2024年9月号|特集 90年代シティポップ

【Part2】橋本徹(SUBURBIA)×栗本斉:Free Soulとシティポップの相関関係

会員限定

対談

2024.9.9

インタビュー・文/真鍋新一 写真/山本マオ

取材協力/Café Après-midi


【Part1】からの続き)

メジャーの音楽シーンでも「グルーヴという感覚」を意識して作られるようになっていった


栗本斉 橋本さんの活動としてはまず『Suburbia』があって、そこから『Free Soul』に行き着いた。それはやっぱり当時のクラブカルチャーによるところが大きかったんですか?

橋本徹 やっぱりそこは大きかったですよね。『Suburbia Suite』を始めた頃はそうでもなかったけれども、そこで紹介しているようなレコードを実際にかけるパーティーっていうのを、DJバー・インクスティックで始めたことが大きくて。それは’91年の夏に始まったんですけど、’92年の春からはTOKYO FMで『Suburbia's Party』という選曲番組も始まって、これは二見裕志さんがディレクターで、小西康陽さんにしゃべってもらっていたんですけど、そういうなかでDJ的な視点やクラブカルチャー的な感じ方が自然に血となり肉となり、身についていったっていうか。レコードガイドの一冊目、’92年に出た『Suburbia Suite』の「Especial Sweet Reprise」くらいまでの感じと、’94年の春に「Welcome To Free Soul Generation」っていう2冊目のレコードガイドを出す頃では、かなりリアリティーが違っていて。「Free Soul Underground」というパーティーが始まって、そのディスクガイドが出て、コンピレーションCDが出たんですけど、最初の頃との大きな違いは、現場ができたっていうことなんですよ。それまではレコード屋さんで出会った好きなレコードを、自分なりのスタイリングで紹介するだけだったのが、 集合知というか、集団ゲームになっていった。小箱のクラブカルチャーや街、ストリートやアンダーグラウンドに根差した感覚。それがないものって、なんというか、リアルに感じられなくなってしまった、ということはあるかな。今回の本題的に言うと、『Free Soul』やシティポップというベースを引き継いだようなJ-POPはその後いくつも出てくるけれども、その頃の僕らの感覚だと、いわゆる“街の感覚”がないと惹かれなかった、というのは確実にありますね。


『Suburbia Suite; Welcome To Free Soul Generation』
1994年出版


栗本斉 『Suburbia Suite』でも、日本のシティポップ的な特集ページが載った号がありましたよね。

橋本徹 「Catcher in the Windy City~風街でつかまえて」。当時はシティポップという概念というか、そういう美意識ではなかったけれども、そのルーツと言えるような選盤で。僕らが「Free Soul Underground」で楽しんでいたような音楽と共振する、あるいはそこに混ぜられるような日本の音楽ってなんだろう? って。もちろん日本だけじゃなくて、ブラジルとかヨーロッパとか、カリブとかアフリカとか、いろいろな地域やジャンル、年代のものに触手を伸ばして、連想ゲームを繰り広げていったわけなんですけど、そのなかでやっぱり日本で親和性が高かったのは、大貫妙子の「都会」であったり、 シュガー・ベイブの「今日はなんだか」やブレッド&バターの「ピンク・シャドウ」であったり、鈴木茂や小坂忠や吉田美奈子の一連の曲であったりっていうことだったんです。ページを作るときは意図的にティン・パン・アレー寄りにして統一感を出して。



大貫妙子
『SUNSHOWER』

1977年7月25日発売


『Suburbia Suite; Suburban Classics for Mid-90s Modern D.J.』(1996年出版)より


栗本斉 これが結果として、ビックリするほどど真ん中のセレクトで。

橋本徹 結局、ここでまとめて紹介したようなものが、 新しい世代にとって日本のスタンダードになりましたね。その後のシティポップの礎というか、養分になった音楽でもありますし。これは確信が持てるんですけど、あの当時の現場感、 リアリティーで、90年代に20代で、音楽を好きでバンドをやったりアーティスト・デビューをしたりという人たちは、みんな一旦、70年代の音楽、『Suburbia Suite』で取り上げたようなものに遡ってから、その80年代版というか、その影響を受けて作られた、いわゆる80年代のシティポップへと手を広げていったはずですね。

栗本斉 それでちょっと不思議に思うのが、シティポップっていう観点だけで70年代、80年代、90年代を捉えると、70年代はティン・パン・アレーのようなソウル・ミュージック的な音楽が先端としてあったものが、80年代に入ると縦ノリに戻ってしまいますよね。バンドブームがあったというのもあると思うんですけど、80年代に入ると、そこにデジタルが加わってくる。で、角松敏生さんみたいにブラコン色が強くて、音像もパキパキしているような人が活躍して、今はそれが一周回ってウケていたりするんですけど。でも、それがまた90年代に入ると70年代的なテイストに戻っちゃうんですよ。



橋本徹 それはすごく感じますね。今思うと個人的な趣味でしかないとは思うんですけど、あの頃よく言っていたことで、それこそ小西さんと意気投合したこともあるんですけど、「僕は60年代と70年代と、90年代の音楽が好きなんだよ」って(笑)。でも時が流れれば、やっぱり80年代の音楽でもバレアリックとかオブスキュアとか、そういった観点も含めて、心地よく聞こえる瞬間があるわけでね。佐藤博の『Awakening』はまさにそういう感じだと思うんだけれども。ただ、「なんで90年代の音楽でこれが好きだったんだろう?」と思う時に、そういう70年代的なフィーリングが入っていたから、もっと言えば、いわゆるオーガニックというか、アコースティックという言葉を使いたくなるような風味というか、言ってみれば『Free Soul』フィーリングが感じられるものが自分は好きだったんだなっていう。それはただ単に音の好みとしてですけど。

栗本斉 それも今回、この『CITY POP GROOVY ’90s』を選曲してみて気づいたことなんです。上モノに関しては、シンセとかがバリバリ入っていたりするんですよ。でも、やっぱりボトムは生のドラムとうねるベース、シンセベースではなく、生の音。

橋本徹 それはまさにSMAP〜CHOKKAKUのラインだよね。

栗本斉 そう、あれです。さらにそれがSMAPを通じて……と言ってもいいんですかね、あの感覚がお茶の間にまで広まっていったじゃないですか。あれもまた革命だったんじゃないかと思うんですけど。




橋本徹 (はしもと・とおる)
●編集者/選曲家/DJ/プロデューサー。サバービア・ファクトリー主宰。渋谷の「カフェ・アプレミディ」「アプレミディ・セレソン」店主。『Free Soul』『Mellow Beats』『Cafe Apres-midi』『Jazz Supreme』『音楽のある風景』シリーズなど、選曲を手がけたコンピCDは350枚を越え世界一。USENでは音楽放送チャンネル「usen for Cafe Apres-midi」「usen for Free Soul」を監修・制作、1990年代から日本の都市型音楽シーンに多大なる影響力を持つ。最近はメロウ・チルアウトをテーマにした『Good Mellows』シリーズや、香りと音楽のマリアージュをテーマにした『Incense Music』シリーズが国内・海外で大好評を博している。
http://apres-midi.biz/

V.A.
『Legendary Free Soul SUPREME』

2024年8月7日発売


『Legendary Free Soul PREMIUM』
2024年8月7日発売

[橋本徹×高橋晋一郎のフリー・ソウル30周年記念対談 ]
https://note.com/smjintermusic/n/n008cb30cb880



栗本斉 (くりもと・ひとし)
●音楽と旅のライター、選曲家。2022年2月に上梓した『「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!』(星海社新書)が話題を呼び、NTV『世界一受けたい授業』を始めテレビやラジオなど各種メディアにも出演。コンピレーション・アルバムの企画、レコードジャケット展示の監修、トークイベントの出演なども行う。2023年9月に発表した『「90年代J-POPの基本」がこの100枚でわかる!』(星海社新書)が好評発売中。昨年ロングセールスを記録したシティポップの王道コンピレーション・アルバム『CITY POP STORY -Urban & Ocean-』に続き、今年8月に90年代のシティポップをコンパイルしたCDとLP『CITY POP GROOVY ’90s -Girls & Boys-』を企画選曲。
https://lit.link/hkurimoto