2024年10月号|特集 和ジャズ

【Part3】山本剛(ジャズ・ピアニスト)|Special Long Interview

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インタビュー

2024.10.18

インタビュー・文/原田和典 写真/島田香

取材協力/ディスクユニオン


【Part2】からの続き)

モンタレーの演奏が良かったと読売新聞に大きな記事が出て、僕は新潟の両親からの勘当が解けました(笑)(山本剛)




── 山本さんは1974年のクリスマスに六本木「ミスティ」で3部作(『ライヴ・アット・ザ・ミスティ』『ブルース・フォー・ティー』『ジ・イン・クラウド』)を収録し、’75年にアメリカへ向かいます。

山本剛 僕が行きたかったのはニューイングランドのコンサーヴァトリーだった。そこのピアノの部屋はでっかくて、スタインウェイがポンと置いてあって、高い天井で、ひとりで弾けるようになってるんだ。ボストンのバークリー(音楽院)にいたのは1週間ぐらいかな。バークリーに関しては、かつては寺子屋みたいなところで切磋琢磨しているとも聞いていたけれど、僕が行ったときはもう、そうではなかった。みんな同じようなフレーズを練習していてね……。バークリーを辞めて昼間から酒飲んで、向こうの酒はギャロン(約3.785リットル)単位だったかな。3ヶ月ぐらい経った頃にニューヨークに出て、チンさん(鈴木良雄)と会った。そしてグリニッチ・ヴィレッジの「サーフ・メイド(Surf Maid)」に行ったんだ。ジョアン・ブラッキーンが演奏していたところだよ。店主のマイクという男から、「(ピアノを)弾くか?」と言われたのでサッと弾いたら、帰り際に「ピアノの仕事をしたいか」というので、「もちろん、したいです」と答えた。「50ドル払うから、ベースを探して、デュオで演れ」と。それで週3回ぐらい仕事をもらった。モーリス・エドワーズとデュオを組んで、カルヴィン・ヒルがトラ(代役)で来たこともある。

── カルヴィン・ヒルはマッコイ・タイナーのところにいたベーシストですね。モーリス・エドワーズの名前は初耳です。教えていただけますか?

山本剛 ポール・チェンバースみたいなベースを弾くんだよ。「カルヴィンともっと演ったほうがいいぞ」と周りは言うけれど、僕がモーリスを選んだんだから。しっかりしたベースを弾くんだ、派手じゃないけどね。(※取材後、モーリス・エドワーズについて調べたところ、ウェブサイト“オール・アバウト・ジャズ”の2007年の記事に「Jazz Bassist Morris Edwards Dead at 81」という訃報を発見した。そこにキャリアも掲載されているのでご覧いただきたい)https://www.allaboutjazz.com/news/jazz-bassist-morris-edwards-dead-at-81/

── 帰国なさったのは6月ですね。

山本剛 離婚してほしいという書類が(アメリカに)来たんだよね。長男がいたし、僕は離婚したくなかったから、とにかく日本に帰ろうと。ニューヨーク在住の演奏仲間からは「ミュージシャンがそんな清い心でどうするんだ」とも言われたけど(笑)。日本に帰ってきたら、仕事やレコーディングの機会がどんどん増えてきた。

── ’75年発表の山本さんの参加作品には、古井戸の『酔醒』(よいざめ)もあります。旧CBS・ソニーからのリリースです。

山本剛 古井戸のマネージャーから直接連絡が来て、その後、古井戸のメンバーも含めて、僕の狭いマンションにワーッと来てくれたのを覚えています。「あなたのピアノが欲しい、演ってくれないか」って。面白い体験だったよね。ツアーもしたし、チャボ(仲井戸麗市)はよく奥さんと「ミスティ」に聴きにきてくれた。RCサクセションに入る何年も前だよね。



古井戸
『酔醒』

1975年10月1日発売


── 『酔醒』は、古井戸と山本さんが持つブルースへの愛情を感じさせる名盤だと思います。そして“ミスティ3部作”以来のTBM盤は、ヤマ&ジローズ・ウェイヴ名義の『ガール・トーク』です(1975年12月録音)。第2期トリオの大由彰さん、第1期トリオの小原哲次郎さんと共演しています。

山本剛 大隅(寿男)ちゃんじゃなくて、ジローさん(小原)が戻ってきたの。ヤマ&ジローズ・ウェイヴという名前をつけてくれたのはトコちゃん(日野元彦)。「この名前、いいでしょ?」とか言って。

── 元彦さんも山本さんのトリオのメンバーだったのでしょうか?

山本剛 2~3年、一緒に演奏したけど、レコーディングはないと思う。ほか、村上寛がドラムの時もあった。ダイレクト・カッティングのLPを録音したんじゃないかな(’78年発表の日本フォノグラム盤『ブルース・トゥ・イースト』)。


ヤマ&ジローズ・ウェイヴ(山本剛トリオ)
『ガール・トーク』

1975年12月17日録音(TBM-59)
<TBMプレミアム復刻コレクション第Ⅰ期作品>


── TBMのジャケット・デザインは、西沢勉さんがほぼ一手に手掛けています。ファッションモデルのような女性を起用した『ガール・トーク』のジャケットは、ジャズ・アルバムのイメージとは一線を画すものだと思います。

山本剛 僕はジャケットに関してはあまり気にしていなくて、「今回はこのデザインだ」といわれても、「そうなのか」という感じでしたが、確かにそういわれてみると全然ほかのジャズ・アルバムとは違う。(『ジ・イン・クラウド』のジャケットを手に取って)面白いことを考えるなと思いますね(笑)。



山本剛トリオ
『ジ・イン・クラウド』

1974年12月25日録音(TBM-52)


── 『ガール・トーク』に続くTBMへのリーダー作は、’76年5月の『サマータイム』です。TBMが’74年から’77年にかけて開催したライヴ「5デイズ・イン・ジャズ」での実況録音ですね。

山本剛 このベース(大由彰)がすごいんだ。もう今は、彼は演奏していないけどね。ドラムは守新治でしょ。大好きな一枚ですね。



山本剛トリオ
『サマータイム』

1976年5月17日録音(TBM-69)


── 圧倒的な演奏だと思います。そして、次はしっとりと、ウィズ・ストリングスによる『スター・ダスト』。’77年8月の録音ですね。アレンジは横内章次さん。

山本剛 横内さんのストリングス・アレンジが良いということをプロデューサーの藤井(武)さんは知っていただろうし、僕も横内さんとは面識があってかわいがってもらっていたからね。でも、この音源は最初にトリオで録音して、ストリングスは後でかぶせました。だから僕らトリオはストリングスと一緒に演奏していません。トリオだけの演奏も出せばいいのにと思うけどね。

── 麻布のアオイスタジオと渋谷のエピキュラススタジオで録音されています。

山本剛 神成(芳彦:エンジニア)さんがアオイスタジオからエピキュラスに移ったんだ。これはその時期の録音だろうね。



── そして’77年9月には、アメリカ・カリフォルニア州のモンタレー・ジャズ・フェスティヴァルに出演なさいますね。




●山本剛 (やまもと・つよし)
ピアニスト。1948年3月23日、新潟県佐渡郡相川町生まれ。’67年、日本大学在学中、19才でプロ入り。ミッキー・カーティスのグループに加入し英国~欧州各国を楽遊。’74年、TBMレーベルより、初のリーダー作、山本剛トリオ『ミッドナイト・シュガー』でレコード・デビュー。スケールの大きなブルース・フィーリングとスイングするピアノがファンの注目を集め、続く『ミスティ』が大ヒット、人気ピアニストとしての地位を確立する。’77年にはモンテレー・ジャズ・フェスティヴァル(アメリカ)、’79年にはモントルー・ジャズ・フェスティヴァル(スイス)に出演。 笠井紀美子、安田南等ヴォーカリスト達と共演する一方、ディジー・ガレスピー、カーメン・マックレイ、サム・ジョーンズ、ビリー・ヒギンズ、エルビン・ジョーンズ、ソニー・スティット、スティーヴ・ガッド、エディー・ゴメスら多くの内外ミュージシャンと共演。数多くのフェスティヴァル出演、テレビの音楽番組に携わるなど多岐にわたって活動中。
山本剛オフィシャルサイト : www.tsuyoshi-yamamoto.com