2025年1月号|特集 YENレーベル

第1回:立花ハジメ|YENアーティスト名鑑

解説

2025.1.6

文/門脇綱生



立花ハジメ


 1951年、東京都杉並で生誕。P-Model、ヒカシューとともに「テクノ御三家」と並び称されるプラスチックスのギタリスト。ロンドンでデザインを学び、帰国後はデザイナー集団「Work Shop MU!!」のアシスタントとしてサディスティック・ミカ・バンドのファースト・アルバムにも関わっている。後に立花がアルファで発表する3作品をプロデュースするなど盟友関係となる高橋幸宏とはこの時初めて知り合った。

 ’76年にプラスチックスを結成。英国の名門ラフ・トレードから世界デビューを果たし、その後ビクター/インビテーションを通じて国内デビュー。ギクシャクとしてハイテンション、乗り心地の良い無機質なファンクネス、執拗な反復による強靭なグルーヴが織り合って生まれる快楽性。そしてビートルズなど60年代ポップスからの影響も常に根底にある。その異端的かつデザイン志向の未来的なサウンドを持ち味にThe B-52’sやトーキング・ヘッズなどとも共演したが、その活動はわずか2年間であった。解散後の’82年からはソロアーティストとしてアルファレコード/YENに移籍。スネークマンショー、坂本龍一『左うでの夢』などゲスト参加も多い。

 その後は自身のバンドである「立花ハジメとLow Powers」や「The Chill」、『BEAUTY & HAPPY』(’90年)での桃源郷的なシンセ・ポップ~ニューエイジ歌謡など、さまざまな音楽性を横断し、多様な表現を模索し続けてきた。現在までに10枚のソロ・アルバムを発表。そこには自身の携帯サイトで配信していた着信音を収めた『The End』(’02年)や自主レーベル〈トラフィック〉からUSB媒体でリリースされた実験作『Monaco』(’13年)など、非常にユニークな作品も含まれている。

 ではYENレーベル時代の3作品に焦点を当ててみよう。プラスチックス時代にラモーンズと共演した際の衝撃から、まったくの未経験からサックス奏者としての新たな道を開いたのが初のソロ・アルバムの『H』(’82年)。「わかりやすい前衛」を掲げポップな現代音楽の展開を実践した本作は、当時「トンガリ・サウンド」とも紹介された。

 次作の『Hm』(’83年)は前作でのエスノ/プログレッシヴな音楽性を継承しつつ、室内楽やポスト・ミニマリズム、環境音楽、モダン・クラシカル、アンビエント・ジャズ的な要素やアプローチが満載。前作よりもモダンかつ、洗練された作品となっている。

 3作目の『テッキー君とキップルちゃん(Mr. Techie & Miss Kipple)』(’84年)では映画『ブレードランナー』からのインスピレーションが詰め込まれ、テクノ・サウンドに強く回帰した。サイバーパンク色の極めて強い作品でもあり、同時代のエレクトロ・ファンク/ヒップホップやインダストリアルなどからの影響やサンプリングやブレイクビーツなどの要素を含んだ、3作中もっとも前衛的な作品となった。

 それにしても、YENレーベルの3作品において、バンド時代から通してギクシャクと角張ったパンキッシュなサウンドが貫かれていることは特筆に値する。2026年はプラスチックスの結成50周年だ。立花ハジメという日本の音楽史上特異な人物の極めてエポックなディスコグラフィをぜひ改めてご堪能あれ。