
- HISTORY 佐野元春ヒストリー~ファクト❺2000-2004
- DISCOGRAPHY 佐野元春ディスコグラフィ❺2000-2004
- INTERVIEWS 佐野元春サウンドを鳴らした仲間たち❺佐橋佳幸
HISTORY●佐野元春ヒストリー~ファクト❺2000-2004

20年のキャリアを総括するコンピレーションを次々とリリース
2000年3月、アメリカのNASDAQ株価が暴落し、いわゆるドットコム・バブルが崩壊。Windows 95の登場以降、過剰に膨らんだインターネット革命への期待は一気に冷え込んだ。その一方で、音声圧縮技術MP3が完成。1999年に登場した個人間のファイル交換サービス「ナップスター」によってCDから抽出された楽曲データがやり取りされるようになり、レコード会社やアーティストの利益が奪われる構図が生まれた。ユートピアのように思われたインターネット社会の影が、音楽産業を覆った。レンタルCD文化が根強い日本では欧米とは事情が異なるものの、CD売上は1998年をピークに減少に転じた。長引く不況の影響に加え、パソコンの普及とともに進んだCDコピーの影響も無視できなかった。20世紀の終わり、21世紀の入口。日本の音楽産業は大きな岐路に立たされていた。そんなミレニアム・イヤーに佐野元春はデビュー20周年を迎え、これまでのキャリアを総括する作品のリリースが相次いだ。1月には未発表音源やリミキシング&リマスタリングを含む全32曲を収録したコンピレーション・アルバム『The 20th Anniversary Edition』を発表。デビュー曲から最新作「イノセント」まで、まさにオールタイム・ベストとも呼べる選曲で構成されている。この作品の選曲における基準は、佐野自身が編曲・プロデュース・監修した楽曲に限ること。唯一の例外が大村雅朗と共に編曲した「アンジェリーナ」。記念すべきデビュー曲であり、’97年に逝去した大村への追悼という意味もあったのかもしれない。80年代の楽曲はすべてエンジニアの渡辺省二郎によってリミックスされ、00年代にふさわしい音像へとアップデートされた。リズムの鮮明さが印象的で、スタンディングライヴが一般化した90年代の音楽シーンの空気を感じさせる。また「インディビジュアリスト」と「君をさがしている」はザ・ホーボー・キング・バンドと共に再録音された。

佐野元春
『THE 20TH ANNIVERSARY EDITION
1980-1999 HIS WORDS AND MUSIC』
2000年1月21日発売
ロックンロール、R&B、ヒップホップ、ジャズへと幅を広げた音楽性。東京からNY、ロンドン、ウッドストックへと変化を求めたレコーディング環境。これらをひとつのコンピレーション作品としてまとめあげるのは容易ではないが、全体を貫くシンガーソングライターとしての強固なコアが統一性をもたらした。90年代後半、若手アーティストと共に開催したライヴ・イベント<THIS!>などを通じて佐野の存在を知った新しい世代にとっても、本作は最高の入門盤ともなった。
11月には、第2弾のコンピレーション・アルバム『GRASS The 20th Anniversary Edition’s 2nd』がリリースされた。どこかサイケデリックな印象を与えるタイトルが示す通り、本作は佐野元春のオルタナティブな側面にフォーカスした “裏ベスト” とも言える内容だ。ザ・ハートランドと未発表曲「ディズニーピープル」では、ニューウェーブ/パンク調のソリッドなビートとシニカルな歌詞が、佐野の多面性を象徴している。

佐野元春
『GRASS The 20th Anniversary Edition’s 2nd』
2000年11月22日発売
全13曲のうち多くが90年代の作品から選ばれ、新たにミックスが施された。その中で前年リリースされた『STONES AND EGGS』からの「石と卵」はBonnie Pinkをゲストに迎えて再録音。ピーター・ガブリエルとケイト・ブッシュの「Don’t Give Up」にインスパイアされたという優雅なデュエットは、まさに “完成版” と呼ぶにふさわしい。ちなみにトーレ・ヨハンソンのプロデュース作品でブレイク後、単身ニューヨークへ渡ったBonnie Pinkのキャリアには、若き日の佐野の姿と重なる部分もある。
また同年9月には、佐野のオルタナティブ・サイドの総括として、同年9月にアナログ2枚組で80年代からのダンス・ミックス作品をコンパイルした『Club Mix Collection 1984-1999』をリリース。本作に収録された’84年発表のジョン・ポトカーによる「コンプリケーション・シェイクダウン(Special Extended Club Mix)」はアメリカ、イギリスをはじめ海外でもリリースされた一曲。また’99年リリースの「No Supprise at all 驚くに値しない」のリミックスは日本のアーティストでありながらイギリス名門レーベルON-Uからアルバムをリリースしていた気鋭のダブバンド、オーディオ・アクティブが担当。アンダーグラウンドな音楽シーンにまで目を配っていたことが伺える。

佐野元春
『Club Mix Collection 1984-1999』
2000年9月20日発売
そして佐野のキャリアにおいて欠かせないのが “詩人” としての側面だ。12月にはスポークン・ワーズ作品を集めたCD BOOK『SPOKEN WORDS COLLECTED POEMS 1985–2000』が、彼のポエトリー・リーディング作品を発表するために設立されたレーベル、GO4からリリースされた。’85年発表のカセットブック『エレクトリック・ガーデン』のリミックス、続編『エレクトリック・ガーデン#2』の楽曲、さらに’94年12月に開催されたイベント<Beat-titude>のライヴ録音などが収録されている。2000年代以降、佐野のスポークン・ワーズを軸とした活動はますます活発化していくことになる。

佐野元春
『SPOKEN WORDS COLLECTED POEMS 1985-2000』
2000年12月18日発売
とどまることのないライヴ活動とメディア露出
デビュー20周年のアニヴァーサリーにあたり、メディアへの露出も活発に行われた。1月には、フジテレビ系の音楽番組『ミュージック・フェア』に出演し、エルヴィス・コステロと共演。年齢も近く、メガネをかけたロック・ミュージシャンというバディ・ホリーの系譜にあるふたり。佐野は’89年のアルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』で、コステロの作品も手がけたコリン・フェアリーを共同プロデューサーに迎え、彼と縁の深いミュージシャンたちとともにレコーディングを行っており、コステロ本人とも面識があった。
しかし放送された映像からは、ふたりの間にはなんとも言えない緊張感が漂っていた。この日、佐野はザ・ホーボー・キング・バンドのメンバーとともに「愛のシステム」「ヤング・フォーエバー」「彼女」を演奏したが、そのリハーサルを観たコステロは、急遽予定になかったエレキギターやストリングスを加えるよう注文をしたという。予定調和を拒み、互いに刺激を与え合うアーティスト同士の邂逅と言えるだろう。
さらに、日本テレビ系音楽番組『FUN』にも出演。ザ・ホーボー・キング・バンドとともに「インディビジュアリスト」「コンプリケーション・シェイクダウン」「イノセント」を披露。年末にはテレビ朝日系の特別番組『稲森いずみのアメリカ大陸横断―マジカルジャーニー』にゲスト出演し、かつて暮らしたニューヨークを再訪。また、NHK-FMでは特別番組『佐野元春オン・ザ・ロード2000』が放送され、かつての伝説的なDJ番組『元春レイディオ・ショー』が再現された。

2000年1月からスタートした<The 20th Anniversary Tour>
20周年アニバーサリー・ツアーは、’00年1月29日の宮城県民会館を皮切りに、3月11日の日本武道館まで全国8都市を巡った。バンドメンバーはザ・ホーボー・キング・バンドに加え、ニューオリンズ・スタイルのブラスバンド、Black Bottom Brass Bandも参加。まだ20代の若手である彼らを抜擢した理由について佐野は「彼らは僕がビギナーだった頃のことを思い出させてくれる。それは僕にとってとてもいいこと。ロックンロールとは人生に対しての初心者の音楽だから」と語っている(*1)。
その言葉通り、2部構成のセットリストは毎回曲が入れ替えられ、時にはステージ上で予定にない曲が突然演奏されることもあった。自らの表現を常に新鮮であり続けさせるということが、20年にわたって最前線を走り続けるために必要なことなのだろう。ツアーのファイナルは、3月11日の日本武道館公演で迎えたが、その打ち上げの席で佐野は「もう気持ちは次のアルバムに向いています」と語り、すでにその視線は未来を見据えていた。
2001年1月、新作レコーディングが開始。このセッションから小田原豊に代わってザ・ハートランドの古田たかしがドラムに復帰し、サックス奏者・山本拓夫が新たに加わった。このレコーディングの模様は「地図のない旅」と題された特設ウェブサイトで、吉原聖洋氏によって随時レポートされた。このブログの先駆けとも言える記事の中では、古田が譜面の使用やレコーディングのスピードに驚いた様子や、佐野が突然蝶ネクタイ姿で現れるといった場面も記録されており、録音が順調に進んでいることが伝わってくる。実際、バンドメンバーの井上富雄やDr.kyOnも後に「2、3か月で完成しそうな勢いだった」と振り返っている。
しかし、2001年9月を最後にレコーディングは中断された。吉原氏はその理由について「最大の障害のひとつは、レコード会社とのリレーションシップの問題ではないか」と記し、佐野とEPICソニーとの間に何らかのコミュニケーション不全があったことを示唆した。佐野は後のインタビューで、レコード会社の制作予算が尽きたため、自身でライヴ活動を通じて資金を調達せざるを得なかったことを明かしている。CD売上の急減は、佐野のようなキャリアのアーティストの活動にすら影響を与えるようになっていた。当初’01年初夏のリリースが予定されていたニュー・アルバムは完成に至らず、全国規模のツアーも行われなかった。21世紀の幕開けは佐野にとって厳しいものとなった。
そして、9月11日。世界の歴史を変える出来事が起きる。アメリカ同時多発テロ事件──イスラム原理主義過激派アルカイダのメンバーによってハイジャックされた4機の旅客機が、ニューヨークの世界貿易センターやワシントンの国防総省などに突入。2977人が死亡し、2万5000人以上が負傷した。
佐野は、世界中に衛星中継された衝撃的な映像を目にし、「こういう時こそ、音楽にしかできないことがあるはずだ」とすぐさま曲を書き、プライベート・スタジオで録音。そのデモテープ「光 -The Light」は「憎しみの連鎖を止めなければならない」というメッセージとともに、オフィシャルウェブサイト上で公開された。この音源をフリーダウンロードとしたことにレコード会社は困惑し、公開中止を求めた。しかし公開されていたわずか12日間で約10万件のダウンロードを記録し、インターネットが音楽のあり方を変えつつあることを示した。
80年代後半、最新型のMacintoshを会議室へ持ち込み「これからはこれが音楽ビジネスを変える」とソニーの役員たちにプレゼンしたほど先進的だった佐野。一方、プレス工場からレコード店まで広がる巨大なサプライチェーンを抱えるCDビジネスを守らなければならないレコード会社。そのギャップは、時代の変化とともに次第に大きくなっていった。

佐野元春
「光ーThe Light」
2004年ウェブ公開/2005年配信
なお「光 -The Light」は、4年後の2005年8月に完成版がiTunes Storeにて配信され、その収益は佐野元春が設立した非営利団体Naked Eyes Foundation(NEF)を通じて、イラクやアフガニスタンの戦争で傷ついた子どもたちに寄付された。NEFは’01年5月に設立され、佐野のライヴやグッズの売上の一部を、戦争や貧困に苦しむ世界中の子どもたちの支援に充てる活動を継続した。同じく社会貢献活動に積極的だったアーティストとして、’23年に逝去した坂本龍一の存在がある。’01年4月にリリースされた坂本が作曲した “地雷ZERO” キャンペーン・ソング「ZERO LANDMINE」のレコーディングに、佐野は細野晴臣、高橋幸宏、桜井和寿、TAKURO、吉田美和、シンディ・ローパー、クラフトワークなどと共に名を連ねた。

N.M.L.(NO MORELANDMINE)
『ZERO LANDMINE』
2001年4月25日発売
オリジナル・アルバムのリリースがなかった’01年だが、6月16日から7月15日にかけて、全国5都市・8公演にわたるツアー<Rock & Soul Review>を開催。バンド名義は “The Hobo King Band with their friends” とされ、ザ・ホーボー・キング・バンドに加え、サックスの山本拓夫、コーラスのメロディ・セクストンらが参加した顔ぶれとなった。
代表曲「ハートビート」はロックステディ風のアレンジで披露されるなど、ザ・ハートランド時代を含めたオールタイム・ベストの楽曲を、インプロヴィゼーションを大胆に取り入れた新たなアレンジで再構築。さらに制作が中断していた新作からは「Sail on」という仮タイトルの新曲も演奏された。この曲を聴いたファンの間ではレコード化を求める署名運動が起きるほど反響があり、思うようにレコーディングを進められずにいた佐野は「涙が出るくらいうれしかった」と振り返っている(元春レター Vol.136)。
ツアー終了後の8月5日には、国営ひたちなか海浜公園で開催された日本最大の邦楽ロックフェスティバル<ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2001>に出演。スポークン・ワーズの新曲「あぁ、どうしてラブソングは……」で幕を開けたセットリストで若い観客を驚かせ、最後には主催者であり佐野の良き理解者でもあった渋谷陽一のリクエストにより「SOMEDAY」を披露した。ちなみにこの日のトリを務めたのは、これが初ライヴとなった中村一義。佐野と中村は同年2月号の『ロッキング・オン・ジャパン』誌上で対談しており、佐野は中村を「言葉の音楽の発明家」と評し、デビュー間もない彼にライヴイベント<THIS!>への出演オファーをしていたことを明かしている。
そして9月21日、22日には新たな試みとして、井上鑑とのコラボレーションによるスポークン・ワーズ・ライヴ<In Motion 2001 植民地の夜は更けて>を神奈川県・鎌倉芸術館で開催。井上は’96年のアルバム『FRUITS』でストリングス・アレンジを担当しており、当時から弦楽アンサンブルを『エレクトリック・ガーデン』の世界に融合させたいという構想をふたりの間で温めていたという。

Motoharu Sano with Akira Inoue Foundation
『In Motion 2001―植民地の夜は更けて』
2002年1月23日発売(VHS&DVD)
ドラムの山木秀夫、ベースの高水健司、ホーンの山本拓夫といった日本最高峰のミュージシャンが結集した本公演では、佐野の紡ぐ言葉と音が対話するように響いた。井上はこのステージについて、「即興というより、本来的な意味での “自由” があった」と振り返っている(*2)。この模様は、翌2002年にGO4レーベルからライヴCDとして、またエピックレコードからVHS、DVDとしてそれぞれリリースされた。
翌’02年は、80年代の名作のアニバーサリー・イヤーを記念したリイシューが続いた。
まず3月21日には、大瀧詠一、杉真理との共作による『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 20th Anniversary Edition』がリリース。デビュー間もない佐野にとって、クリエイティブとセールスの両面で飛躍のきっかけとなった作品である。本記念盤では、大瀧詠一監修によるリマスター音源が使用され、「彼女はデリケート」のシングル・バージョンや、アルバム未収録曲「こんな素敵な日には」など、6曲のボーナストラックが収められた。

佐野元春
『SOMEDAY Collector’s Edition』
2002年5月22日発売
続いて5月22日には、ナイアガラ・トライアングルとほぼ同時期に制作された、佐野にとって最初のヒット作の20周年アニヴァーサリー編集『SOMEDAY Collector’s Edition』が登場。前田康二によるリマスタリングによって、各パートの分離感や奥行きがいっそう鮮明になり、当時の佐野が目指したウォール・オブ・サウンドをより立体的に感じ取ることができる。ボーナストラックには「シュガータイム」のシングル・ヴァージョン(モノ・ミックス)や「ワンダーランド」、沢田研二に提供した「バイバイ・ハンディ・ラブ」など、初CD化の楽曲8曲を収録。「サンチャイルドは僕の友達」のラストには、盟友・伊藤銀次とのスタジオでのやりとりが収められている。
しかしこの年は、オリジナル作品のリリースも全国ツアーもない、佐野のキャリアの中でも異例の一年となった。その一方で、ファンクラブ・メンバー向けのライヴ・ツアー<Plug & Play ’02>が、名古屋・大阪・横浜・東京のライヴハウスで開催され、佐野とザ・ホーボー・キング・バンドは、いわゆるアンプラグド・スタイルを基調としたオルタナティブなアレンジで自身の楽曲を演奏した。このパフォーマンスは、翌2003年にDVD作品としてリリースされている。
また10月からは、久々にレギュラーDJを務めるラジオ番組『TOYOTA レディオ・フィッシュ』がTOKYO FMでスタート。番組とWebサイトを連動させるなど、異なるメディアを融合させながらリスナーとのコミュニケーションを深めた。

2002年9月からスタートした<Plug & Play ’02>
新レーベル「DaisyMusic」発足
翌’03年、佐野がデビュー当時から所属するEPICソニーは設立25周年を迎えた。それを記念したコンピレーション・アルバム『THE LEGEND』シリーズとして、ラッツ&スター、TM NETWORK、大江千里など、レーベルを代表するアーティストの作品がリリースされた。その中で佐野は自ら監修を務め、前田康二によるリマスタリングが施された80年代の代表曲16曲をコンパイルした作品を1月に発表した。
佐野元春
『THE LEGEND THE EARLY DAYS 1980-1989』
2002年5月22日発売
また2月には、25周年を記念したライヴ・イベント<Live EPIC 25>が開催され、鈴木雅之をトップバッターに、鈴木聖美、大沢誉志幸、大江千里、THE MODS、HARRY(THE STREET SLIDERS)、バービーボーイズ、TM NETWORK、渡辺美里といった錚々たる面々が登場。佐橋佳幸がバンドマスターを務めるバンドの演奏とともに、4時間にわたるパフォーマンスが繰り広げられた。
このライヴで佐野はトリを務め、「約束の橋」「SO YOUNG」「アンジェリーナ」を披露。さらに全出演アーティストをステージに呼び戻し、レーベル創始者・丸山茂雄を紹介した上で、全員で「SOMEDAY」を演奏した。佐野元春と小室哲哉が並び立って演奏する奇跡のような場面は、前年6月にソニー・ミュージックエンタテインメントを退社した丸山への送別の意があってのことだろう。
同年11月の「ハートランドからの手紙 #157」において、佐野は丸山に対し「すばらしいレーベルの運営を、長い間、ほんとうにごくろうさまでした」と改めて感謝の意を表している。またこれに先立つ新潟でのライヴでは、佐野元春という才能を見出したEPICのエグゼクティブ・プロデューサー、小坂洋二をステージに招待。観客に向かって「今日、僕がこのステージに立てているのは、この人との出会いがあったおかげです」と客席の小坂を感極まりながら紹介する場面があったという(*3)。音楽ビジネスの構造、レコード会社のあり方が大きく変わっていく中で、佐野自身もこの時、新たな旅立ちが近いことを感じていたのかもしれない。
2003年もアルバムのリリースはなかったものの、ライヴ活動は活発化した。
4月22日には日本武道館で開催されたコスモアースコンシャスアクト<アースデー・コンサート>に出演。共に日本にロックを根付かせ、パイオニアとして牽引してきた忌野清志郎と、初めてステージ上での共演を果たす。「ごきげんなやつを紹介しよう! マイ・オールド・フレンド!」と忌野が佐野を呼び込み、バリー・マクガイアのプロテスト・ソング「明日なき世界」をカヴァー。さらに、RCサクセションの名曲「トランジスタ・ラジオ」と佐野の「悲しきレイディオ」を、ザ・ホーボー・キング・バンドをバックに披露した。「悲しきレイディオ」の間奏では、互いに敬意を語り合うなど、単なるセッションを超えた、魂のやり取りが感じられる熱いステージとなった。
同月29日にはBunkamuraオーチャードホールで開催された、イラク戦争で傷ついた子どもたちのためのチャリティイベント<NO TO WAR 音楽家たちの平和セッション>に参加。「誰も気にしちゃいない」「愛のシステム」「シェイム-君を汚したのは誰」を熱唱した。
そして5月30日からは、久々の全国ツアー<MILK JAM TOUR ’03>を開始。10都市15公演を行った。完成前の新曲をライヴで披露し、観客の反応を確認するのは80年代から続く佐野のメソッドだが、このツアーでもレコーディング中の新作から複数の楽曲が披露された。また、一部の会場では『VISITORS』を全曲演奏するという試みもあった。東京公演ではその選曲に対し客席から「昔の曲ばかりやらないでほしい」との声が飛ぶ場面もあったが、佐野は「僕らは懐かしむために過去の曲を演奏するんじゃない。今を楽しむために演奏するんだ」と切り返し、観客の喝采を浴びた。ヤジ自体は決してお行儀の良いものとは言えないが、キャリア20年を超えるアーティストの新曲を渇望するファンの熱量こそが、佐野の創作活動の原動力となっていることもまた事実だろう。
9月には音楽プロダクション216社で構成される公益法人・音楽制作者連盟主催のイベント<In the city TOKYO>をプロデュース。佐野は「SSW - そして僕は歌を書いた」と題し、YO-KING、ハナレグミ、saigenji、古明地洋哉の4人のアーティストと共にステージに立った。このイベントには、当時脚光を浴びていた女性R&Bシンガーやヒップホップ系のアーティストに対し、同時代を生きる優れた男性シンガーソングライターにも光を当てたいという佐野の思いが込められていた。
そして11月15・16日には鎌倉芸術館で、井上鑑とのスポークン・ワーズ・ライヴ<in motion 2003 - 増幅>を開催。今回は山木秀夫(ドラム)、美久月千晴(ベース)、金子飛鳥(ヴァイオリン)をメンバーに迎えた編成で、緊張感と親密さを同時に湛えたアブストラクトなサウンドと、現実を増幅させる佐野のポエトリー・リーディングが交差するスリリングなステージとなった。
12月には、TOKYO FMで放送中のラジオ番組『レイディオフィッシュ』1周年記念の公開録音イベント<佐野元春 TALK & LIVE>を開催。200人のファンを前に、番組の舞台裏を明かすトークとともに、スペシャルゲストの伊藤銀次、片寄明人(GREAT3)と共に「Christmas time in blue」を披露した。
そして迎えた年末、12月17日にはファン待望のニュー・シングル「君の魂、大事な魂」が発表された。ライヴではすでに仮タイトル「Sail on」として定番となっていたこのナンバー。帆船のように力強く進むロッカバラッドのリズムに乗せて明日への希望が歌われる、テロや戦争の時代に生きる者を鼓舞する名曲である。カップリングには、’89年発表の「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」が、ザ・ホーボー・キング・バンドによる新バージョンで収録された。力強いロックンロールだった原曲が、ジャズやソウルが融合したジャム・バンド的な楽曲へ生まれ変わった。

佐野元春
「君の魂 大事な魂」
2003年12月17日発売
しかしこのシングルは、従来のCDフォーマットではなく、ソニーがコピープロテクト技術として採用していた「レーベルゲート2」によるコピーコントロールCD(CCCD)という形式で発売された。レンタルCDのコピーによる収益減少への危機感が高まり、その対策として導入されたCCCDだったが、従来のCDに比べて音質が劣る、収録時間が短い、プレイヤーによっては再生できないなど、いくつもの問題点があった。もちろんアーティストや小売店を含めた音楽産業の利益を守るというレコード会社の動機は正当なものである。しかし、リスナーから見ると強引に映る防衛策は、インターネットの普及によって声を上げる手段を得た一般ユーザーの大きな反発を招いた。ネット掲示板は炎上状態となり、その火の粉は、レコード会社の方針を受け入れざるを得なかったアーティストに降りかかった。当然、佐野もその例外ではなく、フォーマットを導入したレコード会社との関係はさらに複雑なものとなっていった。
翌’04年2月25日。ニューヨークで録音された名作『VISITORS』の20周年を記念し、『VISITORS 20th Anniversary Edition』がリリースされた。CDとDVD、そして54ページのブックレットからなる特別なパッケージ。前年にリリースされた『SOMEDAY』と同様、リマスタリングされた楽曲に加え、ボーナストラックとして当時12インチ・シングルでリリースされた「TONIGHT」「COMPLICATION SHAKEDOWN」「WILD ON THE STREET」のSpecial Extended Club Mixを収録。またDVDには、1985年のヴィジターズ・ツアー最終日、品川アイスアリーナでのライヴから「COME SHINING」「COMPLICATION SHAKEDOWN」の映像と、「TONIGHT」「NEW AGE」、そして当時未公開となっていたジョン・サムボーン監督による「COMPLICATION SHAKEDOWN」のミュージックビデオ、さらに’03年2月に他界した佐野のオフィシャル・フォトグラファーである写真家・岩岡吾郎の写真も収録されている。

佐野元春
『VISITORS 20th Anniversary Edition』
2004年2月25日発売
佐野の作品は、いずれもアーティストとして感じ取った未来の空気を取り込みながら作り上げられている。作品によってその濃度は異なるが、この『VISITORS』というアルバムこそが最も遠い未来の空気を反映したものであることは間違いない。90年代の日本語ラップブームを経て、ヒップホップが日本のポピュラーミュージックの一ジャンルとして定着したゼロ年代。ようやく時代が作品に追いついたと言えるだろう。この20周年記念盤は、その事実を確認するための作品と言ってもいいだろう。
5月には、『VISITORS』の発展形とも言うべきスポークン・ワーズのライヴ『in motion 03 ― 増幅』のCDが、GO4レーベルから発売された。このライヴCDはもともと4月にエピックから2枚組のCCCDとして発売される予定だった。しかしライヴの流れを重視して1枚のCDとしてリスナーに届けたいという佐野の意思は固く、発売は延期。フォーマットも通常のCDに変更された。フォーマットをめぐる対立は『VISITORS 20th Anniversary Edition』の制作時にも発生しており、’01年の「光 -The Light」のフリーダウンロードの問題や、停滞しているレコーディング予算の問題なども重なり、佐野とEPICの関係は、いよいよ抜き差しならない状態となっていた。

Motoharu Sano with Akira Inoue Foundation
『In Motion 2003―増幅』
2004年5月28日発売
「レコードビジネスは、ロックンロール音楽を愛するリスナーにベネフィットを落としていくことを最優先で考えなければならない。しかしCCCDは大人の論理。楽しいロックンロールを売る側がリスナーを信じていない。その関係の中で流通される音楽は、クールなのだろうか」と自問し続けた佐野は、ついにデビュー以来20年以上在籍したエピックレコードジャパンとの契約を終了させ、新たなレーベルを立ち上げることを発表した。
アーティストがレコード会社を移籍するのは決して珍しいことではない。しかし、自らレーベルを立ち上げるというのは、単なる移籍とはわけが違う。レコーディングにかかる制作費を自己負担し、投資から回収までビジネスのすべてに責任を負うということを意味する。前例は、ギタリストCharによる江戸屋、忌野清志郎のSWIM RECORDSなど、ほんのわずかしか存在しなかった。
そんな中、ちょうど同じ2004年にメジャーから独立し、自主レーベル「ROSE RECORDS」を立ち上げたのが、佐野の大学の後輩にあたるサニーデイ・サービスの曽我部恵一である。ふたりは’06年、佐野のライヴツアーのパンフレットで対談。「ニュースのように自分の作品をリリースしたかったが、メジャーレーベルでは無理だった」と語る曽我部に対し、佐野も「僕たち表現者は今の時代に生きている。何かを作ったらフィードバックが欲しい。コミュニティの一員として音楽が機能しているかを確かめたくなる」と応じている。その言葉からは、彼らにとってレーベル設立が単なるビジネス的決断ではなく、アーティストとしての根源的なモチベーションに根ざしていたことが伝わってくる。30年以上にわたるキャリアを誇る曽我部恵一、そしてデビュー45周年の佐野元春。この両者が今なおキャリア・ハイを更新する新作をリリースし続けているという事実が、ふたりの嗅覚と決断の正しさを証明していると言えるだろう。
新レーベルは「DaisyMusic」と名付けられ、流通はユニバーサル・ミュージックが担うことが発表された。2004年6月3日、東京・青山CAYで開かれたプレス向けのレーベル設立記念パーティでは、佐野のファンである野茂英雄や爆笑問題、『THE BARN』のプロデューサーであるジョン・サイモン、さらに大瀧詠一からのビデオ・レターが送られるなど、その門出が華々しく祝われた。その席でザ・ホーボー・キング・バンドのメンバーと共にライヴを行った佐野は、「友達が新しくレーベルを立ち上げるっていうんで応援に駆けつけました。僕はそんな面倒くさいことはやめとけって言ったんだけどね」とユーモアを交えて語った後、古巣のエピックに向けて「僕を見つけてくれてありがとう。そして僕を解放してくれてありがとう」と惜別のメッセージを送った。レーベルのスローガンは「Real Music, Real Rock」、そして「夢見る力をもっと」。48歳、デビュー25年目の新たなチャレンジがここから始まった。
その先――未来を照らす傑作アルバム『THE SUN』誕生
そして通算13作目のオリジナル・アルバム『THE SUN』が、その翌月、’04年7月21日にリリースされた。前作『STONES AND EGGS』から実に4年半。冒頭を飾る「月夜を往け」の優しくも力強いアコースティック・ギターが、長いトンネルを抜けた光のように響く。この作品を端的に表現するならば、佐野を取り巻く全ての「その先」を示した作品と呼ぶことができるだろう。いくつものステージの上で作り上げてきたザ・ホーボー・キング・バンドとのクリエイティヴィティ。9.11以降のテロと大国の思惑に脅かされる世界。戦後最悪の不況下を懸命に生き抜き、佐野の音楽を待ち続けた多くのリスナー。そして佐野自身の4年間におよぶ雌伏の時。この苦いゼロ年代に吹く決して甘くはない向かい風を全身で受け止めながら、それぞれの「その先の希望」を示した。聴く者の人生を掴み共振する力は、ザ・ハートランドとのピークであった『THE CIRCLE』と同じかそれ以上。ザ・ホーボー・キング・バンドと共に到達した傑作である。

佐野元春 and THE HOBO KING BAND
『THE SUN』
2004年7月21日発売
アルバムを通じて一貫しているのは、ひとりの成熟した男からの視点。それは例えばかつての「WILD HEARTS」で休みの日も働いていた青年の、もしくは「ヤア、ソウルボーイ」で仲間とたまり場にいた男たちの、「空よりも高く」で嵐が近づく中で家路を急いでいた男の未来かもしれない。もちろん明示はされないが、これまでの佐野作品に登場した人物たちの存在感が全編にわたって濃厚に漂い続ける。しかし80年代、90年代を生きてきた彼らそれぞれの「その先」は決して甘いものではなかった。「恵みの雨」では1日中気が滅入るほどに働かされているし、「地図のない旅」では人生という旅が思ったよりも残酷だったことを告白し、「明日を生きよう」ではこれまでにないほど率直な言葉で不安に苛まされる姿が描写される。かつて「つまらない大人にはなりたくない」と口笛を吹いていた若者たちの青い炎は、吹き荒れる風雨の前に風前の灯火と化している。これは言うまでもなく、リスナーそれぞれが向き合う現実とも重なる物語でもある。
しかしそんな彼らの誠実さに光をあて、もう一度力をもたらすもの。それこそが音楽の力だ。そう言わんばかりに練り込まれた完成度の高いアレンジと練度の高い鍛え抜かれたバンドのアンサンブルがこのアルバムの主役と言える。「月夜を往け」のストリングスとホルンが織りなす、厚みのあるウォール・オブ・サウンドは若き日に獲得した「SOMEDAY」のレコーディング・マジックの完成形であり、「恵みの雨」や「恋しい家」のアーシーでスポンティニアスなグルーヴは『THE BARN』でのウッドストック・レコーディングを経たからこそのもの。そして「最後の1ピース」や「遠い声」で聴かせるトラッドでありながらジャズ、ブルーズ、フォークを鮮やかにクロスオーバーする演奏こそ、佐野とバンドが4年をかけて生み出した発明品と言ってもいいだろう。
それらがビターなリリックと結びつくことによってロックンロールのダイナミズムを生み出すと共に、20年以上のキャリアを重ねても尽きない想像力によって自らを進化させる姿そのものが、リスナーに大きな力をもたらしている。ちなみにこれまでの佐野の音楽的ボキャブラリーにはなかったラテンのリズムが鮮烈な「観覧車の夜」のアレンジは高橋ゲタ夫が担当。デビュー曲「アンジェリーナ」のベーシストである。
アルバムは全14曲で構成されているが、12曲目の「DIG」のイントロで入る擬似ライヴ的な歓声によって、ライヴでいうところの本編とアンコールのような関係性が生まれている。そのアンコールで演奏されるストレートなロックンロールが、ニール・ヤングの「Are You Ready For The Country」から着想を得たタイトルを持つ「国のための準備」。シンプルなロックンロールをラフに乗りこなす演奏がどこまでもクールだが、忍び寄る全体主義を監視する眼差しが鋭く光る。9.11以降の国際情勢を受け、当時の小泉政権はいわゆる有事関連三法を成立させ、戦時下における政府の権限強化や国民の協力義務などを明文化した。かつて佐野はポリティカル・ソングに普遍性を持たせることの難しさを語っていたが、自国優先主義の熱狂の下に揺れる2025年。この曲の警鐘は当時よりもはるかに切実なものになっている。この普遍性は「希望」で歌われるささやかな日常のかけがえのなさと地続きの表現になっているからこそ生まれたものだと言えるだろう。
こうして迎える最終曲「太陽」の「GOD、夢を見る力をもっと」という祈りのような一節は、DaisyMusicのスローガンでもある。社会で、家庭で、コミュニティの中で、一定の責任を負った大人が夢を見るには、まずは目の前の現実を乗り越えなければならない。その重みを噛み締めるようなビートと、佐野の新境地とも言えるスモーキーな歌声。外観上の若さが重んじられる日本のロック/ポップミュージックにおいて、自らの年輪を刻み込んだこの作品は特異なものと言えるかもしれない。しかし現実を直視し、乗り越えようとする精神には、永遠に剥落することのない真のない若さが宿っている。
佐野元春 and THE HOBO KING BAND「太陽」
ソニーミュージックからの独立を発表した後も、アルバムのプロモーションを兼ねたメディア出演は活発に行われた。2004年5月には、フジテレビの音楽番組『僕らの音楽 〜OUR MUSIC〜』に出演。ザ・ホーボー・キング・バンドに加え、BLACK BOTTOM BRASS BAND、金原千恵子グループのストリングスと井上鑑まで加わった、テレビ番組としては異例とも言える大編成のバンドで、「月夜を往け」のほか、「SOMEDAY」「ロックンロール・ナイト」をフルサイズで披露した。
さらに、アルバム発売後の7月には、同じくフジテレビの『HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP』にも出演。ザ・ホーボー・キング・バンドの井上富雄、Dr.kyOn、古田たかしに加え、元ザ・ハートランドの長田進、THE GROOVERSの藤井一彦とともに「国のための準備」を演奏した。ゴールデンタイムの人気音楽番組でこれほど鋭いポリティカル・ソングを選んだことに、単なるプロモーション活動を超えた強い意思が感じられる。前年のイベントで共演した忌野清志郎は、テレビやラジオにおける検閲的な行為に異議を申し立てるべくゲリラ的なパフォーマンスを行っていたが、佐野もまた彼と共通する意識を抱いていたのかもしれない。

2004年10月からスターとした<THE SUN TOUR 2004-2005>
そして、待望のアルバム・リリース・ツアー<THE SUN TOUR 2004–2005>は、2004年10月5日、東京・多摩の瑞穂スカイホールを皮切りにスタートした。大晦日のイベントCOUNTDOWN JAPAN04/05を挟んだ、約4ヶ月・全30公演の大規模なツアーである。ギタリストの佐橋佳幸は、「自分たちが作り上げた新しい作品をまとめて発表できる場がようやくやってきた喜びがあった」と語り、数年来ライヴやレコーディングを共にしてきた山本拓夫も、このツアーを通じて「自分がこのバンドの一員であることを実感した」と述べている。
ツアーのファイナルとなった2005年2月20日のNHKホール公演は、映像作品『THE SUN LIVE and RECORDINGS』として、また音源『THE SUN LIVE AT NHK HALL』としてリリースされた。この公演は二部構成で、第一部は「Back to the Street」で幕を開け、「インディビジュアリスト」で締めくくられるロックンロール・ショウ。第二部では、アルバム『THE SUN』を曲順通りにすべて演奏するという意欲的な内容だった。そこにはエピック時代に築き上げた輝かしい軌跡を振り返ると同時に、インディペンデント・アーティストとして歩み出す決意を観客に示すという意図があったのだろう。第一部では純白、第二部では深紅のスーツをまとって登場した佐野は、MCで「いろいろあった4年半を支えてくれたのが、ここにいるザ・ホーボー・キング・バンドだ」と、メンバーへの感謝と信頼を語った。

佐野元春 and THE HOBO KING BAND
『THE SUN LIVE and RECORDINGS』
2005年6月22日発売
この日の演奏は高い完成度を保ちながらも、まるで楽器を通じて親密な会話を交わすような、リラックスした空気に包まれていた。決して平坦ではなかった4年半だが、その中で佐野に力を与えたのはライヴだった。その事実を強く思い出させるようなパフォーマンス。この間、今後の活動に不安を抱えていたファンもいただろう。そんな彼らに向けて、佐野は「これからも僕は希望についての歌を歌いたい」と語りかけ、本編の最後に演奏された「太陽」では「夢みる力をもっと」という歌詞に呼応するように、バンドの背後にあった巨大な壁が開き、その向こうに青空が広がるという演出が施された。かつて佐野は名曲「SOMEDAY」で「真心」「約束」という誰もが忘れかけていた言葉に新たな命を吹き込んだ。そして21世紀最初のアルバムとなった『THE SUN』において、「夢」と「希望」という言葉の真実性を、再び我々の目の前に取り戻してみせたのだった。
(【Part6】佐野元春ヒストリー~ファクト❻2005-2009に続く)
発言出典一覧(発売元は当時表記)
1)『アサヒグラフ』2000年4月号(朝日新聞社)
2)『ロック画報』Vol.20/2005年(ブルースインターアクションズ)
3)『EPICソニーとその時代』2021年(集英社新書)
DISCOGRAPHY●佐野元春ディスコグラフィ❺2000-2004

COMPILATION
佐野元春
THE 20TH ANNIVERSARY EDITION
1980-1999 HIS WORDS AND MUSIC2000年1月21日発売/Epic Records
[CD]ESCB-2080~1 [MD]ESYB-7168~9
DISC 1
① アンジェリーナ 〈’99 Mix Version〉 Angelina〈’99 mix version〉
② ハッピーマン 〈’99 Mix Version〉 Happy Man〈’99 Mix Version〉
③ ダウンタウンボーイ 〈’99 Mix Version〉 Down Town Boy〈’99 Mix Version〉
④ ヤングブラッズ 〈’99 Mix Version〉 Young Bloods〈’99 Mix Version〉
⑤ 彼女 〈Slow Songs Version〉 She〈Slow Songs Version〉
⑥ コンプリケイション・シェイクダウン 〈Edited Version〉 Complication Shakedown〈Edited Version〉
⑦ ニューエイジ 〈Edited Version〉 New Age〈Edited Version〉
⑧ インディビジュアリスト 〈H.K.B. Session〉 Individualists〈H.K.B. Session〉
⑨ 愛のシステム 〈Edited Version〉 System Of Love〈Edited Version〉
⑩ ぼくは大人になった 〈Original〉 A Big Boy Now〈Original〉
⑪ ジャスミンガール 〈’99 Mix Version〉 Jasmine Girl〈’99 Mix Version〉
⑫ 君をさがしている(朝が来るまで)〈H.K.B. Session〉 Looking For You〈H.K.B. Session〉
⑬ 君を待っている 〈Original〉 Waiting For You〈Original〉
⑭ 約束の橋 〈No Damage II Version〉 The Bridge〈No Damage II Version〉
⑮ 新しい航海 〈’99 Mix Version〉 New Voyage〈’99 Mix Version〉
⑯ ロックンロール・ナイト 〈’99 mix version〉 Rock & Roll Night〈’99 mix version〉
DISC 2
① サムデイ 〈’99 Mix Version〉 Someday〈’99 Mix Version〉
② スウィート16 〈’99 Mix Version〉 Sweet 16〈’99 Mix Version〉
③ レインボー・イン・マイ・ソウル 〈’99 Mix And Edit Version〉 Rainbow In My Soul〈’99 Mix And Edit Version〉
④ また明日 〈’99 Mix Version〉 If We Meet Again〈’99 Mix Version〉
⑤ トゥモロウ 〈Edited Version〉 Tomorrow〈Edited Version〉
⑥ 彼女の隣人 〈Original〉 Don’t Cry 〈Original〉
⑦ レイン・ガール 〈’99 Mix And Edit Version〉 Rain Girl〈’99 Mix And Edit Version〉
⑧ 君を連れてゆく 〈Original〉 Over The Hill〈Original〉
⑨ 楽しい時 〈Original〉 Fun Time〈Original〉
⑩ 水上バスに乗って 〈Original〉 Water Line〈Original〉
⑪ すべてうまくはいかなくても 〈’99 Mix Version〉 The Night〈’99 Mix Version〉
⑫ 経験の唄 〈Original〉 Song Of Experience〈Original〉
⑬ ヤング・フォーエバー 〈Original〉 Young Forever〈Original〉
⑭ ロックンロール・ハート 〈Original〉 Rock And Roll Heart〈Original〉
⑮ シーズンズ 〈Original〉 Seasons〈Original〉
⑯ イノセント 〈20th Anniversary Edition〉 Innocent〈20th Anniversary Edition〉
Produced by 阿久津真一、Moto “Lion” Sano
Recorded by 伊藤俊郎、飯泉俊之、水谷輝也、中山大輔、坂元達也、深田晃、吉野金次、John “Tokes” Potoker、Richard Moakes、John Etchells、安倍徹、John Holbrook
Mixed by 渡辺省二郞
Cover photography by 岩岡吾郎
VIDEO
佐野元春 and THE HOBO KING BAND
The 20th Anniversary Tour2000年7月19日発売/Epic Records
[VHS]ESVU 529(2000.7.19)[DVD]ESBB 2018(2000.7.19)
●ガラスのジェネレーション Crystal Generation
● ハッピーマン Happy Man
● ワイルドハーツ Wild Hearts
● レインガール Rain Girl
● マンハッタンブリッジにたたずんで Standing on the Manhattan Bridge
● ヤングブラッズ Young Bloods
● 彼女 She
● ニューエイジ New Age
● コンプリケーション・シェイクダウン Complication Shakedown
● GO4 GO4
● インディビジュアリスト Individualists
● 約束の橋 The Bridge
● ロックンロール・ナイト Rock & Roll Night
● イノセント Innocent
● 驚くに値しない No surprise at all

COMPILATION
佐野元春
Club Mix Collection 1984-19992000年9月20日発売/Epic Records
[LP]E30100002A FACT 5-6(2000.9.20)
Side-A
① Complication Shakedown (Special Extended Club Mix)
② Wild On The Street (Special Extended Club Mix)
Side-B
③ Tonight (Special Extended Club Mix)
④ Individualists (Extended Version)
Side-C
⑤ 99 Blues (Extended Mix)
⑥ 欲望 (Rescue Version)
Side-D
⑦ The Circle (Mark McGuire Mix)
⑧ No surprise at all - 驚くに値しない (Audio Active Remixed Version)

VIDEO
佐野元春
MOTOHARU SANO LIVE ANTHOLOGY 1980-20002000年11月1日発売/Epic Records
[VHS]ESVU 538~9(2000.11.1)[DVD]ESBB 2038~9(2000.11.1)[DVD]ESBL 2146~7(2003.12.17)
FACT ONE
● ガラスのジェネレーション
● ロックンロール・ナイト
● 99ブルース
● インディビジュアリスト
● アンジェリーナ
● ジャスミンガール
● ぼくは大人になった
● ニュー・エイジ
● レインボー・イン・マイ・ソウル
● 悲しきRADIO
● サムデイ
● ジュジュ
● 約束の橋
● コンプリケーション・シェイクダウン
● ヤング・フォーエバー
● イノセント
FACT TWO
● ワイルド・ハーツ
● ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
● 愛のシステム
● おれは最低
● ブルーの見解
● ヤングブラッズ
● シェイム
● ハートビート
● 新しいシャツ
● スウィート16
● バニティー・ファクトリー
● 君を連れてゆく
● ポップ・チルドレン
● 太陽だけが見えている
● 7日じゃたりない
● GO4

COMPILATION
佐野元春
GRASS The 20th Anniversary Edition’s 2nd2000年11月22日発売/Epic Records
[CD]ESCB 2190(2000.11.22)
① ディズニー・ピープル Disney People
② 君が訪れる日 〈’00 Mix Version〉 Life Must Go On〈’00 Mix Version〉
③ ミスター・アウトサイド 〈’00 Mix Version〉 Mr. Outside〈’00 Mix Version〉
④ ブッダ Buddha
⑤ インターナショナル・ホーボー・キング 〈’00 Mix Version〉 International Hobo King〈’00 Mix Version〉
⑥ 君を失いそうさ 〈’00 Mix Version〉 I’m Losing You〈’00 Mix Version〉
⑦ 天国に続く芝生の丘 〈’00 Mix Version〉 Grass Valley To Heaven〈’00 Mix Version〉
⑧ 風の中の友達 〈’00 Mix And Edited Version〉 Friend〈’00 Mix And Edited Version〉
⑨ 欲望 〈’00 Mix And Edited Version〉 Desire〈’00 Mix And Edited Version〉
⑩ ジュジュ 〈’00 Mix Version〉 Juju〈’00 Mix Version〉
⑪ 石と卵 featuring Bonnie Pink Stones And Eggs〈featuring Bonnie Pink〉
⑫ ボヘミアン・グレイブヤード 〈’00 Mix And Edited Version〉 Bohemian Graveyard〈’00 Mix And Edited Version〉
⑫ モリスンは朝、空港で 〈’00 Mix Version〉 Morrison〈’00 Mix Version〉
Produced by 阿久津真一、Moto “Lion” Sano
Recorded by 阿部保弘、坂元達也、Richard Moakes、John Etchells、井上一郎、田中信一、吉野金次
Mixed by 渡辺省二郞
Cover paintings by 吉田康一
COMPILATION
佐野元春
SPOKEN WORDS COLLECTED POEMS 1985-20002000年12月18日発売/Epic Records
[CD]E30100003A(2000.12.18)
① 再び路上で
② Sleep
③ 52nd Ave.
④ リアルな現実 本気の現実 Part 1 & Part 2
⑤ 夜を散らかして
⑥ N.Y.C. 1983~1984
⑦ Dovanna
⑧ ある9月の朝
⑨ 完全な製品
⑩ ・・・までに
⑪ 僕は愚かな人類の子供だった−手塚治虫 アストロ・ボーイに捧げて
⑫ フルーツ−夏が来るまでには
⑬ 廃墟の街〈Live〉
⑭ ポップチルドレン−最新マシンを手にした陽気な子供たち〈Live〉
⑮ 自由は積み重ねられてゆく〈Live〉
Produced by Moto "Lion" Sano
Recorded by 中山大輔・佐野元春(①~⑦)、飯泉俊之(⑧~⑩)、坂元達也(⑫)
Mixed by 飯泉俊之(⑧~⑩)
Remixed by 坂元達也(①~⑦)、CMJK(⑪)
Cover design by 中島英樹

CD-ROM
佐野元春
デジタル・アートピース 僕は愚かな人類の子供だった2001年8月発売/Epic Records
[CD-ROM]ESRD 7(2001.8)
①僕は愚かな人類の子供だった (Nedit Mix version)

LIVE
Motoharu Sano with Akira Inoue Foundation
In Motion 2001―植民地の夜は更けて
鎌倉芸術館ライブ 2001.9.21-222002年1月16日発売/GO4
[CD]GO4CD0003(2002.1.16)
① ポップチルドレン
② 廃虚の街
③ Sleep
④ ふたりの理由
⑤ こんな夜には
⑥ ベルネーズソース
⑦ Insightlude - Dovanna
⑧ 日曜日は無情の日
⑨ ブルーの見解
⑩ ああ、どうしてラブソングは...
VIDEO
Motoharu Sano with Akira Inoue Foundation
In Motion 2001―植民地の夜は更けて2002年1月23日発売/GO4
[VHS]ESVL-554(2002.1.23) [DVD]ESBL-2092(2002.1.23)
① ポップチルドレン
② 廃虚の街
③ Sleep
④ ふたりの理由
⑤ こんな夜には
⑥ ベルネーズソース
⑦ Insightlude - Dovanna
⑧ 日曜日は無情の日
⑨ ブルーの見解
⑩ ああ、どうしてラブソングは...

COMPILATION
佐野元春
SOMEDAY Collector’s Edition2002年5月22日発売/Epic Records
[CD]ESCL 2314~5
ORIGINAL - disc one
① シュガータイム
② ハッピーマン
③ ダウンタウンボーイ
④ 二人のバースデイ
⑤ 麗しのドンナ・アンナ
⑥ サムデイ
⑦ アイム・イン・ブルー
⑧ 真夜中に清めて
⑨ ヴァニティ・ファクトリー
⑩ ロックンロール・ナイト
⑪ サンチャイルドは僕の友達
ORIGINAL - disc two
① シュガータイム (single ver./mono mix)
② スターダスト・キッズ (original ver.)
③ バイバイ・ハンディ・ラブ (original ver.)
④ ワンダーランド (mono mix)
⑤ マンハッタンブリッヂにたたずんで (Niagara Triangle Vol.2)
⑥ ソー・ヤング So Young (original ver.)
⑦ ダウンタウンボーイ (original ver.)
⑧ サンチャイルドは僕の友達 (another mix)
Produced by Moto “Lion” Sano
Recorded & Mixed by Kinji Yoshino
Except track⑦:Shoji Watanabe、track⑧:Moto “Lion” Sano
Re-Mastered by Yasuji Maeda
COMPILATION
佐野元春
THE LEGEND THE EARLY DAYS 1980-19892002年5月22日発売/Epic Records
[CD]ESCL 2363(2003.1.1)
① アンジェリーナ (20thアニバーサリーremixed ver.)
② ソー・ヤング
③ ガラスのジェネレーション
④ 悲しきレイディオ
⑤ 情けない週末
⑥ ダウンタウンボーイ (Someday Collector’s Edition remixed ver.)
⑦ スターダストキッズ
⑧ シュガータイム
⑨ ハッピーマン
⑩ ロックンロール・ナイト
⑪ サムデイ
⑫ グッドバイからはじめよう
⑬ ヤングブラッズ (7”シングルバージョン)
⑭ ワイルド・ハーツ ─ 冒険者たち
⑮ クリスマス・タイム・イン・ブルー -聖なる夜に口笛吹いて- (12”シングルバージョン)
⑯ 約束の橋 (7”シングルバージョン)

SINGLE
佐野元春 and THE HOBO KING BAND
Tonight(Live)2003年2月10日発売/GO4
[12cmCD]GO4CDS0001(2003.2.10)① Tonight(Live)
② New Age(Live)
VIDEO
佐野元春 and THE HOBO KING BAND
PLUG & PLAY ’022003年2月19日発売/Epic Records
[DVD]ESBL 2100(2003.2.19)
● PLEASE DON’T TELL ME A LIE
● イッツ・オールライト
● ガラスのジェネレーション
● ニューエイジ
● 誰も気にしちゃいない
● マンハッタンブリッジにたたずんで
● トゥナイト
● ロックンロール・ナイト
● シーズン・イン・ザ・サン ―夏草の誘い
● 楽しい時
● スターダスト・キッズ
VIDEO
Various Artists
Live EPIC 252003年8月20日発売/Epic Records
[DVD]ESBL 2101~2(2003.2.19)[DVD]ESBL 2204~5(2004.12.22)[BD]MHXL 134~5(2023.9.22)
DISC2
● 約束の橋
● アンジェリーナ
● SOMEDAY
(※関係曲のみ表記)
SINGLE
佐野元春
君の魂 大事な魂2003年12月17日発売/Epic Records
[12cmCD]ESCL 2334(2003.12.17)① 君の魂 大事な魂
② ナポレオンフィッシュと泳ぐ日(H.K.B. Version)

COMPILATION
佐野元春
VISITORS 20th Anniversary Edition2004年2月25日発売/Epic Records
[CD+DVD]ESCL 2504~5
DISC ONE(Original Tracks)
① COMPLICATION SHAKEDOWN
② TONIGHT
③ WILD ON THE STREET
④ SUNDAY MORNING BLUE
⑤ VISITORS
⑥ SHAME ─君を汚したのは誰
⑦ COME SHINING
⑧ NEW AGE
Bonus Tracks
⑨ TONIGHT (Special Extended Club Mix)
⑩ COMPLICATION SHAKEDOWN (Special Extended Club Mix)
⑪ WILD ON THE STREET (Special Extended Club Mix)
DISC TWO(Bonus DVD)
① COME SHINING
② COMPLICATION SHAKEDOWN
③ TONIGHT
④ NEW AGE
⑤ COMPLICATION SHAKEDOWN
⑤ N.Y.C. 1983〜1984
SINGLE
佐野元春
月夜を往け2004年5月19日発売/Epic Records
[12cmCD]ESCL 2507(2004.5.19)① 月夜を往け
② 99ブルース (H.K.B. Version)

LIVE
Motoharu Sano with Akira Inoue Foundation
In Motion 2003―増幅2004年5月28日発売/GO4
[CD]GO4CD0004(2004.5.28)
① ポップチルドレン ─ 最新マシンを手にした陽気な子供たち
② ああ、どうしてラブソングは
③ 廃虚の街
④ アルケディアの丘で
⑤ ベルネーズソース
⑥ こんな夜には
⑦ 日曜日は無情の日
⑧ 何もするな
⑨ 世界劇場
⑩ 何が俺達を狂わせるのか?

STUDIO ALBUM
佐野元春 and THE HOBO KING BAND
THE SUN2004年7月21日発売/DaisyMusic
[CD+DVD]POCE-9380 [CD]POCE-3800
① 月夜を往け Moonlight
② 最後の1ピース At The End Of The World
③ 恵みの雨 Gentle Rain
④ 希望 Hope
⑤ 地図のない旅 Trail
⑥ 観覧車の夜 Joy And Fear
⑦ 恋しいわが家 The Homecoming
⑧ 君の魂 大事な魂 Sail On
⑨ 明日を生きよう Lost And Found
⑩ レイナ Leyna
⑪ 遠い声 Closer
⑫ DIG In Our Time
⑬ 国のための準備 For The Country
⑭ 太陽 The Sun
Produced by Moto “Lion” Sano
Recorded by 渡辺省二郎、佐藤雅彦、坂元達也、原口宏、 中原正幸、伊藤隆文、大浦克寿、井上一郎
Mixed by 渡辺省二郎(①~④,⑥~⑩)、佐藤雅彦(⑤,⑪~⑭)
Recorded at オンエア麻布、音響ハウス、スタジオイン、ソニースタジオ
Cover photography by Jason Hilson
Musicians
THE HOBO KING BAND
●佐野元春(Vo, G, Wurlitzer, Perc, Back Vo)●古田たかし(Ds, Perc, Back Vo)●井上富雄(B, Perc, Back Vo)●佐橋佳幸(G, Mn, Banjo, Perc, Back Vo)●Dr.kyOn(P, Hammond Org, Wurlitzer, G, Mn, Perc, Back Vo)●山本拓夫(Sax, Fl, Back Vo)
Guests
●外山明(Ds⑥)●高橋ゲタ夫(B⑥)●長田進(G⑫⑬, Back Vo⑫)●中島徹(P⑥)●大儀見元(Timbales, Djembe, Shekere⑥)●都筑章浩(Congas, Guiro⑥)●佐々木史郎(Tp⑥)●佐久間勲(Tp⑥)●近藤和彦(A.Sax, Fl⑥)●宮本大路(T.Sax, Fl⑥)●佐野聡(Tb⑥)
東京スカパラダイスオーケストラ
●NARGO(Tp & A.Sax)●北原雅彦(Tb, Horn Arrangement⑧)●GAMO(T.Sax)●谷中敦(B.Sax)
●萩原顕彰(Horn①)●竹野昌邦(B.Sax①)●金原千恵子グループ(Str①)●金原千恵子(Vn⑩⑭)●栄田嘉彦(Vn⑩)●山田雄司(VIa⑩)●堀沢真己(Vc⑩⑭)●古川展生(Vc⑩)●Leyona(Back Vo②③⑧)●Melodie Sexton(Back Vo②③⑥⑧)●比山貴咏史(Back Vo①)●高尾直樹(Back Vo①)
●上記ディスコグラフィ内の記載品番全てを撮影しているわけではありません。ご了承ください。
INTERVIEWS●佐野元春サウンドを鳴らした仲間たち❺佐橋佳幸

1997年、ニューヨーク州ウッドストック、べアズヴィルにて
佐野さんを初めて見たのは、のちにファースト・アルバムに収録される「ドゥー・ホワット・ユー・ライク(勝手にしなよ)」。’75年にあんな洋楽っぽい曲を聞かされたらね(笑)(佐橋)
── 今年の5月、長いキャリアをまとめた『佐橋佳幸の仕事 1983-2025 EN』(リットーミュージック)が刊行されまして。さっそく読ませていただきましたが、これ、ものすごく面白い本ですね。
佐橋佳幸 あ、本当に? 嬉しいなあ! といっても僕が書いたのは短い「あとがき」だけで。著者の能地祐子さん相手に、ひたすら喋っただけなんだけどね(笑)。あっちこっちに飛びまくる僕の話を、彼女がすごく頑張ってまとめてくれました。
── 本書ではこれまで佐橋さんが関わられた膨大な作品群から、40曲がピックアップされています。そしてそのひとつひとつの制作プロセスを深堀りすることで、80年代前半から今に至るJ-POPの流れもリアルに浮かんでくる。売れっ子ギタリストの個人史でありながら、日本語ロック/ポップス全体のオーラルヒストリーになっているところが素晴らしいなと。取材にはどのくらい時間をかけたんですか?
佐橋佳幸 ざっくり1年くらいかな。もともとこれ、『Re:minder』というウェブサイトの連載記事だったんですよ。僕がUGUISSというバンドでデビューしたのが’83年9月なんだけど、ちょうどその40周年にあたる’23年9月から企画をスタートさせまして。そこから月2〜3回のペースでインタビューを続けていった感じですかね。準備もそこそこ大変でした。記憶を正確にたどるため、歴代マネージャーが付けてくれてたスケジュール帳を片っ端から見返したりして(笑)。
── UGUISSのファースト・シングル「Sweet Revenge」からはじまって小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」、藤井フミヤの「TRUE LOVE」、坂本龍一の「POESIA」、いきものがかりの「風が吹いている」、山下達郎の「人力飛行機」などなど。年代を追うごとにレコーディングの環境が変わっていくのが興味深かったです。
佐橋佳幸 うん。僕ら世代はやっぱり、業界のいろんな転換期を経験してますからね。アナログからデジタルへの移行もそうだし、仕事のあり方もそう。たとえば僕がデビューした頃は、まだスタジオミュージシャンとバンドマンの間に明確な一線があったんですよ。スタジオ系のギタリストにはライヴに出ない人も多かったし。とにかくディレクターに求められた音色で、求められたフレーズをきっちり弾けるのがプロだとされていた。僕みたいにロックバンド出身で、譜面もろくに読めない自分の好きな音だけ鳴らしてるギタリストはほとんどいなかったのね。鈴木茂(はっぴいえんど)さんとか上の世代で何人かは思いつくけれど、少なくとも主流ではなかった。
── なるほど。
佐橋佳幸 だから自分のキャリアを振り返るというのは、ちょっと建前みたいなところもあって。これまで関わった仕事を取っ掛かりに、80年代以降の音楽業界の激動ぶりを記録しておこうと。実はそっちが、僕と能地さんの裏テーマでした。もちろん佐野(元春)さんのエピソードもふんだんに出てきます。しかも今回の書籍化にあたって、新たに佐野さんとの長い対談も収録させていただいて。

★佐野元春×佐橋佳幸スペシャル対談を含む最新書籍
『佐橋佳幸の仕事 1983-2025』
(能地祐子・著/リットーミュージック・刊)
── おふたりの出会いからザ・ホーボー・キング・バンド加入の経緯、佐野さんが語るギタリスト佐橋佳幸論まで貴重な内容が詰まっていて、たいへん読み応えがありました。そこでも触れられていましたが、佐橋さんは中学時代から佐野さんと面識があったんですよね。
佐橋佳幸 たしか中学2年生だったかな。最初のギターを買ってまだ2年たらずの時期ですね。その頃、音楽好きの同級生と3人で人力飛行機というフォークバンドを組んでまして。ポプコン(ポピュラーソングコンテスト)に応募したら、たまたま地区予選大会の本戦に進めたんですよ。
── すごいですね。内容はどんな感じだったんですか?
佐橋佳幸 イーグルスとかCSN(クロスビー、スティルス&ナッシュ)とか、あと日本だとはっぴいえんど。詳しくは忘れちゃったけど、要はその頃、3人で聴きまくってたバンドをもろパクリした曲だったと思うなぁ。そもそも人力飛行機ってバンド名が、鈴木茂さんの曲から借りてますからね(笑)。たぶんガキがそうやって思いっきり背伸びしてるのが、審査員的には微笑ましかったんでしょうね。運よく特別賞をいただきまして。その予選会場で会ったのが当時、立教大学に通っていた19歳の佐野さんだった。結局、佐野さんはそのまま予選を通過して、全国優勝されるんだけどね。
── デビュー前の佐野さんの演奏、今でも覚えておられます?
佐橋佳幸 もちろん! これもいろんなところで話してますけど、デビュー時のロックンロールとは全然違うスタイルでね。佐野さんが弾くピアノにベース、ドラム。そこにトランペットだかサックスが入った、ちょっと変わった編成でした。そのとき見たのが、後にファースト・アルバムに収録される「ドゥー・ホワット・ユー・ライク(勝手にしなよ)」です。’75年にあんな洋楽っぽい曲を聞かされたらね(笑)。中坊的には「うわ、すげえ! あのお兄さんと友だちにになりたい!」って思うじゃないですか。

佐野元春
『BACK TO THE STREET』
1980年4月21日発売
── はははは。当然、そうなりますよね。
佐橋佳幸 佐野さんも、その感じを面白がってくれたんじゃないかな。コンテスト直後、自分たちが主催する自主コンサートに僕らも誘ってくれたんですよ。「よかったら君たちも出なよ」みたいな感じでね。場所は渋谷桜丘町にあった「エピキュラス」というヤマハ系の小ホールでした。そこではじめて数曲でしたが、佐野さんのライヴを体験したんだけど……いやあ、あのときのインパクトは鮮烈だった。イメージ的には初期のトム・ウェイツとか、ランディー・ニューマンに近い雰囲気で。今思えばその時点で、もう「彼女」とか「情けない週末」などのレパートリーは演奏されてたんだよね。アマチュアでそんな洗練された音楽をやってる人、それまで僕は見たこともなかったので。
── 中学2年の佐橋少年は度肝をぬかれたと。
佐橋佳幸 まさに(笑)。たしかそのときに、佐野さんから直接デモテープのカセットコピーもいただいたんだよなぁ。当時、道玄坂の途中にヤマハのお店があって(ヤマハ渋谷店)。佐野さんはそこの併設スタジオで、オリジナル曲をけっこう録音されてたんですよね。プロ仕様のレコーディングじゃなくて、もっと簡単なプレゼン用のやつを。たぶんそのカセット、探せばまだ実家にあると思いますよ。
── もし見つかったら、めちゃめちゃ貴重な音源ですね。それにしても70年代におけるヤマハの存在って、今では想像しにくいくらい大きかったんだなと。お話を伺っていてすごく感じます。
佐橋佳幸 そうなんですよ。特に、今さっき話に出た道玄坂のヤマハ。これは書籍の対談で佐野さんとも話したんだけど、東京のアマチュアミュージシャンにとってあそこがひとつのハブになっていた。なにせ今と違って情報が少ない時代でしたから。新しいレコードや楽器が売っていて、店頭にはちょっとしたライヴ・スペースもあって。しかも簡単な録音機材も備えている場所には、必然的に音楽好きが集まった。僕自身あそこの店内に、よくメンバー募集の貼り紙を出してましたし。実際、UGUISSのドラマーになる松本淳ともそれで知り合ったんですよね。あと、デビュー直後のシュガー・ベイブの生演奏も道玄坂のヤマハに見にいった。あのときは文字どおり立錐の余地もないくらい人でいっぱいでした。
── いい話ですよね。人力飛行機の仲間と3人で、自転車を漕いでかけつけたという。
佐橋佳幸 はははは。僕、生まれも育ちも井の頭線の駒場東大前なので。完全にチャリ圏内だったんですよね。お店のスタッフさんたちもみんな顔なじみでした。お金のないガキに、買えもしないフェンダーのストラトキャスターを黙って弾かせてくれる若い店員さんがいたり……。実はこの人は後に、ヤマハ本体のトップにまで昇りつめて。なぜか教授(坂本龍一)のツアーの現場で再会することになるんですけど(笑)。僕が佐野さんと出会ったように、70〜80年代に道玄坂のヤマハで繋がった人脈はすごく多かったと思いますよ。
オファーの時点で「佐橋くんの曲はない?」って。「じゃあ今ここで書こう!」という流れになって(笑)(佐橋)
── そこからずっと時代が飛んで、プロになった佐橋さんが佐野さんと再会したのは……。
佐橋佳幸 ’89年。佐野さんがご自分のラジオ番組と連動したコンピ盤を企画した際、参加アーティストのひとりとして声をかけていただいて。
── アルバム『mf Various Artists Vol.1』に収録の「僕にはわからない」ですね。当時すでに佐橋さんは、気鋭のギタリスト兼コンポーザー・アレンジャーとして業界では有名になりつつあった時期で。
佐橋佳幸 自分で言うのも何だけど、急激に売れてきた時期でしたね(笑)。ちょっとだけ順を追って話すと、佐野さんと知り合った後に、僕は世田谷区の松原高校というところに進んだんです。この3年間でも、自分のミュージシャン人生を決定づける出会いがいろいろありまして。
── 2年先輩に清水信之(キーボーディスト、作編曲家)、1年先輩に歌手のEPOさん、5学年下には渡辺美里さんが在籍したという “奇跡の都立高校” ですね。今回の本を読んではじめて知りました。
佐橋佳幸 ちなみに、後にザ・ホーボー・キング・バンドのサックス奏者になる山本拓夫くんも、高校時代からの知り合いです。拓ちゃんは同じ区内の千歳高校というところに通っていて、当時は管楽器ではなくベーシスト。それも “世田谷のジャコ・パストリアス” の異名をとる凄腕だった。このへんの経緯は能地さんが(『佐橋佳幸の仕事 1983-2025』で)詳しく書いてくれてるので、ぜひ本を読んでもらいたいんですけど(笑)。要するに僕は、清水先輩に言われて高校2年からEPO先輩のサポートを始めたわけです。EPOさんは高校在学中から、すでに業界の注目を浴びていたので。
── そのライヴでギターを弾いたり、デモテープ作りを手伝ったり。
佐橋佳幸 そうやって高校生なりに人脈を広げつつ、最初にお話したUGUISSの母体ができていったんですね。で、卒業後の’83年、EPICソニーからデビューしたわけなんだけど。残念ながらこのバンドは、自分たちが思ってたようにはうまくいかなくて。活動1年ちょっと、’84年の末には解散しちゃったんです。で、これからどうしようかなと悩んでいたとき「お前、曲も書けるしギターもそこそこ弾けるんだからスタジオ仕事もやってみたらいいじゃん」と声をかけてくれたのが、清水先輩だった。そこからまたEPO先輩のレコーディングに参加したり、後輩の美里のレコーディングに参加したり曲を提供するようになって。だんだんと仕事が広がっていった。

『mf VARIOUS ARTISTS Vol.1』
1989年8月21日発売
── 佐野さんのコンピレーション企画に指名されたのは、ちょうどその頃だったんですね。
佐橋佳幸 ええ。ただ面白いのは、佐野さんはあのとき、シンガーソングライターとしての僕にフォーカスしてくれたんですね。。売り出し中のセッション・ギタリストではなく、むしろ人力飛行機という中学生バンドでつたないオリジナル曲を演奏していた佐橋佳幸を覚えててくださった。そこが思い返してもすごいなと。
── いい話ですね。佐野さん自身は対談内で「あの佐橋くんがプロになって活躍してることに気づいてからは、ずっと聴いていたし、素晴らしい仕事をしているなと注目していた」、さらには「ギタリストとして活躍していたけれど、もともとシンガーソングライターだったし、その頃も自分で自分の音楽を表現するということの途上にあるんじゃないかと思っていた」と回想しています。
佐橋佳幸 実際、オファーの時点で「佐橋くんの曲はない?」って言っていただけた。大まかなモチーフだけ用意して仕事場にお邪魔し、ほぼ缶詰め状態で一緒に曲を仕上げました。その時点ではまだ歌詞はなかったんですけど、いつものあの調子で「じゃあ今ここで書こう!」という流れになって(笑)。できあがったらすぐ、ザ・ハートランドのメンバーとレコーディングしました。考えてみれば、佐橋佳幸というアーティスト名義の楽曲が世に出たのは、あれが最初なんだよね。ギターを弾きながら自分で歌ったのも人生初。
── 「僕にはわからない」は70年代アメリカのシンガーソングライターにも通じる、リラックスした質感のアコースティックバラードです。その後、佐橋さんはザ・ホーボー・キング・バンドで佐野さんと活動を共にするようになり、’97年にはルーツ・ミュージックの “聖地” ウッドストックで『THE BARN』という名盤を作るわけですが、この曲はどこかそれを予見している感じもあったりして。
佐橋佳幸 そこもまた、とっても佐野さんらしいところだよね。これも本の対談でお話ししたエピソードですけど、レコーディングが終わった後、佐野さんが「はいこれ、おみやげ」といってシングル盤を1枚くれたんですよ。それがピーター・ゴールウェイがカバーしたボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」で。
── ピーター・ゴールウェイさん。日本のシティポップに多大な影響を与えたザ・フィフス・アヴェニュー・バンドの中心人物にして、傑出したシンガーソングライターですね。今年4月には佐橋さんと『EN』というコラボレーションアルバムを発表されて。
佐橋佳幸 ピーターは6月には来日し、全国4都市で一緒にライヴもやりました。Dr.kyOnさんも参加してくれたんです。そう思って’89年の「僕にはわからない」を聞くとね。たしかに端々に、ソロ以降のピーターの作風に近い手触りがあったりする。あとギターに関していうと、僕のジョン・ホール好きが炸裂してるでしょ(笑)。
── 70年代前半にウッドストックで結成されたバンド、オーリアンズの伝説的ギタリスト。
佐橋佳幸 そう。それこそ十代の頃から、僕がもっとも敬愛するギタリストのひとりです。でも当時、いろんなセッション仕事に呼ばれる中で、ああいうギターはほとんど弾いてないんですよ。だからそれって、あくまでプロデュースする佐野さんの脳内でどんどんシナプスが繋がってるわけ。つまり「佐橋くんの曲だったら本来、こういうサウンドプロダクションが合うはずだ」って。
── なるほど。
佐橋佳幸 その後、僕は’94年に山下達郎さんのプロデュースでソロアルバムを出したり。あとギタリストの小倉博和さんと山弦というユニットをはじめたりね。ピーターと作った『EN』もそうだけど、要は誰かに依頼された仕事だけじゃなくて。マイペースだけど自分自身の音楽表現も続けることになった。最初にその背中を押してくれたのは佐野さんだったんです。
『THE BARN』セッションは人生最高級に楽しかったですね(佐橋)

佐野元春
『THE CIRCLE』
1993年11月10日発売
── そしてさらに時代が下り、’96年のアルバム『FRUITS』でいよいよ佐野さんのアルバムに参加されるわけですね。これは’93年の『The Circle』でザ・ハートランドを解散した佐野さんが、曲ごとにさまざまなミュージシャンとセッションを重ねて作ったアルバムで。
佐橋佳幸 呼んでもらったときは嬉しかったです。これにもひとつ前段があって。前にもお話したと思うけど、実は僕、佐野さんが『The Circle』を仕上げる現場にたまたま立ち会ってるんですよ。市ヶ谷にあった一口坂スタジオに仕事で行ったら、佐野さんが最終ミックスか何かをしておられて。挨拶に顔を出した僕に、笑顔で「佐橋くん、できたての曲を聴いていかない?」と誘ってくれた。たぶんジョージィ・フェイムが参加した「君を連れていく」「エンジェル」の2曲だったと思うんですけど。感動して「すごいいい演奏ですね!」と盛り上がったわけ。たぶんその記憶が佐野さんの脳内に引っかかっていて。『FRUITS』でいろんなミュージシャンに声をかけたとき、ふと僕の顔も浮かんだんじゃないかなって。そんなマニアックな名前が説明なしで通じる音楽オタクって、そんなにはいないからさ(笑)。あくまで僕の仮説ですけど。
── ジョージィさんもやっぱり、知る人ぞ知るオルガンプレイヤーですもんね。
佐橋佳幸 佐橋はやっぱり話が通じるヤツだって(笑)。そう思ってくれたのかもしれない。

佐野元春
『FRUITS』
1996年7月1日発売
── 参加したのは6曲。「楽しい時」「恋人たちの曳航」「ヤァ! ソウルボーイ」「すべてうまくはいかなくても」「霧の中のダライラマ」「そこにいてくれてありがとう - R.D.レインに捧ぐ」です。レコーディングはどういった印象でしたか?
佐橋佳幸 あのときはバンド形式のセッションではなく、オーバーダビングが多かったの。要はひとりでスタジオに呼ばれていって、ベーシックトラックに合わせて弾くスタイルですよね。基本はストラトキャスターだけど、「恋人たちの曳航」ではアコギも使ってるのかな。佐野さんとリラックスした雰囲気でレコーディングできた記憶があります。
── そのレコーディングセッションを経た1996年1月、佐野さんは約1年半ぶりに全国8都市の「International Hobo King Tour」を敢行します。
佐橋佳幸 スカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)のホーン隊も入れた、けっこうな大所帯でしたよね。まだアルバム『FRUITS』が出る前で、セットリストの大半はザ・ハートランド時代の楽曲だったと思います。ただ、このツアーは佐野さんにとって手応えがあったんじゃないかな。まずメンバー全員、プレイヤーとしてめちゃめちゃうまいですからね。テクニックはもちろん、音楽のことがよくわかっていて、演奏に余裕がある。加えて言うと、僕を筆頭に全員が筋金入りの音楽オタクなんですよ。
── どんなボールを投げても即座に返ってくると。
佐橋佳幸 うん、それこそジョージィ・フェイムの話じゃないけどね(笑)。たとえば僕は高校時代から青山の骨董通りにあった「パイド・パイパー・ハウス」という輸入盤屋さんに通い詰めて。ほしい楽器もがまんして、お金をほぼすべてレコード代に注ぎ込んでいた。で、kyOnさんもまさにそうなんだよね。あの人は京大時代、「プー横丁」という有名なレコード屋でバイトしてあらゆるアルバムを聴きまくっていた。それでいうとベースのトミー(井上富雄)も、後にドラムで参加するシータカ(古田たかし)さんも同じ。メンバー全員が、恐るべきレベルの音楽マニアと言っていい。

1996年9月からスタートした<Fruits Tour>
── ザ・ハートランドから次のステップを模索していた佐野さんには、そこも響いたのではないかと。
佐橋佳幸 うん。1996年7月にアルバム『FRUITS』が出て、2か月後にそのアルバムツアーが始まるじゃないですか。あの長いサーキットで、メンバー間の繋がりが一気に深まった気がしますね。これもあちこちで話してますが、どこかの街に行くと、僕らは当たり前のようにその土地のレコ屋さんを回る。メンバー同士、楽屋でその日の成果を自慢しあうわけですね(笑)。そのうちジャケットを見せてるだけじゃ足りなくなってきて。大阪の日本橋(にっぽんばし)という電気街でポータブルのレコードプレーヤーを買い込んできて。本番前の待ち時間に、交代でアナログ盤をかけるようになった。
── ファンの間では有名な “楽屋ロック喫茶” ですね。そこで頻繁にかかっていたのが、たとえばザ・バンドを筆頭とするウッドストック・サウンドだった。
佐橋佳幸 そうそう。ジョン・サイモンが手掛けた、アメリカンルーツロックの名盤。十代の頃、それこそ大学生の佐野さんから教わったりして夢中で聴いていたやつです。ザ・ホーボー・キング・バンドのメンバーって、音楽性もバックグラウンドもさまざまじゃない。その共通項を探っていったら、何となくそこがフォーカスされていったと。このツアーでの共通体験がやがて、佐野さんの中で『THE BARN』へと繋がっていったんですよね。僕らは僕らで、この時点ではパーマネントなバンドとしての自覚がはっきりあった。
── アルバム『THE BARN』がレコーディングされたのはニューヨーク州ウッドストックの「べアズヴィル・スタジオ」。数々の名盤を生み出した伝説の地にメンバーが3週間泊まり込んで制作されました。この日々については以前、別のインタビューでも伺いましたが、あらためて振り返ってみていかがですか?
佐橋佳幸 いやあ、人生最高級に楽しかったですね(笑)。というのは僕も含めて、ザ・ホーボー・キング・バンドのメンバーはとにかく遠慮しない。こと音楽に関しては、誰に対しても平等でね。それが佐野さんであっても「こうした方が面白くないですか?」みたいな提案を平気でしちゃう。僕の想像ですけど、たぶん佐野さんもそういうフラットな関係性が新鮮だったと思うんです。もちろんザ・ハートランドはザ・ハートランドで、佐野さんの思い描いたヴィジョンを緻密に具現化していくよさがあるんだけどね。ザ・ホーボー・キング・バンドにはそれとはまた違う、風通しのよさがあった。たとえば『THE BARN』の曲には、僕が考案したギターリフもけっこう採用されてますし。そこはkyOnさんもトミーも(西本)明さんも同じだったと思う。

佐野元春 and THE HOBO KING BAND
『THE BARN』
1997年12月1日発売
── 佐橋さんも心置きなく自分を表現できました?
佐橋佳幸 できましたね。セッション仕事だけでなく自分のソロも含めて、ここまでギターを弾きまくってるアルバムは他にないですから(笑)。もちろん佐野さんのアルバムだけど、すごく自分らしさが全開になった作品。どの収録曲を聞いてもそう思います。特に「風の手のひらの上」と「ヘイ・ラ・ラ」のギターソロは、我ながら何か降りてきてる感じすらある。スタジオで即興で弾いて、ほぼワンテイクでOKが出たはずなのに、よくもまああんなフレーズを思いついたなって。

2000年<The 20th Anniversary Tour>
『THE SUN』というアルバムで伝えたかった思い。言葉を超えて、観客に伝わっていく実感があった(佐橋)
── その後、デジタル環境を導入してセルフレコーディングに挑んだ1999年の『STONES AND EGGS』を挟んで、2004年にアルバム『THE SUN』がリリースされました。
佐橋佳幸 3週間で一気に録った『THE BARN』と対象的に、すごく長いスパンで作ったアルバムですよね。新曲ができたらメンバーがスタジオに集まって、アイデアを出し合いつつセッションしてみる。で、それをもとに佐野さんが作業し、まとまったらまた呼ばれてという感じで…。いろいろ試行錯誤を重ねて、最初とはまるで違った仕上がりになったテイクもありました。あと、制作期間中の2001年9月にはニューヨークで同時多発テロがあったじゃないですか。その後アメリカが対テロ戦争に突き進んでいって、世界中に重苦しい空気が立ち込めていった。完成まで時間がかかったのは、そういう影響もあった気がしますね。ひとりの表現者として、激変する世界にどう向き合うかという意味で。なのでアルバムが完成したとき「ああ、自分たちが作ってたのはこういう作品だったのか」って。改めて納得した記憶があります。
── 今のところアルバムとして佐橋さんが深く関わったのは、この『THE SUN』までですね。
佐橋佳幸 うん。『THE SUN』のアルバムツアー以降、だんだんスケジュールがうまく合わなくなったのと。あとは佐野さんも、新たにザ・コヨーテバンドをスタートさせたからね。逆に言うと『THE SUN』で佐野さんの創作現場にがっつり参加できたのは、本当に幸運だったと思う。だって、本当に傑作だもん(笑)。楽曲や世界観はもちろん、サウンドの質感もすごくいいんですよね。このアルバムから、渡辺省二郎がレコーディングエンジニアを担当してるでしょう。
── はい。『THE SUN』から現在に至るまで、ほぼ全作品を手掛けています。
佐橋佳幸 省二郎さんには僕もいろんな現場で仕事をお願いしてますけど、彼は音を汚すのが本当にうまい。記録媒体がアナログからデジタルメディアに変わり、磁気テープ独特のざらっとした質感が失われてしまった。あのロックっぽい手触りをどう再現するか、僕らはこの何十年かずっと苦労してきたわけです。省二郎さんはキャリアも長いからその落としどころを身体でわかっている。しかも単なるレトロ趣味じゃなくて、ちゃんと今の時代の匂いもするサウンドなんですよ。佐野さんの最新作『HAYABUSA JET I』を聞いても、やっぱりそう思う。実験精神も旺盛だし、マイキングのメソッドも独特。『THE SUN』で省二郎さんを抜擢したのは、さすが佐野さん慧眼だなと。作品におけるエンジニアの貢献度って、半端じゃないですからね。

佐野元春 and THE HOBO KING BAND
『THE SUN』
2004年7月21日発売
── 『THE SUN』の収録曲で、個人的に思い入れの深い曲を挙げるとすると?
佐橋佳幸 うーん……個別の楽曲というよりは、やっぱりアルバム全体。もっと言うと、その後のツアーがものすごく印象的でした。バンド演奏も充実していたし、ステージセットも素晴らしかった。アートワークと連動して、舞台に大きな壁が建てられてたんですよ。もちろん、何の象徴と受け取るかは人それぞれだと思う。ただ僕はあの壁のセット自体に、アーティスト佐野元春の矜持が現れている気がした。『THE SUN』というアルバムで伝えたかった思い。あるいは『THE SUN』を作った自分が今、過去のレパートリーを歌う意味。そういったものが言葉を超えて、観客に伝わっていく実感があった。僕たちバンドメンバーはゲネプロのとき、はじめて目にしたんですけどね。『THE SUN』時点での佐野元春を本当に的確に表現できてたツアーだったんじゃないかなと。今でも思います。
佐野元春 - THE SUN Live & Recordings
── それ以降も佐橋さんとDr.kyOnさんのユニット、Darjeelingのアルバムに佐野さんがゲスト参加したり、深い交流は続いています。4枚目のアルバム『8芯ニ葉~雪あかりBlend』(2019年)収録の「流浪中」は、いかにもホーボー・キング・バンドの盟友らしいニューオリンズ風味のスワンプロックでした。
佐橋佳幸 あのときはkyOnさんとふたりで作ったデモ音源を、満を持して佐野さんに送ったんですよ。そうしたら佐野さんが、そこに自分のプライベート・スタジオで歌を乗せて返してくれて。「僕のヴォーカルはこれでOK。スタジオには行くけれど、これを聴きながらメンバーに演奏してほしい」と言うわけです。で、言われたとおりスタジオでセッションしていたら、やおらブースに入ってきて。kyOnさんがセットしたオルガンの前に座って、「じゃあ始めよう!」って(笑)。たぶん僕たちの演奏を眺めているうちに、我慢できなくなったんでしょうね。そういう佐野さんのチャーミングな逸話は、他にも売るほど持ってますよ(笑)。

Darjeeling
『8芯ニ葉~雪あかりBlend』
2019年1月23日発売
── 最後にひとつだけ。佐橋さんにとってのアーティスト佐野元春の本質は、どこにあると思われますか?
佐橋佳幸 うーん。あまりにもいろんな側面がある人だけど……やっぱりシンガーソングライターですよね。要は歌詞も含めた曲を書くということが、人生の中心にある人。もちろんその過程には、佐野さんが吸収したあらゆる音楽、カルチャーの要素が入ってくるわけだけど。佐野さんの場合、そのすべてが最終的に曲作りに還元されていくわけじゃない。それを十代の頃から今に至るまでずっと続けているのは、本当にすごいと思う。近年は時代のスピードが速くなって、音楽の作り方も受け手の好みもどんどん変わっていくじゃないですか。そういう時代に佐野さんが、次はどんな歌を作っていくのかすごく知りたい。考えてみれば中学2年で衝撃を受けてから、僕はずっとそうやって佐野さんを見てきた気がします。
(了)
※記事をクリックすると拡大します。
▲『MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』ブックレットより

佐橋佳幸(さはし・よしゆき)
●音楽プロデューサー、ギタリスト。東京都目黒区出身。70年代初頭、お小遣いを貯めて買ったラジカセがきっかけで全米トップ40に夢中になり、シンガーソングライターに憧れ、初めてギターを手にする。中学3年生の時に仲間と組んだバンドでコンテストに入賞。高校受験を控えつつも、強く音楽の道へ進むことを志す。’77年春・都立松原高校に入学。一学年上のEPO、二学年上の清水信之という、その後の音楽人生を左右する先輩たちと出会う。デビューを控えたEPOとのバンドと並行して、ロックバンドUGUISSを結成。’83年にEPICソニーよりデビューする。解散後、セッション・ギタリストとして、数え切れないほどのレコーディング、コンサートツアーに参加。高校の後輩でもある渡辺美里のプロジェクトをきっかけに、作編曲・プロデュースワークと活動の幅を拡げ、’91年にギタリストとして参加した小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」、’93年に手掛けた藤井フミヤの「TRUE LOVE」、’95年の福山雅治「Hello」等が立て続けにミリオンセラーを記録し、クリエイティビティが高く評価される。
’94年には初のソロアルバム『Trust Me』を発表。“桑田佳祐” とのユニット “SUPER CHIMPANZEE” にて出会った、“小倉博和” とのギターデュオ “山弦” としての活動等、自身の音楽活動もスタート。’96年、佐野元春 & The Hobo King Bandに参加。’03年、EPICソニー25周年イベント<LIVE EPIC 25>の音楽監督。’15年、3枚組CD『佐橋佳幸の仕事(1983-2015)~Time Passes On~』をリリース。座右の銘は「温故知新」愛器はフェンダー・ストラトキャスターとギブソン・J-50。趣味は読書と中古レコード店巡り。
https://note.com/sahashi
★佐野元春×佐橋佳幸スペシャル対談を含む書籍『佐橋佳幸の仕事 1983-2025』(能地祐子・著/リットーミュージック・刊)発売中!
https://www.rittor-music.co.jp/product/detail/3125351001/
佐野元春コラボレート
STUDIO
1996『FRUITS』(G, Ag)
1997『THE BARN』(G, Back Vocal)
1999『STONES AND EGGS』(G)
2004『THE SUN』(G, Mn, Banjo, Perc, Back Vo)…and so on
LIVE
International Hobo King Tour(1996年1月~2月)
Fruits Tour(1996年9月~12月)
全国クラブ・キャラバン・アルマジロ日和(1997年10月)
The Barn Tour ’98(1998年1月~4月)
Driving For 21st. Monkeys(1999年3月)
Stones and Eggs Tour ’99(1999年9月~10月)
The 20th Anniversary Tour(2000年1月~3月)
Rock & Soul Review(2001年6月~7月)
Plug & Play ’02(2002年9月~10月)
THE MILK JAM TOUR ’03(2003年5月~7月)
THE SUN TOUR 2004-2005(2004年10月~2005年2月)…and so on
▲ウェブマガジンotonano別冊『Motoharu Sano 45』記事内のEPICソニー期の作品表記は2021年6月16日発売された『MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』ブックレットに基づいています。


-
【Part6】2005-2009|Motoharu Sano 45
2025.10.6
-
【Part4】1995-1999|Motoharu Sano 45
2025.7.25