2024年10月号|特集 和ジャズ

【Part2】神成芳彦(レコーディング・エンジニア)|Special Long Interview

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インタビュー

2024.10.11

インタビュー・文/原田和典 写真/安川達也(編集部)

取材協力/ディスクユニオン、雷庵スタジオ


【Part1】からの続き)

「このマイクを使って録音する」っていうことを教えたとしても、同じ音を収録できるとは限らないんですよ(神成芳彦)


── TBMのプロデューサー、藤井武さんと初めてお会いした時の印象は?

神成芳彦 最初のアルバム(峰厚介『峰』TBM-1)にはアシスタントで入りました。スタジオに来て、すぐレコーディングが始まりましたし、私はアシスタントでしたから、あんまりよく覚えてないですね。

── 『峰』には、レコーディング・エンジニアとして大河原克夫さん、アシスタント・エンジニアとして神成さんのお名前がクレジットされています。

神成芳彦 大河原さんは私よりも先輩で、この録音ではメイン(のエンジニア)でした。

── マイクは神成さんが選んだのですか?

神成芳彦 選んだのは大河原さんでした。私は「このマイクをこういうふうに使う」という風に言われて、そのマイクを準備する係です。それと、テープへの録音。そういう作業をアシスタントはするんですよ。

── 『峰』のレコーディングが1970年8月4日と5日。神成さんがレコーディング・エンジニアになった今田勝『ナウ!!』(TBM-2)が8月10日と11日の録音です。1週間しか空いていないのですが、その間に藤井さんから「次は神成さんがエンジニアで」というリクエストがあったのでしょうか。

神成芳彦 だと思うんですけどね……。覚えているのは、『峰』のときは、いきなり2チャン(ネル)で録ったんですね。私の場合は3チャンか4チャンを使ったんですよ。そうすると、トラックダウンという作業をするときに、音を吟味できる。そういう工程を私は(他ジャンルの録音で)ずっとやってきたんです。だから必ずマルチで録って、音質に関しても、イコライザーをあんまり極端な感じではかけなかったですね。低音を切ることもほとんどしなかった。高音を伸ばす作業はしていましたが。


今田勝
『ナウ!!』

1970年8月10・11日録音(TBM-2)


── 今田勝『ナウ』がオーディオ誌『ステレオサウンド』の<録音グランプリ金賞>を受賞したことで、ジャズのエンジニアとしての神成さんの活動に弾みがついたのでしょうか?

神成芳彦 そうですね。油井(正一)さんから藤井さんを紹介されて、ステレオサウンドで金賞を取って、「すごい」と思われたみたいですね。それ以降は、TBMのほとんどの録音を担当しました。

── 70年代当時にプレスされた日本のレコードをいろいろ見ていると、TBM作品の盤面は“白っぽい”んです。レコード盤に刻まれる音は、小さければ小さいほど真っ黒に近づいていくと思うのですが、TBMは本当に白っぽくて、しかもギリギリまで溝が掘ってある。回っている盤を見ていても、針がどんどん進んでいく感じで気持ちいいんです。このカッティングについては神成さんの意向が反映されているのでしょうか?

神成芳彦 それは藤井さんが考えたんじゃないかな。私も藤井さんと一緒に必ずカッティングには立ち会って、工場で切ってもらったものを聴いたりしていましたが。カッティングに対して、私は録ったテープの通りに音が出てくれればいいかなと思っていましたね。藤井さんは片面の収録時間を15分ぐらいに抑えたいという気持ちがあったみたいで、ギリギリまで溝を深く掘ることは心がけていたようです。レコードの片面は30分ぐらいは切ることができますが、そうするとカッティングのレベルが小さくなっちゃう。鈴木勲の『ブロー・アップ』は片面15分ぐらいの長さで目一杯、溝を切っています。

── 70年代半ばぐらいまでのTBM作品は、ベースの迫力もすさまじいですね。奏者がすでにピックアップやアンプを使っていた時期だと思いますが、生々しい弦のうねりも聴こえてきます。

神成芳彦 ベースアンプにマイクをつけて、駒のところにあるマイクの音とミックスしていました。今のレコーディングではベースの人はアンプを使わなくなりましたね。ライヴのときに、モニター用として使っている感じです。


中本マリ
『マリ・ナカモトⅢ』

1975年11月25・26日録音(TBM-56)
<TBM復刻コレクション第Ⅰ期作品>


── 初めてのミュージシャンを録音をする前に、たとえば藤井さんと一緒に例えばライヴに行って、生の音を聴いたりすることは?

神成芳彦 何回かありましたね。中本マリのレコーディングの前にライヴに行って、「こんな感じの人を録るんだ」と確認したり。

── 中本さんの歌を聴いて、「レコーディングには、こんなマイクがいいな」と考えて……。




●神成芳彦 (かんなり・よしひこ)
レコーディング・エンジニア。1943年10月12日、樺太(当時)生まれ。’65年アオイ・スタジオに入社。’70年にはTBMの2作目、今田勝カルテット『ナウ!!』(’70年)でチーフ・エンジニアを務め、以降、100枚を超えるTBM作品のレコーディングを手がける、この時期に各種録音を多数受賞。’74年にはヤマハが運営するエピキュラス・スタジオに移籍。’84年からはヤマハ音楽院でミキサー講師も歴任。’99年の退職後、栃木県那須に「スタジオ雷庵」を開設。
スタジオ雷庵オフィシャル : http://www3.yomogi.or.jp/st-lion/lion/