2025年1月号|特集 YENレーベル
【Part1】立花ハジメ&高木完が語るYENの時代
インタビュー
2025.1.6
インタビュー・文/仲田舞衣 写真/グレート・ザ・歌舞伎町
YENレーベルを代表するアーティストのひとりである立花ハジメ。伝説のテクノポップ・バンド、プラスチックスを経てソロ・デビューを果たしたのがYEN設立年の1982年だ。以来、時代の一歩先を行くような先鋭的かつ前衛的な音楽を生み出し続けてきたが、このたび初めてのベスト・アルバム『hajimeht』のリリースが決定。さらに小山田圭吾(Cornelius)と高木完による新規のリミックスも収録されている。ここでは、『hajimeht』の総合監修者である高木完を迎え、立花ハジメ本人と一緒にその稀有な音楽活動の足取りを追ってもらった。
レアなリミックスからブラジル人のカヴァーまで収めたオールタイム・ベスト
── 今回のオールタイム・ベスト・アルバム『hajimeht』のリリースは、どのようなきっかけで決まったのでしょうか?
立花ハジメ アルファミュージック55周年企画の一環として、YENレーベルも含めソニーが何かできないかと模索していたところに、小山田(圭吾)くんが提案してくれて。完ちゃんに総合監修として入ってもらい選曲、1曲でリミックスをやってもらいました。
高木完 マスタリングは、まりん(砂原良徳)です。ハジメさんとはここ数年ライヴを一緒にやったり、小山田くんも含め食事したりとちょこちょこ会っていたこともあって。「ハジメさんのベスト盤、絶対出した方がいいよね」と話していたんです。改めてどうセレクトすべきか相談して、小山田くんはCorneliusの海外ツアー中でもあったから、一緒に作業するよりは、まず各自選曲して付き合わせようかと。蓋を開けてみたら、ほぼ同じ曲を選んでいました。
立花ハジメ そこに僕が入れたい「BAMBI」と「TAMIL MUSIC」を追加してもらった感じですね。それ以外は、全部お任せしました。
高木完 当初は小山田セレクション、高木セレクション的な2DISCに分けようかと思っていたのだけど、「ほぼ一緒じゃん!」ってことで(笑)。1982年の『H』(1st)からはじまり、『Hm〜エイチマイナー〜』(2nd)、『Mr.Techie & MissKipple テッキー君とキップルちゃん』(3rd)、1985年の『TAIYO・SUN』までのDISC1。「CHICKEN CONSOMMÉ」からはじまり12inchシングル「HAPPY」、『Low Power』、2013年の『Monaco』、「MA TICARICA(2025 Remix)」までを収録したDISC2と、シンプルにリリース順にしました。
『hajimeht(完全生産限定盤)』
『hajimeht(通常盤)』
── ジャケット含めCDのアートワーク・デザインも、立花さんご自身で手がけられています。限定盤、通常盤どちらも印象深い写真で素敵ですね。ドバイで撮影されたとか。
高木完 このジャケを見ていただければ、すごい仕上がりだとすぐ分かると思うけど、撮影に至る経緯がこれまたすごく面白い。「さすがハジメさん」としか言いようのないストーリーだったんですよ。
立花ハジメ 今、ドバイはなんでも世界一だから。これは水深60m、世界一深いダイビングプールと、アブダビの砂漠で撮影しました。サメに餌付けできるところで撮りたいな、とかほかにも色々調べてはいたんだけど……。
高木完 サメ! 僕らもデザインは必ずやってもらいたいと思っていたけど、ベスト盤だしタイポグラフィとかかな?って思っていたんですよね。でもいきなり「ドバイで撮ってくるから~」って(笑)。僕はドバイにギラギラした観光地のイメージしかなかったから、実は内心「どうなるんだ?」と思っていましたよ。ほら、ハジメさん旅の思い出シリーズとかやっているじゃないですか。そういう感じなのか?とか。ただ、上がってきた写真がどれも絵画みたいですごくカッコよかったから、さすがだなと思いました。中のグラフィックもすべてかっこいいので、早く見てもらいたい。ダイビングは、今年からハマったんですよね?
立花ハジメ そう。もう何年も毎日、1時間はプールで泳ぎ、1時間はトレーニングするという生活を続けているんです。それはスノボをするための体づくりでもあるんだけど、宮古島でダイビングを体験したらすごくよくてハマった。ちゃんとライセンスを取りたくて探したら、たまたま近くにいいダイビングスクールがあって通いはじめたんです。
高木完 まるでドバイに行くために準備していたかのように……。
立花ハジメ 偶然ですけどね。近所になければ行かなかったと思うし。それで海洋実習の日、朝早くインストラクターとの待ち合わせ場所に行ったら、現れたのが古くからの友人でブランディングプロデューサーでありカメラマンの沖嶋(信)くんだったんだよね。「ちょうどいい。一緒にドバイ行って、撮ってくれない?」と。潜るだけでも結構大変なのに、僕のことを上からとか下からとかかなり大変な撮影だったと思います。これも、面白い偶然。
高木完 まさにヤン(富田)さんが言う「必然性のある偶然」。
立花ハジメ へ~、トミヤンらしい表現だね。その通り、偶然が重なった。今年から冬はスノボ、夏はダイビングです。今も早く雪山に行きたい。
── 初のオールタイム・ベスト・アルバムとして、何かコンセプトなどは話しあったのでしょうか?
高木完 いや、ハジメさんはコンセプトとか語らない。いつも「それ語れるなら作家になってる」と言っているのを知っているから、僕たちもそこは納得で。でも今回はビジュアルを見た時に、本当にぴったりだな! すごいなってなりました。
── なるほど。水と砂、ある意味とてもオーガニックといいますか、特に砂漠の方はジャズのレコードジャケットのようだと感じたのですが。
立花ハジメ 言われてみると、確かにジャズだね。これは、砂漠の波紋に対して僕の小ささがポイントなんです。
高木完 ドバイの印象、かなり変わりましたよ。コンセプトとは違いますが、基本的に任せてくださるなかでハジメさんからリクエストされたのが、「BAMBI」のリミックスのバージョンですね。僕が最初に選んでいた“Main Mix”から、“Fashion Photograph Mix”に変更して、と。
立花ハジメ すごく好きなミックスなんです。「TAMIL MUSIC」も“King”、“Bambi”、“Drive”、“I want to dance”の4バージョンはどれも気に入っているから、全部入れてもらいました。
高木完 ここの連続性、面白いよね。それでいうと、さっき前の取材中に初めて知って衝撃だったのが、「TAMIL MUSIC」のヴォーカルがESGだったってことですよ。「えぇーそうだったの!?」って、もうびっくり。クレジット見たら、本当に書いてあるし! 僕以外も気づいていない人、多いんじゃないかな。
立花ハジメ ニューヨークでね。
高木完 『BAMBI』は’91年ですか。これはサブスクにも入ってないし、もしかしたら難しいんじゃないかと思っていたんですよね。ただ、ハジメさんも「絶対入れたい」って言っているし、僕たちも同じ気持ちだったからこうしてレーベルの枠を超えた作品もしっかり収録できたのは、嬉しかったですね。ソニーさんが頑張って、入れることができたんです。
── 初商品化音源は、「FLASH」と「MA TICARICA」のリミックス、限定盤のみに収録されているボーナストラック「永遠のアイドル」の3曲ですね。「永遠のアイドル」はなんと外国の方によるカヴァーです。
高木完 ブラジル人のパウロ・ナガオさんという方の弾き語りなんですけど、外で録ってるから鳥の鳴き声とか入っていて、最高ですよね。これは、手元にない音源をYouTubeでチェックしていたら出てきて。ちょうど小山田くんとかも周りにいたときだったから、みんなで見て「これすごくない!?」って大盛り上がりですよ。ハジメさんの音楽が文字通り地球の裏側にまで届いているんだってことに感動して。失礼ながら再生数もそんなに多くなかったから、ハジメさんは知らないだろうと思っちゃって。てっきり勝手に演奏してアップしているもんだと。
立花ハジメ 『Low Power』('97年)を出した時だったかな? なんだかこのブラジルの子が気に入ってくれて、律儀に連絡してきてくれたんですよ。ダイレクトにメッセージが届いて「次のアルバムはいつ出すんだ?」とかさ。彼の日本人の友達が、ブラジルまでレコードを持って帰ってくれたらしくて。
高木完 いい話ですね。
マネージャー ちなみに「崇拝するハジメ・タチバナの音源に触れ、ワビサビのリアルな姿を見た」とか「タチバナさんの作品におけるワビサビの本質は、ギリシャの西洋美の概念の影響が生々しく単純だった過去に私を連れ戻してくれる」など、非常に熱いハートの持ち主であることを感じさせるメッセージでした。
立花ハジメ すごいね(笑)。侘び寂びなんて言葉、出る?
高木完 いや、でも分かりますよ。ハジメさんの切なくなるメロディーセンス。もちろんポップなものもいいんだけど、メロウな、それでいてかわいらしい、心の琴線に触れる音楽性に彼もやられちゃったんでしょうね。
立花ハジメ 僕は別にそこまで推挙したわけじゃないけど、完ちゃんと小山田くんがそんなに気に入っているならいいのかなと。
高木完 まりんなんて「俺、これからマスタリングしたい!」って言ったくらいですよ(笑)。そもそも、まりんはハジメさんの大ファンで、これまで個人的に、勝手にハジメさんの音源を全部プライベート・マスタリングしてきたから(笑)。ある意味、他の曲は何度も触ったことがあるけど、この音源だけ、唯一初めて聴いたって感じだったんじゃないですか。「ついにオフィシャル・マスタリングができた!」と、誰よりも喜んでいい仕事をしてくれました。
(【Part2】に続く)
●立花ハジメ (たちばな・はじめ)
1951年東京生まれのミュージシャン/グラフィックデザイナー/映像作家。’74年、伝説的デザイン集団“WORKSHOP MU!!”に参加してデザイナーとしてのキャリアをスタート。’76年、中西俊夫、佐藤チカらとプラスチックスを結成(ギター担当)。’79年シングル「COPY/ROBOT」をラフ・トレードよりリリースし英国先行デビュー。’80年1stアルバム『WELCOME PLASTICS』を発表。P-MODEL、ヒカシューと共に“テクノポップ御三家”と謳われブームの一翼を担う。’82年、ギターをサックスに持ち替え、アルファ/YENレーベルよりソロデビューアルバム『H』(プロデュース:高橋幸宏)発表。以降もソロのみならず、立花ハジメとLow Powers、THE CHILL、立花ハジメ&Hm(ハーマイナー)等様々なバンド/ユニットで活動、デザイナーとしても逸早くコンピュータを駆使した制作に取り組み、多くのアーティストのレコードジャケットやMVを手がけ、’91年にはADC賞最高賞を受賞するなどマルチな活躍を続ける。
●高木完 (たかぎ・かん)
1961年生まれ、逗子市出身。1986年に藤原ヒロシと『タイニー・パンクス』結成。1988年には日本初のクラブミュージックレーベル&プロダクション『MAJOR FORCE』を、藤原ヒロシ、屋敷豪太、工藤昌之、中西俊夫と設立。90年代はソロアーティストとして活躍し、ソロアルバムを5枚リリースする他、様々なアーティストとのプロデュース、プロジェクトに参加。2020年から始めたJ-WAVEで深夜にナビゲイターを務める番組『TOKYO M.A.A.D SPIN』が話題となり、2022年3月に同番組の対談に自身の話を加えた初の単行本『東京IN THE FLESH』(イーストプレス)発売。
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【Part2】立花ハジメ&高木完が語るYENの時代
インタビュー
2025.1.15