2025年6月号|特集 ジャパニーズ・フュージョン

【Part1】安藤正容(元T-SQUARE)が語るジャパニーズ・フュージョン 

インタビュー

2025.6.2

インタビュー・文/細川真平


名だたるアルバムでいっぱい弾いていた松原正樹さんには憧れましたね


── 今日は “ジャパニーズ・フュージョン” をテーマに、T-SQUAREのリーダーとしてシーンのフロントを歩み続けてきた安藤さんに話を伺いたいと思います。いきなり持論というか、長い質問をさせていただいてよろしいでしょうか?(笑)。

安藤正容 どうぞ(笑)。

── フュージョンという音楽ジャンルの成り立ちは、海外ではふたつの流れがあるように思います。ひとつは、1960年代終盤にマイルス・デイヴィスがエレクトリック化したのを起源として、ジャズ・ロックが生まれました。70年代になると、マハヴィシュヌ・オーケストラとか、そのドラマーだったビリー・コブハムとか、ウェザー・リポートとか、リターン・トゥ・フォーエヴァーとかが出てきます。もうひとつは、ソウル/R&Bとジャズが融合した流れで、クルセイダーズとかスタッフとかがそうだと思います。この流れの中にコーネル・デュプリーやラリー・カールトンなどもいて。それで、日本においてはどうかというと、このふたつの流れもありながら、今ではシティポップと呼ばれているジャンルの影響も大きかったと思います。当時は “ニューミュージック” と呼ばれていたと思うのですが、ポップで、センスがあって、オシャレで、分かりやすい音楽性で。日本では、この3つの流れが融合されて、欧米とは一味違う、いわゆる “ジャパニーズ・フュージョン” が出来上がったのかなと思っています。その中で、THE SQUAREというのは、当初から “ポップ・インストゥルメンタル・バンド” という言い方をされていたわけで、つまり、“フュージョン” とは言わないにもかかわらず、その時代からすでに、今で言う “ジャパニーズ・フュージョン” を代表するバンドだったように思います。

安藤正容 自分の中でも、あんまりそのへんの話は整理はできていないんですけど。でもやっぱり、日本のフュージョンって独特かなとは思っています。特に、我々THE SQUAREは独特な立ち位置だったと思うんです。僕がこういう音楽を始めたころって、今おっしゃったように、ジャズをベースにしたものもあれば、もうちょっとポップ寄りと言うか、リズム&ブルースなんかをルーツとした、スタッフとかクルセイダーズみたいなものもあって。なおかつ、ジェフ・ベックみたいな、ロックをベースにしたインストゥルメンタル・ミュージックもあったと思うんですね。

── 確かにそうですね。ジェフ・ベックのような、ロック側からのアプローチもありました。

安藤正容 僕は、そのどれにもすごく影響を受けているんです。どれも聴いていたんですよね。ただ、僕の根底に流れているのは、いわゆるポップスと言われるようなものなんです。それは、例えばビートルズだったりとか。メロディアスで、かつメロディーがはっきりとしていて、曲の構成も分かりやすい音楽が好きで。そういうものを聴いて育ってきましたから。

── そういうところが、THE SQUAREの音楽にも反映されていますね。

安藤正容 ええ、そう思います。僕はあんまりジャズを勉強していないんですよ。見様見真似で曲を作るようになったんですけど、すごくくどいメロディー部分があって(笑)、 A、B、Cと明確なパートがあるような、そういう曲を書いていました。ですから、特に僕がやろうと思っていたインストゥルメンタルな音楽というは、他のどれとも違っていたのかもしれないですね。

── なるほど、とても分かる気がします。

安藤正容 ただ、曲を作る上で一番影響を受けたのはリー・リトナーだったかもしれない。曲の構成がはっきりしていて、聴きやすくて、覚えやすいメロディーが主体となっているというような部分ですね。

── リー・リトナーのそういう部分に、安藤さんがもともとお好きだったビートルズなどのポップな音楽をインストゥルメンタル化したようなニュアンスがあったということでしょうか?

安藤正容 そうです。だから、日本の他のフュージョン・グループ、プリズムとかカシオペアなんかと比較すると、THE SQUAREは全然甘っちょろい感じの音楽だったと思います(笑)。

── いやいや、それはそういう個性ですから(笑)。そのあたりの、カシオペアなどについては、またあとでお聞かせいただきたいと思います。それで、先ほど安藤さんは、ジャズはそんなに勉強していないとおっしゃっていましたけど、ジャズ・ギタリストに師事されたこともありますよね?

安藤正容 和田直さん(ジャズ・ギタリストで、名古屋のジャズ・クラブ「ココ」も経営)に出会ったのが高校生のときで、特に師事したというわけじゃないんですけども、彼のお店には足繁く通っていましたね。その和田さんから高柳昌行さん(フリー・ジャズから強く影響を受けた伝説的ギタリスト)を紹介されて、大学生のころには少し教わっていました。なので、大学のころは一応ジャズをやろうとはしたんですよ。チャーリー・クリスチャンまで遡って聴いたりもしましたし。でも、大学のジャズ研でやる曲って、「枯れ葉」とか、「酒バラ(酒とバラの日々)」とか、いわゆるスタンダードばっかりで、どこが面白いのか僕には全然分からなくて(笑)。それで、ジャズに挫折したころに、リー・リトナーとかジョージ・ベンソンとか、ああいうギタリストたちが出てきて、それの真似をしていったという感じです。


── 明治大学にいらっしゃった’76年にTHE SQUAREを結成されていますね。海外のクロスオーヴァー、その後フュージョンと呼ばれるようになる音楽が日本にどんどん入ってきていた時期ですね。

安藤正容 そうです。だから最初はTHE SQUAREでは、リトナーの曲などをコピーしてやっていましたね。ジェフ・ベックの曲もやりました。

── ’75年に『ブロウ・バイ・ブロウ』、’76年に『ワイアード』(ともにジェフ・ベックを代表する名盤)が出ていますから、それは影響を受けますよね。

安藤正容 あとは誰だろう、もっと地味な人たちもコピーした覚えがあります。今パッと思い浮かばないんですけど、とにかくいろいろ出てくる新譜を次々と聴いて、いい曲があると、「これやってみよう」という感じでやってましたね。そういうふうに、当初はコピーものばっかりやってましたけど、次第に自分で曲を書くようになって、オリジナルもやりはじめました。まったく闇雲に曲を書いて、とにかくやってみる、みたいな感じでしたけど(笑)。だから、デビュー・アルバムを出すころには、けっこう曲が溜まっていましたね。

── デビューされてからのアルバムを聴くと、ソリストによる長いリード・プレイよりも、楽曲自体の良さとか、アンサンブルとかを重視しているように思います。これは、アマチュア時代からそういう方向性だったのでしょうか?

安藤正容 半々ぐらいだったかな、正確にはちょっと覚えてないんですけども、THE SQUAREの初期のころのほうがオープンのソロ(長さを決めず自由にインプロビゼーションするソロ・パート)が多かったとは思います。我々がどういうふうに自分たちの方向性を決めていけばいいのかっていうのは、デビューしてからも最初のころは歌ものもやってみたりとか、迷走してたんですよ(笑)。そのあたりがきちっとしはじめたのが、(’82年に)キーボードの和泉宏隆が入ってからですね。彼が入ってから、「あ、こういう感じで僕らはやっていけばいいな」っていうのがはっきりしました。方向性がひとつ定まった感じですね。


PARACHUTE&松原正樹
『プラチナムベスト(UHQCD)』

2017年発売


── 当時の日本のフュージョン・シーンを少し振り返りますと、’76年に高中正義の『SEYCHELLES』、’77年に山岸潤史、森園勝敏、大村憲司、渡辺香津美によるオムニバスの『GUITAR WORKSHOP』、’77年にプリズムの『PRISM』、’77年に増尾好秋の『SAILING WONDER』、’78年に渡辺貞夫の『カリフォルニア・シャワー』などが出ています。THE SQUAREのスタートがまさにこのあたりの時期ですが、こうした日本のフュージョンも聴いて、取り入れたりしたのでしょうか?

安藤正容 取り入れているかどうかは分からないですけど、プリズムは学生時代に聴いていて、渋谷の屋根裏(ライヴハウス)まで観にいったりもしたんです。和田アキラのギターがすごいなと思って。けっこうノックアウトされましたし、また、そのプリズムのアルバムがすごく売れたっていうのが学生の間で評判になって、「ああいう音楽でも売れるんだ」っていう驚きもありましたね。あと、高中さんのアルバムも聴いていました。さっき言われた『GUITAR WORKSHOP』っていうのは知らなかったですけど、PARACHUTE(松原正樹、今剛などのスタジオ・ミュージシャンによって結成され、’80年にデビューしたフュージョン・バンド)なんかも聴いてましたね。まあでも、やっぱりギタリストに目が行くというか、どうしてもギターを中心に聴いてましたよね。だから松原さんなんかも、PARACHUTE云々っていうよりは、もうそれこそ、ユーミンのアルバムで弾いてるソロがすごいなって思ったりしていましたし。実は松原さんが同い年だとあとで知って、けっこうがっくりしたんですけど(笑)。 自分が大学生のときからプロでやってらして、もう名だたるアルバムでいっぱい弾いていた松原さんには憧れましたね。



THE SQUARE
『Lucky Summer Lady』

1978年9月21日発売


── デビュー前のTHE SQUAREは、「絶対にプロを目指すぞ」という気持ちで活動をしていたのですか?

安藤正容 いや、うーん、そこまでではなかったですね。大体、プロでやっていけるのかっていうのは全然わかんなかったですし。まあだから、ファースト・アルバムが出てからですね、プロでやっていくことを意識したのは。でも、ファーストは出たけど、そのあと続いてやっていけるかどうかなんて、もちろん分からないわけですし。

── そういう割と自信がない感じだったんですか?(笑)。

安藤正容 ええ。ただ、若かったからか、「どうにかなるだろう」みたいな感じでしたけどね(笑)。

【Part2】に続く)




安藤正容 (あんどうまさひろ)
1954年生まれ。愛知県出身。’76年に安藤(ギター)を中心にTHE SQUAREを結成。’78年にアルバム『LUCKY SUMMER DAYS』でデビュー。日本が世界に誇るポップ・インストゥルメンタル・バンドとして海外でも精力的に活動、全米でのアルバム・リリース(’88, ’89年)プレイボーイジャズフェスティバル(’94年)への出演(’88年、アメリカでの活動の際に使用していた “T-SQUARE” にバンド名を変更)。アジア圏、特に韓国では’94年の初公演以降これまで7度にわたって公演を敢行し、現地で絶大な人気を得ている。2021年2月、T-SQUARE退団発表後、4月にT-SQUARE在籍最後のアルバム『FLY! FLY! FLY!』を発表。同年夏には<安藤正容Farewell Tour T-SQUARE Music Festival>を開催。2022年、T-SQUAREの元メンバーである則竹裕之、須藤満とアカサカトリオを結成。ソロやデュオなど多様なギター・スタイルでライヴ・ハウスを中心に精力的に音楽活動を展開中。
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