのは “ゴールドトップ” の愛称で知られる「レスポール・スタンダード」。2ハムバッカー(ふたつのコイルを用いたピックアップ)タイプの定番モデルです。
深沼元昭 ええ、年式でいうと1957年製。もちろんオリジナルは高すぎて買えないので、当時の仕様を忠実に再現した現行モデルです。実はこれ、ザ・コヨーテバンドに参加する前後にたまたま手に入れたんですよ。PLAGUES時代は「レスポール・スペシャル」という、いわゆる50〜60年代当時のスチューデントモデルを愛用してまして。こちらはピックアップもシングルコイルで、もっと軽めでシャープな音がする。なので、PLAGUES名義のライヴでは、今もゴールドトップは使ってません。やっぱり、できるだけ当時に近い質感で演奏したいので。
── 佐野さんとの初コンタクトも、まさにPLAGUESの時代でした。
深沼元昭 そうそう、そうなんですよ。
── 佐野さんが主宰されていた季刊誌『THIS』の1995年秋号。「ロックの新たな地図を開く」という特集で、注目の若手バンドとしてPLAGUESが取り上げられた。他にはGREAT3、EL-MALO、TOKYO No.1 SOUL SETが登場しています。
深沼元昭 (誌面の写真を見ながら)懐かしいな。1995年の秋だから、僕らがメジャーデビューした1年ちょっと後くらいかな。GREAT3は圭くん(高桑圭)がいたバンドですね。インタビュアーは別の方だったと思うんですけど……ちょうどこの前後に、佐野さんご本人が渋谷クラブクアトロまで僕らのライヴを観にこられたんです。そのとき、楽屋でご挨拶させていただいたのが最初ですね。
── 初対面の印象はいかがでしたか?
深沼元昭 やっぱりオーラがある人ですし、最初はすごく緊張しました。ただ実際に会ってお話ししてみると、自分でも不思議なくらいギャップを感じなかった。むしろ、キャリアや知名度はまるで違えどこの人は自分と同じ、ひとりの現役ミュージシャンなんだなと。そう思ったのをはっきり覚えてます。後で知ったんですが、実は佐野さん、その日のライヴを立ってご覧になってるんですよ。もちろんあれだけのスターですから、スタッフはゲストエリアに椅子を用意して待っていました。でもご本人が「ありがとう、僕は他のお客さんと一緒にスタンディングで見ます」と辞退されたらしい。おそらく佐野さんは、それによってPLAGUESというバンドの音楽を、よりダイレクトに感じようとされたんじゃないかなって。あくまで僕の想像ですけど、そんな感じがするんですよね。楽屋でも、ひと回りも下の僕らと同じ目線で接してくれた気がして。
── いい意味でのフラットさを感じた?
深沼元昭 だと思います。一緒にバンドをやるようになって、同じことは今でも感じますよ。もちろん状況によっては、45年のキャリアを持つベテランらしい振る舞いもちゃんとできる。でも一方で、音楽に対してはものすごくピュアなんですよね。要は成熟したオトナの部分と、何にでも直観でチャレンジできちゃう子どもみたいな冒険心。普通は両立しない2つの側面をごく自然に使い分けることができる。あれだけのキャリアがあってそんなことができる人って、たぶん他にはいないですよね。
── 深沼さんは1969年生まれですね。多感だった十代の頃、佐野さんの音楽はよく聴かれてましたか?
深沼元昭 もちろん、ラジオなどで知ってる曲はたくさんありました。ただアルバム通して聴いていたのは、ベスト盤の『NO DAMAGE』だけだったんです。で、最初にお会いした後、佐野さんが全作品を送ってくれたんですよ。そこで初めてちゃんと向き合って、これは想像以上にとんでもないなと(笑)。
── たとえば、どういった部分が?
深沼元昭 楽曲、リリック、アレンジメント。言っちゃえばすべてですね。どのナンバーもそれぞれレベルが高いし、それらをトータルで俯瞰した際の「幅」っていうのかな。とてもひとりのミュージシャンとは思えないくらい、いろんなことを試されてるじゃないですか。だから正直、最初はのめり込みすぎないよう気をつけてました。僕自身、まだメジャーデビューから間もない20代中盤で。これから自分の音楽を確立してかなきゃいけない時期だったので。
── 影響を受けすぎるとヤバいと。
深沼元昭 当時の皮膚感覚としてはそうでしたね。特にリリック面は気をつけようと。

佐野元春
『FRUITS』
1996年7月1日発売
── その翌年、PLAGUESは、アルバム『FRUITS』のレコーディングセッションに参加することになります。佐野さんから声がかかったときは、率直にどう感じましたか?
深沼元昭 「ほんとに俺らで大丈夫?」って思いましたよ(笑)。何しろ、そんな経験まるでなかったので。実際、あのときは心底緊張しました。周囲は知らないスタッフさんばかりだし、場所も当時「日本一高額」と言われた一口坂スタジオだったしね。インディーズ育ちの自分たちには、何から何まで異世界でした。
── PLAGUESが参加した「水上バスに乗って」は、ご機嫌なポップロック。疾走感があって、のびのびしたバンドサウンドが印象的です。曲はどうやって仕上げていったのですか?
深沼元昭 事前に佐野さんからいただいたデモ音源は、かなり具体的に作ってあったんじゃないかなぁ。それを聴きつつ、ギターソロのパートなどは自分でかなり準備して臨みました。スタジオに入ってみると、佐野さんは「オーケー、自由にやってみて」というリラックスした感じで。僕らなりのバンドのタイム感とか、演奏しやすいアンサンブルも尊重してくれた。まずはリハで音を出しつつ、「ここはこうしようか」と細部を詰めていった記憶があります。少なくとも僕らの心境は、「のびのび」とは正反対だった(笑)。
── シンプルに思えて、実はギターの響きも面白いですよね。ところどころ、ちょっと変わったコード進行が使われていたりして。
深沼元昭 そうなんですよ! イントロから分数コードが多用されてたりして。しかもその使い方がすっごく佐野さんらしい。これ、言葉で説明するのはなかなか難しいんですけどね。ストレートなロックだと思って聴いていると、一瞬ヒネリの聴いた和音が挟まったりして。どこか一筋縄じゃいかないプログレッシブな風味が残ったりする。そういう特有の差し込み方、積み方があるんですよ。20年一緒にやってきた今の耳で聴くと、その「らしさ」がよくわかる。ただ当時は「え、ここでそうなるの?」的な驚きがありました。何でしょうね。形態はギターロックだけど、和声の積み方はむしろ鍵盤奏者っぽいのかもしれない。
── ギタリストの佐橋佳幸さんによると、アマチュア時代の佐野さんはピアノの弾き語りでライヴをされていたそうですね。十代で初めて出会ったとき「トム・ウェイツやランディー・ニューマンを思わせる洗練された楽曲に衝撃を受けた」と。前回のインタビューでおっしゃってました。
深沼元昭 それはあると思います。ただ、彼らのスタイルを踏襲するんじゃなく、ギターロックに置き換えたところが佐野さんらしいというか。そこからあのユニークな和声感覚が出てきたのかもしれませんね。

いろんな種類の「ツ」を佐野さんは使い分けていて。その子音の長さとか響きによって、それぞれの言葉に宿すグルーヴ感を変えてるんですよ(深沼)
── そして2005年、今度は深沼さんのソロ・プロジェクト、Mellowheadに佐野さんがゲストヴォーカルで参加されます。アルバム『FRUITS』から9年のインターバルがありますが、これはどういう経緯で?
深沼元昭 2002年ですかね、PLAGUESの活動をいったん休止したんです。で、自分がずっとやってきたスリーピースというフォーマットを一度壊したくなった。そのために立ち上げたプロジェクトが、Mellowheadでした。ただ、バンドをやめて普通にソロアルバムを作ってもリスナーには違いが伝わらないかもしれない。だからメンバーも固定せず、曲ごとにいろんなヴォーカリストをフィーチャーする形にしたんですね。自分がヴォーカルから離れることで、何か新しい扉が開くんじゃないかと思ったんです。まず第一弾はGRAPEVINEの田中(和将)くんにお願いしまして。いろんなコラボを経た後、満を持してオファーしたのが佐野さんだった。シンプルに「どうしても歌ってほしい人」として、僕の方から。
── 2005年3月2日リリースの「エンプディ・ハンズ」ですね。PLAGUESの骨太なギターサウンドから一転、洗練されたアーバンな雰囲気とシンセビートが印象的です。
深沼元昭 スリーピースの制約がなくなった分、コード進行も曲の構成もかなり違います。そしてもうひとつ、「エンプディ・ハンズ」は完全に佐野さんに歌ってもらう前提で書いた曲なんですね。アルバム『FRUITS』以降、僕自身それなりにマニアックな佐野元春リスナーになってましたので(笑)。その研究成果みたいなものを、自分なりに詰め込んでみた。なので、オファーにあたってはかなり緊張しました。ご存知のように佐野さんはデビューから一貫してシンガーソングライターで。誰かの提供した楽曲にヴォーカルだけで参加というパターンは、それまで例がなかったので。
── たしかに。深沼さんとしてはある種、賭けというか、勝負だったと。
深沼元昭 そういう言い方もできますね(笑)。

Mellowhead feat.佐野元春
「エンプティ・ハンズ」
2005年3月2日配信
── 「佐野さんに歌ってもらう前提」のソングライティングとは、具体的にはどういう部分でしょう?
深沼元昭 ヴォーカルの音域もそうですし、あとは歌詞。もっと言うなら言葉の詰め方ですかね。佐野さんの符割り、言葉をビートに乗せる方法ってかなりユニークだと思うんですよ。
── 「1音符=日本語の1音節」という基本形を壊し、ひとつの音に過剰なまでの言葉を詰め込んだということはよく言われます。それによって日本語のロックに革命をもたらしたと。
深沼元昭 もちろん、それも大きい。でもそれだけじゃない、とも思うんですよね。ひとつだけ挙げると、子音の種類の豊かさがある。たとえば「ツ」という音をとってもそう。プレーンな響きの「ツ」、ちょっと濁った「ヅ」に近い「ツ」、つまり気味の「ツッ」、伸びる「ツー」。いろんな種類の「ツ」を佐野さんは使い分けていて。その子音の長さとか響きによって、それぞれの言葉に宿すグルーヴ感を変えてるんですよ。
── へえええ。それもすごい分析ですね。
深沼元昭 加えて、ビートそのものに対する感覚もありますよね。たとえば、一方に「タ・タ・タ・タ・タ」という16分(音符)のリズムがあって。もう一方に「タッタ・タッタ・タッタ」というシャッフル系のリズムがあるとする。おそらく佐野さんのビート感はそのどちらでもない、微妙な中間点にあるんですね。シンプルな16分に聞こえても、拍と拍の間にどのくらい隙間を入れるかを言葉ごとに変えていて。それによって楽曲全体のノリを出している。だから単なる16分で佐野さんの歌にコーラスを付けても、絶対に合いません。まあ佐野さん本人はそこまで意識せず、自然にやっておられる部分も大きいんでしょうが。
── 「エンプディ・ハンズ」ではそこも意識して曲を書かれたわけですね。
深沼元昭 まあ、答え合わせじゃないですけど(笑)。佐野さんをお迎えして、この曲がちゃんと形になれば、僕なりに佐野元春メソッドを学んだ甲斐があったのかなと。実際の制作過程では、まず僕の方からステム音源(楽曲を構成するドラム、ベース、ギターなど各パートを個別にまとめたオーディオファイル)をお送りして。それに合わせて佐野さんが、ご自身のスタジオで歌を録っています。送ってもらったヴォーカル音源を最初に聴いたときは感動しましたね。その分、ミックスして仕上げるプレッシャーも大きかったですけど。
── 興味深いのは、その4か月後の2005年7月16日。Mellowheadのライヴに佐野さんがゲスト出演されてるじゃないですか。
深沼元昭 はい。あれもやっぱり渋谷クラブクアトロで。
── この際のメンバーを見るとベースが高桑圭さん。ドラムが小松シゲルさんなんですね。つまり佐野さんはこの日のライヴにインスピレーションを得て、ザ・コヨーテバンドを構想したんじゃないかと。
深沼元昭 たしかに、あれもひとつきっかけだったかもしれません。その後しばらくして僕が佐野さんに呼ばれ、「新しいバンドのギターを任せたい」と相談されたんです。「深沼くん、メンバーは誰がいいと思う?」って。それで僕の方からも、気心の知れた圭くんと小松くんを推薦して。
── そういう流れだったんですね。
深沼元昭 振り返ってみると、あのとき佐野さんにとって最大の冒険は小松くんだったんじゃないかな。圭くんとはすでに経験があったと思うので。バンドにおけるドラマーは、それこそヴォーカルと直接絡むパートで。佐野さん独自のリズム感覚にアジャストできるかどうか厳しく問われる。しかもザ・ハートランド、ザ・ホーボー・キング・バンドのしーたかさん(古田たかし)は本当に偉大なドラマーですからね。ワンショットのライヴはともかく、新しいドラマーで本当にバンドを続けられるかどうか。大きな賭けだった気がします。
── なるほど。
深沼元昭 ちなみにその後、佐野さんは堂島孝平くんのツアーでも数回、小松くんのドラムで歌ってるんですよね(2005年12月<SKYDRIVERS HIGH TOUR 2005>featuring 佐野元春)。そこでキーボードを弾いていたのが、後にザ・コヨーテバンドに参加するシュンちゃん(渡辺シュンスケ)で。おそらくその2回のライヴ経験もあって、小松くんでやってみようと決められたんじゃないかと。
── 「どこまでも歌に寄り添うドラミング」という意味で、小松さんと古田さんのプレイスタイルにはどこか共通点も感じるのですが。
深沼元昭 うん、それはありますよね。あと、ふたりともすごくプレイが大っきい。手数の多さとかじゃなく、何と言うか、大地みたいな安心感があるんですよ。ザ・コヨーテバンドでもMellowheadでも、小松くんと一緒にステージに立つと、後ろからずっと「大丈夫、大丈夫!」って言ってもらってる気がする。しーたかさんもそうですが、とにかくバンドメンバーに勇気をくれるドラムだと思います。

Mellowhead
『Daydream weaver』
2009年4月8日発売
「Better days feat. Motoharu Sano」ほか収録
ありえないタイミングで引っ張り出された感覚だったので。とんでもない無茶をする人だなと(笑)(深沼)
── そして同年12月17日、3曲入りEP『星の下 路の上』がリリースされます。この時点ではまだ佐野元春の単独クレジットですが、深沼さん・高桑さん・小松さんとのレコーディング音源が初めて世に出たわけですね。ここからザ・コヨーテバンドの歴史がスタートしたと言っていい。
深沼元昭 このときは本当に探り探りって感じでした。佐野さんも、このバンドで何ができるか模索中だった気がする。方向性もヴィジョンもなく、とりあえず、自分ができることをやるしかなかった。しかも表題曲の「星の下 路の上」自体、ああいうストレートな曲調じゃないですか。これがもっと複雑な構成なら、決められたアレンジをこなすので精一杯だったかもしれない。だけど「星の下 路の上」は佐野さんにしてはかなりシンプルな構成なので。その分プレイヤーひとりひとりに委ねられた余白が多い。たとえば、イントロのギターリフのミュート加減ひとつ取ってもね。それだけですごく、センスを問われるというか。
── 佐野さんご本人は、2024年のツアーパンフレット掲載のインタビューで「僕の目には、リラックスしてレコーディングを楽しんでくれてるように映ったよ」と回想されてますね。
深沼元昭 うん、内心緊張はしてたけど、演奏そのものはとても楽しかった。セッションっぽい感じでいろいろ試しながら、形を決めていった記憶があります。現場にはGREAT3の片寄(明人)くんが遊びにきてたりして。たしか佐野さんが、アドバイザー的な感じで呼んだんじゃなかったかな。僕らののびのび演奏できるためのムードメーカーというか、佐野さんの気遣いもあったと思います。

佐野元春
「星の下 路の上」
2005年12月7日発売
── 個人的にも「星の下 路の上」の印象は鮮烈でした。装飾をとことん削ぎ落としたアンサンブルが、とにかくかっこよかったんですよね。佐野元春は荒野のようなこの世界を記述する、新たな文体を手に入れたんだなと。イントロの硬質なギターカッティングから、そう感じたのをよく覚えています。
深沼元昭 あのイントロは、佐野さんとふたりでギターを弾いてるんですよね。シンプルだからこそ、音像の作り方にはかなり工夫が必要だった。それぞれのギターの音色、音を重ねるタイミング、あとは細かいフレージングとかいろいろ相談しました。細かい話ですが、たぶんあのときはまだ「レスポール・スペシャル」を弾いてたんじゃないかな。このレコーディングの直後に、今の “ゴールドトップ” に変わったんだと思う。
── 他の収録曲にはどんな印象がありますか?
深沼元昭 1曲目の「ヒナギク月に照らされて」は、わりとヘヴィーなブルース調の曲で。いわゆるシャッフル系のビートなんですけど、その微妙な加減について、佐野さんがものすごくこだわっておられた。「もうちょっとこういう感じ」「もうちょっとこうかな」って、バンドで何度もリトライしました。佐野さんがいかに、リリックに対するテンポやリズムを大事にされているか、その後、僕らはアルバム『COYOTE』のレコーディングで学んでいくことになるわけですけど。僕にとって「ヒナギク月に照らされて」は、その始まりだった気がします。ちなみに佐野さん、この曲、大好きなんですよね。
── ヒナギク(DAISY)、ご自身のレーベル名にもなってますしね。2曲目「裸の瞳」はいかがでしょう?
深沼元昭 フォーキーで軽やかな印象ですが、この曲は構成がかなり複雑なんです。こと曲の書き方について言うと、僕自身はわりと一般的というか、スクエアな方なんですね。Aメロ、Bメロ、サビという基本フォーマットに則るなら、すべてを4を中心とした偶数小節単位で割り切ってやっていくことが多い。でも佐野さんは、そういう縛りには囚われないんですよ。特にストーリー性の高い曲だと、やっぱり歌詞に沿ってアンサンブルを紡いでいく部分も大きいので。たとえば2回目のAメロだけ2小節多いとかね。そういうケースも普通にある。
── ストーリーテリングと呼応して、少しずつ展開が変わっていくと。
深沼元昭 そうそう。リスナーは意識しないかもしれないけど、演奏する側はまったく気が抜けない(笑)。アルバム『COYOTE』の収録曲だと「US」なんかもまさにそうですね。
── 年が明けて、2006年の4月2日。深沼さん、高桑さん、小松さんの3人は、東京国際フォーラムで初めて佐野さんのライヴに出演しています。ザ・ホーボー・キング・バンドの全国ツアー<星の下 路の上>最終日。アンコールでのサプライズ出演でした。
深沼元昭 あのときもかなり緊張したなぁ。演奏中に転換ですからね! ありえないタイミングで引っ張り出された感覚だったので。とんでもない無茶をする人だなと(笑)。
── 記念すべきこの初ライヴ映像は、今も映像で確認できます(DVD『TOUR2006 「星の下 路の上」』)。
深沼元昭 うーん、見直すのが怖い映像の筆頭ですね(笑)。

佐野元春 and THE HOBO KING BAND
『TOUR 2006 「星の下 路の上」』
2006年11月22日発売
「夜空の果てまで」は『COYOTE』を象徴する曲のひとつだと思っています(深沼)
── そしてその年の秋から、いよいよファースト・アルバム『COYOTE』の制作が始まったと。手もとの資料によるとラストテイクの「コヨーテ、海へ」を録り終えたのが、翌2007年の4月27日。つまりレコーディング期間は約半年に及んだわけですね。
深沼元昭 はい。この半年間が事実上、ザ・コヨーテバンドの最初のレコーディングだったと、個人的には思っています。最初のEPは顔合わせで自由にやらせてもらいましたが、ここからバンドとして本当の一歩を踏み出した気がする。新しいスタイルを生み出すために、曲によっては一度完成したヴァージョンを没にして録り直したこともありますし。演奏だけじゃなく、メンバーがお互いを深く知り、距離を詰めていく時間でもあった。佐野さんはバンドメンバーをものすごく大事にする人です。だからこそザ・ハートランドやザ・ホーボー・キング・バンドの方法論を押し付けるんじゃなくて。新しいバンド独自の関係性を、しっかり時間をかけて築きたかったんじゃないかなと。この時点ではまだ、バンド名は付いてなかったんですけどね。

佐野元春
『COYOTE』
2007年6月13日発売
── アルバム『COYOTE』のレコーディングがそのまま、4人がバンドになっていく過程でもあった。
深沼元昭 まさにそうだと思います。やっぱりレコーディングって、具体的な作業の積み重ねですからね。たぶん佐野さんの中に大きなヴィジョンはあったと思うけれど、だからといって正解に向かって一直線に進んでいくものじゃない。悩みに悩んだ演奏のプレイバックを聴いて「あ、こっちじゃなかったんだ」と気づくことも多々ありますし。逆のパターンもある。特に1枚目の『COYOTE』は、アルバムが完成するまでずっと模索中だった気がします。たとえば「荒地の何処かで」って曲があるでしょう。
── 「現代=荒地」というメインテーマを体現する、フォークロック調のナンバーですね。
深沼元昭 その後、ライヴでもどんどん定番化していったんですけど……そうやって何度も演奏し、お客さんの反応を肌で感じることで、僕たち自身がより深く曲を理解していった。そういう大きな過程の中に位置するアルバムだって印象が、すごく強いんですよね。たまたまパッと思い出したところでいうと、3曲目の「君が気高い孤独なら」もそう。かなり序盤に録った曲ですが、実はあそこで僕が弾いているギターも最初はかなり違ってまして。何だろう……もろR&B寄りのプレイっていうんですかね。
── たしかに1960〜70年代の英国ブルー・アイド・ソウルを思わせるスムーズな曲調が印象的ですが。
深沼元昭 曲自体の空気感はそうなんですけど、要は気取ったプレイだったんですよね(笑)。ギターの音色ももっとクリーンで、当時のブルーアイドソウルっぽい上品さを出そうとしてた。でも佐野さんから「もうちょっとザックリ弾いてみて」って言われて、あの感じになっていきました。そうやってメンバー同士、それぞれバランス感覚を擦り合わせたり、ぶつけ合ったりしていたんだと思う。
── ファーストの時点では、いわゆるデモ音源は佐野さんがかなり作り込んでいたんですか?
深沼元昭 これも曲によりけりですね。デモ段階でかなり構築されているものもあれば、曲想だけあってアレンジはほぼ白紙のパターンもあって。アルバム『COYOTE』は特にその差が大きかった。たとえば転調の多い「ラジオ・デイズ」なんかは、けっこうしっかりしたデモがあった気がしますし。逆にゆったりした「呼吸」とか、あと先ほど話題に出た「US」はほぼ、ぶっつけ本番に近かったと思う。まず佐野さんがアコギを弾きながらざっと曲を説明して。そこに3人が追随してごく自然にアレンジが固まっていく、みたいな。
── 佐野さん自身、「US」セッションの手応えは大きかったみたいですね。前述のインタビューで「すべてが必然を感じさせる現場だった」「この曲をよき録音物にできたことで、僕はザ・コヨーテバンドを組んだ意味を心の底から実感できた」と述べています。深沼さんご自身、強く心に残っている曲を挙げるとすると?
深沼元昭 そうだなあ……必然性ってことでいうと、たとえば「夜空の果てまで」はそれを強く感じました。これもレコーディング序盤で録った曲ですが、メンバー全員のコーラスが入ってんですよ。圭くん、小松くん、僕が3声のパートを受け持っていて。それがトラッドロックっぽいミディアムテンポとばっちりハマっている。後のライヴでも頻繁に演奏してますし、僕の中ではファースト・アルバム『COYOTE』とその後の初期コヨーテバンドのライヴを象徴する曲のひとつです。あとはやっぱり、最後に録った「コヨーテ、海へ」ですかね。もう大好きな曲で。
── 最後から2曲目に収められた、アルバム全体のクライマックスですね。ちなみに約7分半という尺は現状、ザ・コヨーテバンドの全アルバムを通じて最長です。
深沼元昭 これこそさっきお話した「歌詞に沿って演奏が展開していく」ソングライティングの典型で。フォーマットから自由な分だけ、あらかじめ楽譜に起こせない。いわゆるオケを先に録って、後から歌を乗せましたという世界とはまったく違います。なので、簡単なコード進行程度は事前に共有してましたが、基本的には譜面よりリリックを頼りにして。佐野さんの歌を聴きながら、スタジオで一気に録りました。
佐野元春 & THE COYOTE BAND「コヨーテ、海へ」
── 同録なんですね。楽曲に流れる感情とバンド演奏が見事にシンクロしているのが伝わってきます。
深沼元昭 うん。紡がれていく物語にどこまでも寄り添っていく感覚。ある種シアトリカルというか、どこか映画やドラマの劇伴に近いイメージかもしれませんね。この曲をきっちり仕上げられたことで、バンドとして確実な手ごたえが得られた。ただ、この時点ではまだツアーに出てませんから。ライヴも含め、本当の意味でバンドになれたと感じられたのはもっとずっと後の話です。そこに至るまでいろいろ、山あり谷ありの時期があった。というのも、やっぱりザ・ホーボー・キング・バンドと比べられるわけじゃないですか。
── たしかに。日本を代表する手練れたちが集まった凄腕バンドですもんね。
深沼元昭 しかも僕の場合、言っちゃえば佐橋(佳幸)さんの後を継ぐわけですから(笑)。もう間違いなく、音楽シーンのトップギタリストのひとりなので。
── プレッシャーありました?
深沼元昭 そりゃありましたよ(笑)。とはいえ、どう頑張っても同じことはできないので。だったら思い切り開き直って自分の色を思い切り出そうと。わりあいすぐ、そっちの発想に切り替わりましたけど。
── 実際、2007年6月に『COYOTE』がリリースされた後、セカンド・アルバム『ZOOEY』発表まで6年近いインターバルが開いています。その間、2009年から12年にかけてバンドは4度のツアーを体験した。佐野さん本人の表現を借りると「コヨーテ武者修行時代」ですね。
深沼元昭 最初の頃は、佐野さん的にはかなりキャパ小さめのライヴハウスを細かく回りました。この頃はけっこう大変でしたね。そもそも、オリジナルのレパートリーがまだアルバム1枚分しかないじゃないですか。だから少ないバンド編成で、佐野さんのクラシックも演奏しなきゃステージがもたない。そうすると佐野さんにギターを弾いてもらっても、やっぱ音が足りないんですよね。そうとうアレンジを工夫しないと、音がスカスカに聴こえちゃう。
── なるほど。
深沼元昭 ただまあ、楽器が足りないなりにやりくりして演奏してたのは、今から思うといい経験でした。楽器が足りないなら足りないなりに、その場でできることを全力でやると。そういう動じなさみたいなものは、がっつり学んだ気がします。

「ここだけは他のバンドに絶対負けない」と思ってる部分が僕の中でふたつある(深沼)
── 2011年12月には藤田顕さんが加入して、現行のツインギター体制が確立します。このときも深沼さんが佐野さんから相談を受け、アッキーさんを推薦したそうですね。決め手は何だったのですか?
深沼元昭 これはもう、自分とのマッチングですね。言葉にすると単純だけど、それに尽きると思います。バンドのギタリストって、いくら上手な人を組み合わせてもそれだけじゃダメなんですよ。そもそもチューニングも曖昧で、ものすごくプレイヤーの個性が出る楽器なので。ギタリスト同士の相性がめちゃめちゃ重要になる。その点アッキーとなら、いろんな現場でお互いの持ち味を知り尽くしてるし。技術や音色はもちろん、一緒にやっていく仲間として人柄的にも申し分ない。それで自信を持って名前を出しました。
── 深沼さんから見て、具体的にどういうところがやりやすいんでしょう?
深沼元昭 もちろんプレイヤーとして優れた点、好きなところはたくさんありますが……僕にとっていちばん重要だったのは、「せーの」で一緒に音を出したときのピッチ感、タイム感なんですよ。ちょっと言葉でいうのが難しい部分で、申し訳ないんですけど。
── それってテクニック的な役割分担より、もっと身体的・感覚的なものなんですか?
深沼元昭 あ、そうだと思います。さっき「深沼のギターが地色を塗り、アッキーのギターがそこに華やかな装飾を施す」的なことを言ったじゃないですか。もちろんそれはそうなんだけど、極端な話、僕がアッキーの役割りを担うこともできるし。アッキーも僕と同じようなプレイはできるんですね。プロですから「明日からポジション逆にして」と言われても、やってやれない話じゃない。でも……。
── ピッチ感やリズム感だけは、どうしようもない。
深沼元昭 そう、肌が合わない人とはいくらやってもダメなんですよ。バンドとしてはそっちの方がはるかに重要。もっと言うとアッキーは、相手のピッチ感やタイム感を瞬時に感じとってアンサンブルを作る能力に、ものすごく長けている。たぶんいろんな現場で「君とはやりやすい」って言われてると思います(笑)。
── 最後にもうひとつ。ザ・コヨーテバンドを20年間やってきて、バンドとしてどの部分がもっとも進化/深化したと感じますか?
深沼元昭 うーん……アンサンブルの熟成みたいなこともあるけど……やっぱり気持ちの部分ですかね。僕らはつねに佐野さんがやりたいこと、目指しているヴィジョンがどういうものなのかを考えてますし。佐野さんは佐野さんで、バンドのメンバーの力を120パーセント引き出すことを考えてくれている。その意思疎通の速度がどんどん上がり、言葉を交わさなくても理解し合えるようになってきた。そういう実感はありますね。あとは佐野さんが安心して歌える──背中を預けられるバンドになれたこと。
── 本当にそうですね。今日のライヴでもそれは強く感じました。
深沼元昭 もちろんまだ路の途中ではあるし、もっと上を目指したいとは思ってますけど。今となっては僕の人生でいちばん長く時間をすごしてきたバンドなので。仲間としての一体感、信頼感はこのうえなく強いです。ことあるごとに言うんですけど、ザ・コヨーテバンドについて「ここだけは他のバンドに絶対負けない」と思ってる部分が、僕の中でふたつありまして。
── おお、一体どこでしょう?
深沼元昭 佐野さんへの愛と、メンタルの強さです。メンバー全員、佐野さんのことがとにかく大好きで。しかも、何があっても本当に動じない。細かいことはごちゃごちゃ考えず、とにかく今やれることを全力でやるという。ちょっと動物的な強さすら備えた人材が揃ってるんですよね。それに対する圧倒的なリスペクトがベースにある。だからやってて楽しいし、スタジオでもステージでも、佐野さんに向けて思いきりクリエイティブなボールを投げられるんじゃないかなと。
(了)

深沼元昭(ふかぬま・もとあき)
●1969年福島県出身。●ボーカル&ギターを担当し、全詩曲を手掛ける3ピース・バンド、PLAGUES(プレイグス)を結成、1993年にインディーズで発売したCDが話題となり、各社争奪戦の末、1994年にイーストウエスト・ジャパン(現ワーナーミュージック)よりメジャーデビュー。新世代ロックの旗手として、主に音楽専門誌や外資系レコード店の高い評価と音楽ファンの強い支持を得て、9枚のオリジナル・アルバムをリリースするも、2002年3月、活動 “休暇” を宣言する。
●時を経ずしてソロ・プロジェクト、Mellowhead(メロウヘッド)をスタート、2015年までに5枚のアルバムをリリース。楽曲によって田中和将(GRAPEVINE)、佐野元春、及川光博、片寄明人(Great 3)、堀込泰行(ex.キリンジ)、キタキマユといった多彩なボーカリストをフィーチャリングする等、ソロ・プロジェクトの新しいあり方を提示している。
●2007年には近藤智洋(ex.PEALOUT)・Hisayo(tokyo pinsalocks/a flood of circle)・YANA(ZEPPET STORE)というメンバーによるバンド、Gheee(ギー)を結成。これまでに5枚のアルバムと、代官山UNITでのワンマンライブを収めたDVDをリリースし、他のプロジェクトと並行して精力的に活動している(2020年12月をもって解散)。
●2010年からはファン待望のプレイグスも再始動。以後、全曲リテイクによるベスト・アルバム2枚、ライブDVD2枚、オリジナル・アルバム3枚もリリース。2013年に2度に渡って行われたデビュー20周年記念ツアーも大盛況にて終える等、毎年のように全国ツアーも敢行し、その健在ぶりをアピールしている。
●2021年、LOVE PSYCHEDELICO のボーカル KUMI、深沼元昭(PLAGUES / Mellowhead)、 林幸治(TRICERATOPS)、岩中英明の 4人による新たなバンド、Uniollaを結成し、1stアルバム『Uniolla』をスピードスターレコーズよりリリース。2023年7月には2ndアルバム『Love me tender』もリリース。
●アーティスト活動とは別に作家/プロデューサー/エンジニアとしても多忙。ベスト5にチャートインした深田恭子「イージーライダー」の作曲・プロデュースをはじめ、これまでに浅井健一、及川光博、chay、戸渡陽太、サムシング・エルス、Chocolat、河口恭吾、森重樹一、RAG FAIR、Lead他多数を手掛ける。また、ギタリストとしても様々なレコーディングやツアー(佐野元春、浅井健一、LOVE PSYCHEDELICO、chay他)に参加する等、幅広い活動を続けている。
Website : http://www.lavaflowrecords.com/fukanuma/
https://x.com/fknmmtak
https://www.instagram.com/fukanuma_motoaki/
▲ウェブマガジンotonano別冊『Motoharu Sano 45』記事内のEPICソニー期の作品表記は2021年6月16日発売された『MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』ブックレットに基づいています。


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【Part7】2010-2014|Motoharu Sano 45
2025.10.31
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【Part5】2000-2004|Motoharu Sano 45
2025.8.22












