2024年11月号|特集 吾妻光良&ザ・スウィンギン・バッパーズ
【Part1】牧裕と渡辺康蔵が語るジャズとバッパーズ
インタビュー
2024.11.7
インタビュー・文/原田和典 写真/島田香
吾妻光良&ザ・スウィンギン・バッパーズといえば、ジャンプ・ブルースやジャイヴのイメージが強い。しかし、吾妻光良のブルージーなヴォーカルとギターを支えるバンド・サウンドからは、ジャズのエッセンスが濃厚に感じられるだろう。そんなバッパーズのジャズ・サイドに欠かせないのが、コントラバスの牧裕とアルト・サックス&ヴォーカルの渡辺康蔵だ。ここではバッパーズに関係あるのかないのかはともかくとして……、それぞれのルーツから今に至るまで影響を受けたジャズについて、バッパーズ・サウンドを支えるふたりに好き放題語り合っていただいた。
ブラスバンドでサックスを担当させてもらったのと同時に、ジャズも聴き始めた(渡辺康蔵)
チャールス・ミンガスを聴いて、大学入ったらベースを始めようと思った(牧裕)
── 吾妻光良&ザ・スウィンギン・バッパーズのメンバーの中でも特に濃厚なジャズ・ルーツを持つ牧裕さん(コントラバス)と渡辺康蔵さん(アルト・サックス&ヴォーカル)のおふたりに、ジャズについてじっくりと語っていただければと思っております。牧さんは1955年生まれですが、出身はどちらですか?
牧裕 兵庫県神戸市です。小学校中学校と、AMラジオでかかっているようなヒット・ポップスが好きでした。カウシルズの「雨に消えた初恋」、シーカーズの「ジョージー・ガール」、ビージーズの「ホリデイ」とかですね。小学校6年のときの音楽の先生が授業でボブ・ディランとかPPM(ピーター、ポール&マリー)を聴かせてくれました。「こんな音楽もあるんだな」と思って中学に入ったら、その先生が偶然また来てその時はジャズを聴かせてくれたんです。
渡辺康蔵 いい先生だねー。
牧裕 今は神戸でヴォーカルをやってるけどね。その先生がセシル・テイラーを聴かせてくれたことを覚えています。「オスカー・ピーターソンとセシル・テイラーは同じジャズ・ピアニストだけど、こんなに違うのよ」、「ジャズはこんなにいろいろあるのよ」みたいな形で出してくれました。
渡辺康蔵 すごいね……。
牧裕 その後、高校に入るために上京しますが、高校の音楽の先生がジャズのマニアだったんです。ある時嬉しそうにSP(78回転のレコード)のボックスを抱えて入ってきて、「これは昨日、神保町で買ってきたパーカーのサヴォイのセットだよ」って。こちらにしてみたら、「サヴォイのセットって何ですか」って感じですよ。
── 学級のみんなが「なんだそれは」と思っている姿が浮かんできます。それにしても、いきなりチャーリー・パーカーのサヴォイ・レコードのSPボックスですか!
牧裕 嬉しそうに授業中にかけるんですよ。そんな先生にあたって、高校のときから授業をサボってジャズ喫茶に行き始めました。
── そして渡辺さんは1957年、静岡県のご出身です。
渡辺康蔵 最初は10歳年上の姉、7歳年上の兄が聴いていた音楽をそのまま一緒に聴いていた感じですね。宮治淳一さん、桑田佳祐さん、山下達郎さんもそうだけど、俺も高度成長期の日本語の和製ポップスを聴いてきた。’63年から’65年くらいの話で、「シェリー」とか「ヘイ・ポーラ」とか、歌っているのは全部日本人なんです。九重祐三子とか、(ダニー飯田と)パラダイスキングとか、ザ・ピーナッツとか。日本語の歌詞はだいたい漣健児がつけていて、歌詞も一発で覚えちゃう。パラダイスキングが出ている映画に連れて行ってもらったり、それが最初の音楽経験だった。牧さんもそういう経験ない?
牧裕 ’64年頃? テレビ番組では例えば「シャボン玉ホリデー」とか「夢であいましょう」とかは観ていたけど、そっち(和製ポップス)にのめり込むということはなかったな。
渡辺康蔵 俺は和製ポップス、相当引きずってるよね。その後、徐々に自分でいろんな音楽を聴くようになった。ただ自分用のレコードプレーヤーは持っていなかった。プレーヤーを買ってもらったのは中学1年の頃かな。その頃、兄貴が急にジャズを好きになって、いっぱい聴かせるんですよ。俺が中学1年生になったのが’69年なんだけど、マイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』が発売されたのが’70年か。同じ頃にチャーリー・ヘイデン『リベレイション・ミュージック・オーケストラ』を聴いてすごくショッキングで……。
チャーリー・ヘイデン
『Liberation Music Orchestra』
1970年1月発売
── よりによって、どうしてこれを?
渡辺康蔵 兄貴が買ってきたんだ。「スイングジャーナル」(ジャズ雑誌。1947~2010年)が推していたんだよね。兄がかけているのを聴いていたら、カーラ・ブレイの作曲した、行進曲みたいな1曲目「イントロダクション」をものすごく気に入っちゃって。
牧裕 僕もその曲は好きだね。
渡辺康蔵 牧さんのベースはチャーリー・ヘイデンとか、『イーストワード』のゲイリー・ピーコックのような音がすると思っているんだよね。別件で「初めて買ったレコードは何ですか」というインタビューがあって、家のレコード棚を探していたらシルヴィ・バルタンの「悲しみの兵士」が出てきたんだ。これは’70年に日本で出ていて、メロディが「イントロダクション」とけっこう似ているんだよ。(「悲しみの兵士」を口ずさんで)このメロディってカーラ・ブレイっぽいじゃん。しかも『リベレイション』にはテナー・サックスのガトー・バルビエリが出てくるんだよね。このアルバムを基に小説を書いたこともありますよ。この辺からジャズに入っているから、どちらかというと、割とフリージャズっぽいものが琴線に触れる。あとはエリック・ドルフィーの……(レコード・ジャケットを手に取る)。
エリック・ドルフィー
『Outword Bound』
1960年発売
── 『アウトワード・バウンド』ですね。今となっては貴重なセカンド・デザインです。
渡辺康蔵 中学1年のときに買いました。このときはもうアルト・サックスをやっていたので、「なんでこんなふうに吹けるんだろう」と驚きました。日本では渡辺貞夫さんと日野皓正さんが一般的にかなりスタープレイヤーになっていて、日野さんを初めて見たのは「ヤング720」(1966~71年放送)というテレビ番組だった。かっこいいなと思ってさ、それを観てから学校に行ったね。
── 「ヤング720」、自分にとっては神話のような番組です。最初の頃は、朝7時20分からの放送だったそうですね。小橋玲子や小山ルミを観てから登校できたとは、当時の学生がうらやましいです。
牧裕 「ヤング720」は僕も相当観ました。生放送だったと思いますよ。アニマルズも、ジャックスも出ました。小学校と中学校は家から本当に近かったので、ギリギリまで観てから登校していました。
渡辺康蔵 “ヒノテル・ブーム”のときですよ。まさか後年、俺が日野さんのアルバム・プロデュースをやると思わなかったけどね(『D.N.A』、『透光の樹 オリジナル・サウンドトラック』など)。
── 渡辺さんには、17㎝33回転盤もお持ちいただきました。日本コロムビアから出た日野さんの「ハイノロジー」、創設ほどないCBS・ソニーから出た渡辺貞夫さんの「パストラル」、マイルス・デイヴィスの「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」です。
渡辺康蔵 中学の時に買いました。当時のCBS・ソニーはシングル盤でもがんばっていた。マイルスの演奏は、『1958マイルス』(’79年にCBS・ソニーから発売)が出る前で、当時はこれでしか手に入らなかったと思う。
── 牧さんがお持ちなのは、渡辺貞夫さんのLP『ソング・ブック』。
牧裕 これは本当に渡辺貞夫の作曲の才能が詰まったようなレコードですよね。
渡辺康蔵 「パストラル」の再演以外、アドリブのない短い演奏。俺がソニーで働いていたときに1回だけ再発したけど、その後は誰も再発してないね。『パストラル』の次がこれで、後に『ライヴ・アット・ザ・ジャンク』とか、『ラウンド・トリップ』が出るんだ。『ソング・ブック』は10分を超える「パストラル」も入っているし、聴いていくうちに愛聴盤になるよね。
渡辺貞夫
『ソング・ブック』
1969年発売
── 渡辺さんが中学1年生の時にアルト・サックスを始めたきっかけは何だったのでしょうか?
渡辺康蔵 ブラスバンドに入って、サックスは自分で希望したのかな? でも(ブラスバンドの担当楽器は)自分で決められないからね。
牧裕 背が高いとベースにさせられたりね……。
渡辺康蔵 ただ俺は縦笛ができたので、運指が同じだと聞いてサックスができたらいいかなと思ってはいたんだ。ポジションがちょうど空いていて「やった!」という感じだね。
── 誰かサックス奏者に憧れて、始めようと思ったわけではなく?
渡辺康蔵 中学入ってブラスバンドに入った時点で、全員ゼロベースじゃないですか。トランペットを始めようがサックスを始めようがトロンボーンを始めようが。サックスを担当させてもらったのと同時に、ジャズも聴き始めた感じです。サックスを持っていたから、ジャズを聴きたくなったのかな。クラシックをやっていたら、サックスを聴くチャンスも少ないだろうからね。
牧裕 サックス・イコール・ジャズになっちゃうのかな、特に当時は。
── 牧さんが最初に手掛けた楽器はコントラバスですか?
牧裕 はい。高校のときに授業サボっては吉祥寺のジャズ喫茶に入りびたるような生活をしていて……。
渡辺康蔵 今も変わんないじゃん。何十年も同じ(笑)。
牧裕 チャールス・ミンガスの『直立猿人』を聴いて、すごくかっこよくて、「大学入ったら、ジャズ研に入ってベースを始めよう」と思ったんです。実際ミンガスの演奏の研究もしたんですけど……。
チャールス・ミンガス
『Pithecanthropus Erectus』
1956年発売
渡辺康蔵 難しい?
牧裕 難しい、難しい。テクニックもあるし、古い録音だと音程がよくわからないところもある。
渡辺康蔵 どのジャズ喫茶で聴いたの?
牧裕 「メグ」だった。『直立猿人』は高2の時に買って持っていたんですが、部屋で聴いてもそんなに感動しなかったんですよ。だけど「メグ」に行ってデカい音で聴いたら全然印象が変わって、「ベースってかっこいいな」と思ったのが最初です。でも、コントラバスという楽器がどこに売っているのかわからないし、部屋に置く場所もないので、高校の時はじっとしていました。大学の時は、入学式の前にまずジャズ研に入部しました。たまたま1年上と2年上にものすごくベースのうまい、当時「ピットイン」(新宿のジャズ・クラブ。’65年開店)に出ていたような先輩がいて、その人たちにいろいろ教わって練習しましたね。後で話が出ると思いますが、ジャズ研の隣に吾妻光良がいたんですよ。サークルが隣どうしだったんです。
(【Part2】へ続く)
●牧裕 (まき・ゆたか)
1955年12月8日、神戸市葺合区に乾二、文子の長男として生まれる。’75年に大学に入学、ジャズのサークルでコントラバスを弾き始める。’79年、吾妻光良 & The Swinging Boppersの結成に参加。’80年の大学卒業後、バークリー音楽大学に留学……することなく今日に至る。
●渡辺康蔵 (わたなべ・こうぞう)
ジャズ・プロデューサー、ミュージシャン、作家。早稲田大学モダンジャズ研究会〜日本コロムビアを経て、ソニーミュージックで日野皓正、ケイコ・リー等のプロデューサーとして活動。’22年よりフリーランス。山本剛トリオや山下久美子をプロデュース。また、吾妻光良&ザ・スウィンギン・バッパーズのサックスを結成当初より担当。著書にミステリー短編集『ジャズ・エチカ〜ジャズメガネの事件簿』(彩流社)。インターネット・ラジオ『今夜も大いいトークス〜センチなジャズの旅』のパーソナリティ。
★otonanoネットラジオ・プログラム「ジャズメガネ&島田奈央子 今夜も大いいトークス」はこちら ▶
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【Part2】牧裕と渡辺康蔵が語るジャズとバッパーズ
インタビュー
2024.11.14