2025年5月号|特集 角松敏生

【Part1】角松敏生スペシャル・ロングインタビュー

インタビュー

2025.5.1

インタビュー・文/柴崎祐二


角松敏生の勢いが止まらない。デビューから40余年、都市生活者による都市生活者のための先鋭的ポップ・ミュージックを作り続け、演奏し、歌い続けてきた彼が昨年5月から展開している新プロジェクトが、「Contemporary Urban Music」という連作アルバム・シリーズだ。1970年代末から1980年代にかけてのスタジオ・ワーク爛熟期を過ごしてきた角松と、同世代の仲間たち、そして気鋭の若手ミュージシャンを交えて送り出されたそれらは、昨今のシティポップ流行を(ときに批判的に?)捉え直す「オリジネーター」からの鋭い回答であり、同時に、彼のライフワークともいえる「継承」の美学を色濃く湛えた作品群でもある。
全4回に渡るインタビューのスタート編にあたる今回は、同シリーズ発足の経緯や、ネーミングに込めた思いを語ってもらった。


「シティポップ」を公約数的に抽出するのなら、「アーバン・ミュージック」というのが適当なんじゃないか


── まずは、どういった経緯で今回のシリーズを立ち上げることになったのかという点から伺わせてください。

角松敏生 こう言うといかにもリアリスティックな話に聞こえてしまうかもしれないですが、主な理由としては、来年に控えている横浜アリーナのアニバーサリー・ライヴに照準を合わせて、という意味合いが大きいですね。横浜アリーナでは5年に1回恒例でコンサートをやっているんですが、僕自身が今を現在進行形で生きて、自分のキャリアを更新し続けていることをしっかり伝える場でもあるので、歩みを止めずに取り組むためプロジェクトが必要だったんです。

── 前回のアニバーサリー・ライヴは40周年にあたる2021年に開催されていますが、その頃はコロナ禍でイベント業界全体が大変な時期でもありましたよね。

角松敏生 そう。ありがたいことにチケットはソールド・アウトになりはしたんだけど、先行きの見えない中での開催で、ライヴ後の展開にも色々と不安感があったんです。改めて、あんなことになるなんて当然予想していなかったけれど、そういう状況を逆手にとって、色々なトライアルを重ねていこうと気持ちを新たにしたところもあって。あとはまあ子供もまだ小さいですし、単純にそうでもしないと飯が食えませんからね……(笑)。だから、4年前の時点から色々と試行錯誤を重ねてきたんです。

── その大きな成果の一つが、音楽の生演奏、芝居、ダンスを融合させた、2023年上演の「MUSICLIVE, ACT & DANCE」(略称MILAD)というプロジェクトだったわけですね。

角松敏生 そうです。MILADは自分が何十年も前から構想していたプロジェクトだったんですが、やるとしたら体力的にも経済的にも余裕がある今しかないと思って、思い切ってトライしてみたんです。予算と手間もすごくかかるし、はじめから予想していた通り結果としては収益的に大儲けという形ではなかったんですが、ついに形にできたことでやりきったという感慨もあったし、同時に精神的にかなり疲弊してしまって。一旦燃え尽きてしまったような感覚でした。けど、その時点で次の周年コンサートまでまだ残り2年もあるわけで、立ち止まってしまうわけにもいかない。仮に一度立ち止まってしまうともう何もできなくなってしまうという危機感もあったので、がむしゃらになるしかなかったんですよ。



『TOSHIKI KADOMATSU presents MILAD THE DANCE OF LIFE』
2024年4月3日発売


── 自分で自分にはっぱをかけるように。

角松敏生 はい。だからもう、ひとまずは先にアルバムを作ろうと決めてしまったんです。初夏にツアーをやって、年末に東京で2本、関西で1本ライヴをやるというのが僕のルーティーンなんですが、そのためには5月の時点でツアーを盛り上げるためのアクションがあったほうがいいんです。だから、今回のシリーズの第一弾『MAGIC HOUR 〜Lovers at Dusk〜』も、まさにそのタイミングに合わせてツアーのための動力源として作ろうとしたわけです。

── シリーズものとして複数枚作るというのもはじめから決めていたんですか?

角松敏生 そうですね。そうすることによって自分の尻を叩くことになると思ったし、実際にできるかできないかはわからないけど、やれるところまでやってみようという気持ちで始めました。だから、正直に言うとコンセプトはなんでもよかったんですよ(笑)。けれどその一方で、この年令になるまで40数年かけて自分がやってきたことを振り返ってみて、「俺は一体なんだったんだろう」という気持ちもあって。そこに正面から向き合ってみようと思ったんです。

── 様々な経験を経て自らのアイデンティティを問い直すフェイズに入った、ということなんでしょうか?

角松敏生 そうなのかもしれない。今もライヴを重ねながら生きているということは、スタッフやバンドのメンバーにもギャラを払って、世の中の経済を回しているっていうことでもあるし、少しは世間の役に立ってきたのかなという気持ちもあって。子育てをして家庭生活も営んでいますし。同時に、だからこそ自分が今までやってきた表現活動って一体何だったんだろうと改めて考えるようになったし、もっとわかりやすく言えば、「俺はこのまま生きていていいのか」という気持ちにもなって。

── 相当に根源的な問いかけですね。

角松敏生 はい。そういう気持ちが根本にあるのと、もう一つには、今の時代特有のメディア環境みたいなものについて色々と思うところもあって。僕自身、パソコン通信や初期インターネットの時代からオンラインでのコミュニケーションをやってきたので、今のように誰もが好き勝手に情報を発信できる状況というのはさもありなんという気持ちなんです。だから今のSNSにまつわるあれこれも特段驚きではないんですが、現にそういう相互発信みたいな状況が常態になっている中で、だったら自分ももっとてらいなく自分の表現をやってしまっていいんじゃないかと考えるようになったんです。簡単に言えば、「思いついたらすぐやってみる」スタイルでいいじゃないか、ということですね。

── それで「Contemporary Urban Music」というテーマを具体的に思いつた、と?

角松敏生 はい。ここ10年くらいで、「シティポップ」という言葉が盛んに取り沙汰されるようになったわけですけど、今まで色んなところで話したり書いたりしてきた通り、「シティポップ」という言葉は何か具体的なサウンドを説明する用語として生まれたというより、当時のレコード会社かどこかが一種のイメージとしてあるアーティストなり作品をカテゴライズするためのマーケティング用語として編み出したものなんですよね。そういう流れの中で、デビュー当時には僕の音楽も「シティポップ」と言われたこともあったんですが、自分からすればいまだに「なんじゃそりゃ」っていう感覚が拭えないんですよ。一方で、そもそもそういう成り立ちの和製英語である「シティポップ」が、今や海外の人たちに話すと「ああ、シティポップね!」で通じる状況になっていることも確かに面白い現象ではあるんですが。けどまあ、それも一部のサブカルチャー指向の連中の中で通用するワードで、海外の音楽関係者の中には「?」っていう人が少なくないのも実情なんですよね。そんなに話題なんだったら、ネット上以外の主流チャートにガンガン入ったり、グラミー賞にノミネートされたりしてもおかしくないはずだけど、実際にはそんなことないわけで。

── なるほど、すると「Contemporary Urban Music」というワードは、そういう昨今の「シティポップ受容」みたいなものに対する角松さん側からのカウンターになっているわけですね。

角松敏生 仮に「君の音楽はR&Bだね」とか「ロックだね」と言われたらしっくりくるんだけど、今話したような背景があるので、「君の音楽はシティポップだね」と言われると、僕も含めみんな嫌がるんですよ(笑)。だから、この状況を逆手にとってミュージシャン側から自分で言葉を立ち上げちゃおうという、一種のいたずら心のようなものも込められています(笑)。実際、今「シティポップ」として任意にカテゴライズされている音楽的な響きを公約数的に抽出するのなら、「アーバン・ミュージック」というのがやっぱり適当なんじゃないかなと思うんですよね。日本人がいうところのAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)に近いんだけど、そのAORからして和製英語ですし。それで、今話した「シティポップ」という言葉を知らなかったアメリカ人の友人に、「仮にこういう音楽に英語で名前をつけるとしたら何だと思う?」と相談してみたんです。

── なるほど、そういう経緯だったんですね。

角松敏生 アメリカ発のポップ・ミュージックは特にそうですけど、「カントリー・ミュージック」とか「ウェスト・コースト・ロック」等、土地性とか空間性みたいなものがジャンル名に冠されているものが多いんですよね。そういう意味でいうと、「シティ」ではなくて「アーバン」という語の方がある傾向のサウンドを表す言葉として歴史的に用いられてきたという流れもあるので、その友人も「アーバン」という語を出してきたんだと思うんです。僕もコンサートのMCでよく話すんですが、僕の曲を聴いて田畑や野山の光景を想像する人はまあいないと思うんです。だから、都市生活者が作る都市生活者のための音楽という意味で、「アーバン・ミュージック」という呼び方は落としどころとしては適当かな、と。

── それに「コンテンポラリー」という形容詞を付け加えたのにはどういう意図があったんでしょうか?

角松敏生 「コンテンポラリー」という言葉もある意味漠然としているというか、音楽の評論等でも曖昧に使われているフシがあるんですが、これにも実は文脈があって、連綿と受け継がれてきたある傾向のサウンドを指す側面と、時代に合わせてある様式が様変わりしていく中での「現代的」という意味――例えばグラミー賞の「コンテンポラリー・ブルース・アルバム部門」みたいな用法ですけど――の両面があるんですよ。今回の「Contemporary Urban Music」における「コンテンポラリー」はどちらかといえば前者の意味に近くて、「あの時代に『コンテンポラリー』だった、あるいは『コンテンポラリー』と言われていたサウンド」という含蓄があります。だから、もっと厳密に言うのなら、「ジャパニーズ・クラシック・コンテンポラリー・アーバン・ミュージック」という名称になるのかな。長ったらしいけど(笑)。

── 時代性と空間性を元に定義すると、そう呼ぶのがしっくり来る、と?

角松敏生 はい。シティポップという言葉は、そのあたりもかなり曖昧でしょう。だからこそ、今の若い人たちがやっているなんとなくメロウでアーバンなポップスに対して、それを「シティポップ」と一括りにするのもやっぱり違うんじゃないかと思うんですよね。仮に「シティポップ」という言葉を時代性とか空間性に還元するのなら、それはきっと、街中のお店はどこも喫煙可能で、いたるところに電話ボックスが並んでいて、渋谷にも高層ビルなんていまだ存在しない、しかも、若者たちはシートベルトもしないで車で疾走している……みたいな風景と不可分な言葉として用いられるべきものだと思うんです。その点、「Contemporary Urban Music」という言葉には、そういう意味での限定的な「当時らしさ」は込められていないですし、だからこそ「あの当時のシティポップ」とは異なるものなんですよ。あくまで今の自分が都市の中に見ている風景を曲にしたものだし、時代が移ろっても変わらないアフターアワーズの街の喧騒とか、夜の街がまとう美しさみたいなものを描き出してみようと思ったんです。

【Part2】に続く)




●角松敏生 (かどまつ・としき)
1981年6月、シングル・アルバム同時リリースでデビュー。1993年までコンスタントに新作をリリースし、いずれの作品もチャートの上位を占める。年間で最高100本近いコンサート・ツアーも敢行。また、他アーティストのプロデュースを手掛け、1983年の杏里「悲しみがとまらない」、1988年の中山美穂 「You're My Only Shinin' Star」はシングルチャートの1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。1993年にアーティスト活動をいったん「凍結」するが、この期間にはVOCALANDなど多数のプロデュースを手掛ける。1997年にNHK「みんなのうた」として発表した「ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう / AGHARTA(角松が結成した謎の覆面バンド)」は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。1998年に「解凍宣言」を行い、アーティスト活動を再開。凍結前と変わらず精力的にリリースやツアー、脚本・演出・音楽を手掛けたプロジェクト「MILAD」など新たな挑戦を続けている。最新作は、2024年から始まった「Contemporary Urban Music」シリーズの第三弾『Forgotten Shores』。5月2日からは全国ツアー「TOSHIKI KADOMATSU Performance 2025“C.U.M”vol.3 ~Forgotten Shores~」を実施中。

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