2025年4月号|特集 シュガー・ベイブ

【Part4】大貫妙子が語るシュガー・ベイブ

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インタビュー

2025.4.22

インタビュー・文/柴崎祐二


(【Part3】からの続き)


シュガー・ベイブの音は、あの時の空気の中でまっすぐに作ったからこそできたというか(大貫)


── 今回の50周年記念盤のボーナス・トラックにも収められていますが、シュガー・ベイブ後期のライヴでは、後の大貫さんのファースト・ソロ・アルバム『Grey Skies』(’76年)に収められることになる「愛は幻」をやっていたり、後のソロ活動への移行期にあったことが伝わってきます。

大貫妙子 あ、そうか「愛は幻」はもうシュガー・ベイブ時代にやっていたんですね。覚えてないなあ(笑)。

── このトラックは、1976年1月の仙台電力ホールでのライヴ・テイクとのことですが、すごく熱い演奏で圧倒されます。

大貫妙子 うわあ、そんな音源聴きたくない(笑)。お酒をたくさん飲んでからじゃないと無理(笑)。


大貫妙子
『Grey Skies』

1976年9月25日発売


── この頃は既にソロ・デビューのことを考えはじめていたんでしょうか?

大貫妙子 いや、はっきり言って先のことは全然考えてなかったですね。結果的には、その頃に坂本(龍一)さんと出会ったのが大きかったのかなと思いますけど。

── 当時のシュガー・ベイブのステージでは、坂本さんも鍵盤のサポートとして演奏に参加されていますよね。当時から坂本さんの存在には強烈に光り輝く何かがあったんでしょうか?

大貫妙子 いや、全然(笑)。輝いていたっていう感じでもなくて、むしろ女の子に一番興味がある感じでした(笑)。可愛い女の子がいると目がギラギラする。いつも裸足にゴム草履を履いていて、足の爪も真っ黒で、むさ苦しかった(笑)。

── (笑)そういう出会いを経て、『Grey Skies』(’76年)をはじめ、『SUNSHOWER』(’77年)等、その後のソロ作のリリースを重ねていかれるわけですが、今現在、そうした初期のソロ作についてはどう捉えてらっしゃいますか?




大貫妙子 (おおぬき・たえこ)
1953年東京生まれ。’73年、山下達郎らとシュガー・ベイブを結成。’75年にアルバム『SONGS』をリリース、’76年に解散。同年『Grey Skies』でソロ・デビュー。’87年サントリーホールでのコンサート以降、バンド編成とアコースティックのライヴを並行して継続、現在までに27枚のオリジナル・アルバムをリリースしている。

著作では、エッセイ集『私の暮らしかた』(新潮社、’13年)ほか多数出版。

CM・映画・TV・ゲーム音楽関連作品も多く、映画『Shall we ダンス?』(’96年/監督:周防正行)のメイン・テーマ、『東京日和』の音楽プロデュース(’98年/監督:竹中直人/第21回日本アカデミー賞最優秀音楽賞受賞)ほか数多くのサウンドトラックを手がける。また、「メトロポリタン博物館」「ピーター・ラビットとわたし」など、子どもにも親しみやすい楽曲でも知られている。

近年のシティポップ・ブームで2ndアルバム『SUNSHOWER』が話題となり、2010年代には多くのアルバムがアナログ盤で再リリースされた。

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