2025年3月号|特集 奥田民生 29-30

①tamio okuda TOUR “29-30”|『29』『30』にまつわる映像作品

解説

2025.3.3

文/森朋之


tamio okuda TOUR “29-30”


 ユニコーン解散後、約1年半のインターバルを経て発表されたソロ1stアルバム『29』(1995年3月)。そして、そのわずか9か月後にリリースされた2ndアルバム『30』(1995年12月)。その合間を縫うように行われた初のソロツアー『tamio okuda TOUR“29-30”』(1995年3月~1995年6月)は、ソロアーティスト・奥田民生の音楽性、ライヴのスタイル、音楽に向き合うスタンスが明確に示された、まさに原点と呼ぶべき内容だった。このツアーの中から1995年5月8日の渋谷公会堂(現・LINE CUBE SHIBUYA)でのライヴを完全収録した本作を見れば、そのことをはっきりと実感してもらえるはずだ。

 1曲目は「人間2」。初のソロツアーのオープニングを「この歌声が届いているかなあ そこのあなたは 聴き違いのようだなあ」という歌詞で始めるところがいかにも民生らしい。しかもこの曲は2ndアルバム『30』の収録曲。このツアーが行われた時点ではリリースされていない新曲であり、当然、オーディエンスは誰も聴いたことがない。当時はSNSなどもなく、ライヴの内容を事前にチェックする術も限られていたので、観客の大多数は「うわ、いきなり知らない曲か!」となったはず。このハズし具合もまた、民生らしい。

 本作に収録された楽曲はアルバム『29』から「30才」を除く11曲。アルバム『30』からは7曲が演奏されており、『29』のリリースツアーであると同時に『30』の紹介的な性格も帯びている(その他、バンドメンバーの古田たかし作詞・作曲の「眠りの海のダイバー(Wake Me Up)」、奥田が小泉今日子に提供した「月とひとしずく」もセットリストに入っている)。

 何よりも印象的なのは、“誰に何を言われても、俺はこれをやる!”と言わんばかりの王道ロックぶりだ。UNICORNで一世を風靡し、人気絶頂で解散。ヴォーカリストだった奥田にはファンや関係者を含め、いろいろな期待がかけられていたはずだが、そんなものは意に介せず、徹頭徹尾“ガツーンとギターを鳴らして、俺のロックをやるんだぜ”と主張しているように見える。人気バンドのヴォーカリストがソロに転身する場合、バンドでやってきたことを妙に意識して、あえてまったく違う路線に進んだりすることもあるが、「29-30」の民生にはそれもない。等身大で飄々としているけど、音はめちゃくちゃ骨太なサウンド。斜に構えているようで、じつは芯を食いまくった歌を含め、奥田民生の音楽の形は既にしっかりと出来上がっていると言っていいだろう。ソロ初期の名曲「コーヒー」「息子」「愛のために」のライヴにおける完成度の高さにも瞠目させられる。

 バンドメンバーの古田たかし(Dr)、根岸孝旨(Ba)、長田進(G)、斎藤有太(Key)による“キメるところはキメる、ラフなところはラフに”を行き来するアンサンブルも楽しい(ゲストギタリスト・松浦善博のスライドギターも渋い!)。中盤では全員が横一列に並び、座布団に座って演奏するシーンもあるが、とにかく全員が笑顔で自由に音楽を楽しんでいるところが素晴らしい。この凄腕メンバーがいたからこそ、20代最後の奥田民生はこんなにものびのびと自分のロックを貫けたのだなあと改めて実感することができた。

 ソロの出発点における勢いと、その後の音楽性に連なる原点を共存させた「tamio okuda TOUR“29-30”」。今はなき渋谷公会堂に響き渡る、レスポールの音の凄さ、歌の生々しさを心ゆくまで追体験してほしい。