2024年9月号|特集 90年代シティポップ

【Part4】|ルーツ・オブ・'90sシティポップ

会員限定

解説

2024.9.25

文/金澤寿和


【Part3】からの続き)

あらゆるジャンルやアーティストが、クラブ・シーンの影響で復権を果たした


 90年代の音楽シーンを考える時に見逃してはならないのが、クラブ・シーンからの影響だ。60~70年代のオールド・スクールから最新ヒップホップまで、ターンテーブルに載るレコードは千差万別種々雑多。80年代のDJたちが回すレコードの主流は、ブラック・コンテンポラリーの進化系であるニュージャックスウィングやシンセ・ファンク、あるいは急速に浸透してきたヒップホップなど。もちろんロックやニューウェイヴを回す“ロンドン・ナイト”やテクノ系イベントはあったが、’90sシティポップに関わる部分では、あまり考慮しなくて良いだろう。ちなみにCDでDJプレイができるCDJが開発され、急速に普及したのは、90年代中盤のことである。

 80年代後半〜終盤に、現在進行形のダンス・ミュージックとして存在感を高めたクラブ・ミュージック。しかしそれが、より裾野の広いポップスと融合していくには、相応の時間とトライアルが必要だった。橋本徹がイベントを始めたDJ BAR INKSTICK、沖野修也プロデュースのThe Roomを筆頭に、西麻布イエロー、三宿Web、青山blue、そして渋谷organ bar等など……。筆者自身はまったく無縁だったが、そうした若者たちが集う現場から発信される音楽や潮流には興味を持って眺めていたし、ピチカート・ファイヴの小西康陽など、実際にそこと密接に関わる渋谷系アーティストが少なくなかった。ソウル、ジャズ、ファンク、ロック、ラテンなど幅広い音楽素養を放り込んだ、音楽のメルティング・ポット、それがクラブ。“グルーヴ”をキーワードに、あらゆるヒップなオールド・スクールを掘り起こしては再興させ、また新たなるスタイルを創造する発信源。日本に於けるレア・グルーヴ、フリーソウルの勃興、そして国産アシッド・ジャズ生誕の地がクラブだった。


V.A.
『FREE SOUL IMPRESSIONS』

1994年4月21日発売


 そうしたクラブ・ムーヴメントから登場したアーティストの代表格といえば、音楽プロデューサー:桜井鉄太郎が仕掛けたCOSA NOSTRAの名が真っ先に上がる。鈴木桃子と小田玲子という2人のシンガーを立てたこともさることながら、出世曲がアル・クーパー「Jolie」のカヴァーなのが象徴的。知る人ぞ知るマニアックなナンバーを取り上げ、それを時代の流儀で換骨奪胎し、日本初の洋楽クラシックに仕立ててしまった。その手法そのものが、クラブ発信のユニットとして斬新なものだった。


COSA NOSTRA
『LOVE THE MUSIC』

1995年3月20日発売


 また’85年に細野晴臣のバックアップでデビューしたものの、セールス的に苦戦していたピチカート・ファイヴが、野宮真貴の加入とレーベル移籍を経て、90年代に入って急浮上。小西も人気DJ/プロデューサーとしてシーンの先頭に立つように。彼らに続いて、田島貴男率いるOriginal Love、MONDAY満ちる、bird、ソウル・ボッサ・トリオ、wyolicaなどが、クラブ・カルチャーの拡散と共に注目され、互いに影響しあって90年代ならではのクラブ・ミュージックを築いた。当時はシティポップと結び付くことはなかったが、ジャンル・ミックスに於けるカタリスト的役割を果たした点で、今はその手のサウンドとの関連性を指摘される。近年の再評価が著しいPlatinum 900が’99年にドロップしたワン&オンリーのフル・アルバム『フリー(アット・ラスト)』は、そのシンボルと言えるだろう。



ピチカート・ファイヴ
『女性上位時代』

1991年9月1日発売



Platinum 900
『フリー(アット・ラスト)』

1999年7月23日発売


 しかしクラブからの動きが’90sシティポップに影響を与えた最大のモノは、やはり、レア・グルーヴとかフリーソウルといった看板の下で、途轍もなくたくさんの洋楽カタログへの再評価が進んだ点にある。CDというメディアが誕生した80年代から、いわゆる大物アーティストの旧作や名盤は積極的に復刻されていたが、それがひと段落。新たな視点によるリイシュー提案にスポットが当たった。従来のカタログ再発は、著名アーティストのカタログを一括でまとめ上げたり、各ジャンルの名盤を集めたりするのが常道。ところがレア・グルーヴ、日本でいうフリーソウルは、DJ諸氏主導のムーヴメントだったため、ジャンルやエリア、時代性、アーティストの知名度やキャリア、メジャー/インディ/自主制作など、どれもまるで関係なく、楽曲そのもののテイスト、若者たちのスウィート・スポットを刺激するかどうかが唯一の判断基準になる。だからヒット曲や有名曲である必要はなく、何よりそれまで完全に見過ごされていた音楽に新たな価値観を与えることになった。それが若い世代には極めて新鮮で、カッコ良く映ったのだ。その伝播が、従来の音楽メディアではなく、ヤング・カルチャー誌やフリーペーパーで広まっていったところも新しかった。