2024年9月号|特集 90年代シティポップ
【Part3】CHOKKAKUが語る90年代シティポップ
インタビュー
2024.9.20
インタビュー・文/池上尚志 写真/山本佳代子
取材協力/エイベックス・ミュージック・クリエイティヴ
取材協力/エイベックス・ミュージック・クリエイティヴ
(【Part2】からの続き)
もし許されるなら、同じ曲をずっと一生直していきたい(笑)
── SMAPはみんなバラバラなのにトータルで見るとこれでいいんだなっていう不思議なグループで、そんなSMAPの音楽をどう作るのがいいと思っていたのですか。
CHOKKAKU ディレクターによく言われていたのは、「アイドルなのに、FMのDJが流しちゃうような音楽にしたいんだ」っていうことですね。それはかなり意識していましたね。
── 確かに90年代くらいまでは、アイドルを音楽として認めていない感じがありました。やっぱり洋楽の感覚を持ち込んだということでしょうか。
CHOKKAKU 自分はそう受けとめたんでしょうね。洋楽の感覚で、ちょっとひねっているような構造にして、アイドルらしからぬコード使いとか、そういうのは結構やっていますね。具体的に参考にしたものがあるというより、組み合わせですね。打ち込みに上に乗っているのがアコギだけっていうのは面白いなとか、どういう組み合わせが面白いかっていうのを常に気にしているんですね。
── スタッフの方から、こんなふうにしてくれみたいな要望はあったんでしょうか?
CHOKKAKU 多分あったんだろうと思うんですけど、ディレクターがせき止めていたのかな? 多分、若い頃は目いっぱいで対応できなかったと思うんですよ。できない場合はボツになっていたくらいな勢いだったんで。今なら何を言われても、「はいわかりました」って、ダーッとできるんですけど。
── そこからいろんな方のアレンジを手がけていくようになるわけですけれども、いくつかピックアップしながらお聞きしますね。まず篠原涼子さんですが、最初は小室哲哉さんのところでヒットを出して、その後、CHOKKAKUさんが3曲連続で担当されていますね。
CHOKKAKU 1曲目の「ダメ!」(’95年)は井上陽水さんの曲だったんですけど。陽水さんからの依頼でやったんですよ。
篠原涼子
「ダメ!」
1995年11月22日発売
── 陽水さんから直で依頼があったんですか?
CHOKKAKU 何か変わった人が好きみたいで。僕がCHOKKAKUなんて変わった名前だったこともあったのかな。これの前にデーモン小暮さんの曲をやっていて、それも陽水さんの曲だったんですけど(’95年の『DEMON AS BAD MAN』収録の「LOVE ROMANCE」)、陽水さんご本人から突然自宅に電話がかかってきてびっくりしました。普通によろしくお願いしますみたいな感じで、曲のことは言われなかったんですけど。
── アレンジは丸投げという感じですか。
CHOKKAKU 要望は何もなかったですね。実はこれ、アレンジのネタがあるんですけど、言わないでおきます(笑)。
── アレンジのアイデアって、結構いろんなとこから持ってきて考えるものですよね。
CHOKKAKU そうですね。多分デザインなんかもそうだと思うんですけど、丸々オリジナルっていうものはないと思うんです。あの個性たっぷりのプリンスも多分、いろんな曲を真似たつもりなんだけど、結局、本人の曲、アレンジになっているっていう。若い人にもコピーしちゃ駄目よって言うんですよ。うろ覚えくらいの方が、自分なりの勝手な解釈で自分なりのものになるからって。
── 次は、真心ブラザーズの「ENDLESS SUMMER NUDE」(’97年)ですね。これは「サマーヌード」(’95年)という元の曲があり、それをリアレンジということですね。これはどういう要望だったんですか。
CHOKKAKU 何かいい感じにしてくれっていうことだったと思うんですけど(笑)。元々あるものを変えるのって意外と簡単なんですよ。逆方向をやればいいわけで。これは割とフュージョンっぽいですよね。自分の中で打ち込みにちょっと飽きた頃だったと思うんですよね。全部生にして、自分なりにちょっとバンドの時代に戻っている感じじゃないかな。
真心ブラザーズ
「ENDLESS SUMMER NUDE」
1997年7月21日発売
── CHOKKAKUさんは、生で演奏するよりも、自分でトラックを作っちゃうことが多いですよね。
CHOKKAKU 東京に来たばかりの頃は信用できるミュージシャンとか友達なんていなかったんで、全部自分で打ち込んで、それに合わせて弾いてもらうっていうのが一番良い方法だったんです。それがそのままスタイルになったというか。
── 次は、櫻田宗久という歌手で、’98年のアルバム『ムネトピア』です。筒美京平さんが丸々1枚書き下ろした作品だったんですけども、この中の2曲を担当されています。
CHOKKAKU 最初に会ったときの京平さんは厳しい人だったんですけど、何度か仕事を重ねるうちに、いろいろ昔の話とかしてくれたんです。京平さんは晩年は、基本、スタジオにはこなかったんですけど、「CHOKKAKUがやるときは来るんだよね、不思議だよね」とマネージャーの人が言っていました。スタジオに来て嬉しそうに笑っている感じでしたね。
櫻田宗久
『ムネトピア』
1998年9月9日発売
── 京平さんの厳しさは皆さんおっしゃいますね。
CHOKKAKU 自分にとって元々アレンジをやっていた人に認められるのはすごく嬉しいことで、鷺巣詩郎さんに仕事をいただけているのもかなり嬉しかったですね。
── 鷺巣さんも、ものすごく変というか、「何でこんな音作るの?」みたいな感じですよね。
CHOKKAKU 変わっています(笑)。もう音がカオスの世界なのに、それをギターサウンドにしてくれとか言うんですよ。でも一つ一つ分析していくと、何となくこことここのコードが分数になっているってことかなとかわかってくるんですよ。非常に難解で、すごく深くまで解いていかないといけない。自分はギター・プレイヤーというよりアレンジャーなので、音の奥深い構造がわかって、なおかつ勉強にもなるんです。
── 鷺巣さんも京平さんにすごく気に入られたアレンジャーの1人だったわけですけど、CHOKKAKUさんも京平さんの流れに下にいると言うことですね。
CHOKKAKU 幸せなことに本当に大御所の人にかわいがられて、何となく生きてこられたって感じですよね。
── L'Arc~en~Cielもやってらっしゃるんですね。「虹」(’97年)という壮大なバラードですが、ちゃんとロック・バンドのアレンジで、それまでのCHOKKAKUさんにはないテイストだったなと。
CHOKKAKU ちょうどメンバーが変わった時だったのかな。新しいドラム(yukihiro)はまだメンバーじゃなかったんですよね。それで、ヒットする曲にしてほしいって言われて。最初はストリングスを入れて豪華な感じにしたいって言われたんですけど、バンドでしょ、金使ってストリングスを「バーン!」ってダサくないですか? って(笑)。バンドならメロトロンとか使ってやった方がいいじゃないですか? って。結局、メロトロンでやったんです。
L'Arc~en~Ciel
「虹」
1997年10月17日発売
── いやいや、90年代ですよ。それ、もう趣味の領域じゃないですか(笑)。
CHOKKAKU はい(笑)。自分の青春時代のロック・バンドっていうのは、EL&Pやイエスもそうなんですけど、キーボードにメロトロンを使ったりして、オーケストラは使わないじゃないですか。それが自分にとってカッコいいと思っていたんです。
── 結果、この曲はあんまり時代性に関係ない、いつ聴いてもちゃんとカッコいいものに仕上がっていますね。
CHOKKAKU そう言われれば成功したかなって思います。でもメンバーのみんなは納得してなかったかも。例えば、メインのステージに立って、後ろにストリングスがバーンといるっていうのはカッコ悪いような気がしたんですよね。自分にはそう見えちゃったんですよ。
── これに限らず、「こういうのはカッコ悪いよな」みたいなものってありましたか。
●CHOKKAKU (ちょっかく)
作曲/編曲/プロデュース。1961年広島県生まれ。フュージョンバンドでの活動時、数々の大会で優勝を重ね、「FLEX」結成。バンドエクスプロージョン世界大会出場。「MIDI」よりデビュー。その後、アレンジャーとしての活動を始める。SMAP、KinKi Kidsを始め多くのヒット曲のアレンジを務め、L'Arc~en~Cielなどのサウンドプロデュースも行い、枠にとらわれない作品を残し続けている。
https://bananajam.info/
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【Part2】CHOKKAKUが語る90年代シティポップ
インタビュー
2024.9.13