2025年9月号|特集 昭和歌謡の歌姫
【Part1】阪田マリンが語る「私が好きな昭和歌謡の歌姫」A-side
インタビュー
2025.9.1

阪田マリンは2000年12月22日生まれ、大阪府出身。「ネオ昭和アーティスト」として、SNS等を通じ、昭和の魅力を発信するインフルエンサー兼アーティストとして活躍中の24歳だ。2023年からは、阪田マリンを中心とした “ネオ昭和歌謡プロジェクト”「ザ・ブラックキャンディーズ」として、歌手活動も積極的に行っている。今回、特集のために昭和をこよなく愛する彼女に、「私が好きな昭和歌謡の歌姫」というテーマで楽曲を選んでいただき、彼女の視点から曲に対する思い出やエピソードを語っていただいた。2000年生まれの彼女がどのようなきっかけで昭和歌謡を知り、どのようなことを感じるのか。昭和歌謡に対する思いをじっくりと語ってもらった。
好きなものを隠している自分が “しゃばい” と思って、昭和好きを公言することにしたんです。
── 今回は「私が好きな昭和歌謡の歌姫」というテーマで、いろいろなお話を聞かせていただきたいのですが、最初にマリンさんのルーツを教えていただきたいと思います。まずは、昭和歌謡にはまったきっかけは何でしょうか。
阪田マリン 中学2年生の時におばあちゃんの家に遊びに行ったら、おばあちゃんが断捨離をしていたんです。その時にレコードプレーヤーが置いてあって、おばあちゃんに「これはどうやって使うの?」と聞いたら、「これは針を落としたら音楽が流れるからやってみて」と言われたんです。当時、私はバリバリのCD世代で、CDプレイヤーかウォークマンで音楽を聴いていたので、その時に初めてレコードの存在を知りました。お父さんが昔聴いていたチェッカーズのレコードがあるので、それを聴いていいよと言われて初めてレコードに針を落としたら、針を落とした瞬間にプチプチという間があって音楽が始まったんです。そのアナログな音にすごい感銘を受けて……。針1本で音楽が流れるということにとても感動しました。なので、まずは音楽から “昭和” に入っていった感じですね。
── レコードをリアルタイムで知っている世代としては、そういうエピソードがとても新鮮に感じます。マリンさんのご両親はレコード世代ですよね。
阪田マリン お父さんはチェッカーズのコピーバンドをやっていたので、チェッカーズのレコードがたくさん残っていたみたいです。私が最初に針を落としたレコードは「Song for U.S.A.」(’86年)でした。私のお母さんはレベッカが好きだったみたいで、プリプリ(プリンセス プリンセス)あたりのガールズバンドも好きだったようです。

── マリンさんが “昭和” にハマる前は、普通に音楽を楽しむ女の子だったんですか?
阪田マリン そうですね。レコードに出会うまでは嵐さんや、清水翔太さんなどを聴いている、普通の女の子だったと思います(笑)。最初にレコードを聴いた時に、「めちゃくちゃチェッカーズってカッコいいやん」と言ったら、お父さんがすごく喜んでくれて、大阪の日本橋というところに連れて行ってくれたんです。
── あの界隈はレコード屋さんたくさんありますよね。僕もレコードを買いに行ったことがあります。
阪田マリン でも私はチェッカーズしか知らないわけですよ。何を買っていいかわからないから、お父さんが「ジャケットを見て自分が可愛いと思ったレコードを買ってみれば」と提案してくれたんです。その時に買ったレコードは今でも憶えているんですけど、小泉今日子さんのシングル「真っ赤な女の子」(’83年)、キャンディーズ「春一番」(’76年)、そして、矢沢永吉さんのLP『ゴールドラッシュ』(’78年)、松田聖子さんの『ユートピア』(’83年)を選びました。今振り返ってみると、我ながらいいチョイスをしているなと思って(笑)。
── お父さんもマリンさんに選択肢を与えるところが素晴らしいですよね、普通は自分の趣味を子供に押し付けるものだと思うんですけど(笑)。
阪田マリン その日に、お父さんからレコードというものを教えてもらって、そこからだんだん昭和の音楽にハマっていくようになりました。
── レコードというものを知ったのが思春期の多感な時期だったし、当然周りには理解者はいないわけですよね。
阪田マリン 友達には隠していましたね。中学の頃って集団意識のようなものがあって、周りと違うものを好きになると浮いてしまうじゃないですか。カラオケに行っても、昭和の歌は知っていても頑なに隠していましたから(笑)。

── 音楽がきっかけで昭和を知ったマリンさんですが、そのあと何がきっかけで昭和カルチャーにのめり込んでいくんでしょうか。
阪田マリン 『ビー・バップ・ハイスクール』と『湘南爆走族』を見てツッパリって恰好いいと思ったことがきっかけです。当時、中学3年生だったんですけど、ビーバップは実写版を見て、湘爆は漫画を読みました。ビーバップの(三原山)順子さんが恰好良くて憧れました。作品に共通しているのは、「俺は俺だぜ!」という自分を貫いている部分なんです。それを見た時に「私ってしゃばいな」と思ったんです(笑)。好きなものを隠している自分がまさに “しゃばい” と思って、高校に入るタイミングで昭和好きを公言することにしたんです。
── つまりマリンさんは高校デビューというわけですね。音楽の次にどんな入り方をしていったんですか。
阪田マリン 最初はスカートを改造して丈を長くしたんです。当時のスカートはひざ丈くらいが標準だったんです。短いのはダメと言われていたので、長ければOKだろうと思いまして。スカートを改造して引きずるくらいまで長くして、裏地に “夜露死苦(よろしく)” ってアップリケで入れたんです(笑)。赤いテープは、昭和のヤンキー的に “喧嘩上等” という意味だったんで、赤いテープを巻いてみたり。あとは “湘爆” とか “矢沢命” というステッカーをカバンに貼っていました。
── 最初に自分で選んだLPが永ちゃんの『ゴールドラッシュ』でしたもんね。
阪田マリン でも、せっかくスカートを長くして学校に行ったのに、生活指導の先生に見つかってスカートを切られてしまいました。校則で短いのは駄目と書いてあるけど、長いのは駄目だと書いてないじゃないかと言ったんですが、却下されました。結局、個人的な撮影用で終わってしまって、長いスカートはたった一日の命でした(笑)。そんなことをしているうちに、高校では周りから「あの人は昭和好きなんだな」という風に思われるようになりました。というより、無理やり認めさせた感じですかね(笑)。
── 当然、高校のクラスメイトはツッパリなんていう文化は知らないわけですよね。
阪田マリン 普通のクラスメイトはタピオカ飲んで、プリクラ撮って、ユニバ(ユニバーサルスタジオ)に行ったりとかですかね。もちろん私はそういう活動をいっさいせず(笑)、放課後は新世界へ行ってスマートボールしたり、喫茶店に通ったりするようになるんです。
(【Part2】に続く)

阪田マリン (さかた・まりん)
●2000年12月22日生まれ。24歳。昭和カルチャーが大好きで“ネオ昭和”と自ら命名し、ファッションやカルチャーを発信するZ世代のアーティスト兼インフルエンサー。数々のメディアや企業からの出演オファーが殺到中!SNSでの総フォロワー数は約33万人。昭和歌謡と令和ポップを融合させた“ネオ昭和歌謡プロジェクト”「ザ・ブラックキャンディーズ」としても活動中。2ndシングル「青いたそがれの御堂筋」を昭和99年9月9日にリリース。全編フィルムカメラで撮影したファースト写真集「今って昭和99年ですよね?」が好評発売中。
@marin__neo80s
@marin_syowasuki
https://theblackcandieeez.jp/

-
【Part2】阪田マリンが語る「私が好きな昭和歌謡の歌姫」A-side
インタビュー
2025.9.10