2025年1月号|特集 YENレーベル

【Part2】日向大介が語るインテリア

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インタビュー

2025.1.23

インタビュー・文/柴崎祐二 写真/山本マオ


【Part1】からの続き)


静謐なアンビエントというよりは、もっとアクティブで能動的なものを志向していた


―― ファースト・アルバムをYENからリリースすることになった経緯について教えて下さい。

日向大介 まずは、前回話したみっちゃん(沢村満)が制作したドビュッシーの「月の光」のデモを細野(晴臣)さんに気に入ってもらったというのが大きかったみたいですね。みっちゃんはそれから(高橋)幸宏さんの『WHAT, ME WORRY?』にも参加したり、坂本(龍一)さんのバンドB-2 Unitsにも参加していましたし。その一方で、僕が加入してからは別名義でもっとポップなニュー・ウェイブ寄りのバンドもやっていたんです。そっちはそっちでビクターから話が来ていたんですけど、やっぱり細野さん達の方が僕らの音楽を純粋に推してくれている感じがあったので、「それじゃあまあ、アルファの方がレコードを出しやすいだろう」という単純な理由で決めました(笑)。なんというか……あの頃に僕らにとってYMOの三人はあんまり「業界の先輩」っていうイメージがなくて(笑)。威張るとか全然そういうところのない人たちだったので、ミュージシャン同士として対等にコミュニケートできたんです。

―― 日向さんもアメリカ時代からYMOを聴いてはいたんですか?

日向大介 はい。「へー、結構いいじゃん」とか思っていました(笑)。「こういうのが流行っているんだったら日本に帰ってもいいかな」と(笑)。実際に帰ってみると、全然イメージと違っていたんですけどね。

―― ファースト・アルバムの制作はどうやって進めていったんでしょうか?

日向大介 元々僕の帰国前に他の3人が作っていたシリアスなアンビエント調の曲があったんですけど、それはあまりに自己満足的というか、世の中にリリースするようなものではないなと感じていて。それで、後から入った僕がそこにハーモニーを足したりアレンジを加えていったり、新しい曲を書いたりしたんです。で、いざYENに迎え入れられたはいいけど、黙っていると何も始まらないから(笑)、細野さんにLDKスタジオでレコーディングをやらせて欲しいと積極的に働きかけて。

―― 実際にLDKに乗り込んでの録音作業はいかがでしたか?

日向大介 それが、ロスの広いレコーディングスタジオの環境に慣れてしまっていたのもあって、徐々に煮詰まってしまって。グランド・ピアノの録音もできなかったですし。エンジニアの飯尾(芳史)くんの提案もあって、アルファのAスタジオに週末こっそり忍び込んで録っちゃおうという話になったんです。これ、当時は秘密だったのかもしれないけど(笑)。当時のアルファのビルって、スタッフルームの天井がすごく高かったので、それを天然のリバーブとして使ったり。




●日向大介 (ひなた・だいすけ)
音楽プロデューサー、作曲家、キーボーディスト、シンセシスト、シンセサイザープログラマー、レコーディング・エンジニア、スタジオ設計者。1956年7月2日生まれ、東京出身。バークリー音楽院で学んだ後、インテリアを結成し、アルバム『Interior』(’82年)、『Design』(’87年)を発表。90年代にはCAGNETを率いて『ロングバケーション』(’96年)など数々のドラマのサウンドトラックを手掛ける。また、松たか子のデビュー曲「明日、春が来たら」(’97年)のプロデュースや小室哲哉との共演など、多岐にわたって活動。現在は、アメリカのカリフォルニアに構えているレコーディングスタジオ「Variable Speed Audio STUDIO」代表取締役。レコードレーベル「hyperdisc」のオーナー。

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