2025年1月号|特集 YENレーベル

【Part3】太田螢一が語るゲルニカとYEN

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インタビュー

2025.1.21

インタビュー・文/村尾泰郎 写真/山本佳代子


【Part2】からの続き)

油田の歌でも当たり前のように歌うなど、馬鹿馬鹿しいことを全力でやるのがゲルニカ


―― ’81年に活動がスタートしたゲルニカですが、曲作りはどんな風に進めて行ったのでしょうか。

太田螢一 それぞれ住んでいる場所が離れていたし、みんな何かと忙しかったですから曲作りは完全に分業制。まず僕が歌詞を書いたら、それを上野君に電話で伝えるんです。当時、メールはもちろん、ファックスもありませんでしたからね。上野君が電話を通じて歌詞を書き取って、それに曲をつける。そして、曲が完成したら上野君の自宅まで戸川さんが出かけて歌を吹き込む。デモテープは上野君の家で録音しました。カシャンカシャン和文タイプライターで歌詞カードを打ち、それをあちこちに配ったんです。音楽雑誌やミュージシャンやレコード関係者等へ。

―― ’81年にはナイロン100%で初めてのライヴも行われました。

太田螢一 ヒカシューの別ユニットのル・インチやイノヤマランドが出てくれました、当時、我々は4曲しか曲がなくて、最後に出演したのに4曲やって終わり(笑)。でも、デモテープをばらまいたおかげかニュー・ウェイヴ・ディレッタント達が結構集まってくれましたよ。

―― デモテープの反響があった?

太田螢一 スネークマンショーの桑原(茂一)さんとか、THE STUDIOをやっていた奥村(靫正)さんとか、後にTRAを主催する式田(純)さん等そういったカルチャーの黒幕的な方々は気に入ってくれました。テープは奥村さんを経由して細野(晴臣)さんの手に渡って、細野さんから連絡が来たんです。




●太田螢一 (おおた・けいいち)
1957年千葉市産まれ。幼少期よりお絵描きに親しみ様々なカルチャーを吸収。奇妙なレトロ・リアリズムを模索しつつ現在に至る。「パノラマ・アワー」「衛生博覧会」主催。ゲルニカの活動以外にソロアルバム「人外大魔境」、ヒカシュー「うわさの人類」をはじめLPジャケット、映画「ドグラマグラ」ポスター、新聞・雑誌挿絵連載等々。画集「AMNESIA」、絵本「働く僕ら」、フランスより「LE GARGARISME」「THE BLOB」、ポスター等発表。都内に現存。

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