2024年8月号|特集 アルファの夏!

【Part2】野呂一生が語るCASIOPEAのアルファ・イヤーズ

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インタビュー

2024.8.21

インタビュー・文/池上尚志 写真/山本マオ


【Part1】からの続き)

イギリスやヨーロッパの国々の人たちは、人種を超えて聴いてくれている


── 3枚目の『MAKE UP CITY』が出た後だったでしょうか、アルファ・アメリカのオープニング・パーティがLAであって、トルバドールで初めてライヴをやったのがアメリカ初上陸ですね。

野呂一生 これはプロモーション・ライヴでした。もうひとつ、ビリー&ザ・ビーターズという渋いバンドが出ていて、それが後に大ヒットしたんですね。(アルファ・アメリカからデビューするビリー・ヴェラのバンド。’81年リリースの「At This Moment」が、テレビドラマに使われ’87年になって全米No.1ヒットに)

── カシオペアの演奏への反応はどんな感じでしたか?

野呂一生 なんかね、びっくりしていた感じでしたね。え~こんなバンドがあるんだ、みたいなね。たぶん、ジャズみたいなバンドっていう捉え方だったんじゃないかな。

── そして4枚目が『EYES OF THE MIND』(’81年)で、これが初のカリフォルニア録音で、ハーヴィー・メイソンさんのプロデュースですね。ハーヴィーさんが雑誌のブラインド・テストみたいな企画で『THUNDER LIVE』を聴かれて、カシオペアを気に入ったところから、プロデュースを受けてくださったと聞きました。具体的にプロデュースはどういうものだったんでしょうか。

野呂一生 ハーヴィーさんは、スタジオで踊っていたんですよね。俺を見ながら演奏しろって。要するにグルーヴを伝えたかったんだと思うんですね。ほぼ完成に近い頃になったら、大体ブラックになったからといっていましたね。



CASIOPEA
『EYES OF THE MIND』

1981年4月21日発売


── 黒いグルーヴを入れ込もうとしたと。

野呂一生 そうそう。何て言うんだろう、自分の頭が下がっているときにハーヴィーさんは頭が上がっている。逆なんですよね。向こうで休みがあったときにスティーヴィー・ワンダーのコンサートに行ったんですよ。フォーラムというすごく大きな会場で、周りは黒人の方ばっかり。音楽が始まったらみんな踊り出すんだけど、うわ、ハーヴィーさんと同じ動きだと思って(笑)。

── ここで神保さんのドラムのグルーヴが全く別物に変わったなと感じたんです。ものすごくポケットが深くなったというか。

野呂一生 あとゲストのパウリーニョ・ダ・コスタさん(per)。あの人がまたすごいんですよ。めちゃくちゃグルーヴの塊で。そういう影響もあったと思いますね。

── やっぱりリズム面の変化が大きかったと。

野呂一生 何だろうな、骨だけみたいな感じの作り方ですよね。今までいろんな音で厚くしていた部分を拭い去られたっていう感じで、リズムとメロディーがむき出しになりましたね。このアルバムはそういうものだからって捉えていましたけど、本当に自分がやりたいのはもうちょっと厚みがあるサウンドなんだなっていうこともわかりました。

── その次が『Cross Point』(’81年)ですね。今度はハーヴィーさんを日本に呼んで作りました。

野呂一生 コ・プロデュースという形ですね。曲を聴いてもらって、ここはグルーヴが合わないなとかサジェスチョンしてもらいました。前のアルバムはリアレンジのものが多かったというのもありましたから、ここで自分らしさを出せたかな、っていう感じがありましたね。



CASIOPEA
『Cross Point』

1981年10月21日発売


── その次が『Mint Jams』(’82年)です。そもそもはイギリスからの依頼で、カシオペアのライヴを見たCBSの担当さんの発案だったということですが。ライヴだけどスタジオの音がいいと。無茶ぶりですよね(笑)。

野呂一生 無茶ぶりでしたよ(笑)。だからどうやって録ったらいいんだろうって。ライヴの迫力っていうんだったらライヴを録るしかない、でもスタジオ盤みたいな音がいいっていうんで、オーディエンスとかの音を全部取り去って、スタジオのリバーブとかを加えて、いかにもスタジオ盤のような音色、音質にしたっていう。



CASIOPEA
『Mint Jams』

1982年5月21日発売


── 演奏はいじってないけど、すごく音の加工をしたという。

野呂一生 うん。「Midnight Rendezvous」だったかな。ブレイクのところでお客さんの手拍子が全然取れなかったんですよ。そこはリバーブをかけて逆に活かしたりしてね。それで、最後の曲だけだんだんとオーディエンスの音を上げてって、ライヴだったんだっていうのがわかるような作りにしたんですね。

── ライヴって言われないで聴いたらスタジオ盤だと思うクオリティですもんね。

野呂一生 すごく面白い出来になったんで、元々はあくまでもイギリス、ヨーロッパ向けっていう形だったんだけど、廉価盤にして日本でも出そうっていうことになったんですね。そしたらこれが一番人気出ちゃって。わかんないもんです。

── それがさらに今になってまたリバイバルというか、またすごい人気で、アナログの再発盤まで出ました。海外でも、若いカシオペアのファンが多いみたいです。

野呂一生 やっぱり嬉しいですよね。特にその当時まだ生まれてなかった20代の子とかね、そういう若い人たちが聴いてくれているってのはすごく嬉しいですね。



── 今振り返ってみて、 このアルバムはキャリアの中でどういう位置づけになっていると思いますか。

野呂一生 やっぱり海外の活動のファースト・ステップだったんじゃないかなと。二つ前の『EYES OF THE MIND』もアメリカを意識して作ったんですけども、今度はヨーロッパを意識して作った。これがきっかけで、ヨーロッパ・ツアーもやれるようになりましたね。

── ただこの頃、アルファ・アメリカが’82年であっという間に撤退してしまいます。カシオペアの海外進出し始めたタイミングで、影響はあったんでしょうか。

野呂一生 いや~、それほど深く考えてなかったですからね。向こうでレコードが出ただけなので。

── この後、メンバーの皆さんはそれぞれに世界各国に行かれました。櫻井さんはブラジル。向谷さんはヨーロッパを何ヵ国か回って、神保さんはニューヨーク。野呂さんはにインドに行かれるんですね。

野呂一生 シタールにすごく興味がありましたからね。あと本場のカレーが食べたいっていうのがあったんですけど(笑)。小学生ぐらいのときにラヴィ・シャンカールとクラシックのヴァイオリニストの人とのデュエットをテレビで見て、「なんだこりゃ~! すごい!」と思ったのがずっと記憶に残っていたんですよ。

── インドに行ってから変わったものはありましたか。

野呂一生 インドに日本人が行けば、例えば買い物に行ったら10倍ぐらいふっかけられるんですね。いいよって言ったらそれで終わりなんだけど、でも自分にはこれはいくらに見えるって交渉する。そういう自分の価値観をめちゃくちゃ試されたんですね。ガンジス川で沐浴している人たちは、ドロッドロの水なんだけど清らかだっていう、それも価値観の違いですよね。とにかく、人と比べなくなったっていうのが一番かな。誰が何と言おうと自分はこう思うっていう。ある意味頑固になっちゃったのかもしれないけど。

── アメリカ・レコーディングなんかでもそうだと思うんですけど、向こうの人って忖度しないっていいますよね。

野呂一生 そう。忖度がなくなったっていう感じかな。こうやったらみんなどう思うかなとか、そういうのがないんですよね。

── 日本に帰ってきて作ったのが、『4x4 FOUR BY FOUR』(’82年)ですね。これは、リー・リトナー(g)、ドン・グルーシン(key)、ネイザン・イースト(b)、ハーヴィー・メイスン(ds)という世界のトップの人たちと一緒に録るという大変な作品で。

野呂一生 録音できるのが9時間しかなかったんですよ。前の晩、リトナーさんのホテルを訪ねてって譜面のチェックはしたんですけど、ほぼ初見的な感じだったんで間違いは結構ありましたよ。ただ本当に時間がないから、大体できたらこれでOKっていう感じでしたね。ものすごく怖いレコーディングでしたよ。



CASIOPEA
『4x4 FOUR BY FOUR』

1982年12月16日発売


── この頃だと思うんですけど、渡辺貞夫さんとコカ・コーラのCMがありましたね。




野呂一生 (のろ・いっせい)

言わずと知れたCASIOPEAのリーダーであり、メインコンポーザー。CASIOPEAの大半の曲を作曲。「ASAYAKE」、「LOOKING UP」、「FIGHT MAN」等、数々の名曲を残している。 ソロアルバムは1985年『SWEET SPHERE』を始めに、現在までにソロアルバムを6枚発売。1996年日本初CD-EXTRA仕様『TOP SECRET』。2001年には全編フレットレスギターを用いた作品『UNDER THE SKY』等、新しい試 みに果敢にチャレンジしている。2008年、神保彰(Drs)、箭島裕治(B)、扇谷研人(Pf)、林良 (Key)と共に“ISSEI NORO INSPIRITS”を結成。最新作『TURNING』を始め、今までに 6枚のオリジナルアルバム、DVD、ライブCDを発表。野呂の新しいライフワークとなっている。同じくして、天野清継と共にアコースティック・ギター・デュオ “お気楽ギグ” を結成。カバー曲を中心にライブハウスツアーを敢行して いる。その原曲を見事なまでにアレンジして聴かせるライブは好評を博しており、2013年、2ndアルバム『昭和・ニッポン 2』を発売。ヴォーカル曲も加え大人のギターサウンドを聴かせている。ほかに安藤まさひろ、是方博邦とのギタートリオ “オットットリオ”があり、年に1~2回のペースでライブを行う。 2009年にはCASIOPEA初代ベーシストの櫻井哲夫と共にアコースティック・デュオ“PEGASUS”を結成、往年のファンを喜ばせた。2016年9月「ギタースコア野呂一生 Best Selection」を発売、譜面集を心待ちにするファンに贈った。同年、翌1月1日に還暦を迎える 記念に初の自叙伝『私時代~WATAKUSHI JIDAI』を執筆。生い立ちから現在までの私時代を語り尽くした。2017年YAMAHAとの企画 で「野呂一生/My Soundバーチャルセッションコンテスト」を開催。2017年末よりギターの新システム“LINE6 HELIX”を用いたクリニックを全国で展開中。 1991年より東京音楽大学で教鞭をとる。現在は客員教授に就任。現在、CASIOPEA-P4名義で、【CASIOPEA-P4 TOUR “RIGHT NOW” ~Summer~】及び【CASIOPEA-P4 Billboard Live Tour P4’s RIGHT NOW~Autumn~】を行っている。

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