2024年11月号|特集 吾妻光良&ザ・スウィンギン・バッパーズ
【Part2】|ルーツ・オブ・バッパーズ
解説
2024.11.6
文/妹尾みえ
(【Part1】からの続き)
肌の色に関係なく多くの人々を魅了したルイ・ジョーダンのジャンプ
さて前回はビッグ・バンドを通じてジャンプ・ブルースの魅力をご紹介したわけだが、10人を超えるバンドというのはなかなかに維持・運営が難しい。維持や移動も大変だしお金もかかる。バッパーズもたまに“トラ”と呼ばれるピンチヒッターが起用されることがあるが、メンバーの都合がつかない時だってあるだろう。
加えて第二次世界大戦下では徴兵されるメンバーもいた。またSPレコードの原料シェラック不足や音楽家ユニオンによるストライキも重なり、1942~44年にかけ公式にはほとんどレコーディングが行われない時期もあった。そんなこんなでビッグ・バンドの足元は不安定になっていくのだが、こうした時代の変化を感じとり、5~7人の小編成でもビッグ・バンド並みに豪快で楽しくジャンプできますよ、と大旋風を巻き起こしたのがルイ・ジョーダンだ。
ルイ・ジョーダン
『Let the Good Times Roll: The Anthology 1938-1953』
チック・ウェッブ楽団のサックス奏者として頭角を表したジョーダンは1938年に独立。自ら歌うスモール・コンボ「ティンパニー・ファイヴ」と共に「I'm Gona Move To The Outskirts Of Town」をR&Bチャート3位に送り込むと’51年までおよそ10年間にわたり絶え間なくヒット曲を飛ばし続け、18曲をNo.1にしているというのだから半端ない。トップに輝いた曲をちょっと拾ってみるとミリオン・セラーになった「Choo-Choo Ch' Boogie」、最初のロックンロールと呼ぶ人もいる「Saturday Night Fish Fry(土曜の夜の魚のフライ)」、「G.I. Jive」、「Mop-Mop」、「Caldonia」、「Buzz Me Blues」……とタイトルからもう気持ちのいいリズムが聞こえてきそうだ。
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【Part1】|ルーツ・オブ・バッパーズ
解説
2024.11.1