2025年8月号|特集 TUBE
【Part1】春畑道哉×角野秀行|TUBE 40thスペシャル・インタビュー
対談
2025.8.1

「デビューできる! やったー! 頑張ろうね!」って。それがゴールだった(角野)
でも “夏?” とは、メンバーみんな思いましたよ(笑)(春畑)
── 6月11日にリリースしたデビュー40周年を記念する『All Singles TUBEst -Blue-』『All Singles TUBEst -White-』を軸に、TUBEの40年を振り返っていただきたいと思います。まずは “Blue” 盤に収録の’85年6月のデビューシングル「ベストセラー・サマー」から’89年12月の「Stories」までの、80年代についてですが。
角野秀行 「SUMMER CITY」(’89年)から平成元年になったね。
── そうですね。昭和から平成へ、そして「SUMMER CITY」を最後に、レコードからCDに移行したという転換期でもありました。
春畑道哉 「ベストセラー・サマー」でデビューした時は、CDはまだ一般的ではなくて、「これからはリスナーもCDに移行するんですよ」っていうレコード会社の話を、みんなで集まって聞いたよね。「どういうことだ?」「こんなに小さくなるの?」って。あれ、なんか、楽しかったな。
角野秀行 うん、楽しかったね。
春畑道哉 レコードができるとスタッフの家に集まって、チリチリチリっていうレコード針のノイズの音を聴いて、このぐらいの(音量の)音で聴こうって決めていたんですよ。(CDになってから)いつも通りにやろうとしたら、ノイズが鳴らないからどんどん音量を上げていって、いきなり爆音が鳴ってみんなで気絶しそうになって(笑)。ノイズがない! 怖い!って。
角野秀行 戦後の話じゃないですよ(笑)。
── はい(笑)。80年代の頃は、バンドの音楽性や方向性について、模索されていた時期ですか?
春畑道哉 まだそこまでいってなかったと思う。僕らはまだ10代とか20歳になったばかりだったので、レコーディングはこうやるんだよ、とか、ライヴの組み方はこうだよ、とか、プロデューサーに教わっていた、勉強期だったというか。
角野秀行 勉強期だったね。僕らのアマチュア時代と今との一番の違いは、レコードを出すことがゴールだったんですよ。なんとかデビューしたいっていうのがゴールだったので、それ以降のことは何も考えてなくて。
春畑道哉 ノープランのまま(笑)。
角野秀行 ノープランのままで、「デビューできる! やったー! 頑張ろうね!」って。それがゴールだったんです。

TUBE
「ベストセラー・サマー」
1985年6月1日発売
作詞:三浦徳子/作曲:鈴木キサブロー/編曲:武部聡志・鈴木キサブロー
春畑道哉 あとはライブツアーができるぞ! って。「ベストセラー・サマー」でデビューした時は、ぼちぼちいい感じだったんですね。“もうすぐトップ10” みたいな感じで、ランクインはしなかったけど、テレビに出させてもらったりして。で、セカンドで “あれっ?” ってなっちゃったわけですね。3作目を出す時に、「お前ら、これミスったらもうおしまいだから」って言われて、憧れだった世界が一年で終わるのか……一年って短かったなって思って(笑)。
角野秀行 お金がないから新しいTシャツとジーパンだけ4人で原宿に買いに行って。そんな状況だったんだけどその時に初めてツアーをやらせてもらえるようになって。
春畑道哉 北海道で14日間13本っていうスケジュールでしたね。自分たちで運転して、セッティングもバラシもやって。近所のお母さんたちがケアしてくれるんですけど、採れたての牛乳を「美味しいから飲んでね」って出してくれて。それが美味しくて美味しくて、みんなガブガブ飲んじゃって、全員下痢するっていう(笑)。
角野秀行 ハル(春畑道哉)はまだ10代ですからね。
春畑道哉 コントロールが効かなかったんです。
── 3作目である「シーズン・イン・ザ・サン」をもらった時は、メンバーのみなさんはどんなふうに感じていたのでしょうか?
角野秀行 それまで織田哲郎さんの曲は、もともとあったものをTUBEがカバーさせていただいていたんですけど、TUBEのために織田さんが書き下ろしてくれたのは、この曲が初めてだったんですよ。その頃、織田さんも作曲家ではなかったから。
春畑道哉 デビュー前に、織田さんの曲がかっこいいからってことで、コピーをしていたんです。ちょうど小編成のバンドにも合うようなアレンジの曲も多くて。僕らはずっとハードロックばかりやっていたから、日本語のロックで、でもパンキッシュではない曲、ということで織田さんの曲をコピーし始めて。コピーすることですごい勉強になったんですよ。その織田さんが僕らの曲を書いてくれるってことになった時は、やっぱり嬉しかったですね。

TUBE
「シーズン・イン・ザ・サン」
1986年4月21日発売
作詞:亜蘭知子/作曲・編曲:織田哲郎
── そして「シーズン・イン・ザ・サン」は大ヒットしました。
角野秀行 ギリギリセーフだね(笑)。でも、ギャップがあったと思います。キリンビールのCMソングとして起用されてヒットしたから、曲は知ってるけど、どんな人がやってるのか、みんな知らなかったんじゃないですか。こんな小僧なの? みたいなギャップがあったのかなと思います。
── 音楽テレビ番組『ザ・ベストテン』でも1位を獲得していますね(1986年7月17日OA)。
春畑道哉 (ランキングのデータを見ながら)そうでしたね。
角野秀行 この頃、ベースの練習もあって、とてつもなく忙しかったこともあり、あんまりその瞬間の記憶にないんですよね(笑)。

春畑道哉
── シングルとしては、「SUMMER CITY」(’89年)が前田さん作詞作曲、「Stories」(’89年)で春畑さんの曲がシングルタイトル曲になりました。
春畑道哉 そうですね。それまで作っては出し、作っては出しても使われない日々を繰り返していたんですけど。「Stories」はパナソニックのCMが決まっていて、パナソニックの方が選んでくださったそうなんです。それからは「じゃあ、あとは自分たちでやって」と。
角野秀行 急にね(笑)。それまでは織田さんや、栗林(誠一郎)くんとか、いろんな周りの人たちが曲作りを手伝ってくれたり、アレンジしてくれたりしていたんですけど。織田さんの曲の時なんて、「ハル、だいぶ良くなったよ」って8時間ぐらいギターを弾き続けさせられたりとかね。
── 8時間ですか!
春畑道哉 ヘタクソだったとは思うんですけどね。自分では「かっこいいのが弾けたぜ」って思ってるんだけど、ずっとOKが出ないんですよ、大人たちの。一晩中やってましたね。8小節のギターソロのOKが出ない。もう特訓ですよ。泣いて家に帰って、翌日またスタジオに行くっていう。ずいぶん鍛えてもらいましたね、スタッフに。
角野秀行 僕らはそれを後ろでずっと見ているわけですよ。「何が悪いんだろうね?」って。そこでレコーディングのやり方とか、どういうふうに向き合っていくものなんだとか、いろいろなことを教わって、とにかく鍛えられました。
春畑道哉 楽器もめちゃめちゃ上手くなきゃダメっていう人たちの中で育ったからね。それまでハードロックばっかりやってたから、クリーントーンでのカッティングなんて、やったことなかったから。ルートと5度のバッキングしかやったことなかったから(笑)。
角野秀行 “ナインスコード” とか “メジャーセブンス” とか、シャレたコードなんて「なんだこれ?」みたいな感じだったから。ディレクターにギタリストが多かったから、特にハルは大変だったよね。
春畑道哉 ひとりひとり個人名はあげませんが、みんなブルースの名手、カントリーの名手、AORの得意な人、ハードロック系の人って、スペシャリストがいて、そのレベルまでいかないと許してもらえなくて。
角野秀行 で、大人ってやりたがるじゃないですか。
春畑道哉 そうそう! 「違うよ、こうだよ」って、すぐにギターを奪われちゃって。「こういうの弾けないの?」って言われるけど、弾けないんですよ。
── その頃は血気盛んな時期だと思いますが、それに対して反抗期はなかったのですか?
春畑道哉 反抗期……いや、もう必死でしたね。アマチュア時代から自分たちはレベルが高いって思っていたんですよ。高校の中ではナンバー3に入るぐらい上手いんじゃない? って勘違いしてたんですけど、志をへし折られましたね。
── こういう音楽をやりたいわけじゃない! って思うことはなかったですか?
春畑道哉 “夏?” とは、メンバーみんな思いましたよ(笑)。
角野秀行 そうだよね。ハルもたくさん曲を作って、みんなでリハーサルもたくさんしたけど、「お前らがやりたいようにしたいんだったら、まず売れろ」と。「それまで頑張れ」とも言ってくれましたけど、辛い日々でしたよ。前ちゃんもライヴ終わった後に、喉がガラガラの状態で歌入れしにスタジオに行って。「こんな声じゃダメだな、はい、明日またスタジオに来なさい」みたいな。歌詞もちょっと見て「はい、明日まで書き直してきて」って。
春畑道哉 プロデューサーに歌詞をポイって捨てられてね。それをヘッドスライディングで取りにいく、みたいな(笑)。でも「今は大事な時期だからもっとこういう音楽を聴かなきゃダメだ」って、プロデューサーがいろんな音楽を聴かせてくれたり。
角野秀行 毎晩毎晩ね。で、それに付き合うとご飯を食べさせてくれるわけですよ。だから、それに付き合ってご飯を食べて、じゃあ帰ろうかって。そんな日々でした。

角野秀行
── 少し話を戻しますが、2000年あたりからセルフプロデュースを手掛けるようになったのですね。
角野秀行 そうですね。「SUMMER CITY」(’89年)から僕らに任せてもらえるようになって。
春畑道哉 このあたりでさっきお話した特訓期がやっと終わったね。
角野秀行 自分たちでやるようになって、キーボードやパーカッションで参加してくださる有名な方たちに、良いか悪いかを自分たちで伝えなきゃいけないじゃないですか。それはそれでまた大変でした。ちょうどその頃にコンピュータも出てくるようになって、ある程度自分たちで形にできるようになった。だからとにかく時間がかかってました。
春畑道哉 自分たちでMacを取り入れるようになってから、面白い実験ができるようになったよね。
── ターニングポイントとなった楽曲はありますか?
角野秀行 「あー夏休み」(’90年)や「さよならイエスタデイ」(’91年)ですかね。「あー夏休み」はそれまでとはかなり毛色が違う曲じゃないですか。その頃、年齢も24、25あたりだったので、カッコつけたい年頃でしょ。リゾートっぽいビーチの似合うバンドでいたいけど、急に “湘南で見た 葦簀の君は” ってどうなのよ?っていう葛藤があって。僕らはロックが根底にあったので、ラテンとかそういうものに対してすごく抵抗があったんですよ。

TUBE
「あー夏休み」
1990年5月21日発売
作詞:前田亘輝/作曲:春畑道哉・前田亘輝/編曲:TUBE
── でも作詞が前田さん、作曲が春畑さんで、みなさんで作られた曲ですよね。
角野秀行 みんな面白がりなんで、「こうやったらムード歌謡みたいだよね」ってワイワイとギャグでやっていたことを、胸張ってシングルとして出すということに抵抗があったんです。もう一曲「N・A・T・S・U」っていう曲があって、僕らはわりと民主主義なので、レコード会社の人、メンバー、マネージャーも含めて、どちらをシングルにするのか、かなり話し合いました。当時はシングルを出すって、すごい大変なことだったんですよ。その年の一番を出して評価してもらうっていうことですから。「あー夏休み」と「N・A・T・S・U」だと、プロモーションの仕方もMVの内容も違うし、衣装も変わる。すべてが変わってしまいますからね。
春畑道哉 浴衣でテレビに出るっていうのもね(笑)。
角野秀行 当時は玉置浩二さんとか、みんなお化粧をして、ダブルの肩パッドギンギンの衣装を着てものすごくカッコいい人たちの中に、浴衣で出るって、正直、相当きつかったですよ。20代の自分たちとしては。でも、これをやったことによって、後々いろんなことが楽になるんですけどね。
春畑道哉 一気に広がりましたね。これもOKなんだと思ったら、悪ノリが悪ノリするみたいな感じで。
角野秀行 悪ノリがすごいから(笑)。ものすごくギャグのつもりでやった曲が、ちゃんと評価されたりすると、それはそれで面白いなと思っていました。「さよならイエスタデイ」(’91年)の方は、初めての女性視点の歌詞で。それまでとはやっぱり違う感じでしたね。この頃から、春先と盛夏にシングルを出して、その間にアルバムを出す、という流れになっていって。この辺からちょっとずつ夏が中心になっていったんです。
春畑道哉 ようやく気づいたよね。夏以外はそれほどニーズがないんですねって(笑)。それなら無理するのはやめましょうって。夏に活動しようって決めてからは、すごく明確に自分たちで計画が立てられるようになったので、音楽活動楽しくできるようになりました。

TUBE
「さよならイエスタデイ」
1991年7月1日発売
作詞:前田亘輝/作曲:春畑道哉/編曲:TUBE
── 夏に絞り込んだことで、行き詰まったりすることはなかったですか?
角野秀行 締め切りぐらいかな。
春畑道哉 うん。ハワイレコーディングしていた頃は、超楽しかったですね。サーフィンやったり、バーベキューやったり、ツーリングして英気を養って、日が暮れるとスタジオで演奏。
── こうしてシングルを時系列で聴いていくと、時代とともに変化していくサウンドを楽しむことができますね。
春畑道哉 自分では、この頃はこんなアンプを使ってたな、っていう聴こえ方もするんですよね。
角野秀行 うん。ギターの音色や歌の感じとかも。やっぱり時代とともに機材も変わって手法も変わるわけじゃないですか。この頃はみんなで何を聴いていたとか。
── その頃にバンド内で流行っていた音楽が。
角野秀行 そう。絶対にエアロスミスを聴いてる時期だな、とかね(笑)。僕らはわりとミーハーなので、その時に音楽シーンで盛り上がっていたものがわりと明確に出ているなと思います。やりたいことを詰め込みまくっているんですよ。
春畑道哉 チャンネル数も昔と違って無限になっちゃったから。
角野秀行 スタジオの技術も向上しているから、もうやりたい放題、盛りだくさんの時代でしたね。
(【Part2】に続く)

TUBE
1985年6月1日、シングル「ベストセラー・サマー」でデビュー。’86年の3rdシングル「シーズン・イン・ザ・サン」で大ブレイク。翌年の「SUMMER DREAM」の大ヒットで “夏と言えばTUBE” として親しまれ人気バンドに。シングルは’90年から2004年までTOP10入り(15年連続)、アルバムは’86年2012年までTOP10入り(27年連続)の記録を持つ。デビュー日にちなみ、米国ハワイ州では2000年から6月1日を「TUBE DAY」と定めている。制定時にはハワイにおいてアジア人初となるアロハ・スタジアムにてライヴを行った。2025年8月23日は、36回目(’88年~)となる恒例の横浜スタジアム・ライヴを行う(TUBE自身が持つ横浜スタジアム単独公演最多記録を更新中)。
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前田 亘輝 Vocal
- 血液型
- A
- 生年月日
- 1965.4.23
- 星座
- 牡牛座
- 出身地
- 神奈川県
春畑 道哉 Guitar・Keyboard・Chorus
- 血液型
- A
- 生年月日
- 1966.11.5
- 星座
- 蠍座
- 出身地
- 東京都
角野 秀行 Bass・Chorus
- 血液型
- A
- 生年月日
- 1965.7.6
- 星座
- 蟹座
- 出身地
- 神奈川県
松本 玲二 Drums・Chorus
- 血液型
- AB
- 生年月日
- 1966.5.30
- 星座
- 双子座
- 出身地
- 神奈川県

◎TUBE 40周年記念コラボレーション・アルバム!
TUBE 『TUBE×』
(読み:チューブ・カケル)
2025年8月6日発売

◎TUBE初のオールSinglesベストアルバム“Blue”盤[1985-1999]
TUBE 『All Singles TUBEst -Blue-』
2025年6月11日発売

◎TUBE初のオールSinglesベストアルバム“White”盤[2000-2025]
TUBE 『All Singles TUBEst -White-』
2025年6月11日発売
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【Part2】春畑道哉×角野秀行|TUBE 40thスペシャル・インタビュー
対談
2025.8.8