2025年3月号|特集 奥田民生 29-30
Part2|『29』『30』に参加した海外ミュージシャンたち
解説
2025.3.10
文/内本順一

奥田民生『29』『30』に参加した海外ミュージシャンたち:Part2
(【Part1】からの続き)
『29』のニューヨーク・レコーディングは、奥田民生と共にドラムのスティーヴ・ジョーダン、ベースのチャーリー・ドレイトン、ギターのワディ・ワクテル、鍵盤のバーニー・ウォーレルが中心となって行われた。前回も書いた通り、このうちスティーヴ・ジョーダン、チャーリー・ドレイトン、ワディ・ワクテルの3人はキース・リチャーズが’88年からしばらく力を入れていたソロ・プロジェクト、キース・リチャーズ&ジ・エクスペンシブ・ワイノーズのメンバー。当時のキースのソロ・アルバム『トーク・イズ・チープ』(’88年)と『メイン・オフェンダー~主犯~』(’92年)にはこの3人に加えてバーニー・ウォーレルも参加している。
スティーヴ・ジョーダンについては前回述べたので、今回はチャーリー・ドレイトン、ワディ・ワクテル、バーニー・ウォーレルのキャリアを紹介していくとしよう。
チャーリー・ドレイトンは1965年5月9日、ニューヨークはブルックリン生まれのマルチ・プレイヤー/プロデューサー。キース・リチャーズ&ジ・エクスペンシブ・ワイノーズではベースを担当し、またギターや鍵盤やパーカッションでセッション仕事に関与することも少なくないが、メインはドラマーとしての活動だ。8歳で初めてドラマーとしてレコーディングを行ない、14歳でプロとしてツアーに参加していたという早熟のミュージシャン。因みに祖父のチャールズ・H・“チャーリー”・ドレイトンはベニー・カーター、ビリー・ホリデイ、ルイ・アームストロングらジャズの偉人と共演してきたベーシストで、父親のバーナード・ドレイトンはジョン・コルトレーンの作品に関与するなどしたエンジニアだった。
これまでにローリング・ストーンズ、ニール・ヤング、マイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコック、ジョニー・キャッシュ、The B-52’s、チャカ・カーン、マライア・キャリー、シール、ボブ・ディラン、イギー・ポップ、ジャネット・ジャクソン、ハイラム・ブロックなどなど数多くのミュージシャンとレコーディングまたはツアーをしてきたチャーリー。スティーヴ・ジョーダンと同じくローリング・ストーンズのアルバム『ダーティ・ワーク』(’86年)に参加したことからキース・リチャーズに気に入られ、’87年からベーシストとしてジ・エクスペンシブ・ワイノーズに参加した。

The Rolling Stones
『Dirty Work』
1986年3月24日発売
90年代にはオーストラリアのバンド、ディヴァイナルズのドラマーとなって共に活動。後にディヴァイナルズのリード・シンガーであるクリスティーナ・アンフレットと結婚し、ディヴァイナルズ再結成後にはアルバムのプロデュースも手掛けた(だがクリスティーナは2013年に乳がんと多発性硬化症の合併症で死去)。
’08年からチャーリーはポール・サイモンのアルバムとツアーに参加するようになり、その流れで2010年にはサイモン&ガーファンクルのツアーにも参加。2012年にはフィオナ・アップルの『アイドラー・ホイール』で複数の楽器を演奏し、コ・プロデュースも手掛けた。

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