2025年4月号|特集 シュガー・ベイブ

【Part4】シュガー・ベイブ解散、発展とその影響|シュガー・ベイブSTORY

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解説

2025.4.24

文/小川真一


【Part3】からの続き)

シュガー・ベイブの面々は『SONGS』によって、日本の音楽シーンにとてつもなく大きな金字塔を打ち立てた


 もう一度あらためて書いておこう。シュガー・ベイブのデビュー・アルバム『SONGS』は、’75年の4月25日に発売された。この輝かしき日時は、永遠に記憶にとどめておきたい。日本語によるポップスのひとつの起点となる日であるからだ。

 前回書いたように、まるで試練のようなレコーディングであった。ベーシックのリズム録りには、劣悪なエレックのスタジオを使うしかなかったのだが、ブラス・セクションのダビングにまで進んでからは目黒のモウリ・スタジオ、ストリングスならびに歌入れにはソニーのスタジオが使われた。いくつもの試行錯誤もあったかと思う。それでも無事にアルバムは完成した。彼らには、何処にもない、誰にも真似できないサウンドを作りあげたという自負があったはずだ。


シュガー・ベイブ
『SONGS 50th Anniversary Edition』

2025年4月23日発売


 アルバム『SONGS』は大好評に迎えられた。これだけのサウンド・メイキングがあれば、それは当然だ。ジャケットの印象も申し分なく、ある種独特の輝きをもって世に出ていった。がしかし、それはセールスにはダイレクトに結びつかなかった。発売元のエレックが会社として危機的な状態にあり、あまりプロモーションができなかったこともある。どのような展開でシュガー・ベイブを売っていこうというプランも立てられないまま時間だけが過ぎ、そうこうする内にエレック・レコードは倒産してしまう。これはあまりにも残念な事件だった。

 今の感覚でいえば、タイアップという手法もあったかと思う。実際に「DOWN TOWN」が、テレビの人気ヴァラエティー番組「オレたちひょうきん族」のエンディングに使われ評判になったのは、『SONGS』の発売から5年後のことであった。この時はEPOによるカヴァーであったのだが、あのリフレインの弾けるような快活さは、お茶の間でも立派に通用することを証明した。もともとは、シュガー・ベイブによるオリジナル・ヴァージョンを起用するという話もあったという。もしも時代が少しずれていたのなら、シュガー・ベイブにとってまったく異なった結果が出たのかもしれないのだ。


シュガー・ベイブ
「DOWN TOWN」

2025年4月23日発売


 さまざまな事柄がありながらも、それでもバンドは進んでいった。アルバムの発売直後にメンバー・チェンジがあり、ベースが鰐川己久男から、佐野元春のバンドを経てハイ・ファイ・セットのバックバンドに在籍していた寺尾次郎に代わる。同時にドラムスも、野口明彦からココナツ・バンクの上原“ユカリ”裕に変更される。さらにギタリストとして、山下達郎らと縁の深かった伊藤銀次が新たなメンバーとして加入することとなる。