2024年9月号|特集 90年代シティポップ
【Part1】小松秀行が語る90年代シティポップ
インタビュー
2024.9.12
インタビュー・文/長井英治 写真/山本佳代子
90年代のJ-POP、それもシティポップ的なサウンドのキーワードに、「GROOVY」は欠かせない。そんなグルーヴィーなサウンドに欠かせないベーシストと言えば、小松秀行の名前が真っ先に挙がるのではないだろうか。人気急上昇中のOriginal Loveに参加し、脱退後は古内東子の一連のヒット曲やアルバムをプロデュース。その後も、ソウルやファンクなどを取り入れたJ-POPの陰に、彼の名前がクレジットされていることが多い。では、どのようにして小松秀行は音楽シーンに登場し、90年代という時代の音を作っていったのか。あまりメディアに出ることがないというだけあって、初出の貴重な話を伺った。
「やりたいことがあるならやった方がいいよ」と背中を押してもらった
── 小松秀行さんはあまりメディアに登場されないミステリアスな存在のミュージシャンなので(笑)、今日はいろいろなお話を聞かせてください。まずは、小松さんの音楽ルーツについてお伺いしたいんですが。
小松秀行 通常こういうインタビューって、いつも家庭の中に音楽がありましたとか、たいていそういう話になるじゃないですか。自分の場合は全くそういうエピソードがないんです(笑)。小さい頃に、ちょっとだけピアノを習っていたこともあるんですけどすぐ辞めてしまったし。ただ幼少期の記憶の中で、サントリーのウィスキーのCMにサミー・デイヴィスJr.が出ていたじゃないですか、あのCMはやけにインパクトがあったのでよく覚えています。
── 幼少期、さほど音楽に縁のなかった小松さんが、何故ベース弾きになったのかを教えていただけますか。
小松秀行 中学生の時に、友達の家にベースがあったので、それを触ったことがあるくらいで、大学に入るまでまともに音楽をやったことがなかったです。大学に入ればきっと楽しいんだろうと思っていたんですが実際は全然楽しくなくて、だったら何がしたいんだろうと考えた時に、昔ベースを触っていたことを思い出したんです。
── つまり、大学時代にご自身の才能に気付くわけですね。
小松秀行 才能があったのかどうかわかりませんが、他にやりたいこともなかったし大学の軽音楽部に入部してバンド活動を始めることにしたんです。自分でこんなことを言うのもなんですけど、ベース以外の楽器も割とパッとできてしまったし、たいていの曲は耳コピーでプレイ出来たんです。入部してすぐ、2つ上の先輩に誘われてアン・ルイスのコピーバンドをやるようになったんですが、海外レコーディングした曲がめちゃくちゃかっこよくて、そのレコーディングでフレットレスベースが使われていたんです。その時期にジャコ・パストリアスが亡くなり、「ベース・マガジン」に過去のインタビューが載っていて、フレットを抜いてパテ埋めしたあとに、船舶塗装用のエポキシ樹脂で指板全体をコーティングしたベースを弾いていたことを知りました。それを自分のベースではなく、友達のベースを使って改造したりしていました(笑)。ネックがひん曲がって、使い物にならなくなってしまったりして。
── なかなか、やんちゃなエピソードですね(笑)。他にはどんなコピーをしていたんですか。
小松秀行 あとは、ジョニー、ルイス&チャー、ピンク・クラウドや、フュージョン系の音楽が流行っていたので、デイヴィッド・サンボーンやマーカス・ミラーなんかをコピーするようになりました。コード進行が複雑で、もはや耳コピーでは追つかなくなっていたので本を買ってきて音楽理論を勉強するようになったんですが、そのうちいろいろな曲をコピーをしまくっているうちに、感覚的に音楽理論が身についていくようになりました。
── 大学時代に、将来はベースで生計を立てていこうと考えていたんですか。
小松秀行 大学も途中でドロップアウトしてしまったので、何のあてもなくどうなっちゃうんだろうと思っていた時期に、たまたま「ベース・マガジン」でOriginal Loveのベースを募集しているのを見つけたんです。当時、先輩に誘われてコーザ・ノストラのレコーディングに参加したんですが、オーディションにはその音源をテープにダビングして送りました。
── Original Loveの存在はご存じだったんですか。
小松秀行 洋楽ばかり聴いていたのでそこまで詳しくは知らず、CMで流れていた「ヴィーナス」を聴いたことがある程度でした。
── そのオーディションを経てOriginal Loveに加入するわけですが、すでに人気絶頂の時期に加入することになるわけですよね。
小松秀行 最初に参加して世に出た曲は「接吻 kiss」でした。
Original Love
「接吻 kiss」
1993年11月10日発売
── いきなり人気バンドに加入して生活も一変したと思いますが、当時のOriginal Loveは渋谷系と呼ばれてブームになっていました。ブームの渦中に居たご本人たちはあのムーヴメントをどのようにとらえられていたんでしょうか。
小松秀行 田島先輩は「俺たちは渋谷系じゃない!」と当時言っていましたけど(笑)、自分的にはまあ人がそういうのならそうなのかなという程度の感想でした。加入してからは、年に2回ツアーがあって、アルバムの制作もあったので生活スタイルはガラッと変わりましたけど。
── アルバム『風の歌を聴け』(1994年6月発売)は田島貴男さん、木原龍太郎さん、小松秀行さんの3人に、小松さんからの紹介でドラムの佐野康夫さんが参加したアルバムになったわけですが、このアルバムが初のチャート1位を獲得するわけですよね。
小松秀行 おそらく「接吻 kiss」のヒットがきっかけで、アルバムもヒットしたんでしょうね。
Original Love
『風の歌を聴け』
1994年6月27日発売
── 「接吻 kiss」は現在、SpotifyのトップトラックになっているOriginal Loveの人気曲ですが、リアルタイムで聴いていたファンだけでなく若い世代のリスナーからも幅広く愛されている1曲ですね。
小松秀行 今回インタビューをしていただくにあたって、改めて昔のことを振り返ってみたんですが、18歳の頃にベース弾きになろうと考えた時に、先ほども話をしたジャコ・パストリアスの過去のインタビュー記事を読んだんです。どんなプレーヤーに影響を受けているのか質問された時、ジャコがキング・カーティスのバンドのジェリー・ジェモットと答えていたんです。そのインタビューを読んで、高田馬場にあったレコード屋で結構高い値段を出してLPを買って聴くわけですよ。他にもマーカス・ミラーがザ・クルセイダーズでベースを弾いていたロバート・ポップウェルを絶賛しているのを知り、やはりそのLPを買って聴いてみるわけです。いくらコピーをしてもジャコやマーカス・ミラーのようにはプレイできないわけで、だったら彼らはどんな音楽に影響を受けてきたのかを掘っていくうちに、60年代から70年代のソウルミュージックにのめり込んでいくようになったんです。 当時のOriginal Loveはその時代のソウルミュージックを目指していたので、自分のベースがフィットしていたんだと思います。
── ソウルミュージックにのめり込んでいったのも、ベーシストならではという部分もあったんでしょうか。
小松秀行 多分そういう部分が大きいんだと思います。わかりにくいんだけどベースがすごくカッコいい。ベースがいつも踊っている感覚ってあるじゃないですか。そこから最初に話をしたサミー・デイヴィスJr.にもつながっていくわけです。もともとグルーヴのあるものが好きだったのかもしれませんが、さほど音楽を聴いていなかった時期にもアース・ウインド&ファイアーの「セプテンバー」はすごく好きでしたし。
── 小松さんがOriginal Loveに在籍していた期間は約3年くらいですよね。いわゆるバンドの絶頂期に脱退されるわけですが、何か大きな理由があったんでしょうか。
小松秀行 とりあえずバンドとしてはやれることはやったし、違う仕事もしてみたいと思うようになったんです。Original Loveの活動中に木原(龍太郎)さんに誘われて、古内東子さんのアルバム『Hug』(1994年9月発売)に参加することになったんですが、それがきっかけとなり本格的に古内さんの制作に関わるようになっていくわけです。田島先輩に相談したら「やりたいことがあるならやった方がいいよ」と言ってくれて、背中を押してもらいました。
(【Part2】に続く)
●小松秀行 (こまつ・ひでゆき)
1969年生まれ、東京都出身。’93年にOriginal Loveにベーシストとして加入し、プロのミュージシャンとして活動を開始。’96年の脱退後は、古内東子のサウンド・プロデューサーとして、一連の作品を手掛ける。その後も、セッション・ベーシスト、アレンジャー、プロデューサーとして幅広く活躍。鈴木雅之、SAKURA、SILVA、Chemistry、Skoop On Somebody、杏里、Rakeなど多数のアーティストのサポートやプロデュースを手掛けている。2015年にはソロ・アルバム『Breezin'』を発表した。
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【Part2】小松秀行が語る90年代シティポップ
インタビュー
2024.9.19