2025年3月号|特集 奥田民生 29-30

Part1|『29』『30』に参加した海外ミュージシャンたち

解説

2025.3.3

文/内本順一


奥田民生『29』『30』に参加した海外ミュージシャンたち:Part1


 『29』のレコーディングはニューヨークのクリントン・レコーディングスタジオで開始された。プロデュースは奥田民生とジョー・ブレイニー。ジョーはUNICORNの1990年のミニアルバム『ハヴァナイスデー』でミキシング・エンジニアを担当、’93年のアルバム『SPRINGMAN』ではプロデューサーとして参加し、そうした流れから奥田の初ソロ作『29』のプロデュース及びミックスも担当することになった。ニューヨークでのレコーディング話を奥田に持ちかけたのもジョーだ。

 ジョー・ブレイニーはニューヨークを拠点に活動していたプロデューサー/ミキサー/エンジニアで、80年代初頭にレコード業界で働き始めてから実に多くのアーティストと仕事をしてきた。手掛けた作品のなかでも特に有名なのはザ・クラッシュ『コンバット・ロック』(’82年)、プリンス『LOVESEXY』(’88年)、キース・リチャーズ『トーク・イズ・チープ』(’88年)及び『メイン・オフェンダー~主犯~』(’92年)、メイヴィス・ステイプルズ『タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン』(’89年)及び『ザ・ヴォイス』(’93年)、ネヴィル・ブラザーズ『ブラザーズ・キーパー』(’90年)などなど。とても書ききれず、曲数にしたら数百に及ぶだろう。日本人アーティストの仕事もいくつかあり、80年代に南佳孝や菊地雅章の作品を手掛けたほか、’13年には東京スカパラダイスオーケストラの『Diamond In Your Heart』にもエンジニアとして関与した。



The Clash
『Combat Rock』

1982年5月14日発売


 そんなジョー・ブレイニーが奥田民生『29』のニューヨーク・レコーディングに集めたのは、錚々たるミュージシャンたちだった。先に名前を書いておこう。ドラムのスティーヴ・ジョーダン。ベースのチャーリー・ドレイトン。ギターのワディ・ワクテル。鍵盤類のバーニー・ウォーレル。加えてフルート/サックスでクリスピン・シオー、トランペット/フリューゲルホーンでケン・フラッドリーも参加している。

 まずはスティーヴ・ジョーダン。奥田民生の音楽キャリアにおいて最も重要な国外ミュージシャンと言っても過言ではないだろう。1957年1月14日、ニューヨーク生まれのマルチ・プレイヤー(メインはドラム)/コンポーザー/プロデューサー。現在68歳だ。スティーヴは1970年代にアメリカの人気バラエティ番組『サタデー・ナイト・ライブ』のバンドでドラムを叩き、その流れから80年代初頭にはブルース・ブラザーズのアルバムとツアーにバンドの一員として参加(映画『プルース・ブラザース』には出演していない)。その後、ドン・ヘンリー、ジョン・メレンキャンプ、ボブ・ディラン、B.B.キング、ソニー・ロリンズ、スティーヴィー・ニックス、ニール・ヤング、シェリル・クロウほか数多くのアーティストとレコーディングを行なった。またプロデューサーとしても優秀で、ザ・ロバート・クレイ・バンド『テイク・ユア・シューズ・オフ』(’99年)ではグラミーのプロデューサー賞を獲得。バディ・ガイ『ブリング・エム・イン』(’05年。キース・リチャーズ、バーニー・ウォーレルらが参加)も同賞でグラミーにノミネートされた。グラミー受賞(またはノミネート)作といえば、アリシア・キーズ「イフ・アイ・エイント・ガット・ユー」(’03年)、ブルース・スプリングスティーン『デビルズ・アンド・ダスト』(’05年)、ジョン・メイヤー・トリオ『トライ! ライヴ・イン・コンサート』(’05年)及び『コンティニュアム』(’06年)、ジョン・スコフィールド『ザッツ・ホワット・アイ・セイ』(’05年)などもスティーヴ・ジョーダンなくしては生まれえなかった傑作だ。



Buddy Guy
『Bring ’Em In』

2005年9月27日発売


 そんな彼はローリング・ストーンズとの関りがとりわけ深く、ストーンズを通してスティーヴを知ったという人も少なくないかもしれない。なんといっても’21年にチャーリー・ワッツが80歳で世を去った後、ストーンズのツアーでドラムを叩いているのがスティーヴなのだ。スティーヴという名ドラマーがいたからこそストーンズは今も活動を続けることができているとも言えるのだ。

 ストーンズとスティーヴとの関係が始まったのは、チャーリーがアルコール及びドラッグ依存の問題を抱えていた1980年代の半ば。メンバーの気持ちがバラバラでありながらもバンドは『ダーティ・ワーク』(’86年)を制作し、スティーヴはそこに初参加。とりわけキース・リチャーズが彼を気に入り、アレサ・フランクリンの’86年作『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』の表題曲の録音をキースはロニー・ウッドとスティーヴを迎えて行なった。またチャック・ベリーの60歳祝賀コンサート(’86年10月)の模様を記録した映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』(’88年公開)で、プロジェクトの仕切りを担当したキースはスティーヴを大きくフィーチャー。キースはスティーヴのドラムのタイム感と人柄に信頼を置き、それはキースのソロ・プロジェクト、キース・リチャーズ&ジ・エクスペンシブ・ワイノーズの結成にも繋がった。’87年から’88年にかけて初ソロ作『トーク・イズ・チープ』のセッションを行ない、そこでキースが集めて後にジ・エクスペンシブ・ワイノーズと命名したそのバンドのメンバーは、ワディ・ワクテル(ギター)、スティーヴ・ジョーダン(ドラムス)、チャーリー・ドレイトン(ベース)、アイヴァン・ネヴィル(キーボード)、サラ・ダッシュ(バッキング・ヴォーカル)、ボビー・キース(サックス)。このメンバーにバーニー・ウォーレルほか多数のミュージシャンが加わって作られた『トーク・イズ・チープ』(’88年)は、全曲キースとスティーヴが共作し、プロデュースもふたりで行なっている。またそれに続くキースのソロ2作目『メイン・オフェンダー~主犯~』(’92年)も1作目に近い体制で、プロデュースはキースとスティーヴとワディ・ワクテルの3人が行なった。



Keith Richards
『Talk Is Cheap』

1988年10月3日発売


 ここで奥田民生の『29』に話を戻すと、先述した通り、そこに参加した主となる国外のミュージシャンはスティーヴ・ジョーダン、チャーリー・ドレイトン、ワディ・ワクテル、バーニー・ウォーレル。このうちバーニーを除く3人がジ・エクスペンシブ・ワイノーズのメンバーであり、バーニー含め4人ともがキースの『トーク・イズ・チープ』と『メイン・オフェンダー~主犯~』に大きく関与(『メイン・オフェンダー~主犯~』にはクリスピアン・シオーも参加している)。エンジニアは両作ともジョー・ブレイニーで、つまりジョーは奥田民生の初ソロ作にキースの初ソロ作(及び2作目)のサウンド、グルーヴ、空気感、温度感を持ち込もうと考えたということなのだろう。

 『29』は’95年3月にリリース。そしてそこから10年ちょっとを経てスティーヴは妻でシンガー・ソングライターのミーガン・ヴォスとThe Verbsを結成してアルバムを出し、’06年の初来日公演をThe Verbs+奥田民生という形で開催。2010年には、奥田はThe Verbsの正式メンバーとして迎えられ、しばらくの間活動を共にした。『29』以降も『FAILBOX』(’97年)、『E』(’02年)、『Fantastic OT9』(’08年)と度々共演を重ねて信頼関係を築いていったふたりだったからこそのThe Verbsの活動であり、その始まりが『29』だったわけで、つまり『29』がなければ奥田にThe Verbsというキャリアはなかったということになる。スティーヴは’15年のThe Verbsのインタビューでこう話している。

 「僕は民生の最初のソロアルバムで演奏させてもらってね。彼はニューヨークにテレキャスターとレスポールとスーツケースだけ持ってきた。そのときのレコーディングが楽しかったから、そのあともやりとりを続け、日本に行くことがあれば必ず連絡をとって、食事をしたり会ったりしていたんだ」。



The Verbs
『Cover Story』

2015年3月18日発売


 そんなスティーヴがドラムをプレイしている『29』の楽曲は「ルート2」「ハネムーン」「息子(アルバム・ヴァージョン)」「これは歌だ」「BEEF」「人間」の7曲。2曲目「ルート2」から5曲目「これは歌だ」まではパーカッションも担当。「ルート2」「ハネムーン」「これは歌だ」はバッキング・ヴォーカルにも参加している。「ルート2」の重量感あるドラミングがいい。アウトロの巻き込み方には特に昂奮させられる。「ハネムーン」も一打一打が重い。「これは歌だ」はスティーヴが先頭に立ってプレイし、彼を筆頭に国外ミュージシャン全員が自由に楽しんで演奏していることが伝わってくる。こんなドラミングの上で演奏して歌ったら、そりゃあさぞかし気持ちがいいだろう。シンプルなロックンロール「BEEF」もスティーヴとチャーリー・ドレイトンの重心のどっしり感があってこそ。このドライブ感はそうそう出せるものじゃない。「人間」は出だしのスネアの響きから気持ちをもっていかれる。総じてやはりスティーヴのタイム感は抜群で、ロックからソウルまでどんな曲でもグルーヴを生み出せる世界最高峰のドラマーであることを改めて実感させられる。

 そんなスティーヴに全幅の信頼を寄せて自由にプレイしているチャーリー・ドレイトン、ワディ・ワクテル、バーニー・ウォーレルについては、また次回。

【Part2】に続く)