アネックス|Motoharu Sano 45

【Part2】1984-1989|Motoharu Sano 45

2025.5.27



Motoharu Sano 45


HISTORY●佐野元春ヒストリー~ファクト❷1984-1989



文/斉藤鉄平




日本ロック史に刻まれるべき偉大なる放浪の始まり


Dear You
今年はしばらく
ニューヨークに住んでみたい
イースター・パレードをみたり
友人に出逢ったり
地下鉄に乗ったり
(それが僕にとってどういう意味があるか 自分でもあまりはっきりとはわからないのだけれど)


 1983年4月1日に発行された『This Vol.1』の巻末に残されたファンへのメッセージ。この言葉の通り、佐野元春はニューヨークへ居を移した。日本ではアルバム『SOMEDAY』が大ヒット、コンピレーション・アルバム『NO DAMAGE』が初のチャートナンバーワンとなり、まさにロックスターとして走りだそうというタイミング。普通のレコード会社ならばこれまでの投資を回収すべく目の色が変わる瞬間でもある。しかし佐野にとって音楽はビジネスではなかった。ひとりの表現者として、新たな視座を獲得するために太平洋を渡った。それは名盤『VISITORS』の始まりであり、日本ロック史に刻まれるべき偉大なる放浪の始まりでもあった。


『THIS Volume 1』
1983年4月1日発売
(CBS・ソニー出版)


 海外レコーディングは、70年代にもサディスティック・ミカ・バンドやはっぴいえんど、山下達郎なども行なっていたが、スタジオもスタッフもミュージシャンも決まっていない状態で、アーティストが単身渡米するという例は後にも先にも例がない。アパート探しから始まった最初の半年は、共に新作をレコーディングする仲間を見つけることに充てられた。佐野は自ら現地の音楽関係者にコンタクトすると共に、毎晩ライヴ・ハウスやクラブに足を運んだ。

 その結果、共同プロデューサー兼レコーディング・エンジニアとして白羽の矢を立てたのが、トーキング・ヘッズやスティーリー・ダンなどの作品を手がけ、さらにトミーボーイやデフジャムといったヒップホップ黎明期の重要レーベルの作品にも関わってきたジョン・ポトカーだった。そしてミュージシャンとして、ウェザー・リポートのメンバーであり当時はデヴィッド・ボウイのレコーディングにも参加していたドラムのオマー・ハキム、マドンナやホイットニー・ヒューストンの作品に参加するキーボードのジャック・ウァルドマン、ホール&オーツのサポート・ギタリスト、ジェフ・サウスワースなど気鋭のメンバーが参加。もはや「日本人としては」という但し書きを必要としない、’84年における最新のポップ・ミュージックをつくるにふさわしい陣容が整っていた。まだポップ・カルチャーがあることすら認識されていなかった極東の国から単身ニューヨークに乗り込み、世界基準の表現を生み出そうとしたアーティストが存在した事実は、YOASOBIや新しい学校のリーダーズといったJ-POPやオタク文化といった日本のローカル性を武器に戦略的に海外進出を果たすアーティストが次々と現れている今だからこそ顧みられるべき史実だ。


1983~1984年、NYマンハッタンにて


1984年「日本語による初のヒップホップ・アルバム」の誕生

 このアルバムを語る上で欠かせないツールが、’80年にオーバーハイム社から発売されたデジタルドラムマシン・DMXである。80年代のダンスビートの象徴とも言える名機だが、佐野はアパートにこのリズムマシンを持ち込み、仲間のミュージシャンたちに聴かせるための日本語のラップを作りだしていった。

 ゆえにアルバム『VISITORS』は、日本においてヒップホップの認知度が上がるにつれて「日本語による初のヒップホップ・アルバム」という評価が高まった。しかしこの作品の価値は、単にラップ、ヒップホップを日本人としていち早く取り入れたということに留まらない。黎明期にあったヒップホップそのものをポップスやロック、そして文学的文脈と接続することによって進化させた、革新的なサウンド・プロダクションにこそ、その本質がある。

 世界的にヒップホップがオーバーグランドに浮上するのは’86年に「ウォーク・ディス・ウェイ」を送り出したRUN D.M.C.に代表される、いわゆるミドル・スクールの台頭を待たなければならない。佐野が渡米した’83年頃のオールドスクール・ラップの表現は、まだ粗削りで素朴なものだった。トラックは2小節のブレイクビーツをループさせるシンプルなものであり、リリックも仲間内の世間話やパーティーを盛り上げるための言葉遊びが中心だった。

 そこに佐野は腕利きのミュージシャンによる生演奏を導入し、メロディやハーモニーを取り入れ、リリックには、「ボブ・ディランの<サブタレニアン・ホームシック>をコンテンポラリーに解釈した」というように文学的なナラティブを持ち込んだ。そうして生まれた「コンプリケイション・シェイクダウン」のラップにはコーラスが重ねられ、後半にはファンク、ガラージ的なスリリングなジャムへと発展していく。「つかの間の自由をビートに任せて転がり続けな」という歌い出しは、まさに「ライク・ア・ローリング・ストーン」の再解釈とも言えるだろう。2025年公開の映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』でも描かれた’65年のボブ・ディランがフォークギターからエレキギターに持ち替えた革命を、佐野はリズムマシンで再現したのである。



『VISITORS』

佐野元春
『VISITORS』

1984年5月21日発売


 もちろん本作をヒップホップの文脈だけで語るのは一面的すぎる。佐野がここで試みているのは、リズム・ミュージック、ロックンロールの更新と深化であり、ラップはその一つの要素である。「ワイルド・オン・ザ・ストリート」の強烈なパーカッションとうねるようなベースライン。この強烈なファンクネスとロックンロールの融合は、同じ年にリリースされたトーキング・ヘッズ『ストップ・メイキング・センス』をよりワイルドに発展させた感もあるし、NY伝説のクラブ、パラダイス・ガラージのDJプレイをポップ・ミュージックに持ち込んだと見ることもできる。オーセンティックなピアノバラードとして始まる「サンデー・モーニング・ブルー」の教会を思わせる残響がコズミックなシンセサイザー・サウンドに接続していくアウトロにも独創性が溢れている。

 ’84年と言えば、ジョージ・オーウェルが小説『1984』でディストピアを予測した時代であると共に、アップル社が初代マッキントッシュを発売した年でもある。「シェイム-君を汚したのは誰」で歌われるように、偽りや策略、偏見が蔓延するタフな現実に直面しながら、未来へのオプティミズムを手放さないという 『HAYABUSA JET Ⅰ』にも受け継がれた佐野のアティテュードは、本作において確立されたと言っていいだろう。ドゥー・ワップ、ロックンロールを未来的なサウンドで総括した名曲「ニュー・エイジ」がリリースから40年後の今も、そしてこれからも色褪せないと断言できるのは、ひどく絶望的な世界においても奪われることがない、人間ひとりひとりの希望を未来に向かって描いているからである。

 しかし『SOMEDAY』までの初期三部作と比較した時に強く感じることは、佐野がようやく日本のポップ・ミュージックの文脈や音楽産業のしがらみから解き放たれ、初めてまっさらなキャンバスに絵を描いている高揚感である。「トゥナイト」のスペーシーなサウンドの背後からは、ニューヨークという未知の都市に降り立った一人の若きアーティストの等身大の不安と希望が伝わってくる。


1984年『VISITORS』レコーディング・スタッフと。ジョン・ポトカー(中央)


『VISITORS』の影響と余波

 ’84年4月にリリースされたアルバム『VISITORS』は国内総合アルバム・チャート1位を獲得。しかしその一方でサウンドの先鋭性に戸惑うファンも少なくなかった。本作の20周年を記念して設置されたサイトに寄せられたファンからのコメントを見ても、絶賛の声がある一方で「戸惑った」「びっくりした」「ついていけなかった」といった当時の率直な思いが綴られている。日本のポップ・ミュージック史を見渡して見ても、ヒットチャートのナンバーワンを獲得しながら、その音楽性についてこれだけの賛否が渦巻いた例は他にないだろう。まさに1965年ボブ・ディランが引き起こした現象が、’84年の日本でも再現されていたのである。こうした反応は当時の佐野にとっては必ずしも喜ばしいものではなかったかもしれないが、彼のファンがそれだけ彼の音楽と真剣に向き合っていたという証しである。

 プレス向けの招待状にプレミアがついたという同年10月赤坂のラフォーレ・ミュージアムでのコンヴェンション・ライヴから始まった全国69か所・83公演にものぼる一大ツアー<Visitors Tour>は、『VISITORS』というアルバムをオーディエンスと共に理解するための旅だったとも言える。それは同時に、ギターの横内タケ、パーカッションの里村美和が加わった新生ザ・ハートランドのメンバーにとっては、NY録音の音源をライヴ仕様へとアップデートしなければならないことを意味していた。リズムマシンとの共存という特に困難な作業を求められたドラマーの古田たかしは、「これをライヴでどうやるのか、わけが分からなかった」と振り返っている(*1)。

 しかし、本ツアーのファイナル公演となった’85年5月28日、29日品川プリンスホテル・アイスアリーナでの演奏を聴けば、長いツアーで鍛えられたバンドが『VISITORS』のグルーヴを完全に自分たちのサウンドにしていることが分かる。古田とベースの小野田清文、そしてTHE TOKYO BE-BOPが作り出すファットなビートに絡む横内の激しいギター。そこに佐野のライムとアジテーションが重ねられた、アルバムの中でも最もヒップホップ色の強い「カム・シャイニング」がボーダレスなビート・ミュージックとして熱狂的に受け入れられた瞬間、佐野の革命はついに完遂されたのである。


『VISITORS』

佐野元春 with THE HEARTLAND
『LIVE ‘VISITORS’ 1985』

『VISITORS DELUXE EDITION』(2014)/『MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』(2021)に収録
一部再生はこちら
https://otonano.lnk.to/TgslkuzKot


 ちなみにこのライヴでは、ステージ上に置かれた無数のテレビから、演奏と連動した映像が映し出されていた。いわゆるビデオ・アートのコンセプトに基づく演出である。’84年のニューヨークでは、映像アーティストのナム・ジュン・パイクが世界中の都市を衛星放送で繋いだ番組『グッド・モーニング・ミスター・オーウェル』が話題を呼び、翌’85年には坂本龍一がラディカルTVや浅田彰と共に制作した映像とリンクしたライヴ・パフォーマンス<TV WAR>をつくば万博で発表し話題を集めた。佐野のステージ表現もそうした最先端に連なるものであった。

活発的なアート、メディア活動

 このように音楽だけに留まらない、先鋭的なアート、カルチャーを、佐野自身があたかもメディアとなって日本の新しい世代にシェアしようとする動きもこの時期に活発化した。


『THIS Volume 4』
1984年2月5日発売
(CBS・ソニー出版)


『THIS 1986 SPRING No.1』
1986年4月25日発売
(M’s Factory/扶桑社)


 まず、出版の分野では本稿の冒頭に抜粋した『THIS』が第一期として’83年から翌’84年まで4号が発行された。今でいうZINEのような雰囲気のある冊子だが、執筆者の顔ぶれは豪華だ。創刊号には白石かずこ、片岡義男、友部正人らが寄稿。第3号では松任谷由実、桑田佳祐、江口寿史らと佐野の対談が掲載され、最終号では大瀧詠一も文章を寄せている。いずれの号も斬新なコラージュと共に、佐野の詩やニューヨークでのスナップ写真がふんだんに掲載され、現地の空気感と共に、佐野のその時々のムードが鮮明に伝わってくる。

 そして“Magazine For the New Individualists”をコンセプトに掲げて’86年から4号にわたり扶桑社から発行された第二期では、アレン・ギンズバーグやジム・ジャームッシュへのインタビュー、パリ五月革命の特集など、エッジィな特集が組まれており、佐野の表現と深く関連しつつも、世界の前衛を日本の読者に伝えるメディアとしての独立性を高めた。インターネットもない時代、この雑誌は知的好奇心を強く持つ若者に大きな影響を与えた。





 FENから流れるアメリカ音楽に影響を受けて育ち、会社員時代はFM番組のディレクターも務めていた佐野にとって、ラジオというメディアも大いに思い入れのあるものだった。「ラジオというのはワン・トゥ・ワンのコミュニケーションが可能なメディアだ。ある人が部屋でひとりぼっちでいるとする。そこに僕がラジオを通じて話しかけると、彼もしくは彼女が心の中でうなずいてくれるかもしれない。僕は“モトハル・レイディオ・ショウ”を聴いていれば、みんな絶対50分間幸せな気持ちになれる!と断言する」と語り(*2)。’81年4月から放送されていたNHK-FM『サウンドストリート』をニューヨーク滞在中も継続することを熱望した。NHKのルールではディレクターが立ち会わない番組制作は認められていなかったものの、担当ディレクター・湊剛(のちにNHK『ソングライターズ』も担当)の尽力によって、出向社員という立場で佐野が番組を制作。完成したテープを放送一週間前までに航空便で送るという形をとった(実際にはテープの納期は守られず、伊藤銀次が代打でスタンバイしたこともあったという)。一年間、『元春レイディオ・ショー・イン・NY』と名前を変えた番組では、コンピレーション・アルバム『NO DAMAGE』の写真を流用したプレスIDを作ってしてクラブへ潜入したり(*3)、セントラルパークで山羊にインタビューするなど、冒険心とユーモアをもって、ニューヨークの最新の音楽とリアルな空気をリスナーへ届け続けた。さらに1985年12月からはFM横浜の開局に合わせて『ザ・ハートランド・アワー』も放送開始し、佐野はここでもDJ、構成を担当。『元春レイディオ・ショー』とは異なる趣向の選曲、トークを聴くために電波が受信できない地域のファンは、録音テープを手に入れるために奔走したという。


佐野元春
『ELECTRIC GARDEN』

1985年5月25日発売
(小学館)


 さらにニューヨークでの体験が色濃く反映された作品としては、ポエトリー・リーディングと先進的なヴィジュアルを融合させたカセット・ブック『ELECTRIC GARDEN』もあげられる。シンセサイザーのみで作られたエレクトロ・サウンドに乗せたポエトリー作品に、NY滞在時に撮影した写真やマーク・コスタビらの作品を配したアートブックがコンパイルされた、マルチメディアとモダン・アートに対する実験精神が反映された作品だ。細部にまで美しさに凝った意匠や静謐なサウンドスケープは、メディアとしてのカセットテープやアンビエント・ミュージックが注目される今だからこそ伝わる価値がある。

1985年、時代と共鳴した「YOUNG BLOODS」

 そして欠かすことができないトピックは、映像に対する取り組みである。1985年2月にリリースされた「YOUNG BLOODS」は佐野にとって初めてのトップ10シングルとなったが、日本ロック初の本格的なプロモーション・ビデオが制作された楽曲でもある。同年の1月4日早朝、代々木公園でゲリラ撮影されたミュージック・ビデオは大きな話題を呼び、40年後の2024年6月に発表されたニュー・レコーディング・ヴァージョンにおいても、再び代々木公園で撮影したビデオが制作された。なお本曲がテーマソングとなった国連国際青年年を記念して1985年6月に国立競技場で開催された日本初の大規模チャリティ・ライヴ<ALL TOGEHER NOW>には本イベントではサディスティック・ミカ・バンドとはっぴいえんどが再結成し、小田和正や松任谷由美、吉田拓郎といった錚々たるアーティストが勢揃いした。佐野はこのイベントでトリを務め、サザンオールスターズもゲストに迎えて伝説の一日を締め括った。



佐野元春 with THE HEARTLAND「YOUNG BLOODS」【1985年版】




佐野元春&THE COYOTE BAND「YOUNG BLOODS」【2024年版】


 さらに’85年6月に開催されたアフリカ飢餓救済のための世界最大級のチャリティ・ライブ・イベント<LIVE AID>には日本代表のひとりとして『VISITORS』に収録された「シェイム~君を汚したのは誰」の映像作品を提供した。ともすれば人気アーティストのお祭り騒ぎとなってしまうイベントにおいて、佐野は発起人となったボブ・ゲルドフの問題意識に応え、不公正な世界が生んだアフリカの危機を鋭く射抜く作品を作り上げた。それを可能としたのは、’83年に『FILM NO DAMAGE』を制作し、いち早く映像表現の可能性を見出した佐野だからこそだろう。


『mf VARIOUS ARTISTS Vol.1』
1989年8月21日発売


 こうしたミュージシャンの枠にとらわれない活動を支えるべく、佐野は自らのレーベル・M’s factoryを’86年に設立。かつてアンディ・ウォーホルが設立したスタジオを想起させる名の通り、佐野のジャンルレスな創作活動の拠点となった。当時は類を見なかったアーティスト個人を主体としたこのレーベルでは、佐野の手がけたすべての音楽、書籍、ビジュアル作品をリリースすると共に、’89年にはコンピレーション・アルバム『mf 〈Various Artists〉Vol.1』を発表。この中にはハートランドのメンバーや、後にホーボー・キング・バンドのメンバーとしても活躍する日本を代表するギタリスト・佐橋佳幸の楽曲などが収録されている。



1986年、アルバム『CAFÉ BOHEMIA』のためのパリでのフォト・セッション


1986年、5枚目のオリジナル・アルバム『CAFÉ BOHEMIA』発表

 ’86年5月より、「ストレンジ・デイズ-奇妙な日々」「シーズン・イン・ザ・サン-夏草の誘い」「ワイルド・ハーツ-冒険者たち」という3枚の7インチレコードが、2か月に1枚というペースでリリースされた。このリリース形態、そしてアズテック・カメラやザ・ブルーベルズ、ザ・スタイル・カウンシルと呼応するようなギターポップやモッド・ソウル調の楽曲群からは、佐野の関心がニューヨークから大西洋を越えて、イギリスのインディー・ミュージックへと移行していることが読み取れる。

 『VISITORS』という偉大な“発明”は、普通のアーティストであれば数作にわたって掘り下げたくなるはずの豊かな音楽的鉱脈だった。しかし佐野は、それを惜しげもなく手放し、軽やかに次のステージへと跳躍していく。そこにこそ、「冒険者」としての彼の貪欲な創造性が表れている。

 そして、『VISITORS』から2年7ヵ月後の’86年12月、5作目となるオリジナル・アルバム『CAFÉ BOHEMIA』が発表された。

 このアルバム・タイトルが指す「カフェ・ボヘミア」は、1920年代のボヘミアンたちが集ったパリのカフェをイメージさせると同時に、チャーリー・パーカーやアート・ブレイキー、マイルス・デイヴィスといった伝説的なジャズメンたちが演奏した、ニューヨークの実在するジャズ・クラブを指す。その所在地であるグリニッジ・ヴィレッジは、1950年代以降のカウンター・カルチャーの思想的バックボーンであり、佐野の表現に大きな影響を与えたビートニク文化の中心地でもあった。

 雑誌『THIS』において、佐野はビート文学の巨人アレン・ギンズバーグにインタビューを行っている。「ビートニクス文化は今も生きているか?」という問いに対し、ギンズバーグはこう答えている。
 「それは“ボヘミアン”として生き続けている。ボヘミアンとは、インターナショナル・マナーを持ち、自分の心、自分の肉体、自分のセックス、自分のアート、自分の結婚、自分の生活、自分の人生をよく把握している人のことだ」。

 この言葉は、放浪者たちが集う“カフェ=CAFÉ BOHEMIA”というアルバムのコンセプトに、大きな示唆を与えたに違いない。


1986年、ビート詩人、アレン・ギンズバーグとNYで面会


 そして本作にインスピレーションをもたらしたであろう、もうひとりのキーパーソンが元ザ・ジャム、当時はザ・スタイル・カウンシルを率いていたイギリスのミュージシャン、ポール・ウェラーだ。アルバム・タイトルや洒脱なアートワーク、そしてジャズやインストゥメンタルの楽曲を多く取り入れた構成は、ザ・スタイル・カウンシルが’84年にリリースしたアルバム『カフェ・ブリュ』を想起させる。しかしこれを単なる模倣やアイデアの借用と見るのは表層的すぎる。「THIS」や<LIVE AID>など、本作に至るまでの活動を見れば、佐野が示しているのはポール・ウェラーが提示していた、クールによるレジスタンスに対する共鳴であることは明白だ。

 ザ・スタイル・カウンシルはR&B、ソウル、ヒップホップといったモッズの流れを汲むダンスミュージックを現代的に再解釈する一方で、炭鉱の閉鎖や社会保障の削減などを推し進めるサッチャー政権を厳しく批判。’85年の楽曲「インターナショナリスツ」では国境を超えた蜂起を呼びかけた。イギリスのみならず、アメリカ、そして日本で新自由主義という名の巨大資本の論理が跋扈する中、そのメッセージは奇しくもギンズバーグの金言とも重なった。それは60年代にビートニクの思想がフランス五月革命とアメリカの公民権運動やベトナム反戦活動を結びつけ、チェコやドイツ、そして日本へと連鎖していったムーブメントにも重ねることができる。グローバルな自立主義者というモダンなアティテュードを示すこと。それこそが佐野がスカ、レゲエ、ソウルという「レベル=抵抗」のビートを鳴らす大義だったのだ。その姿勢は超大国の指導者とビッグテックの経営者の独善が世界を動かす現代においてより重要になっていることは言うまでもない。



佐野元春 with THE HEARTLAND
『CAFÉ BOHEMIA』

1986年12月1日発売


 しかし本作にとって最も重要なことは、このような知性主義的な思想を具現化すると同時に、ポップ・ミュージックとしてリスナーの心に寄り添うものになっているという点である。「ワイルド・ハーツ」のエネルギッシュなイントロの後に聞こえてくる<土曜の午後 仕事で 車を走らせていた>という歌い出しを聴いた瞬間、『VISITORS』の先鋭性に距離を感じたリスナーも「自分たちの佐野元春が帰ってきた」という感慨を抱いたのではないだろうか。リリース当時、佐野はちょうど30歳。リスナーの多くも社会人として最も忙しい年代に差し掛かっていた。土曜日も仕事に追われている主人公の姿と、イギリスの労働者階級の文化であるモッズ・ソウルの組み合わせは、リスナーのタフな現実生活に一筋の光を当てた。そして「月と専制君主」の、<奴らの悪口をたたけよ 言葉に税はかからない>、あるいは「99ブルース」の、<この街のリーダー シナリオのチェックに忙しい ユーモアもない 真実もない フェイクしたスマイルはとても淋しい>、といったポリティカルなパンチラインも、権力に対する市民の普遍的なアティチュードを示すと共に、特権階級に対する庶民感情をウィットを込めて表したものになっている。

 そして、アルバムの実質的なラストを飾る「クリスマス・タイム・イン・ブルー」は、クリスマス=ラヴ・ソングという定型を超えた、大いなる隣人愛とその奥底に潜む反抗精神をUKレゲエのリズムに乗せて描いた名曲だ。寛容と憐れみが失われつつある2025年にこそ耳を傾けるべきメッセージ。佐野作品のアートワークを数多く手がける牧野良幸のデザインによって12インチシングルとしてリリースされたこの曲は、2025年末に30年ぶりのアナログ再発が予定されている。

 親しみやすいメロディ、リスナーの成熟を反映した歌詞、そして一貫した作品主義を感じさせるアルバム『CAFÉ BOHEMIA』は、批評的評価・セールスともに成功を収め、アルバム・チャートでは最高2位を記録した。

 そしてこの作品は、ザ・ハートランドと共に録音した初のスタジオ・アルバムであることを忘れるわけにはいかない。ジャケットには「Young Soul Ensemble」というニックネームと共に、「MOTOHARU SANO with THE HEART LAND」の文字が刻まれている。佐野は「このアルバムはハートランドというバンドのアルバムだと思う」と振り返っているように(*4)、ソウルを基調に、ジャズ、スカと多様なダンスビートを自在に乗りこなしながらエモーションを炸裂させる演奏は、膨大な数のライヴで培われた佐野と彼らの音楽的絆を感じさせる。特に「ストレンジ・デイズ」や「月と専制君主」の、目の前に満員のオーディエンスの姿が浮かんでくるような演奏は、アルバムリリース前の’86年4月から6か月にわたり行われたライヴ<東京マンスリー>の影響も大きいのではないか。日本青年館という佐野の人気からするとは小さな会場でのライヴは、その日までにできた新曲を演奏し、フレッシュな熱量をスタジオにフィードバックさせる取り組みでもあった。この新しい楽曲をライヴの中でバンドと共に練り込んでいくというスタイルは、現在のコヨーテ・バンドにまで継続される佐野のメソッドとなっている。

 ミックスとマスタリングは海外で行われ、ロンドンではエルヴィス・コステロやマッドネス、モリッシーなどのプロデュースで知られるアラン・ウィスタンリーが、そしてニューヨークでは『VISITORS』と同じくジョン・ポトカーが手がけた。ポスト・パンクの空気を封じ込めたシャープな音像はふたりの貢献によるものである。


1986年<東京マンスリー>ライヴにて


初のライヴ・アルバム『HEARTLAND』

 本作のリリース・ツアーは、’86年10月にスタートした。タイトルは<Cafe Bohemia Meeting>。これは単なるアーティストのパフォーマンスを鑑賞する場ではなく、自立した個人=インディビジュアリストが集う場所であることを示していたのかもしれない。

 およそ1年、80本にも及ぶツアーのファイナルは、’87年9月14日、15日に合わせて7万人を横浜スタジアムに動員した<横浜スタジアム・ミーティング>として迎えた。横浜はデビュー当時の佐野が拠点としていたライヴ・ハウス「舶来屋」やレギュラー出演していたテレビ神奈川(TVK)があるホームとも呼べる場所だ。


1987年、〈Café Bohemia Meeting〉初の横浜スタジアムにて


 このパフォーマンスはチャート1位を記録した’88年リリースの初のライヴ・アルバム『HEARTLAND』で聴くことができるが、ニュー・ウェイヴ/パンク色を強めた「アンジェリーナ」で始まり、ファンキーな「コンプリケイション・シェイクダウン」、オーディエンスのハートをひとつにする「ストレンジ・デイズ」でヴォルテージを上げ、「サムデイ」で巨大なシングアロングを生み出すライヴは、佐野とザ・ハートランドが到達した80年代のピークだろう。そして日本のショービジネスの慣習に頼ることなく、何者にも妥協せず、完全にインディペンデントな足取りでこれだけ巨大なイベントを成功させたことは、日本の音楽史に刻まれる一大トピックである。バンドはこの後、同年12月から約半年、42公演にもおよぶ<Pisces Tour>を敢行。ライヴ・バンドとしての歩みを止めることなく進み続けた。


佐野元春 with THE HEARTLAND
『HEARTLAND』

1988年4月21日発売


 そして、’87年8月22日〜23日に開催されたオールナイト・ロックイベント<BEAT CHILD>も、本作以降の佐野のキャリアを語る上で欠かせない。会場は熊本県の野外劇場アスペクタ。BOØWY、ザ・ブルーハーツ、尾崎豊、渡辺美里など、その時代を代表するアーティストたちが出演し、7万人を動員した伝説的ロックフェスだ。佐野元春はこのイベントの大トリとして、ザ・ハートランドに辻仁成らをギターで加えた特別編成でステージに立った。イベントは雷を伴う激しい豪雨に見舞われ、雨量は1時間に70ミリを超えるという過酷な状況だった。しかし、明け方、佐野が「ストレンジ・デイズ」を歌い始めた瞬間に雨は止み、空から朝陽が差し込んだ、という劇的なエピソードは、今も語り草となっている。当時の映像は長らく表に出ることがなかったが、2013年に映画『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987』として発表されている。佐野はこのフェスで自分よりも若い世代のアーティストやオーディエンスが躍動している姿に、「新しい世代のリスナーは、僕の音楽を聴いて楽しめるのか?」と自分の音楽を模索しはじめる契機となったと語っている。(*5)


佐野元春
「警告どおり 計画どおり」

1988年8月18日発売


 また佐野にとって表現のあり方を考えるもうひとつのきっかけとなったと思われるのが、’87年から10年にわたり開催されたチャリティイベント<HIROSHIMA 1987-1997>だ。南こうせつ、山本コウタローらが発起人となり、高齢化が進む原爆被害者のために行われたライヴ・イベント。佐野は第一回に出演すると共に、’89年8月にはテーマソングとして「警告どおり 計画どおり」をリリースした。ザ・レッズとバービーボーイズのいまみちともたかをバックに迎えたこの曲は、同年4月に起きたチェルノブイリ原発事故にインスパイアされたポリティカル・ソング。同時期には原発問題を取り上げたRCサクセションのアルバム『カバーズ』の販売中止問題が起きるなど、社会問題への向き合い方が日本のロックにおけるテーマとなった。佐野は後に「(政治的事柄に直接言及する)トピックソングは難しい」と語っているが、ジャーナリスティックな視点を普遍的な表現に落とし込むということが、最新オリジナル・アルバム『今、何処』(2022)に至るまでの表現上のひとつのテーマとなっていることは間違いないだろう。


佐野元春 & THE COYOTE BAND
『今、何処』

2022年7月6日発売



1989年、6枚目のオリジナル・アルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』発表

 そして1989年。それは昭和から平成へと時代が移り変わった年であり、世界と日本の構造が大きく揺らいだ転換点だった。

 6月の中国では天安門事件が起き、11月にはベルリンの壁が崩壊。ヤルタ会談以降続いてきた東西冷戦が終焉を迎え、世界は新たな秩序へと舵を切ろうとしていた。一方、日本では日経平均株価が史上最高値を記録し、リクルート事件によって政治体制が揺れていた。

 そんな激動の只中、佐野元春にとって6枚目のオリジナル・アルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』はリリースされた。

 本作の制作はロンドンで行われ、佐野は1988年の後半から単身渡英。約半年間フラットで暮らしながらソングライティングとレコーディングに没頭した。

 共同プロデューサーとして迎えたのはニック・ロウ、エルヴィス・コステロなどの作品を手がけてきたコリン・フェアリー。録音はジョージ・マーティンが経営するエアスタジオとローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンなども拠点としたオリンピック・スタジオで行われた。

 そして参加ミュージシャンはニック・ロウと共に活動してきたギターのブリンズリー・シュウォーツ、キーボードのボブ・アンドリュースに、エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズのドラマーであるピート・トーマス、ベースのブルース・トーマスらが参加。こうしたパブ・ロック系のミュージシャンを集めた布陣からは『VISITORS』とは異なり、佐野の中に生身のロックンロールを鳴らすというイメージが明確にあったことが伺える。それは佐野にとっての原点回帰であると同時に、デビューから8年あまりの冒険と成長の軌跡を刻んだ作品でもある。


1988年、アルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』レコーディング・メンバーとロンドンにて


 まず語るべきは、日本語詞のさらなる進化である。デビュー曲「アンジェリーナ」がもたらした衝撃は16分音符に解体した日本語と外来語の多用によって桁違いの情報量をロックンロールのビートに詰め込んでいくところにあった。それは佐野による偉大な発明品であったが、80年代後半になるとTM NETWORKや大江千里、岡村靖幸といったエピック・ソニーの後進の活躍もあり、その手法はすでにポップ・ミュージックのメインストリームを占めていた。パイオニアとして、その先の表現を探すべき時期だと感じるところもあっただろう。

 そしてニューヨーク、ロンドンと創作の場を海外に求める中で、日本語のユニークさを見つめ直し、詩人としての新たなボキャブラリーを獲得したという自信もあったはずだ。

 「とにかく徹底的に日本語というものにこだわった。美しい日本語をガサツなロックンロールの中に捻り込みたいという感じだった」と語っているように(*6)、今作では研ぎ澄まされた日本語が8ビートを力強く掴み、聴き手の心に真っ直ぐに入り込んでくる感覚がある。



佐野元春
『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』

1989年6月1日発売


 冒頭を飾る「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」の想像力を拡張させながらグルーヴを煽り立てるセカンド・ヴァースの高揚感。「おれは最低」の自己憐憫が入り込む余地すらないほど鋭く乾いたブルース。「ブルーの見解」と「ふたりの理由」で取り入れたナラティブなスポークン・ワードなど、日本語ロックの新たな可能性と到達点が明確に提示されている。そしてその日本語とロックという関係性をさらに俯瞰し、東洋と西洋の交差という構図にまで広げてみると、萩原敏訓によってアルバム・ジャケットに描かれた巨大な円環が象徴的に浮かび上がる。それは一見キリスト教の宗教画のようであるが、同時に仏教的な円相=禅の思想を示唆するようでもある。こうした「円」や「禅」といった概念は、後の傑作アルバム『THE CIRCLE』(1993年)や『MANJU』(2017年)にも反映されることとなる。

 もうひとつ、本作で特筆すべきはリズムの深化だ。

 アルバム全体の基調となっているのは、これまでの佐野作品にはなかった“音の空間”を活かした、シンプルで重心のあるロックンロールのビート。まるで大排気量のエンジンでハイウェイを滑るような快感があり、当時のバンドブームで登場した数多のビートパンク系バンドとは一線を画す、成熟した“大人のロック”の懐の深さを感じさせる。

 さらに、「雨の日のバタフライ」におけるブルーアイド・ソウルの繊細なグルーヴ、「ボリビア」でのトライバル・ビートの多層的な躍動、そして「愛のシステム」で炸裂するモダンに制御された爆発力は圧巻だ。

 こうした初めてレコーディングを共にするメンバーのダイナミズムを最大限まで引き出すアレンジャー/プロデューサーとしての佐野の手腕こそ、東京、ニューヨークでの経験に裏打ちされたものだと言える。またルーツ・ロックに敬意を払いつつ、そのサウンドを現代的にアップデートする最新作『今、何処』に至るまでの佐野のスタイルはこの作品で確立されたといってもいいだろう。

 そして忘れてはいけないのは、ロックファンのみならず、広く大衆の心をつかむ大きなメロディを描く力だ。しかもそれは、歌謡曲やJ-POPのようにメロディに楽曲の重心を置いたものとは異なり、バンドのグルーヴ、歌詞の乗せ方、そして発声と歌唱といった数々の要素が組み合わされることによって初めて成立する、ロックンロール、リズム・ミュージックのバランスに拠ったものであるという点が重要だ。

 「サムデイ」や「ガラスのジェネレーション」といった代表曲はそれらの最良の組み合わせであり、今作に収録された(後に)佐野にとって最大のヒット・シングルとなる「約束の橋」もまたそれに連なるものである。カウントから入るオープニング、オーガニックなバンド・アレンジ、ビートニク的放浪を描いた歌詞とロック・ボーカリストとして唯一無二の歌声。佐野はこれまで音楽的良心や美学をいささかも曲げることなくこの国民的名曲をものにした。テレビドラマの主題歌に起用される’92年まで大ヒットに至らなかったことは音楽とセールスの皮肉な巡り合わせだが、そのタイムラグこそ「約束の橋」という名曲が自然発生的に生まれたことの証明でもある。そして国民的なフレーズともなった「今までの君は間違いじゃない」という歌詞は、世界中を走り続けてきた佐野自身に対するメッセージとして響く。


佐野元春
「約束の橋」

1989年4月21日発売


 このような骨太なロックンロール・アルバムが日本のヒットチャートを賑わすのはミッシェル・ガン・エレファントやブランキー・ジェット・シティが活躍する90年代後半を待たなくてはならなかったが、本作はアルバム・チャートで最高2位を記録。『VISITORS』とは大きく異なるスタイルで、またしても時代を先取りする作品となった。

 リリース・ツアー<Napoleon Fish Tour>は’89年6月から開始。同年8月24、25日には再び横浜スタジアムで<横浜スタジアム ’89・夏>と冠したライヴを開催。この日の売上の一部はアフリカ飢餓救済のために寄付された。

 突然のニューヨークへの旅立ちから始まった佐野元春の第二章。無謀とも思われた佐野の冒険は、誰も想像をしなかった成功を収めた。バンドブームの隆盛、J-POPの勃興、佐野が切り開いてきた土壌に新しい花が咲く中、彼はトップランナーとして90年代に突入することになる。

(【Part3】佐野元春ヒストリー~ファクト❸1990-1994に続く)

発言出典一覧(発売元は当時表記)

1)『ロック画報20』(2005年/ブルースインターアクションズ)
2)『路上のイノセンス』下村誠・著(1986年/JICC出版)
3)『Rolling Stone』インタビュー(2020年/CEミュージッククリエイティブ)
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/34892/2/1/1
4)MWS https://www.moto.co.jp/works/album/ESCB1325.html
5)ぴあ インタビュー(2020年10月)https://lp.p.pia.jp/article/lifestory/119748/136936/index.html
6)MWS https://www.moto.co.jp/works/guide/Napoleon.html




DISCOGRAPHY●佐野元春ディスコグラフィ❷1984-1989



ジャケット撮影/島田香





  • SINGLE

    佐野元春
    TONIGHT

    1984年4月21日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]07・5H-197(1984.4.21)

    Side A TONIGHT Side B SHAME-君を汚したのは誰





  • SINGLE

    佐野元春
    TONIGHT

    1984年4月21日発売/EPICソニー
    [12inch Vinyl]07・5H-197(1984.4.21)

    Side A TONIGHT(Special Extended Club Mix) Side B TONIGHT(Instrumental Version)





  • STUDIO ALBUM

    佐野元春
    VISITORS|ヴィジターズ

    1984年5月21日発売/EPICソニー

    [LP]25・3H-123(1984.5.21)[CD]35・8H-10(1984.5.21)[CT]28・6H-111(1984.5.21)/[CD]27・8H-5098(1986.6.1)/[CT]25・6H-5098(1986.6.1)[CD]ESCB 1324(1992.9.1)/[紙ジャケCD]MHCL 705(2005.12.21)/[Blu-spec CD2]MHCL-30004(2013.2.20)/[LP]MHJL 9(2016.12.21)*アニヴァーサリー盤は別途



    ① コンプリケイション・シェイクダウン Complication Shakedown
    ② トゥナイト Tonight
    ③ ワイルド・オン・ザ・ストリート Wild On The Street
    ④ サンデー・モーニング・ブルー Sunday Morning Blue
    ⑤ ヴィジターズ Visitors
    ⑥ シェイム−君を汚したのは誰 Shame
    ⑦ カム・シャイニング Come Shining
    ⑧ ニューエイジ New Age


    Produced by Motoharu Sano(a.k.a. Moto Lyon)、
    Frank Doyle & John "Tokes" Potoke(r Co-Producer)
    Recorded & Mixed by John "Tokes" Potoker
    Recorded at Right Track Studio And Skyline Studio
    Cover photography by Hideoki

    Musicians
    ●Motoharu Sano(Vo, G)●Omar Hakim(Ds③⑤⑧, Additional Perc)●Ivan Elias(B②③⑤⑧)●Jeff Southworth(G)●Jack Waldman(Syn)●Frank Doyle(P⑧, Additional Syn)●Bashiri Johnson(Perc)●Steve Elson(Sax)●Ray Anderson(Tb)●Laurie Frink(Tp)●Carmine Rojas(B①)●Mark Freeland(G①⑤⑦, TV Noise①, Back Vo⑧)●Michael Siegel(Vib②⑦)●Cindy Mizelle(Back Vo②③⑦⑧)●Kharmia De Lemos(Back Vo②③⑦⑧)

    コラム全文をお読みいただくには〈otonano ID〉会員登録が必要となります。





  • SINGLE

    佐野元春
    COMPLICATION SHAKEDOWN

    1984年6月21日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]07・5H-205(1984.6.21)

    Side A COMPLICATION SHAKEDOWN Side B WILD ON THE STREET





  • SINGLE

    佐野元春
    COMPLICATION SHAKEDOWN

    1984年6月21日発売/EPICソニー
    [12inch Vinyl]12・3H-130(1984.6.21)

    Side A COMPLICATION SHAKEDOWN(Special Extended Club Mix)
    Side B WILD ON THE STREET(Special Extended Club Mix)





  • SINGLE

    MOTO SANO
    COMPLICATION SHAKEDOWN

    1984年アメリカ発売/EPIC
    [12inch Vinyl]49-05076(1984)

    Side A COMPLICATION SHAKEDOWN(Special Extended Club Mix)
    Side B WILD ON THE STREET/COME SHINING





  • SINGLE

    佐野元春
    VISITORS

    1984年9月21日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]07・5H-214(1984.9.21)

    Side A VISITORS Side B SUNDAY MORNING BLUE





  • SINGLE

    佐野元春
    NEW AGE

    1984年11月21日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]07・5H-230(1984.11.21)

    Side A NEW AGE Side B COME SHINING





  • VIDEO

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    Truth ’80-’84

    1984年12月1日発売/EPICソニー

    [β]96・1M-3004(1984.12.1)[VHS]96・2M-3004(1984.12.1)[LD]78・4M-3004(1984.12.1)[VHS]ESVU-220(1990.5.12)[LD]ESLU-290(1990.5.12)[DVD]ESBB 202(2000.11.22)



    ① スターダスト・キッズ
    ② SO YOUNG
    ③ 彼女はデリケート
    ④ 悲しきRADIO
    ⑤ マンハッタンブリッヂにたたずんで
    ⑥ ガラスのジェネレーション
    ⑦ サンチャイルドは僕の友達
    ⑧ グッドバイからはじめよう
    ⑨ TONIGHT
    ⑩ WILD ON THE STREET
    ⑪ COMPLICATION SHAKEDOWN(Short Edit Version)
    ⑫ HEART BEAT
    ⑬ Happy Manメドレー ※JENNY JENNY
    ⑭ SOMEDAY





  • SINGLE

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    YOUNG BLOODS

    1985年2月1日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]07・5H-231(1985.2.1)

    Side A YOUNG BLOODS
    Side B YOUNG BLOODS(Hello Goodbye Version)





  • SINGLE

    佐野元春
    YOUNG BLOODS

    1985年3月21日発売/EPICソニー
    [12inch Vinyl]12・3H-158(1985.3.21)

    Side A YOUNG BLOODS(Special Dance Mix)
    Side B YOUNG BLOODS(7inch Version N.Y. Mix)/YOUNG BLOODS(Instrumental)





  • CASSETTE BOOK

    佐野元春
    ELECTRIC GARDEN

    1985年5月25日発売/小学館
    [Cassette Book]ISBN-09-394111-4(1985.5.25)

    Side A リアルな現実 本気の現実 Part I,II/52nd Ave./夜を散らかして/Sleep
    Side B 再び路上で/N.Y.C. 1983〜1984/DOVANNA





  • SINGLE

    佐野元春
    リアルな現実 本気の現実

    1985年6月21日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]07・5H-252(1985.6.21)

    Side A リアルな現実 本気の現実 (Short Edited Version)
    Side B Dovanna





  • VIDEO

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    Visitors Tour ’84-’85

    1985年7月21日発売/EPICソニー

    [β]00・1M-3007(1985.7.21)[VHS]96・1M-8001(1985.7.21)[LD]96・4M-11(1985.7.21)[VHS]ESVU-221(1990.5.12)[LD]ESLU-291(1990.5.12)[DVD]ESBB 2030(2000.11.22)



    ① N.Y.C.1983-1984
    ② WELCOME TO THE HEARTLAND
    ③ 夜のスウィンガー
    ④ DOWN TOWN BOY
    ⑤ SHADOWS OF THE STREET
    ⑥ Shout! Shout! Shout!(ビジターズ・ツアー・ハイライツ)~悲しきRADIO~ガラスのジェネレーション~NIGHT LIFE~スターダスト・キッズ~HAPPY MAN~君をさがしている(朝が来るまで)~麗しのドンナ・アンナ~HEART BEAT(小さなカサノバと街のナイチンゲールのバラッド)~悲しきRADIO
    ⑦ SOMEDAY
    ⑧ リアルな現実 本気の現実
    ⑨ アンジェリーナ
    ⑩ VISITORS
    ⑪ COME SHINING
    ⑫ NEW AGE
    ⑬ SHAME-君を汚したのは誰
    ⑭ 再び路上で
    ⑮ WILD ON THE STREET
    ⑯ COMPLICATION SHAKEDOWN
    ⑰ YOUNG BLOODS
    ⑱ YOUNG BLOODS(Slow Version)





  • SINGLE

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    CHRISTMAS TIME IN BLUE -聖なる夜に口笛吹いて-

    1985年6月21日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]07・5H-252(1985.6.21)

    [12inch Vinyl]12・3H-200(1985.11.21)[12cmCD]ESCB 1260(1991.11.21)[12cmCD]ESCB 1455(1993.11.21)[12cm CD]ESCB 1528(1994.11.2)[12cmCD]ESCB 1702(1995.11.22)[12cmCD]ESCB 1787(1996.11.1)[12cmCD]ESCB 1848(1997.11.21)[12cmCD]ESCB 1922(1998.12.2)



    Side A CHRISTMAS TIME IN BLUE -聖なる夜に口笛吹いて-(Vocal/Extended Dub Mix)
    Side B CHRISTMAS TIME IN BLUE -聖なる夜に口笛吹いて-(Vocal/Original Version)/CHRISTMAS TIME IN BLUE -聖なる夜に口笛吹いて-(Instrumental/Orchestra Version)





  • SINGLE

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    STRANGE DAYS(奇妙な日々)

    1986年5月21日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]08・5H-300(1986.5.21)

    Side A STRANGE DAYS(奇妙な日々)(Edited Version)
    Side B ANGELINA(Edited Slow Version)





  • CASSETTE BOOK

    佐野元春
    ELECTRIC GARDEN#2

    1986年5月31日発売/EPICソニー
    [Cassette Book]00・6H・181~2(1986.5.31)

    Side A 完全な製品/ある9月の朝
    Side B 完全な製品(アンチ・マス編)/…までに





  • SINGLE

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    SEASON IN THE SUN(夏草の誘い)

    1986年7月21日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]08・5H-302(1986.7.21)

    Side A SEASON IN THE SUN(夏草の誘い)
    Side B LOOKING FOR A FIGHT(ひとりぼっちの反乱)





  • SINGLE

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    WILD HEARTS(冒険者たち)

    1986年9月21日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]08・5H-304(1986.9.21)

    Side A WILD HEARTS(冒険者たち)
    Side B SHADOW OF THE STREET





  • STUDIO ALBUM

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    CAFÉ BOHEMIA|カフェ・ボヘミア

    1986年12月1日発売/EPICソニー

    [LP]28・3H-260(1986.12.1)[CD]35・8H-100(1986.12.1)[CT]28・6H-210(1986.12.1)/[CD]27・8H-5099(1989.6.1)/[CT]25・6H-5099(1989.6.1)[CD]ESCB 1325(1992.9.1)/[紙ジャケCD]MHCL 706(2005.12.21)/[Blu-spec CD2]MHCL-30005(2013.2.20)/[LP]MHJL 10(2016.12.21)*アニヴァーサリー盤は別途



    ① カフェ・ボヘミア(Introduction) Café Bohemia (Introduction)
    ② ワイルド・ハーツ−冒険者たち Wild Hearts
    ③ シーズン・イン・ザ・サン−夏草の誘い Season In The Sun
    ④ カフェ・ボヘミアのテーマ Café Bohemia
    ⑤ ストレンジ・デイズ−奇妙な日々 Strange Days
    ⑥ 月と専制君主 Sidewalk Talk
    ⑦ ヤングブラッズ Young Bloods
    ⑧ 虹を追いかけて Chasing Rainbow
    ⑨ インディビジュアリスト Individualists
    ⑩ 99ブルース 99 Blues
    ⑪ カフェ・ボヘミア(Interlude) Café Bohemia (Interlude)
    ⑫ クリスマス・タイム・イン・ブルー −聖なる夜に口笛吹いて Christmas Time In Blue
    ⑬ カフェ・ボヘミア(Reprise) Café Bohemia (Reprise)


    Produced by 佐野元春
    Recorded by 阿部保弘、吉野金次(M7)
    Mixed by Alan Winstanley、John Potoker(9, 10)、Steven Stanley(12)
    Recorded at CBS/SONY Studio
    Cover photography by トシ矢嶋

    Musicians
    THE HEARTLAND

    ●佐野元春(Vo②③⑤~⑩⑫, G②⑤~⑪, P④⑥⑪, Ds Programming⑩)●古田たかし(Ds②~⑩⑫)●小野田清文(B②~⑩⑫)●横内健亨(G⑦⑫)●西本明(Key②~⑫)●阿部吉剛(Key③⑤⑦⑧⑩⑫, G④⑨)●里村美和(Perc②~⑫)
    THE TOKYO BE-BOP(Brass②~⑨⑫)
    ●ダディ柴田(Sax④)●石垣三十郎(Bras⑧⑨)●ボーン助谷(Brass⑧⑨)

    GUEST
    ●窪田晴男(G⑤)●Romy(Vo③)●プリティ・フラミンゴス(Cho⑤⑦⑫)●ジェイ・マック・グゥアン(Cho⑨)●デレク・ジェイン・ジャクソン(Cho⑤)




  • SINGLE

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    99 BLUES

    1987年6月3日発売/EPICソニー
    [12inch Vinyl]12・3H-290(1987.6.3)

    Side A 99 BLUES (Extended Mix)
    Side B 月と専制君主 (Extended Mix)





  • SINGLE

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    インディビジュアリスト

    1987年11月21日発売/EPICソニー
    [12inch Vinyl]12・3H-320(1987.11.21)

    Side A インディビジュアリスト (Extended Mix)
    Side B インディビジュアリスト (Extended Mix)/インディビジュアリスト (Live Version)





  • SINGLE

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    ガラスのジェネレーション(LIVE)

    1988年2月26日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]07・5H-3014(1988.2.26)[8cmCD]07・5H-3014(1988.2.26)

    Side A ガラスのジェネレーション(LIVE) Side B ダウンタウンボーイ(LIVE)





  • LIVE ALBUM

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    HEARTLAND

    1988年4月21日発売/EPICソニー

    [LP]40・3H-5020~1(1988.4.21)[CD]38・8H-5020(1988.4.21)[CT]38・6H-5020(1988.4.21)/[CD]ESCB 1131(1991.7.1)/[紙ジャケCD]MHCL 707~8(2005.12.21)



    ① アンジェリーナ Angelina
    ② ワイルド・ハーツ−冒険者たち Wild Hearts
    ③ 君をさがしている(朝が来るまで) Looking For You
    ④ ハートビート(小さなカサノバと街のナイチンゲールのバラッド) Heart Beat
    ⑤ コンプリケイション・シェイクダウン Complication Shakedown
    ⑥ ニューエイジ New Age
    ⑦ シェイム−君を汚したのは誰 Shame
    ⑧ インディビジュアリスト Individualists
    ⑨ ドゥー・ホワット・ユー・ライク(勝手にしなよ) Do What You Like
    ⑩ ストレンジ・デイズ−奇妙な日々 Strange Days
    ⑪ プリーズ・ドント・テル・ミー・ア・ライ Please Don’t Tell Me A Lie
    ⑫ 99ブルース 99 Blues
    ⑬ ロックンロール・ナイト Rock & Roll Night
    ⑭ サムデイ Someday
    ⑮ ガラスのジェネレーション Crystal Generation


    Produced by佐野元春
    Recorded by 佐野元春
    Mixed by 坂元達也
    Live Recorded at横浜スタジアム 1987.9.15(M1〜7、9、11〜15)、
    渋谷公会堂 1987.5.28(M8、10)
    Art direction by 駿東宏

    Musicians
    THE HEARTLAND

    ●佐野元春(Vo, G, Harmonica④)●西本明(Key, P⑬)●阿部吉剛(P, Vo)●小野田清文(B)●古田たかし(Ds,Vo)●長田進(G)●里村美和(Perc, Vo)
    THE TOKYO BE-BOP
    ●ダディ柴田(Sax, Fl)●石垣三十郎(Tp, FHrn)●ボーン助谷(Tb, Fl)




  • SINGLE

    佐野元春
    警告どおり 計画どおり

    1988年8月18日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]10・5H-3046(1988.8.18)[8cmCD]10・8H-3046(1988.8.18)

    Side A 警告どおり 計画どおり Side B 風の中の友達





  • VIDEO

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    Café Bohemia Live! 1986-1987

    1988年11月2日発売/EPICソニー

    [β]78・1H-144(1988.11.2)[VHS]78・2H-144(1988.11.2)[LD]68・4H-144(1988.11.2)[VHS]ESVU-222(1990.5.12)[LD]ESLU-292(1990.5.12) [DVD]ESBB 2031(2000.11.22)


    ① アンジェリーナ
    ② 冒険者たち
    ③ 君を探している
    ④ 奇妙な日々
    ⑤ インディビジュアリスト
    ⑥ コンプリケイション・シェイクダウン
    ⑦ ニュー・エイジ
    ⑧ 99ブルース
    ⑨ ガラスのジェネレーション
    ⑩ 聖なる夜に口笛吹いて





  • VIDEO

    佐野元春 with THE HEARTLAND
    THE OUT TAKES

    1988年11月2日発売/EPICソニー

    [β]78・1H-145(1988.11.2)[VHS]78・2H-145(1988.11.2)[LD]68・4H-145(1988.11.2)[VHS]ESVU-223(1990.5.12)[LD]ESLU-293(1990.5.12)


    ① ハートランドへようこそ'85
    ② 勝手にしなよ
    ③ 99ブルース
    ④ ロックンロールナイト
    ⑤ ソウルスピリット・パートⅡ
    ⑥ ハッピーマン・メドレー





  • SINGLE

    佐野元春
    約束の橋

    1989年4月21日発売/EPICソニー
    [7inch Vinyl]07・5H-3107(1989.4.21)[CT]10・6H-3107 [8cmCD]10・8H-3107(1989.4.21)10・6H-3107

    Side A 約束の橋 Side B 君が訪れる日





  • STUDIO ALBUM

    佐野元春
    ナポレオンフィッシュと泳ぐ日

    1989年6月1日発売/EPICソニー

    [LP]28・3H-5091(1989.6.1)[CD]28・6H-5091(1989.6.1)[CT]28・6H-5091(1989.6.1)/[CD]ESCB 1326(1992.9.1)/[紙ジャケCD]MHCL 709(2005.12.21)/[Blu-spec CD2]MHCL-30006(2013.2.20)/[LP]MHJL 11(2016.12.21)*アニヴァーサリー盤は別途



    ① ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 Napoleon Fish Day
    ② 陽気に行こうぜ Shake It Up
    ③ 雨の日のバタフライ Butterfly
    ④ ボリビア−野性的で冴えてる連中 Bolivia
    ⑤ おれは最低 Low
    ⑥ ブルーの見解 Vision Of Blue
    ⑦ ジュジュ Juju
    ⑧ 約束の橋 The Bridge
    ⑨ 愛のシステム System Of Love
    ⑩ 雪−あぁ世界は美しい The World Is Beautiful
    ⑪ 新しい航海 New Voyage
    ⑫ シティチャイルド City Child
    ⑬ ふたりの理由 Soulmates


    Produced by Moto "Lion" Sano & Colin Fairley
    Recorded by Richard Moakes、John Etchells
    Mixed by John Etchells
    Recorded at Air Studios、Olympic Studios、
    Roppongi Sony Studio(M5)、Avaco Studio(M10)
    Cover drawing by 萩原敏訓

    Musicians
    THE HEARTLAND

    ●佐野元春(Vo)●古田たかし(Ds⑤⑩)●小野田清文(B⑤⑩)●長田進(G⑤⑩)●西本明(Key①~⑤,⑦~⑫)●阿部吉剛(P⑩)●里村美和(Perc⑩)
    THE TOKYO BE-BOP(Brass②~⑨⑫)
    ●ダディ柴田(Sax①②⑧⑪⑫)

    GUEST
    ●Pete Thomas(Ds①~④,⑥~⑨,⑪~⑬)●Keith Ferguson(B①~④,⑥~⑧,⑪~⑬)●Bruce Thomas(B⑨)●Brinsley Schwarz(G①~④,⑥~⑨,⑪~⑬)●Bob Andrews(Key①~④,⑥~⑧,⑪~⑬)●Pedro Ortiz(Perc①⑥⑨)●Martin Ditcham(Perc④)●The Phantom Hornes(Brass④⑫⑬)




  • SINGLE

    佐野元春
    ナポレオンフィッシュと泳ぐ日

    1989年8月21日発売/EPICソニー
    [8cmCD]12・8H-3134(1989.8.21)

    ① ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
    ② ジュジュ
    ③ 愛することってむずかしい





  • Omnibus Album

    Various Artists
    mf VARIOUS ARTISTS Vol.1

    1989年8月21日発売/EPICソニー
    [CD]12・8H-3134(1989.8.21)

    佐野元春のお気にいりのアーティスト11組による15曲コンパイルしたオムニバス・アルバム




  • SINGLE

    佐野元春
    シティチャイルド

    1989年10月8日発売/EPICソニー
    [8cmCD]ESDB 3001(1989.10.8)

    ① シティチャイルド
    ② 雨の日のバタフライ
    ③ 水の中のグラジオラス





  • VIDEO

    佐野元春
    MOTO CLIP VOL.1

    1989年11月22日発売/EPICソニーー

    [β]ESUU 3206(1989.11.22)[VHS]ESVU 206(1989.11.22)[LD]ESLU 276(1989.11.22)[DVD]ESBL-2144(2003.12.17)


    ① YOUNG BLOODS
    ② STRAGE DAYS
    ③ 夜のスウィンガー
    ④ 99 BLUES
    ⑤ 約束の橋





  • SINGLE

    佐野元春
    雪 -あぁ世界は美しい

    1989年12月9日発売/EPICソニー
    [8cmCD+VHS]ESDB 3058~9(1989.12.9)

    8cmCD ① 雪 -あぁ世界は美しい ② 雨の日のバタフライ ③ ふたりの理由
    VHS 雪 -あぁ世界は美しい





●上記ディスコグラフィ内の記載品番全てを撮影しているわけではありません。収録曲、人物表記は初出発売に準じています。ご了承ください。




INTERVIEWS●佐野元春サウンドを鳴らした仲間たち❷



インタビュー・文/大谷隆之


1986~1987年<Café Bohemia Meeting>より


佐野くんと出会う前は総じて手数が多く、叩き方もわりと派手めだった気がします(古田)


── 古田さんは80年代初頭にザ・ハートランドに参加され、今もザ・ホーボー・キング・バンドのドラマーとして佐野さんを支えています。いわば最古参の盟友ですね。

古田たかし ああ、たしかに。普段あまり意識してませんけど、言われてみればかもしれない。

── 貴重な機会ですので、今回はザ・ハートランド加入前のキャリアについても少し聞かせてください。

古田たかし はいはい、何でもどうぞ(笑)。

── 古田さんは1958年生まれ。佐野さんよりふたつ年下ですが、実は15歳からプロとして活躍されています。どのような流れでデビューに至ったのですか?

古田たかし ドラムを始めたのは、えーと、小学3〜4年生くらいですかね。6つ年上の兄貴がギターをやっていて、その影響が大きかったと思います。……うん、そうそう、兄貴の友だちに、珍しく家にドラムセットを持っている人がいて。一緒に遊びにいったときに初めて叩かせてもらったんですけど、これがもう、衝撃的に気持ちよくてですね。どうしても自分でもほしくなって、お小遣いを貯めてはスネアから1つずつ買い揃えていった。そうこうするうちに、兄貴が高校でコピーバンドを組むんですよ。当時の流行りとして。

── そこに加入して、古田さんのバンド人生がスタートした。

古田たかし はい。アマチュアバンドって大抵、ドラマーの確保に苦労するじゃないですか。なのでたぶん、兄貴がポロッと僕の話をしたら「じゃあ一度連れてきてよ」みたいな流れになったんじゃないかな。まあ当の本人はそんなにギターも上手くなくて、早々に抜けちゃうんですけどね(笑)。それで高校生のお兄さん方に混じって小5の僕がドラムを叩くことになりまして。そして、そのバンドがゲッセマネというバンド名になりました。

── ゲッセマネでは何のカヴァーを?

古田たかし おもにジェスロ・タルですね。

── それはまた渋いですね(笑)。ジェスロ・タルはブルース、ジャズ、トラッド、プログレなど多種多様な要素を採り入れたイギリスのバンド。ロックバンドには珍しく、メインヴォーカルのイアン・アンダーソンがフルートを吹くことでも知られます。

古田たかし 彼らのファースト・アルバム『日曜日の印象』(’68年)を聴いて、メンバー全員ぶっ飛びました。たまたま兄貴の同級生にフルートを吹ける人がいたので。半ば無理やり引っ張り込んでね。頑張ってコピーを始めたんです。というのも当時は(レッド・)ツェッペリン全盛で、周囲はこぞってカヴァーしてましたからね。そこは高校生なりの戦略というか、人目を引くには何か毛色の違うことをしなきゃと思ったわけ。で、何年か続けていくうちに、このバンドがちょっとセミプロっぽい感じになっていったんですよ。いろんなイベントやライヴ・ハウスから声がかかるようになって。対バンを通じて知り合いも増えていった。

── たとえばどういう場所で演奏されてたんですか?

古田たかし ぱっと思い出すのは、やっぱり日比谷野音かな。70年代初頭の野音って、アマチュア・バンドにほぼ無料で貸してくれてたんですよね。そういうロック好きの有志が企画したフリー・コンサートに、けっこうたびたび出してもらった。3つ年上のCharと仲よくなったのも野音の会場だったはずです。彼は最初は「あれ、誰か関係者の子どもが紛れ込んでるぞ」って思ったみたいだけどね(笑)。それがいきなりジェスロ・タルを叩き始めたので「おお!」って驚いて。終演後に「お前、面白いな」と声をかけてくれた。そのときCharは、高1だったのかな。カッコいいお兄さんって感じで。そこからもう50年以上の付き合い。

── Charさんが高1だとすると、古田さんは小6。想像すると改めてすごいですね。

古田たかし 他にもいろんな場所で演奏しましたよ。あるとき慶應(義塾大学)の三田祭に、村八分の前座として呼ばれまして。興奮したファンから「帰れ」コールを浴びた挙げ句に、乱闘になっちゃったりね。いやあ、あれはまじで怖かった(笑)。あとは成田空港の反対運動のイベントで、「空港粉砕」「闘争勝利」みたいなシュプレヒコールと前後して演奏したこともあったっけな。

── 何というか、時代の空気が伝わってきます(笑)。ゲッセマネではどのくらい活動したんですか?

古田たかし 小学校5年生から中学校3年生までです。他のメンバーが大学4年生になって、そろそろ就職活動に専念しようと。まあ、ありがちなパターンですね。で、ちょうどその頃、カルメン・マキ&OZがドラマーを探してたんですよ。僕はマキさんとはいろんなライヴ・ハウスで顔なじみだったし。ギタリストの春日(博文)さんにもすごく可愛がってもらっていたので。で、ファースト・アルバムを録音するにあたって「たかし、やってみてくれない?」と声をかけてもらった。めちゃめちゃ嬉しかったです。実はその前にも、霧工場というフォーク・デュオのシングル盤で叩いたことはあったんですけどね。メジャーのアルバム制作にまるごと関われたのはこれが最初。緊張したし、スタジオではほとんど無我夢中でした。

── プロフィールにある「15歳でプロ・デビュー」という記述は、具体的にはそういう流れだったんですね。当時の演奏スタイルはどんな感じだったんでしょう?

古田たかし それはもう、叩く場所によっていろいろですね。ゲッセマネの初期はわりとジャズ・ロックっぽい曲が多かった。同じブルースを基調にした音楽でも、ジェスロ・タルとツェッペリンではリズムのニュアンスがかなり違う。どっしり骨太なツェッペリンに比べて、ジェスロはシャッフル系の跳ねたビートなんですよ。しかもアルバムごとにプログレ色を強めたり、トラッドフォークに傾倒したりと振れ幅が大きかったでしょう。そういう変化をリアルタイムで追っかけていくのも楽しかった。

── なるほど。

古田たかし そこからカルメン・マキ&OZを1年くらいやらせてもらって。こっちはわりあい、ストレートで重みのあるブルースロック色が強かった。で、OZを抜けた後は、Charの影響もあって当時流行の16ビートにハマりました。ちょうどジェフ・ベックの『ブロウ・バイ・ブロウ』(’75年)がリリースされた前後でね。僕も若者らしく「やっぱこれからは16じゃん」となった(笑)。それでOZで知り合ったメンバーとディスコ・バンドを組んでみたり。それこそCharに誘われ、あおい輝彦さんのサポートで入ってた時期もあります。

── それもまた意外ですね。Charさんと古田さんが、あおい輝彦さんのバックで16ビートを?

古田たかし ええ(笑)。当時の人気歌手のステージって、実は洋楽のカヴァーも多かったんですよね。僕らもあおいさんのヒット曲の合間に、人気の出かかっていたアース・ウインド&ファイアーのディスコナンバーを演奏したりしていました。それが70年代半ば。高校に通っていた頃です。

── ジャズ・ロックからプログレ、ブルース、ファンクまで。こうやって伺うと、ザ・ハートランドに参加するまでに実に多様なスタイルを通ってこられたんですね。

古田たかし たしかにそうかも。佐野くんと出会う前は総じて手数が多く、叩き方もわりと派手めだった気がします。フロントにタムをいっぱい並べてね。“ドンドコドコドコ”やるのが好きだった。シンプルな8ビート、ロックンロールの奥深さに触れたのはたぶん、ハートランドに入ってからですね。


1981年、初期ザ・ハートランド(写真一番右が古田たかし)


ザ・ハートランドに入って僕自身の叩き方もすごく変わりました。佐野くんに教わったり影響を受けた部分も大きかったと思います(古田)


── 初めて佐野さんと出会ったのは?

古田たかし ’80年ですかね。たぶん佐野くんのファースト『BACK TO THE STREET』が出た半年後くらいだったと思います。当時、僕は原田真二くんのバックで叩いてまして(原田真二&Crisis)。その頃、ほかのバックでよくコンビを組んでいたベースの小野田(清文)くんが、「たかしに会わせたい人がいるんだけど……」って声をかけてくれた。佐野元春というアーティストがドラマーを探しているんだけどどうかなって。それでオーディションを兼ねてセッションしました。場所はたしか、渋谷道玄坂上のリハーサルスタジオだったと思う。

── オーディションでは何を演奏されたんですか?

古田たかし うーん、どうだったかなぁ…。小野田くんがあらかじめカセットテープの音源を貸してくれて。当日は「夜のスウィンガー」とかアップテンポな曲を4つ、5つやった気がします。あと、オリジナル以外にカヴァーも演奏しましたね。佐野くんが当時、アンコールでよくやってたロックンロールのスタンダードですね。まあこの辺の記憶はもはや曖昧ですけど(笑)。ただ、リハスタの風景ははっきり覚えてます。というのも、初対面なのにとにかく楽しかったんですよ。波長がぴったり合う感覚があった。

── 先月お話を伺った伊藤銀次さんも、同じことを仰ってました。

古田たかし よく覚えてるのは、セッションするうちに佐野くんの顔付きがどんどん変わっていったんですね。満面の笑みっていうか、とにかくニッコニコの表情になってね。「ワァーッ!」って感じで盛り上がりながら、激しくパフォーマンスしてくれた(笑)。初対面だったけど、それを見て僕も「あ、喜んでくれてるんだ」と思った。僕もどんどん嬉しくなっちゃって。張り切って叩いた記憶があります。

── 伊藤さんの自伝『MY LIFE, POP LIFE』にも、そのときの描写が少し出てきます。ザ・ハートランドでは何人ものドラマーを試したけれど、誰もしっくりこなかった。「それまではただのバック・バンドという意識できて、譜面通りに演奏するタイプの人が多かった」と。初めて接した古田さんのドラムについて、伊藤さんは「手数が多くて、テクニックも凄くて、テリー・ボジオみたいだなと思った」「だけどグルーヴがあって、僕の好きなタイプだった」とも書いておられました。

古田たかし ははははは(笑)。そんな嬉しいことを言ってくれたんですね。

── テリー・ボジオは、フランク・ザッパとの活動でも知られる超絶技巧派で……。

古田たかし 当時はそういうテクニシャンへの憧れが、まだまだ強かったんでしょうね。さっきもお話ししたように、どちらかというとタムをめいっぱい回す叩き方だったので。

── 関係者の間では「佐野元春の音楽に古田さんの叩き方は合わないのでは?」という懸念もあったそうです。でも佐野さんが押し切った。伊藤さんも「彼のドラムの歌い方が気に入った」と回想されています。

古田たかし ラッキーなことに2人ともそう感じてくれたんですよね。表面的な手数じゃなく、根っこにあるグルーヴを見てもらえた。本当にありがたかったと思います。ザ・ハートランドに入って、僕自身スタイルも大きく変わりました。教育といったら変だけど、佐野くんに教わったり影響を受けた部分も大きかったと思う。たとえて言うなら、テリー・ボジオから(ザ・フーの)キース・ムーンへの方向転換?

── 華麗なテクニックより荒々しさ。歌い手のエモーションに最大限寄り添うスタイル?

古田たかし まさに。佐野くんってつねに、作りたい楽曲のイメージが明確じゃないですか。たとえば「そこはタムじゃなく、スネアだけでシンプルにいこう」みたいな感じでね。ドラムに対するディレクションも具体的で、曖昧さが一切なかった。僕が入った頃には、メンバーの気持ちも同じ方向にしっかりまとまってました。どうすれば佐野くんのヴィジョンを実現できるか、みんなで一生懸命模索していた。そういう試行錯誤の中で、自分のドラムもどんどんシンプルになっていったというか。無駄が削ぎ落とされ筋肉質になっていく充実感がありました。そうやって佐野くんの根底に流れるロックンロール魂みたいなものを体得していったんです。

── 伊藤銀次さんの自伝には「小野田清文と古田たかしが揃ったとき、これでやっとバンドになったと思いました」との記述もあります。改めて、ご自分のどこがフィットしたのだと思われますか?

古田たかし うーん……何だろう。自分で言うのも変だけど僕、根っからドラムが好きなんですよ。セットの前に座って叩き始めると、とにかくもう、楽しい気分になっちゃうのね(笑)。

── ものすごくよくわかります。

古田たかし 僕がそういうモードでなれば仲間のミュージシャンにも伝わるだろうし。お客さんだってきっと楽しい気持ちになる。昔も今も、そう信じてやってるところがあるので。最初のセッション自体を思いっきり楽しめたことが、佐野くん的にはよかったのかなと。振り返ってみると、何となく思います。

── 佐野さんだけでなく、多くの一流ミュージシャンが口を揃え「古田さんのドラミングには歌心がある」と言います。その核にはテクニック云々を超えた、音楽への楽天的パッションがあるんじゃないかと。こうしてお話を伺ってみて、改めてそう感じました。

古田たかし パッションっていうか、好きすぎてガーッと入り込んじゃう感じ? だから強く意識してないと、つい前のめりになりがちで。気付けばリズムが走っちゃってるんですよ。はははは。

── その「楽しさに突き動かされる感覚」は、小3でドラムを始めたときから変わっていない?

古田たかし 変わらないっすね。そう、今お話ししていてふっと思い出しました。僕がドラムにのめりこんだのは、もちろん兄の影響もあったんですけど、それ以外にテレビでたまたま見たGS(グループサウンズ)の映像も大きかったんです。ザ・タイガースの瞳みのるさんが、髪の毛を振り乱しながら全身使ったドラミングをしておられて。たぶんリンゴ・スターを意識されてたと思うんですけど、子ども心にガーンとなった。何かもう「これだ! これしかない!」みたいな感じになったんですね。自分にとってドラムの原風景、原体験として、それがずっと続いてるんだと思います。


1982年、<Welcome to the Heartland Tour>より


「サムデイ」は佐野くんから、イントロの前に何かフックになるフィルがほしいって言われたんですよね(古田)


── 古田さん加入後のザ・ハートランドは地道にライヴ積み上げながら、口コミで若いファンを増やしていく。そのプロセスについては前回の伊藤銀次さんのインタビューでも詳しく伺いました。古田さん自身がとりわけ印象に残っているライヴはありますか?

古田たかし たぶん初めて全国を回った<Welcome to the Heartland Tour>だと思うんですけど、横浜の教育会館ですかね。その日はとにかく、お客さんの反応が凄まじくて。大げさではなく、“ドカーン!”という感じでウケた。それまでとは次元の違う盛り上がりで、これは何かが変わりつつあるぞと。

── 資料によると、横浜教育会館での公演は'82年4月28日。サード・アルバム『SOMEDAY』が発売される約1か月前です。佐野さんのオフィシャルサイトでたまたまセットリストを見つけたんですが、バンドのテーマ曲「Welcome to the Heartland」で幕を開けるステージで。

古田たかし あ、すごい、本当だ! 「彼女はデリケート」「サムデイ」「ダウンタウンボーイ」「シュガータイム」「ヴァニティ・ファクトリー」。まだ「ロックンロール・ナイト」はお披露目してないけれど、こうやって見ると『SOMEDAY』の収録曲もかなり演奏してたんですね。そういえば佐野くんはよく、初期ハートランドを『がんばれ!ベアーズ』に喩えるじゃないですか(笑)。この日のライヴでは、そんな苦労の数々が一気に実った感じがしたんですよ。佐野くんのパフォーマンスとバンドの演奏がカチッと噛み合って。一体化したグルーヴが、そのまんま客席に伝わってる手応えがあった。言葉では表せない感動っていうか、演奏しながらこっちも胸がいっぱいになっちゃった。

── アルバム『SOMEDAY』からは、ライヴだけでなくレコーディングにも参加されていますね。

古田たかし はい。最初に録音したのはたしか、シングル盤の「ダウンタウンボーイ」かな。


佐野元春
「ダウンタウンボーイ」

1981年10月21日発売


── よく知られているように、この『SOMEDAY』で佐野さんは、前2作と抜本的にアプローチを変えました。楽曲ごとにスタジオミュージシャンをアテンドする従来のやり方ではなく、ライヴで培ったバンドの一体感をそのままレコーディングに持ち込もうとした。そのため本番前にリハスタで、入念な準備を重ねたそうですね。新曲のアレンジはどんな流れで詰めていったんですか?

古田たかし 基本パターンとしては、まず佐野くんがアコギを抱えてスタジオで新曲を歌ってくれる。表現力がありますから、生歌のニュアンスだけでいろんな情報が伝わってくるんですね。で、メンバー各自そこからイメージを広げて構築していくケースが多かったです。もちろん佐野くん本人もリクエストをどんどん出してくれた。それもいちいち譜面に起こすんじゃなくてね。「ここのベースラインは、“ドゥンドゥンドゥドゥン、ドゥドゥドゥン”みたいな感じで」「ここで一発、“ダカズッダダン”みたいなフィルを入れて」みたいな感じで、すべてのパートを口伝えで再現しちゃう。その様子がまた、めちゃめちゃ楽しそうなんですよ。きっと頭の中で曲が鳴ってるんでしょうね。だからあんなことができるんだろうなと。



佐野元春
『SOMEDAY』

1982年5月21日発売


── そういう作り方が、アルバム『SOMEDAY』の持つ自然なグルーヴに結実したと。

古田たかし だと思います。あともうひとつ、これもさっきの「ドラムの歌心」と関わる話かもしれませんが……ライヴを重ねる中で、自分がコーラスも担当する曲が増えていったんですね。レコーディングでは佐野くんが多重録音で声を重ねているパートも、ステージでは誰かが歌わなきゃいけないでしょう。するとどうしたって、メインヴォーカルの呼吸をより肌で感じる必要が出てくるわけです。歌い手の感情の機微とシンクロしないと、やっぱりちゃんとハモれないですから。

── ああ、なるほど。それもまた、プレイスタイルの本質に関わる話ですね。

古田たかし ザ・ハートランド加入前の僕は、たぶんバンドの音をベース中心に聴いてたと思うんですよ。とにかく自分のキック(バスドラ)がベースラインからズレちゃいけないと。正直、そこにばっか意識をとられていた。でも佐野くんに出会って以降は、まずはしっかり詞の内容に耳を傾けようと。リズムと歌をタイトに、とにかくフロントマンの感情の抑揚にビートで寄り添うことを意識するようになりました。だから細かい話、ステージモニタでも、ベースの音より歌を強めに返してもらってるんですよ。ザ・ハートランドに入ってからだんだんそのスタイルに変わっていって。以来ずっと同じやり方です。


1983年、<Rock & Roll Night Tour>楽屋にて


── ちなみに佐野さんはかつてインタビューで、初期ハートランドのベストトラックとして「SOMEDAY」「ロックンロール・ナイト」「モリスンは朝、空港で」にシングル盤の「ダウンタウンボーイ」「スターダスト・キッズ」を加えた5曲を挙げておられました。

古田たかし へええ、そうなんですね。

── さらに発言は続きます。「そのどれもに共通しているのが、あの当時の日本のポップ・ロック音楽にはなかった独特の“情熱感”」であり「それは僕とたかし君が創り出したものだと、今振り返ってそう思います」と(『リズム&ドラム・マガジン』2011年6月号)

古田たかし ああ、それは嬉しいなあ! すごく嬉しい。

── 名曲「SOMEDAY」の出だしは、“ドゥルルン・ダンダン”という古田さんのドラムから始まります。あの有名なフィルインはどうやって生まれたのか覚えておられますか?

古田たかし たしか六本木のソニー・スタジオだったと思うんですけど。佐野くんから、イントロの前に何かフックになるフィルがほしいって言われたんですよね。で、いろんなパターンを試していく中で、あのフレーズが出てきて。佐野くんが「それ、それでいこう!」ってなったんだと思う。悩んだり煮詰まったりした記憶はないですね。メンバーみんないる前で、わりとすぐ、自然な流れでできたんじゃなかったかな。今では、誰もが認める代表曲ですからね。佐野くんもたまに「たかし君なしにこのフィルはなかった」みたいなことを言ってくれて。やっぱり誇らしいです。

僕にとっても<Visitors Tour>をやりきった経験はすごく大きかったと思う(古田)


── アルバム『SOMEDAY』発売から4か月後、1982年9月〜1983年3月に<Rock & Roll Night Tour>が敢行されます。間違いなくここで、初期ザ・ハートランドはひとつのピークを迎えた。そして5月には佐野さんが、ニューヨークで新生活がスタートさせます。

古田たかし はいはい、そうでした。

── そして翌’85年に帰国、ニューヨークレコーディングの4thアルバム『VISITORS』がリリースされました。日本語のロックとしては初めてヒップホップの要素を大胆に採り入れた歴史的名盤ですが……。

古田たかし 最初に聴かせてもらったとき、メンバー全員が口あんぐりって感じでした(笑)。いや、めちゃめちゃ斬新でかっこいいとは思ったんですよ。だけどザ・ハートランドで築き上げてきたロックンロールとはあまりにも違う音楽だったし。何より「これ本当にライヴで再現できるんだろうか?」という疑問がむくむく湧いてきた。それでメンバー全員、無言になっちゃいまして。



佐野元春
『VISITORS』

1984年5月21日発売


── とはいえ、同年10月にはすぐ<Visitors Tour>がスタートしますよね。翌'86年5月まで約7か月、全国70か所を回る大規模なライヴツアーでした。

古田たかし そうそう。これはもう普通なリハじゃとても追いつかない。なので佐野くんの発案で、河口湖で長期合宿したんですよ。たぶん2週間以上特訓したんじゃないかな。

── 具体的にはどういったトライアルを?

古田たかし 当時出始めの「DMX」というドラムマシンがあったんですね。その機材であらかじめキックの音を打ち込んでおいて。それをスタジオでモニタしつつ、僕は上半身だけ使ってスネア、タム、ハイハットを叩く。要はマンガに出てくる「大リーグボール養成ギプス」で、下半身だけ固定される感覚です。

── うー、大変ですね。

古田たかし 他にもドラムの大半は打ち込みにして、ちょっとしたフィルだけ僕が叩くとか。いろんな実験をしました。この合宿は心底キツかった(笑)。ドラムのグルーヴって全身で生み出すもので、一部分だけをを切り出すことは難しい。上と下の連動を断たれると、とたんにリズムがガタガタ崩れちゃうんですよ。正直、自分のビートが表現できなくてヤケクソ気味になった瞬間もあったりして。

── 古田さんのように「歌心」に主軸を置く演奏スタイルだと余計そうかもしれませんね。どうやって苦境を乗り越えていったんですか?

古田たかし これはもう、何度も何度も練習して徐々に慣れるしかなかった。最初は抵抗感もありましたけど、「今、佐野くんが挑戦したいのはこういう表現なんだ」と折り合いを付けて。少しずつ自分のモードを変えていったんだと思います。今じゃドラマーがクリック(正確なテンポをキープするためのガイド音)に合わせて叩くのは普通じゃないですか。でも’85年の日本にはそういうシステムはまだ存在しなかったし。僕自身にもクールさとホットさを同居させるスキルがなかった。自分なりに「こんな感じかな?」というフィーリングが掴めたのは、合宿が終わったさらに後。たぶん<Visitors Tour>の半ば以降だと思います。


1984年、<Viisitors Tour>にて


── 佐野さんは前出のインタビューで「これは大変な仕事だったと思う」「それにたかし君がNOと言わずについてきてくれたこととっても感謝していますし、おかげであの当時、誰も鳴らしていなかった、すごいサウンドができたと思っています」と回想しています。

古田たかし いやあ、ありがたいっすね。僕にとっても、あのツアーをやりきった経験はすごく大きかったと思う。前はなかった種類のクールさを体得できましたし。それによって自分本来のアグレッシブさとの対比も強調できるようになった。何よりパフォーマンスとして、最高にかっこいいものができましたから。アルバム『VISITORS』収録曲はもちろん、「アンジェリーナ」の再構築バージョンなんて今聴いてもゾクッとする。

── 私は当時ティーンエイジャーでしたが、あまりの変貌ぶりに度肝を抜かれました。

古田たかし いや、演奏していた僕らもそうでしたよ(笑)。メンバー全員「代表曲をこんなに変えちゃっていいの?」という感じだった。あの曲もキックは完全にDMXで、テンポも大幅にスローダウンしています。上半身は生身の僕が演奏してますが、スネアやハットを叩く数も、タイミングもまったく違う。オリジナルを一度完全にバラしてゼロから再構築されてるんですね。あの大胆さと構成力は凄いと思う。しかも佐野くん、最新アルバム『HAYABUSA JET I』でもその姿勢を崩してないでしょう。

── そうですね。いわゆるセルフ・カヴァーではなく、楽曲のコアに立ち返った「再定義」。

古田たかし ああいうところ、ほんと佐野くんらしくてかっこいい。僕も大好きです。


佐野元春 & THE COYOTE BAND
『HAYABUSA JET Ⅰ』

2025年3月12日発売


個人的な達成感という意味では『CAFÉ BOHEMIA』に収められた「99ブルース」(古田)


── ファンの間でも論争を読んだ<Visitors Tour>が終わったのが’85年5月。そして翌’86年12月には、もう5枚目のオリジナル・アルバム『CAFÉ BOHEMIA』リリースされています。展開の速さもさることながら、本作の特徴は何といってもビートの多様性です。どの収録曲も、ひとつつとして同じリズムがないという。

古田たかし この時期、佐野くんはロンドンで暮らしてたんですよね。だから当時ロンドンで盛り上がっていたブルーアイドソウルの再評価だったり、ワールドミュージックの台頭だったり、さまざまな要素が入っている。僕自身そういう音楽は自然に聴いていたので、『CAFÉ BOHEMIA』の方向性にはまったく違和感がなかった。佐野くんが何にインスパイアされ、どういうグルーヴを出したいのか自分なりに理解できましたし。四苦八苦した<Visitors Tour>とは違って、楽しんで叩けた気がします。

── テーマ曲ならジャズ、「ヤングブラッズ」はブルーアイドソウル、「インディビジュアリスト」はスカ、「99ブルース」はジャングルビート、「クリスマス・タイム・イン・ブルー」はレゲエ。多種多様なリズムが採用されていますが、特に思い入れ深いナンバーを挙げるとすると?

古田たかし どれもお気に入りなんですけど、パッと思い浮かぶのは「クリスマス・タイム・イン・ブルー」かな。もともとレゲエは、ボブ・マーリーの来日公演(’79年)を観にいったくらい好きでしたし。ああいう穏やかなレゲエ調のナンバーって、当時の日本のポップシーンにはなかったじゃないですか。そこはやっぱり誇らしかった。あと、個人的な達成感という意味では「99ブルース」。この曲もキックがDMXの打ち込みなんですよ。レコーディングで僕が叩いているのは上半身のみ。



佐野元春 with THE HEARTLAND
『CAFÉ BOHEMIA』

1986年12月1日発売



── なるほど。言われてみれば「99ブルース」のビートって、突き放したクールな眼差しと躍動感が混在するような、独特の手触りがありますね。

古田たかし そうそう、まさにそうなんですよ。<Visitors Tour>でさんざん苦しんだ時間が、「99ブルース」に結実したっていうか。ちなみにステージでも、当初はDMXで打ち込んだキックを流してたんですね。それが途中からはバスドラも自分で蹴るようになった。でもドラムマシンと生身の身体を同期させてた感覚は、やっぱりどこか残ってるんですよ。それによってオリジナルなビート感というか、それまになかったリズムのニュアンスが出せたと思う。そこはドラマーとして、ちょっと先に行けた感じがしたんですよね。


1994年3月、<The Circle Tour>沖縄にて。少し日焼け顔の佐野元春(写真提供:古田たかし)


── その後も充実したアルバム4枚を発表した後、’93年12月からの<The Circle Tour>をもって、佐野元春 ウィズ・ザ・ハートランドは解散しました。佐野さんは新たにザ・ホーボー・キング・バンドを結成。古田さんは’01年に佐野さんの誘いでバンドに再合流して、現在に至っています。

古田たかし その間、僕もいろんなアーティストと一緒に活動してたんですけど、やっぱり佐野くんは特別というか。声をかけてもらったときは素直に嬉しかったです。ザ・ハートランドからザ・ホーボー・キング・バンドに入って驚いたのは譜面の存在ですかね(笑)。というのはギターの佐橋(佳幸)くんとキーボードのkyOnさんは、どちらも手練れのアレンジャーでもあるから。たとえばセッション形式で新曲を詰めているとき、佐野くんが「ふたつ前のアレンジをもう一度やってみよう」とか言うと、ぱっとスコアが出てくる。おかげで随分、作業が早くなった気がします。


<第二期>佐野元春&THE HOBO KING BAND


── “相棒”のベーシスト井上富雄さんとの呼吸もぴったりで。

古田たかし トミーはね、ステージで何があってもフレキシブルに対応してくれる。僕みたいなドラマーにとっては本当にやりやすいです。彼自身も弾き語りで歌う人なんで、それこそベースラインに「歌心」が満ちてますしね。彼だけじゃない。ザ・ホーボー・キング・バンドはメンバー全員、プレイヤーとしての引き出しがとにかく多いし。僕は僕で、それなりに経験も積んできた。何より佐野くんが、心からリラックスして音楽を楽しんでいるのが本当に嬉しいなと。

── ルーツ志向のアレンジで佐野元春クラシックを演奏するライヴシリーズ<Smoke & Blue>などを見ると、本当にそう感じます。先鋭的なモダンロックを追求するザ・コヨーテ・バンドと、幅広い音楽性を持つザ・ホーボー・キング・バンド。佐野さんにとってこのふたつが、創造力を刺激する活動の両輪になっているなと。

古田たかし 僕より年上なのに、すごいっすよね。一体いつ寝てるんだろうって、ときどき不思議になるくらい(笑)。あの長いキャリアで、今が一番充実してるんじゃないかって。そんな気すらしますから。ずっと一緒に音楽ができてる僕は、ほんとラッキーだと思います。

(了)



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      ▲『MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』ブックレットより







    古田たかし(ふるた・たかし)

    ●1958年生まれ、東京都出身。10歳の頃からドラムを始め、15歳でカルメン・マキ&OZに参加してプロ・デビュー。その後も若き非凡なドラマーとして頭角を現し、佐野元春 with THE HEARTLAND、THE HOBO KING BANDの一員として活動。古田“Mighty”たかし、“しーたか“の愛称でも親しまれる佐野元春の盟友。さらにはCharをはじめ吉川晃司、渡辺美里、UNICORN、奥田民生、PUFFYのバック・メンバーとしても知られる。プロ・ドラマー歴57年を超える日本屈指の名ドラマーのひとりとして活躍中。

    佐野元春コラボレート

    STUDIO

    1982『SOMEDAY』(Drums)
    1986『CAFÉ BOHEMIA』(Drums)
    1989『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』(Drums)
    1990『TIME OUT!』(Drums)
    1992『SWEET 16』(Drums)
    1993『THE CIRCLE』(Drums)…and so on


    LIVE

    ルイード時代(1980年7月~1981年12月)
    Welcome to the Heartland Tour(1982年1月~7月)
    Rock & Roll Night Tour(1982年9月~1983年3月)
    Visitors Tout ’84-‘85(1984年10月~1985年5月)
    東京マンスリー(1986年4月~9月)
    Café Bohemia Meeting(1986年10月~1987年9月)
    Piscec Tour(1987年12月~1988年5月)
    Napoleon Fish Tour(1989年6月~12月)
    Time Out! Tour(1990年11月~12月)
    See Far Miles Tour PartⅠ(1992年1月~4月)
    See Far Miles Tour PartⅡ(1992年9月~1993年1月)
    The Circle Tour(1993年12月~1994年4月)
    Land Ho!(1994年9月)…and so on




    ▲ウェブマガジンotonano別冊『Motoharu Sano 45』記事内のEPICソニー期の作品表記は2021年6月16日発売された『MOTOHARU SANO THE COMPLETE ALBUM COLLECTION 1980-2004』ブックレットに基づいています。




    エモノート佐野元春