2025年7月号|特集 女性アイドル1985

【Part3】南野陽子スペシャル・ロングインタビュー

会員限定

インタビュー

2025.7.16

インタビュー・文/原田和典 写真/山本佳代子


【Part2】からの続き)

作詞家さんも作曲家さんもアレンジャーの方も自由に創作されていたおかげで、バラエティに富んだ歌を歌ってこられた。


── 1985年6月リリースのデビューシングル「恥ずかしすぎて」は最高57位でしたが、その約1年後にリリースされた「風のマドリガル」は最高5位に到達しました。自分の周りがどんどん動いているとか、自分に対する注目が増している実感はありましたか?

南野陽子 なかなか実感できませんでした。確かに忙しくなってはいましたが……ソニーなので自分の出ていた番組もベータのビデオデッキで録ってはいるけど、家に帰る頃にはもうヘトヘトでよっぽどのときしか見なかったし、新聞や雑誌の取材記事をチェックもしていなかった。だから誰かから「(テレビドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」の大ヒットの影響で)みんなヨーヨーを持っていますよ」ときいても「何で持っているの?」という感じでした。売られていることも知りませんでしたし。

── ’87年1月リリースの「楽園のDoor」から、いよいよ“シングル8作連続1位”という大変な記録が始まります。

南野陽子 忙しい毎日が日常にはなっていました。デビューして1年半くらいの「楽園のDoor」でチャートの1位を取ったときは、本当に「陽子、おめでとう」みたいな感じになって、そのあたりから一緒にいる人の数も何となく増えていきました。ソニーの各テレビ局の担当さんとか制作の人たちもいれば、スタイリストさんやヘアメイクさんもいて、「明星」とか雑誌の編集者さんやスポーツ新聞の記者さんがずっと同行していました。当時は「ザ・ベストテン」、「ザ・トップテン」、「夜ヒット(夜のヒットスタジオ)」など、歌の前にトークが入る番組も多くて、そのネタの打ち合わせも必要でした。「ベストテン」の楽屋に行けば「トップテン」の構成作家さんがいて、「トップテン」の楽屋に行けば「夜ヒット」の構成作家さんがいる感じでしたね。打ち合わせしているところを別の番組の作家さんが耳ダンボで聞いている感じです。


南野陽子
「楽園のDoor」

1987年1月10日発売


── ライバル番組の作家たちが呉越同舟していたとは驚きです。何かそれぞれがバチバチ火花を散らしているようなイメージがあったものですから。

南野陽子 セットを見て「うちの番組ではちょっと変えよう」とか、その番組独自の色を出していたとは思いますが……。楽屋の廊下とか、メイクや食事中に「今なら」という感じで、「最近、何したの?」とか「趣味は何?」などと尋ねられて、その時の答えが次の番組のトークのネタになるんです。

── 「トップテン」が月曜日で、「夜ヒット」が水曜日。「ベストテン」が木曜日。「Mステ」が金曜日。「ヤングスタジオ101」以外は全部生放送でした。





●南野陽子 (みなみの・ようこ)
1985年、18歳のバースデーにデビュー。CBS ソニーよりシングル「恥ずかしすぎて」をリリース。歌手活動と並行してドラマ『時をかける少女』、『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』に主演し、CM出演や多くのグラビアなどを飾るなど一躍トップアイドルの座を獲得する。歌手として、「楽園のDoor」「はいからさんが通る。」「吐息でネット」等でシングルチャート9作連続1位を記録。女優としても、ドラマや舞台など今までに250作以上の作品に出演し、映画では『寒椿』『私を抱いてそしてキスして』(1992年)で日本アカデミー賞優秀主演女優賞、『三たびの海峡』(1995年)で助演女優賞等を受賞。2025年にデビュー40周年を記念し、3枚組アナログ・レコード『Yoko Minamino 40 th Anniversary Records』を7月23日にリリース。7月27日より、全国5都市を廻るデビュー40周年記念コンサート・ツアー「YOKO MINAMINO 40th Anniversary ~ALL singles~ “楽園のDoor”」も開催。

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