2025年4月号|特集 シュガー・ベイブ

【Part3】大貫妙子が語るシュガー・ベイブ

会員限定

インタビュー

2025.4.16

インタビュー・文/柴崎祐二


【Part2】からの続き)


音楽をやっていて人から言われた言葉で傷付いたことって一度もないんじゃないかな(大貫)


── 前回のインタビューで、アレンジの進め方に関しておっしゃっていたように、ご自身が書いた曲のイメージをメンバーに伝えるのには、やはり参照元のレコードを持参して説明することが多かったんでしょうか?

大貫妙子 はい。結局はそれが一番早いですからね。口じゃ上手く説明できないじゃないですか。そして、だいたい参考にした曲のようにはならないわけですけども(笑)。「うーん、なにか違うな」となったら、一旦置いておいて、他の曲にトライしてみるというやり方でした。

── 逆に、山下さんが持ち寄った曲の場合はどうだったんでしょう?

大貫妙子 参考となるレコードもあったけど、彼の場合は、既に自分の頭の中に大体の構想がありましたからね。私は何をやればいいの? と尋ねると、自分で考えてって言われるんです(笑)。考えてもいいんだけど、私とあなたとでは全然音楽の趣味が違うのになあ……って思いながらやってました(笑)。

── その一方で、「素敵なメロディー」に関してはお二人の共作名義になっています。これは、アルバムの中で一曲くらいは共作曲があったほうがいいという判断からそうしたんでしょうか?

大貫妙子 多分そうだったと思います。たしか、たしかAメロを私が書いた気がしますけど……って言いながら、本当に記憶が曖昧なので、詳しいこと(*注)は山下くんに訊いてみてください(笑)。


シュガー・ベイブ
『SONGS 50th Anniversary Edition』

2025年4月23日発売


── 異なる音楽嗜好を持っていたとおっしゃりながらも、この曲に限らず、『SONGS』というアルバムからは、随所で見事にメンバーの個性が配合されたサウンドが聴こえてくるように感じます。

大貫妙子 うん、そうなのかもしない……けどまあ、私が本当にやりたかったことは何かといえば、やっぱり坂本(龍一)さんと知り合ってからソロで作っていく世界だったんだなと改めて思わされますね。もちろん、山下くんの曲が嫌いっていうわけじゃなくて。繰り返しになっちゃますけど、単純にオールディーズとか彼が好きものに全然興味を持てなかったのが大きくて……(笑)。

── 自作された曲の歌詞についても伺わせてください。大貫さんは、後にずばり「都会」(’77年『SUNSHOWER』収録)というタイトルの曲を書かれていますが、単なる都市生活の礼賛とは違う、むしろ、都会とか都市というものへの憂いを帯びた醒めた視線を歌の中で表現されることが少なくないと思うんです。『SONGS』収録曲でも、特に「蜃気楼の街」にはそうした視線の萌芽を感じます。あらためて、そういった都市・都会観の背景には何があるのでしょうか?

大貫妙子 自分自身が東京で生まれ育っているので、そうすると色々な情報も沢山入ってくるし、自分の回りにも色々な人がいることがわかるんですよね。だからなのか、都会って別におしゃれな存在じゃないと考えてきたし、その一方で、東京での生き方みたいなものもたしかにあるとは思うんです。自分も、そういう東京の空気のようなものをまとっていると思うので、ただそこから逃避するだけではなくて、大事にしようと思ってもいて。もちろん、だから地方が東京に比べて魅力的じゃないとかそういうことではなくて。これは、当時から今に至るまで変わらず持っている感覚ですね。


大貫妙子
『SUNSHOWER』

2025年4月23日発売


── 一般的に想像されるタイプの、「都会への憧れ」が素朴な形で投影されやすいシティポップ系の曲と、大貫さんの1970年代の曲の大きな違いは、おそらくその部分にあるような気もします。

大貫妙子 そうなのかもしれないですね。自分でも、そういうニュアンスって言葉ではなかなか上手く言えないからこそ、音楽で表現しているんだと思います。

── シュガー・ベイブで活動していた当時の東京って、どんな雰囲気だったんでしょうか。少なくとも、今とは流れている空気もだいぶ違っていたんじゃないかなと思うんですが。

大貫妙子 そうですね。今に比べるとあの時代の方がまだまだ風通しが良かったと思います。今の東京って、本当にグチャグチャした空間じゃないですか。今日インタビューを受けているここ(六本木ヒルズ森タワー)から地上を眺めてみても、こんなの以前には見たことのない景色だし、なんだかすごいことになっちゃっているな……と思いますから。今の渋谷のあたりとかも、本当にすごいですしね。

── 80年代を境に、整理された「おしゃれ」風の空間がどんどん開発されていった結果、かえって混沌とした風景になってしまった、と?




大貫妙子 (おおぬき・たえこ)
1953年東京生まれ。’73年、山下達郎らとシュガー・ベイブを結成。’75年にアルバム『SONGS』をリリース、’76年に解散。同年『Grey Skies』でソロ・デビュー。’87年サントリーホールでのコンサート以降、バンド編成とアコースティックのライヴを並行して継続、現在までに27枚のオリジナル・アルバムをリリースしている。

著作では、エッセイ集『私の暮らしかた』(新潮社、’13年)ほか多数出版。

CM・映画・TV・ゲーム音楽関連作品も多く、映画『Shall we ダンス?』(’96年/監督:周防正行)のメイン・テーマ、『東京日和』の音楽プロデュース(’98年/監督:竹中直人/第21回日本アカデミー賞最優秀音楽賞受賞)ほか数多くのサウンドトラックを手がける。また、「メトロポリタン博物館」「ピーター・ラビットとわたし」など、子どもにも親しみやすい楽曲でも知られている。

近年のシティポップ・ブームで2ndアルバム『SUNSHOWER』が話題となり、2010年代には多くのアルバムがアナログ盤で再リリースされた。

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