2024年10月号|特集 和ジャズ

【Part4】小川隆夫が選ぶTBMの定番作品~その2|スリー・ブラインド・マイス(TBM)レーベルストーリー

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解説

2024.10.25


文/小川隆夫

【Part3】からの続き)

小川隆夫が選ぶTBMの定番作品❷


 1990年代以降、60年代から70年代にかけて残された日本のジャズが「和ジャズ」のキャッチコピーで注目を浴びるようになってきた。その「和ジャズ」の中心を担っていたのがTBMである。

 TBMの諸作を聴けば、当時の日本のジャズ・シーンがつぶさにわかる。創業者、藤井武の目指したポリシーがこれだった。コマーシャリズムに毒されず、ミュージシャンが演奏している姿をありのままに記録する――TBMの精神が生かされた作品は、だからこそ時代の風雪に耐えることができた。

 それともうひとつ、TBMは音質にもこだわりを示したレーベルだった。手本はブルーノートだ。望みうる最高の音質で録音された作品の数々。2024年現在、ソニー・ミュージックレーベルズより発売されているTBM作品のCDは、すべてがSACDハイブリッド使用である。SACDのプレイヤーをお持ちのかたはぜひとも極上のジャズ・サウンドに耳を傾けていただきたい。



日野元彦カルテット+1
『流氷』

1976年2月7日録音(TBM-61)
<TBM復刻コレクション第Ⅰ期作品>


 日野元彦は兄である日野皓正の陰に隠れていたものの、ジャズ・ファンの間で、10代のころから天才ドラマーとして知られてきた。音楽性といい、若くして完成されたプレイを聴かせていたことといい、トニー・ウィリアムスの日本版的存在が日野だった。皓正のグループで重要な役割を演じていた彼に転機が訪れたのは、’75年に兄がニューヨーク移住をしたことによる。それを機に独立したことが、元彦の成長に繋がった。その初期の演奏を記録したのが本作だ。メンバーは、清水靖晃、渡辺香津美、井野信義。

 収録場所の根室は「日本ジャズ奇跡の地」と呼ばれるほどジャズが盛んな町だ。オープニング〈流氷〉は、根室にちなみ日野が書き下ろしたもの。シンプルなメロディ・ラインながら、兄の曲想に通じるスケールの大きさは、大自然をテーマにしているからだろう。た。


峰厚介五重奏団
『峰』

1970年8月4・5日録音(TBM-1)
★1970年度「ジャズ・ディスク大賞 日本ジャズ賞 第5位」
<TBM復刻コレクション第Ⅰ期作品>


 TBMの記念すべき1作目。第1回目の新譜として、このアルバムと今田勝の『ナウ!!』が’70年9月20日にリリースされた。以後は、基本的に3か月に1度、2作ずつが発売されていく。

 前年の9月、峰は菊地雅章のグループに抜擢され、脚光を浴びるタイミングだった。合間には自身のクインテットで新宿「ピットイン」の「昼の部」などにも出演。

 レーベルのスタートを飾る大切なレコーディングである。売れることなど念頭になかった藤井武はもっとも活きのいいコンボを録音しようと考え、その眼鏡にかなったのが峰のクインテットだった。

 収録された4曲のうち3曲が12~3分の長さで、もう1曲の「アイソトープ」にしても9分以上である。聴きやすい内容ではないが、ジャズの現況をしっかりと伝えている。そこに、レーベルのスピリットが凝縮されていた。




今田勝
『ナウ!!』

1970年8月10日・11日録音(TBM-2)
★1970年度『ステレオ・サウンド』誌「録音グランプリ 金賞」


 TBMから発売された最初の2枚のうちのもう1枚。この時期の今田勝はスタジオ・ミュージシャンとして多忙を極め、ライヴでの露出はあまり多くなかった。とはいうものの、この作品は彼にとって2作目で、デビュー作は同じ年に日本ビクターで吹き込んだ『MAKI』である。メンバーも本作と同じ4人だが、そちらにはオリジナル曲に混ざって〈枯葉〉と〈グリーン・ドルフィン・ストリート〉が収録されていた。TBM盤は全曲がオリジナル。この違いは、それだけ多くの自由が与えられていたことを意味している。それに伴い、内容もTBM盤のほうがフリー・ジャズ度が高い。その後の活動からすれば、この時期の演奏がもっとも過激だった。そんなプレイを引き出してみせたところにTBMの制作方針がうかがえる。
 
 なお、このレコーディングから神成芳彦がエンジニア(1作目の『峰』ではアシスタント)となり、本作は『ステレオ・サウンド』誌で「録音グランプリ 金賞」を受賞する。



三木敏悟、高橋達也と東京ユニオン
『北欧組曲』

1977年5月15日・22日録音(TBM-1005)
★1977年度「ジャズ・ディスク大賞 日本ジャズ賞 第1位」「同 最優秀録音賞 第2位」


 三木敏悟が5年にわたりヨーロッパとアメリカで学び、帰国したのは’76年のことである。日本ではまったく存在が知られていなかった彼は、当時ジャズ・オーケストラの中でもっとも先進的な演奏を追求していた高橋達也率いる東京ユニオンに加入する。

 その時期、藤井武が東京ユニオンのコンサートで感銘を受ける出来事があった。三木のオリジナル「白夜の 悲しみ」が東京ユニオンによって演奏されたのだ。それを耳にした藤井は、さっそく楽屋で「この曲を中心に組曲を書いてほしい」と依頼する。まったく未知数の三木に、「白夜の悲しみ」を聴いただけでオーケストラが演奏する組曲を依頼した藤井の度胸のよさと慧眼には感服する以外ない。

 この曲に限らず、組曲には日本的な情緒もしっかりと込められている。つまり、これは三木敏悟という日本人が北欧の印象を綴った音楽抒情詩と呼ぶべきものだ。加えて、アメリカ生まれのジャズの要素もきちんとした形で踏襲されている。欧米と和のテイストが自然な形で融合している点が見事だ。といっても、とくに日本的なメロディや音階は登場しない。それにしてもスケールの大きなオーケストラ・アルバムが誕生したものだ。構想も壮大なら、音楽も雄大で力強い。



金井英人グループ
『Q』

1971年5月9日・17日録音(TBM-6)
1971年度「ジャズ・ディスク大賞 日本ジャズ賞 第5位」



 これまたTBMしか作りえない実験的作品。レーベルのスタートに際し、金井英人はさまざまな点で力になっていた。当時の耳で聴けば、「エイプリル・ソングス・フォー・カナイ、ズイ・ズイ・ズイ・ドゥ・トゥバダバ」は紛れもないフリー・ジャズの範疇に入る。しかし作曲と構成がしっかりしていることもあり、無秩序なところがまったくない。もうひとつ見逃せないのは、この曲と、金井が作曲した「Q」にアラン・プラスキンが参加していることだ。レコード番号でいうなら本作のひとつあとが彼のリーダー作で、それより3日後に吹き込まれたのが本作A面の2曲だ。リーダー作の内容が素晴らしいだけに、プラスキンの演奏がここで2曲聴けるのはありがたい。

 B面ではさらに過激な演奏が繰り広げられる。「カレイドスコープ」はフリー・ジャズ派の代表的ドラマーである山崎弘と金井のデュエット。そこに小泉浩と金井の盟友、高柳昌行を加えたカルテットによる演奏が「メディテイション」だ。後者の破壊的なサウンドに、高柳の真骨頂が認められる。






BOOK
『スリー・ブラインド・マイス 
コンプリート・ディスクガイド』
小川隆夫・著

2017年刊/駒草出版